私達のたった一人の孫が、七五三のお祝いで食事会をすることになった。
娘夫婦の子供で一人っ子の女の子は、今年小学校の一年生になっている。
我が家からは私たち夫婦に高齢な母が参加することになったが、母の足腰
の具合が心配なので車で行くことにし、家を11時少し前に出発した。
娘と孫は午前中に写真撮りを済ませて、12時に上尾の住まいに集合した。
嫁ぎ先の方からも夫婦が出席して総勢8名が集まり、孫の着物姿を祝った。
着物一式は30年前に娘が使ったものを、その子供である孫にも使用した。
住まいで一息ついた後、近くにある上尾鍬神社にお参りして食事になった。
上尾の駅に近い気のきいたお店で、椅子席の半個室的なところが良かった。
祝い事が少なくなっているなかで、久しぶりに「お頭つきの鯛」を頂戴した。
和食中心の膳は量も味も良かったが、最後に出た鰻ご飯が食べ過ぎになる。
孫娘は着物姿での食事、さすがにやんちゃは納まって女の子らしくしている。
大きいお婆ちゃんの体調もなんとか良く、食事は一人前を食べきっていた?。
それにしても大きいお婆ちゃんは95歳、家族にとっては健康が何よりだ。
自分の年齢を改めて感じながら、子や孫の成長が早いことに気づかされる。
我々が健康であれば、孫の成長を素直に見とどけながら祝うことが出来る。
孫を育てる娘夫婦の役目大切さも感じるが、我々も健康の大切さを感じる。
食事をしながら、飲んだり話したり写真を撮ったりで二時間少々がすぎた。
「ただ一人の孫、何かと心配をかけ続けることだろう」と、ひげ爺の独り言。
でも心配が健康のためになり、一人のマゴでは孫孫することもないだろう。
春日部市の江戸川沿いの地に「龍Q館」と言う地上建物と地下施設がある。
そこは、流域の水路管理をしている国交省の江戸川河川事務所でもある。
去る26日、かつての先輩に誘われお世話になって見学することが出来た。
まず龍Q館の2階で、この地域の地理的特性や河川と水管理の必要性、さ
らには地下に建設した首都圏外郭放水路の概要などの説明を受けた。
そして地下の調圧水槽(地下神殿)見学上の諸注意を受け、屋外にある別
の入り口から地下に向かったが、それはビルの非常階段を下りる感じだ。
階段を120段ほどで降りると水槽という広い空間の底辺部分に到着する。
通常時の今は水が流入していないから、どでかい広さの空間になっている。
天井を支える何本もの柱が、「地下神殿」と言うに値する景観を作っている。
色彩はないが灯りがついていて、パルテノン神殿の雰囲気になっている。
神殿に続く地下放水路は、国道16号の地下50㍍のところに直径10㍍、
長さ6.3㎞のトンネルを掘って地下水路とし、緊急時だけ使用すると言う。
江戸川と古利根川に挟まれた埼玉県東部地域を水から守ることが目的だ。
中川などの河川が増水した時、5つの縦坑から流水させて水位を下げる。
そのことで、河川からの外水氾濫を防ぎ、内水洪水も防ぐという仕組みだ。
縦坑から流入した水は、地下水路を使ってこの調圧水槽に入れた後 ガス
タービンのポンプで江戸川に排出するという。
毎年7回程稼働し、付近の水害が激減したと言うから無駄なことではない。
「すでに出来てしまったから、事業仕訳の心配はない」と、ひげ爺の独り言。
本当なら古利根川からさらに、綾瀬川まで延伸されればより良いのだが・・。
去る3月23日に旧1市3町が合併を成就させてから7ヶ月余が経過した。
その間、元加須市長が新市長に当選し市政の運営も順調に推移してきた。
そして、11月21日に新市加須市の誕生を祝う記念式典が開催された。
その日は好天に恵まれ、新市誕生のお祝いには何よりの贈り物となった。
開場パストラル加須に埼玉県知事を始め多くの来賓をお迎えし、約700
名の市民も参加して午後の2時の開式となり、市長の祝辞に議長の挨拶か
ら上田知事や国会議員・県会議員など来賓の祝辞と進行していった。
元自治体首長には、そのご労苦に対し 総務大臣からの感謝状が送られた。
私も合併協議会の委員として招かれ、新市長から感謝状をいただいた。
表彰が一通り終わったところで、これから使う新しい市章が発表された。
全国から800点程の応募があり、厳正な審査で絞り込みさらにはアンケ
ート評価を加え、長崎県在住者の作案したマークに決定したと言う。
青色の弧が川を、緑の弧が田園を、合わせた四つの弧線が旧4地域意味も
弧を重ねて「加」を現し、協調し発展する加須市を表現していると言う。
さらには、県内始めてと云う「原付車両用ご当地ナンバー」が発表された。
市の特産品「鯉のぼり」をデザインしたもので、来年4月から使用される。
閉会後記念品として、加須地域産の新米「彩のかがやき」が用意された。
県の推奨米も今年は異常高温のため、検査不合格米が大量に発生している。
その救済を含めた配慮だが、記念品には食べ物のお米と云うのもご当地だ。
「早速今晩、北川辺産コシヒカリと食べ比べてみる」と、ひげ爺の独り言。
農家救済に新米活用は有り難いが、米処北川辺地域だけは複雑な心境だ。
幸いお天気が良いので、山の紅葉を見ながら新そばを味わおうと・・・。
そこは、葛生の町から渡良瀬川の支流秋山川に沿って上ること20分程。
我が家からは、車で藤岡 岩舟 葛生と通って行くと一時間と少しかかる。
葛生は石灰岩産出で栄えてきた町で、周辺は水も土もそばに合うらしい。
この道筋には、手打ちそばのお店が幾つかあって「そば街道」と言えそう。
かなり奧に入った所の小さな里の道筋に、古い家を改造したお店がある。
お蕎麦を食べるためだけに、わざわざ来るその店は「かみやま」と言う。
蕎麦好きの隣人と3度程来たたことのある店で、私の好みに合っている。
葛生の仙波・秋山で栽培している地粉で、「新そば」を出してくれていた。
早速中庭のある別棟の広間に入り、せいろと蕎麦まんじゅうを注文した。
その部屋の隣は、土蔵を最近改造し臼と杵を使ったテーブルになっていた。
満員になるほどの客ではなく、ゆったり座りゆっくり味わうことが出来た。
お店から近い所には座禅草の自生地もあり、その奧には滝も幾つかある。
食後は紅葉を見ようと、川に沿って20分ほど上って「大滝」まで行った。
大滝と言うほどの滝ではないが、歩道の周りは紅葉が見頃になっていた。
滝端のテーブルで、持参してきたケトルでお湯を沸かしてコーヒータイム。
「かみやまは、やまのかみにとって始めてで喜ばれた」と、ひげ爺の独り言。
今度は、座禅草の季節に連れて来ると約束する帰り道になってしまった。
夏から続いている野菜の高値が、本格的秋を迎えた今も続いている。
今年の夏以降、菜園での野菜作りは例年にない難しい栽培になった。
それは夏の異常な高温と雨不足のため、苗づくりの段階からだった。
種を播いても発芽が悪く、芽が出ても苗に上手く成長してくれない。
9月下旬までの高温続きでは、秋野菜にとって適温の季節ではない。
ましてや雨の降らない畑の土は、乾き切っていて土息も上がらない。
ひげ爺の菜園は、水道水を使えるが、異常気温はどうしようもない。
たとえば白菜で、私は8月23日に苗ポットと畑への直播きとをした。
いずれも、発芽までは順調だったがその後が上手く成長しなかった。
葉に伸びやかさがなかったり枯れたりしたので、追加して種をまいた。
成長期に雨がなかったのでその間、畝の間に水を流すことも行った。
害虫も進化し抵抗力が付き、今までの農薬では効果が薄いようだ。
低農薬での栽培だから、朝や夕方に害虫取りを続けることになった。
白菜の収穫期を迎えたが、約2割が虫食いや型の悪い未熟児である。
影響は、里芋やキャベツ等の秋野菜にも、推して知るべしの状況だ。
お隣の韓国でも白菜が不作で、キムチ用材料に困っているらしい。
夏まき野菜がこの状態では、野菜の高値はまだ暫く続くことだろう。
早播き秋野菜は不作でも、冬野菜が順調に育っているのが幸いだ
大根やほうれん草など9月末以降に播いた物は順調になっている。
「今年の白菜は、型が悪いからあげられな~い」と、ひげ爺の独り言。
本音は、型の悪さより数が少ないから 勿体なくてあげられないのだ。
今は合併し久喜市になるが、旧鷲宮町に馴染みのお蕎麦屋さんがある。
「かご乃家」と言うが、店と言うより蕎麦を食べさせる「家」と言える。
普通の住宅である自宅を使って、自慢の手打ち蕎麦を売り物にしている。
まだ地粉は穫れないが、北海道産そば粉を使って「新そば」はじめている。
天ぷら少々とデザートとコーヒーが付く昼食メニューが安い割に美味しい。
メニューでは十割そばと言っているが、硬い麺で私の好みに合っている。
私にとっては今年はじめての「新そば」で、美味しく秋の味覚を味わった。
加須市の教育委員会は、郷土の画家「斎藤与里」の絵画展を開いている。
合併による新加須市の誕生と、斎藤与里の没50年を記念して開催した。
会場は、共同主催している市内の「サトエ記念21世紀美術館」になる。
そこは、平成国際大学や埼玉栄高校等を運営する学校法人の関連施設。
水深地域の平成国際大学正門前にあり、池を配した日本庭園の中にある。
ご遺族が市に寄贈した作品や個人所有の物など60点が展示されている。
牧歌的で詩情豊かに風景や人物を描く画風は、マンガの表現にも通じる。
今回は、市内の小中学生の絵を集めた「こども美術展覧会」を兼ねている。
そこで、市の教育委員会から開会式典の招待状が送られてきたのだった。
その日はあいにく都合が悪く、別のこの日の午後 参観に出かけて行った。
入場料が無料では本物と言えないが、有意義に秋を味わうことが出来た。
今日は、新蕎麦の味覚を口で味わい、絵画の美を眼で味わうことになった。
「口と眼で秋を味わったが、耳の味わいが残っている」と、ひげ爺の独り言。
帰りの車中では、ショパンのCDを聞きながら耳で音を味わうことにしよう。
暦で寒露から霜降を過ぎ、先月末からいよいよ寒さがやってきたようだ。
そう言えば一日の長さも大分短くなって、日の暮れが早くなってきている。
庭の楓やもみじ等の木々も、その葉が色づいたり落ち始めたりしている。
柿はちょうど収穫の最盛期をむかえ、みかんは色付き輝きはじめている。
家庭菜園では、白菜とや大根が間もなく収穫できそうな形を作っている。
11月になって風に冷たさを感じ、気分的にも炬燵が恋しい季節になった。
今月からは、年賀状の発売もはじまったし 冬着も着るようになってきた。
ひげ爺宅はエアコンと電気炬燵が暖房の主役で、「炬燵」が三種類もある。
椅子に座る「立ち炬燵」、普通の「座卓炬燵」、それに和室の「掘り炬燵」。
立ち炬燵は暖かさが弱いが、足腰の負担が軽く 足の出し入れが楽で良い。
高齢な母には立ち炬燵がよいので、先月の下旬から電気を入れはじめた。
座卓型の置き炬燵は、人数によって詰め合ったり寝ころべるところがいい。
和室に作ってある掘り炬燵は、両方を兼ねた便利さがあって使いやすい。
昨日 畳をはずし掘り炬燵を持ち出し、久しぶりに「掘り炬燵」を設備した。
家を立て替えた時、年寄りのために陽当たり良い和室に掘り炬燵を作った。
それから20年間、団らんの場として使ってきた想い出の「掘り炬燵」だ。
ここ数年間は、小さい孫に危ないだろうと作らなかったが懐かしく感じる。
孫も小学一年生になり、足が炬燵の底に届かないだろうが心配ないだろう。
「近々帰って来るだろうが、孫娘には初体験になる」と、ひげ爺の独り言。
炬燵でお茶とみかんに年賀状、年寄りじだけど「炬燵の冬」がやってきた。