ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

渡良瀬遊水地 なう〔早春〕

2015-02-24 08:48:02 | 地域活動・つながり
水ぬるむ季節「雨水」を迎え、渡良瀬遊水地に春の気配を求めて行ってみた。
快晴無風のなか、下宮橋駐車場に車を停めて ハート湖を廻るコースを散策。
下宮橋を渡ると右側道脇に、「北川辺町の木」の表示板と梅の木が1本ある。
例年よく花をつけるのだが、今年もその梅花が三分咲きで私を迎えてくれた。
谷中湖(ハート湖)畔に出ると、湖は「干し上げ」によって 湖水がほとんどなく、
大部分が干潟化し、狭くなり浅瀬となった湖面は 水鳥の種類も数も少ない。
そこは小魚を餌にするサギやカワウが多く、ガンやカモ類の姿はわずかだけ。
中の島で休んでいると、ガンの数羽とセグロカモメが頭上を横切って行った。
東谷中橋まで進んで左折、気になるのはハシブトガラスがやたら多いことだ。
史跡ゾーンには落葉樹が多く、オギやヨシも枯れていて 閑散とした冬景色。

子供広場から北水門を経て、ヨシ原浄化施設内の展望台からヨシ原を展望。
3月中旬の「ヨシ焼き」を前に、道路や建物の周りは ヨシ刈りが済んでいる。
そこからは帰り道、途中のひらけた草原の上空で トビが低空旋回していた。
写真が撮れればと 急ぎカメラを準備していると、トビはさらに降下してきて地
面近くを水平飛行したかと思うや、獲物捕らえて飛び去って行った。
「狩り」を見るのは想定外で、トビを正確に狙えないまま 反射的にシャッター
を切っていたが、後で確認するとトビが後ろ向きのうえ逆光だったことが残念。
まごころ橋近くの湖畔低木に、白と黒のコントラストが綺麗な ジャウビタキが
遊んでいたが、細かい動きとブッシュが邪魔してカメラにとらえられなかった。
『 とんでいる鳥を撮るのは、とんでもなく難しいことだ 』 と、ひげ爺の独り言。
とりあえずの写真ながら、鳥会えずではなく鳥に会えたがゆえの写真である。 
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春を感じ始めた家庭菜園

2015-02-17 08:12:06 | 家庭菜園・庭・花 
2月の中旬と云うのに、冷たく強い北風が吹き寒く厳しい日々が続いている。
しかし節気では立春を過ぎ、明日から氷雪融けて雨水温む「雨水」を迎える。
我が家の菜園や庭の木も、少しずつ春の気配を感じさせるようになってきた。
庭でフキノトウが開き、畑のほうれん草とハウス内の小松菜は 食べごろだ。
野菜は春を前に「とう立ち」を始めるので、白菜はすでに納屋に取り込んだ。
残っていた長ネギも、先週末にすべてを収穫し米用紙袋に詰めて保存した。
育成中のキャベツや玉ネギは、根張りも強くなって 葉茎も緑濃くなってきた。

庭や果樹園の木々も、開花に向けて花芽を膨らませ 春の息吹を感じさせる。
そんな今が整枝剪定の時期、ひげ爺は好天日を選んで肉体労働日になる。
手に手袋を付け ノコギリとハサミを腰に、大小の梯子を使って 作業を開始。
まずは玄関前の梅の木、陽当たりが良く暖かいので蕾は膨らみ開花も近い。
花を見たいので花芽を残す整枝で、畑にある一本は 実をとるための剪定だ。
次は桃の木2本に掛かる、蕾はピンクの色にふくらみ始めて春を待っている。
暖か日和の中で、低木系のスモモとばたん杏の剪定が終わると昼になった。

午後からリンゴとイチジクをやっつけて、栗の木を終わらせて 柿の木3本へ。
思い切り枝を詰めたいので、梯子を何回も移動させて足場に気遣う力仕事。
花芽を確認しながら剪定、柿2本が終わると夕方で 残る1本は後日となる。
ユズにミカンもあるが、柑橘類は枝を詰めると実付きが悪くなるので簡単だ。
『庭に松も竹もある、でも松竹梅でランク付けをするのは何故?』と、独り言。
梅 桃 李 林檎 無花果 栗 柿 柚子 蜜柑、全部読めるが 書く事は出来ない。
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絹産業遺産群を巡る 〔7〕

2015-02-10 09:43:36 | 旅行・秘湯・巡礼 
群馬県の下道を一時間走り、世良田を左折し利根川を渡ると埼玉県側に出る。
そこに 群馬県伊勢崎の飛び地 「島村」があり、養蚕で栄えた姿を残している。
まず「日本基督教団島村教会」を訪ねた、そこは 埼玉県との県境地にあった。
蚕種の輸出で海外文化に接した田島善平らが、明治30年に建設した教会。
続いて 世界遺産に登録された江戸末期の建築遺産「田島弥平旧宅 」を訪問
し、ボランティアガイドから家屋の構造や実業家弥平等について説明を受けた。
彼の発案した越屋根付き養蚕住宅は、その後の養蚕家屋のモデルになった。
付近には養蚕蚕種で繁盛した住宅が幾つか残り、往時の繁栄ぶりが窺える。

車に戻り畑中を少し走ると、「近代日本経済の父」 と云われる渋沢栄一翁の
出身地深谷市血洗島に入る。 翁ゆかりの生地 「旧渋沢邸中の家 」は、焼失
した生家を 明治28年に 建て替えたもので、ケヤキ材を存分に 使った母屋は
苗字帯刀が許された家柄と養蚕や藍玉で栄えた裕福さとがうかがえた。
続いて「渋沢栄一記念館」を訪問、貴重な資料やビデオが無料で拝観できた。
ここ深谷は、渋沢翁設立の日本煉瓦製造会社による レンガ製造地でもある。
そこで 深谷市は、翁の精神を継承し レンガによる施設づくりを推進している。
その代表が 新しい「深谷駅」で、東京駅をモデルにした 見事な駅舎と云える。

中山道の旧道を30分ほど走って、熊谷駅に近い「片倉シルク記念館」を訪問。
ところが 臨時の休館日とのこと、時間を計算してきたのに 拝観できなかった。
『判っていれば、深谷名物「煮ぼうとう」を食べたのに・・』 と、ひげ爺の独り言。
絹産業遺産巡りは今回で完結とするが、「蚕」の旅は 懐古で回顧の旅だった。
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地域が行う研修会と探鳥会

2015-02-03 09:33:16 | 地域活動・つながり
その日は、埼玉県東部地区の社会教育委員会に関係する研修事業があった。
社会教育の委員と関係職員が、行田市教育文化センター 「みらい」に集まり、
「社会教育を通じたまちづくり」を基本テーマとして、講演と発表とが行われた。
講師は、宇都宮大学准教授 佐々木英和氏で ワークショップを取り入れた形。
演題は、教育としての社会教育「無縁社会の蔓延を見据えた地域づくり戦略」。
「教育」と「生涯」の定義を再考して、教えることと 教わることの意味を学んだ。
発表は、行田市 越谷市 杉戸町が 取り組んできた実践活動を事例発表した。
どの地域でも、社会教育の役割範囲と対象年代が幅広いことに苦労している。

雪が降り積もった翌日を挟み、31日は 渡良瀬遊水地で探鳥会が行われた。
加須市観光協会北川辺支部が主催する会で、ひげ爺は役員として参加した。
定員50名の募集で、ほぼ満員の参加者は 9時半に説明を受けて出発した。
講師の案内を受けながら、資料と双眼鏡を手に 下宮橋から中の島へ進んだ。
野鳥観察台では水鳥の数は少なかったものの、トビやセグロカモメやハヤブサ
などの大型野鳥が頭上近くを滑空し、その雄姿を十分に見せてくれた。
さらに 谷中東橋から延命院跡を訪ね、子供広場の学習センターまで歩いた。 
鳥合わせした結果、21種類の野鳥を観察できたことは 「まあまあ」と云える。

社会教育研修で「人のこと」を学び、観光協会探鳥会で「鳥のこと」を学んだ。
どちらも 環境や条件の見極めが基本で、相手に対する気配りが大切になる。
『そんな時 「イスラム国」で、日本人二人が殺害された 』 と、ひげ爺の独り言。
「学び」の欠如した蛮行に、やり場のない憤りを感じるのは 私だけだろうか?。
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