毎年のことだが、庭では熟した柿の実が 我が家を代表する秋の色になっている。
10月になってその実が色づきはじめ、ちょうど食べ頃を迎えようとしている。
いまは富有柿を収穫中で これから次郎柿が本格化、その間は渋柿を渋抜きする。
どうしたわけか今年は、その柿が例年の半分くらいしか実をつけていないのだ。
今年の柿の状態は、例年に比べて花付きが少なかったが その着果率も悪かった。
その少ない実が落ちてしまい より少なくなったのは、何か原因があるはずだ。
夏の猛暑や雨不足の影響なのか、それとも病気や害虫なのかは判らない。
我が家には甘柿が2本と渋柿が1本あるが、その中で順調なのは渋柿1本だけ。
私が一番に好きな「次郎柿」が、数も少なく型も小さいのでガッカリしている。
柿は隔年ごとに作柄が変わる特性があるが、枝の剪定で調整すると平均化する。
また着果した実の数が多い時は、木が自分で数を調整する性質を持っている。
近所の柿も今年は不作のようだが、柿だけではなく野菜類も不作で高値続きだ。
また、隣の地域では猛暑によって米の質が極端に悪くなって困惑している。
真夏の雨不足に猛烈な暑さのため、お米同様に柿にも影響があったのだろうか。
少ないとは云え、柿3本の実だから自家や兄弟家で食べるには十分な量がある。
毎年お届けしているお宅には、数を少し減らしてでも持参したいと思っている。
去年の柿は成り過ぎて処分に困り、近所や親戚に持って回ったものだった。
今年は どなたからか 貰えるだろうか?、いや 持って歩く人の姿は ないだろう。
それどころか、我が家の柿を貰いたいと期待され待っているのかもしれないぞ。
「今年は甘柿が不作で少ないから、渋柿の樽抜きが貴重になろう」と、独り言。
糖尿病の私には、柿が不作で数も甘みも少ない方が良いと言う「渋~い話」だ。
今年3月、近隣市町の合併によって自治体としての「北川辺町」は消滅した。
合併により、地域住民の自治参画意識や地域力の低下などが心配される。
そして合併協議にあった自治区構想も、広く有用性が理解されてはいない。
そこで、地域力向上にむけ「地域まちづくり協議会」を設置することになった。
旧町の百人委員会が役割を終えたところで、任意団体としての発足になる。
私は、自治条例制定委員会や町づくり百人委員会などに関係してきたから、
発起人の一人として人選に関わることになり、協議員も務めることになった。
発案者の前町長に協議会の会長をお願いし、行政や議会への重みとした。
人選には、熱意と責任感のある人を選びたかったが、なかなか難しかった。
言動に責任ある人を選び、一定の若さと出席率の高い構成にしたかった。
文化・教育や防災・商工など、地域団体からもメンバーを加えることにした。
地域や職業・年齢・性別に加え、経歴面のバランスを考慮した人選になった。
しかし定数の兼ね合いで、団体の「当て職委員」比率が高くなってしまった。
そして5月から旧北川辺町を範囲とした「地域まちづくり協議会」が発足した。
協議会は、部門別に三部会に分けて、毎月1回のペースで協議をはじめた。
今までの議論は、認識の共有化にはじまり具体的内容に入ってきたところだ。
新市の事業計画策定を前に、反映させたい事柄を取りまとめる事になった。
各部会とも急ぎ協議内容を整理し、市行政への提言要望づくりに取り組んだ。
当て職の委員が役割を果たしていない現実が、地域力の程度を示している。
「集団はやっぱり、良い2・普通6・悪い2の構成になる」と、ひげ爺の独り言。
どの部会でも、2割ほどの少数精鋭委員が全体を引っ張る議論になるようだ。
合併により、地域住民の自治参画意識や地域力の低下などが心配される。
そして合併協議にあった自治区構想も、広く有用性が理解されてはいない。
そこで、地域力向上にむけ「地域まちづくり協議会」を設置することになった。
旧町の百人委員会が役割を終えたところで、任意団体としての発足になる。
私は、自治条例制定委員会や町づくり百人委員会などに関係してきたから、
発起人の一人として人選に関わることになり、協議員も務めることになった。
発案者の前町長に協議会の会長をお願いし、行政や議会への重みとした。
人選には、熱意と責任感のある人を選びたかったが、なかなか難しかった。
言動に責任ある人を選び、一定の若さと出席率の高い構成にしたかった。
文化・教育や防災・商工など、地域団体からもメンバーを加えることにした。
地域や職業・年齢・性別に加え、経歴面のバランスを考慮した人選になった。
しかし定数の兼ね合いで、団体の「当て職委員」比率が高くなってしまった。
そして5月から旧北川辺町を範囲とした「地域まちづくり協議会」が発足した。
協議会は、部門別に三部会に分けて、毎月1回のペースで協議をはじめた。
今までの議論は、認識の共有化にはじまり具体的内容に入ってきたところだ。
新市の事業計画策定を前に、反映させたい事柄を取りまとめる事になった。
各部会とも急ぎ協議内容を整理し、市行政への提言要望づくりに取り組んだ。
当て職の委員が役割を果たしていない現実が、地域力の程度を示している。
「集団はやっぱり、良い2・普通6・悪い2の構成になる」と、ひげ爺の独り言。
どの部会でも、2割ほどの少数精鋭委員が全体を引っ張る議論になるようだ。
今年は残暑の厳しき初秋だったが、お彼岸ごろから急に涼しくなってきた。
味覚の秋 食欲の秋 行楽や読書の秋などなど、秋も本格的になってきた。
私達夫婦は、母が介護施設のお世話になる週2日だけ時間が自由になる。
自由な時間にすることは、病院通い 買い物 掃除 用足し等になっている。
その日は早めに時間がとれたので、夫婦で足利まで出かけることにした。
私は、足利学校とばんな寺周辺の石を敷いた道に沿った町並みが好きだ。
狭い範囲ではあるが、落ち着いた雰囲気の心を和ませるお店が多くある。
公営駐車場は遠くなるので、「石畳通り」にある程良い駐車場に車を入れた。
路地にある小さなコーヒー店に入り、コーヒーで喉を潤し一息つくことにした。
続いて、史跡である ばんな寺から足利学校までを散策して見てまわった。
途中で、地元のボランティアガイドが案内するバス二台の団体に出会った。
曜日と時間帯からも、ただの観光客とは思えない落ち着いた静かな団体だ。
遠慮しながら団体にまぎれて、ボランティアの説明を聞きながら見学をした。
気づいたら、ほかの客は我々夫婦以外に見あたらないほど閑散としている。
でも、伝説的なお店「一茶庵」の三色蕎麦は、待たされるだろうと敬遠した。
昼食は、もう一つのお目当ての店「なか川」でお蕎麦を賞味することにした。
相田みつをが常用していた旅館で、今では食事が中心のお店になっている。
水にこだわるご主人が、今も「足利の名水」でお蕎麦を打っているという。
相田みつをもお蕎麦を好んだらしく、お店には色紙などが展示してある。
彼は「水を使う商売・・・、ましてや蕎麦は水がいのち」と色紙に書いている。
「足利学校は学問の・・・、それより秋は食欲がいのち」と、ひげ爺の独り言。
大竹で作った器に入った冷たいお蕎麦を、鴨汁でいただいて・・満腹・満足。
〔後記:感謝御礼、今月14日投稿695日目で、閲覧数が30013PVに・・〕
味覚の秋 食欲の秋 行楽や読書の秋などなど、秋も本格的になってきた。
私達夫婦は、母が介護施設のお世話になる週2日だけ時間が自由になる。
自由な時間にすることは、病院通い 買い物 掃除 用足し等になっている。
その日は早めに時間がとれたので、夫婦で足利まで出かけることにした。
私は、足利学校とばんな寺周辺の石を敷いた道に沿った町並みが好きだ。
狭い範囲ではあるが、落ち着いた雰囲気の心を和ませるお店が多くある。
公営駐車場は遠くなるので、「石畳通り」にある程良い駐車場に車を入れた。
路地にある小さなコーヒー店に入り、コーヒーで喉を潤し一息つくことにした。
続いて、史跡である ばんな寺から足利学校までを散策して見てまわった。
途中で、地元のボランティアガイドが案内するバス二台の団体に出会った。
曜日と時間帯からも、ただの観光客とは思えない落ち着いた静かな団体だ。
遠慮しながら団体にまぎれて、ボランティアの説明を聞きながら見学をした。
気づいたら、ほかの客は我々夫婦以外に見あたらないほど閑散としている。
でも、伝説的なお店「一茶庵」の三色蕎麦は、待たされるだろうと敬遠した。
昼食は、もう一つのお目当ての店「なか川」でお蕎麦を賞味することにした。
相田みつをが常用していた旅館で、今では食事が中心のお店になっている。
水にこだわるご主人が、今も「足利の名水」でお蕎麦を打っているという。
相田みつをもお蕎麦を好んだらしく、お店には色紙などが展示してある。
彼は「水を使う商売・・・、ましてや蕎麦は水がいのち」と色紙に書いている。
「足利学校は学問の・・・、それより秋は食欲がいのち」と、ひげ爺の独り言。
大竹で作った器に入った冷たいお蕎麦を、鴨汁でいただいて・・満腹・満足。
〔後記:感謝御礼、今月14日投稿695日目で、閲覧数が30013PVに・・〕
今年は国政調査の年に当たり、その調査員を行政に依頼され引き受けた。
5年前にも引き受けたのだが、調査範囲が前回よりやや広くなっていた。
25軒前後を単位とする「調査区」の、四地区を受け持つことになった。
9月の15日に総合支所で説明を受けて、資料類の一式を受け取って 家
で配布された要領を確認し、担当地域の要図作成や袋の準備を行った。
22日から「お知らせ」を配布開始、要図を確認しながらの訪問だった。
9月24日からはいよいよ調査の依頼となり、戸別訪問をはじめた。
これは面談しての説明が必要なため、調査員証と腕章を付けて訪問した。
土曜・日曜を中心に3日間で、全戸を訪問したものの約3割が不在だ。
時間を変えながら再訪問を繰り返し、29日には完全配布にこぎ着けた。
10月1日以降が調査回収の期間で、2日の土曜日から回収をはじめた。
郵送希望も含め、今日の夜までには回収の全てを完了出来そうだ。
訪問する中で感じたことは、少子高齢化が予想以上に進んでいることだ。
ほとんどの家庭で 世帯主が高齢者になっていて、二世代家族が同居して
いないから家族人数も少なく、いずれ急速に過疎化が進むことになろう。
子供のいない高齢な核家族型世帯は、地域との関わりも薄れている。
誰もが老齢化するなかで、 家族の絆 近所づきあい 地域内共助 地域力の
向上など、互助精神に基づく組織的連携が一層必要になる。
「子供がいないと、家庭や地域の力を減退させる」と、ひげ爺の独り言。
家や地域だけでなく、少子高齢化で日本全体の力が衰退しないか心配だ。