ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

庭と畑で眺める今年の秋

2015-10-23 15:44:36 | 家庭菜園・庭・花 
日に日に秋の気配が強まって、朝晩の気温には 寒さを感じるようになってきた。
あちこちから紅葉の便りが届き、錦秋の秋 行楽の秋 味覚の秋 が 真っ盛りだ。
そんな秋ではあるが、今年は百歳の母の容態が心配で秋を楽しむ余裕がない。
遠出は控えているため、自宅の庭や畑と堤防からの眺めで 秋を実感している。
菜園では今、ほうれん草の早播きと小松菜の二番手が 食べごろを迎えている。
また大根の早播き分を一週前から収穫、毎日の食卓にいろいろな姿で現れる。

根深一本長ネギは、時期的に本来の味ではないが必要に応じて収穫を始めた。
それは霜が降りると柔らかさと甘味が増し、鍋料理には欠かせない食材になる。
サトイモは 彼岸に試し採りして一ヶ月たち、これから本格的な収穫期を迎える。
芋の数も増えて形も大きくなり、バター味噌炒めや けんちん汁で賞味している。
そのほか、レタスやキャベツに秋ジャガイモも 来月中旬には収穫できるだろう。
何よりも大事な冬野菜の主役 白菜は、大きくした葉を横に広げた状態から 上向
きに変えたところで、これから丸まりながら大きくなり 結球して硬い白菜になる。
今後も手入れが必要ではあるが、冬から春先までの貴重で多様な食材になる。

秋の気配は果樹にも見え、栗にイチジクが終わり柿の実が秋空に輝いている。
我が家には 三本の柿の木があり、甘柿の「次郎」と「種なし」種が 収穫最盛期
で、渋柿の「百目」は来月の中ごろに収穫し 皮を剥いて吊るして干し柿にする。
余った柿を近所にお届けしたら、お返しに赤飯やリンゴが届くなど ウマい話に。
『秋の柿は甘くてウマく、冬の牡蠣はジューシーでウマい』 と、ひげ爺の独り言。
でもブログの原稿書きと云うカキは、一年中やっていてもウマくならないで困る。
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郷土歴史ロマン散歩 -4

2015-10-06 07:55:14 | 食楽・年金ライフ 
私の住む加須市北川辺のお隣り茨城県古河市は、室町時代から戦国にかけ
て東国関東の府となった所で、古河公方五代120年間の「夢の跡」でもある。
足利尊氏が開いた室町幕府は、関東を分国統治するため鎌倉府を置いたが、
五代鎌倉公方の足利成氏は、豪族や管領との内紛によって古河に移府した。
以後 古河は東の都・第二の鎌倉となり、府の主は代々古河公方と呼ばれた。
その館は渡良瀬川沿いの地にあったが、現在は古河総合公園になっている。
また市内には、成氏が鎌倉から勧請した 長谷寺や八幡宮などが残っている。

秋晴れに恵まれたこの日、古河総合公園に車を進め 園内を散策して廻った。
そこは小高い丘と沼とが入り組んだ地形で、一角には御所沼に三方を囲まれ
た半島のような丘地があり、その森に「古河公方館址」 の石碑が立っている。
公方館は度々改修されたが、館とは別に「城構え」が北側隣地に拡張された。
五代公方義氏の頃、城は戦国の城郭機能を持つ「古河城」として整備された。
その後、家督争いや豪族間紛争によって 北関東での支配力も徐々に弱まり、
後北条氏の影響を受けたのち、豊臣秀吉の関東征伐により体制は終焉した。

江戸時代の古河城は、地理的背景から徳川幕府の譜代が城主となってきた。
しかし 城は明治初期に廃され、明治末には河川改修により遺構まで失った。
古河市街地に車を進め、古河城の出丸跡にある 「古河歴史博物館」を訪問。
そこは 「諏訪曲輪」の跡地で、周辺に城下町の面影を少しばかり残している。
『句に「夏草や兵どもの夢の跡」、でも古河は 城跡もない城下町』 と、独り言。
今は秋、ハギ キキョウ クズ フジバカマ オミナエシ オバナ ナデシコ が七草。
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