今年は寒い日が続いたので、 本格的な畑仕事が予定通り進められなかった。
それでも先週は、好天を選んで 庭の芝焼きと果樹の整枝剪定作業を行った。
柿三本、桃 梅 林檎が二本、栗 スモモ みかんの手入れで一日がかりの仕事。
獲っては食べてきた夏みかんの残りを収穫したら、120個超の大豊作であ
ったがリンゴと一緒に保存して甘くなった頃、近所や親戚にも届ける予定。
畑の秋ジャガを掘っては食べ、里芋や大根も土中に保存し食べている。
ビニールハウス内では、小松菜 春菊にほうれん草の収穫がまだ続いている。
寒いなかでも、水仙が咲き 蕗のとうや早生種のかき菜で春を味わってきた。
最低気温が氷点下の日はあっても、庭先の梅は蕾をふくらませてきている。
昨日の朝は、まだ鳴き声の怪しいウグイスが庭で春の到来を告げていった。
季節は雨水から啓蟄へ、我が家の小さな菜園も春の野菜作りを迎える。
畑には、堆肥や有機肥料等を入れ石灰をまいて耕作して春の準備してある。
これから気温の上昇に合わせ、春野菜いろいろの種まき時期を迎える。
私は連作障害を持つ成り物類は市販接僕木苗、他は種から苗を育てている。
種まき第一段は26日、ビニールハウス内の苗床や鉢に種まきをした。
蒔いた春野菜の種類は、小松菜 レタス キャベツ ブロッコリーであった。
三月中旬からは露地や常温での種まきとなり、山東菜・ジャガイモ・春ま
き長ネギ・カボチャ・インゲン・キュウリを撒き、里芋種の植え付けだ。
そして、育てた苗や市販苗などを定植すると 畑は最盛期の賑わいになった。
「野菜の種は上手く蒔けるが、金儲け話しの種は蒔けない!」と、独り言。
今は高値の葉野菜も、自家製を獲る季節には値崩れして安くなる事だろう。
昨年の6月に、行政から市長名で新しい委員会の委員依頼通知が届いた。
加須市の新総合振興計画を上位計画に、観光ビジョンを策定したいという。
商工会や観光協会などの会員から人選したようだが、私はオニバス保護活
動やボランティアガイドに加えて過去の旅行業経験がその理由らしい。
30名程の委員に行政から5名が加わったが、比較的に若い人が多かった。
8月の第一回会議は、委嘱式と委員紹介と会議目的や進め方が話された。
会議は月1回ペースの開催され、班別のワークショップ形式で進められた。
観光行政の必要性や、地域に合った観光のあり方等を議論し、地域にある
観光素材の拾い上げと、魅力づくりや活用の方法・商品化なども議論した。
加須市は関東平野の中央部にあり、全体が真っ平らな地形になっている。
これと云った観光資源がなくて、従来型の観光地にはなり得ないところだ。
小粒な観光資源に自然や産業等を連携させ、平地型観光の推進が望まれる。
平地の観光は、老若男女の誰もが何時でも健康的な非日常の時をすごせる。
首都圏の利便性を活かした「安近短」の着地型で、季節 地域 交流が基だ。
2月の会議を最後に委員会は終了し、観光ビジョンの素案が出来上がった。
一方、市の北辺にある渡良瀬遊水地はラムサール条約登録が期待される。
そこは北関東4県が接する所で、関係自治体の足並みが揃いにくかった。
やっと周辺全市町の決議が整い、湿地環境の担保も河川法でクリアーした。
この後は、県や国の推薦手続きを経て8月頃の国際会議を待つことになる。
水鳥の生息にとって重要な湿地と認められれば、発進力が各段に上がる。
「遊水地に渡り鳥が多く来るが、閑古鳥という鳥はいない!」と、独り言。
観光を広義に捉え、遊水地を含め平地の魅力を創造することが重要だろう。
今年はことのほか寒く、立春を過ぎても最低気温のマイナスが続いている。
降雪を心配しながらも、霊場めぐりは昔の毛の國:上野国(群馬県)に入る。
本来なら、梅の花が咲く3月に参拝したい榛名山麓の二ヶ寺だが、札所順を
出来るだけ守りたいとの思いから 天候を見てこの日の参拝となった。
榛名山の南面には梅林が多く、遠く関東平野の北部一帯が眺望できた。
「梅の花はなくても、水沢うどんは食べられるから・」と、ひげ爺の独り言。
一ヵ月早いのだが、梅もうどんも 「うめ~」で共通するから まあいいだろう。
坂東観音霊場十五番: 白岩山 長谷寺 本尊: 十一面観世音菩薩
天気は平年並みとの気温予報のもと、9時過ぎに出発する余裕日程であった。
進行ルート選択に悩みながらも、北関東自動車道経由で関越道の高崎に出た。
烏川に沿って道を上り、下里見を右折して進むと山道の左側に長谷寺がある。
駐車場から道路を渡ると本堂だが、本来は左手前の仁王門から参拝する。
赤色の仁王門を潜った境内は、右に鐘楼 正面には壮大な唐破風の本堂がある。
寺の縁起によれば、役行者の修験地であだったと言われ 伝教大師や弘法大師
も訪れ 、源義家 新田義貞 武田勝頼など武将の信仰も篤っかったと伝わる。
坂東観音霊場十六番: 五徳山 水澤寺 本尊:十一面千手観世音菩薩
伊香保に向かって パノラマラインを進むと、うどん店の多い水沢の地に出る。
突き当たりが「水澤寺」で、細く急峻な石段の参道の途中に仁王門があった。
道路で右に迂回し上ると、本堂の奧に駐車場があり一般的参拝者が利用する。
壮大な仁王門から進むと、正面に本堂があり隣に六角堂 奧には釈迦堂がある。
本尊の十一面千手観音は、古事記時代の伊香保姫の護持仏とも云われる。
この寺は 推古天皇勅願での創建と言われ、六角堂は屋根が二層になっており
六道輪廻の六地蔵を安置する台座は、手で押せば回るように出来ている。
節分の日になった、久しぶりに5時起きをして旅の集合地まで電車で出かけた。
今回の旅は、県が委託した【埼玉「深」発見】と称する体験旅クラブのツアー。
そのネームは、「三峯神社の奇祭ごもっともさまと 奇少三十槌の氷柱」である。
宮代の阿部先輩のご厚意で参加し、普通は出来ない「節分豆まき」を体験した。
埼玉の大宮からバスに乗り、まずは秩父市大滝の三十槌にある「氷柱」を見学。
荒川対岸の岩壁に、「つららのカーテン」が4~50メートルも続いていた。
自然が創り出す氷の芸術で、寒さの厳しい今年は立派に出来たと云う。
続いて、荒川に沿って山奥に向かい二瀬ダムを経て山道を走り「三峯神社」へ。
海抜1100メートル超にある三峯神社は、日本武尊に縁起する古い社。
そこで一年に一日だけの奇祭、節分追難祭「ごもっともさま」が行われている。
食事の後、簡易カミシモと 「ごもっともさま棒」と 豆入り福枡を いただいた。
裃を着て神殿に坐し、厳粛な神事の最後に年男による豆まきとかけ声に合わせ
合わせて、そばにひかえる添え人が大きなすりこぎ状の丸棒を押し上げ
「ごもっともさま~」と大音唱を発し、つづいて参加者もそれに習い唱和する。
「ごもっともさま棒」は、力強い生命力(男)があり邪気を祓い福を招くと云う。
節分とは、春を迎えてすべての命がよみがえる節目を意味すると云う。
私は秩父の神前で豆まきをして、家の豆まきは「神さん」である女房に任せた。
そして、神社から頂戴した1尺程の短く丸いごもっとも棒と福枡を持ち帰った。
でもそれだけでは、お土産として「ごもっともさま」とは言って貰えない思い。
そこで、名産キリコミウドンとバームクーヘンをお土産として買って帰った。
「でも、かけ声がなぜ『ごもっともさま』なのだろうか」と、ひげ爺の独り言。
ごもっともさま棒は、家の神棚に納めたが その場所はごもっともなのだろうか。