ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩33「高崎宿」

2022-08-23 09:22:44 | 食楽・年金ライフ 
コロナ感染は相変わらず拡大中で、お盆帰省による人流増加の影響が心配になる。
暑さやコロナなどの感情が入り混じるなか、21日に中山道「高崎宿」を訪ねた。
「高崎宿」は江戸から13番目の宿場町、高崎駅に11時半到着なのでまずは昼。
駅ビル内にある「登利平」で、上州群馬の新名物といえる「鳥めし」でのランチ
天候に恵まれるも温度は28度、西口から西南に街に入ると「旧井上房一郎邸」。
井上翁は、「高崎交響楽団」設立や「高崎観音」建設など地域振興に貢献した人。

西に進むと「新田町」でそこが旧中山道、右折して街道を北に進むと 駅前通りと
の交差点の左奥に「諏訪神社」、街道を進んで「連雀町」を右折した街中に入っ
て「大信寺」をのぞき見して街道に戻り、北に進むと 右側に「田町絹市場(跡)」
このあたりが「高崎宿」の中心になるが、それらしい遺構も石碑も案内板もない。
その先「本町三」の角に老舗「山田家」があり、左折して左奥の「高崎神社」や
右の「長松寺」に立寄りながら進み、「山田文庫」で街道を離れ高崎城の外周へ。

左に右にと南方向へ、城の土塁に沿う「親水歩道」から烏川の堤上に出て高崎観
音を眺めながら南に歩き、和田橋の先を左折し「高崎公園」から「城址公園」を
左回りに歩きお濠端通りを北に、「高崎城乾櫓」を見学し東に出て「連雀町」に。
高崎城を一周したことになるが、高崎駅に戻ると歩数は15,600歩にもなっていた。
日曜日というのにコーヒー店は空席が多く、ゆっくりお茶してから電車に乗った。
大宮はコロナで危ないから高崎へ、というのではない!』と、ひげ爺の独り言。
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「歴史と民俗の博物館」へ

2022-08-09 08:31:52 | 家庭菜園・庭・花 
連日の猛暑とコロナ感染が続くなかで、地域によっては集中豪雨に見舞われている。
今年は夏の土用の「丑の日」が二度もあり、8月5日は二度目の「丑の日」だった。
その5日の午前 、猛暑も一時的に和らいだので朝の散歩を少し遅めに出発し氷川神
社を参拝した後、大宮公園内にある「県立歴史と民俗の博物館」まで足を伸ばした。
博物館は企画展示中で、令和2~3年に県内で収集した「鯉のぼり」「刀剣のツバ」
「太平記絵入版本」「地域の鳥瞰図」に、「戦時中の生活品」等が展示されていた。

季節企画展の収集品類を一通り見たが、数的にも内容的にも物足りない感じがした。
続いて常設の展示場を見学、第一室「旧石器~弥生時代」に始まって第二室「古墳
時代」第三室「奈良~南北朝」第四室「美術展示」、さらに第五室「室町~戦国時
代」第六室「板碑」、第七室「江戸時代Ⅰ」第八室「江戸時代Ⅱ」第九室「明治~
現代」と続き、第十室「水とくらし」内には北川辺の「あげ舟」も展示してあった。
各室の展示品と説明書きで、郷土に住んだ先人達の生活と歴史を学ぶことができた。

見学後に喫茶室でコーヒー、頂いた「各室の資料」を読み直して博物館を後にした。
ボート池脇から球場前をとおり氷川参道を戻るころには昼時、当然のように参道脇
「氷川だんご屋」へ、名物ノリ巻き「焼きだんご」に「キノコきしめん」での昼。
「土用の丑の日」はウナギ食が定番、事の始まりは「う」の付く食材が理由らしい。
『きしめんもうどんの一種、丑の日だから「う」の付く うどんで・・』と、独り言。
二度の「丑の日」がウナギでは、糖分もカロリーも多過ぎて糖尿と財布に悪いから。
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