今日が8月の晦日になるというのに、まだ、記録的暑さが毎日続いている。
空には塩辛トンボが飛んで秋を感じるが、猛暑日や熱帯夜が続いている。
そんな異常天候のもとで、「北川辺産コシヒカリ」が収穫期を迎えている。
好天が続いていて、稲刈りも例年より4~5日早く先週中頃から始まった。
先週末から今週にかけてが、コシヒカリの刈り取りが最盛期になっている。
ひげ爺の家のまわりの田圃も、コンバインが入れ替わりで動き回っている。
コンバインで刈り取った稲は、ドラム内で脱穀され粗籾となって出される。
その籾を家に持ち帰って乾燥機で適正に乾燥し、籾殻を取り除く「籾すり」
の作業をして選別機を通せば「玄米」になる。これが生産者米である。
今年は台風も大雨もなかったので、倒茎や病害虫の被害がほとんどなく、
順調に稔りを迎えることが出来て、今、収穫の喜びを味わっている。
暑すぎるので収量や品質が心配されたが、特に問題はなく安心している。
今年の一反当たり収量は、8俵半強くらいで昨年に続いて豊作のようだ。
農家は「玄米」を出荷するが、これを精米すれば消費者米の白米になる。
常温の保管では、冬を越す頃から品質に劣化が進み食味も落ちてしまう。
我が家ではお米を美味しく食べるために、自家用と親戚分の玄米25俵ほ
どを専用保冷庫で保管しておき、食べるたびに必要分を精米している。
昨年から政権交代に伴う農政転換があり、米作りでの農家の不安は多い。
生産者米価が下がれば、戸別補償制度に対する善し悪しで騒がしくなる。
「夕食は 新米と新サンマに松茸の吸い物でお祝いだ」と、ひげ爺の独り言。
新サンマは不漁で高値になっているが、新米は豊作でどうなるのだろう?。
東日本地域の営業拠点である東京支社で、責任者として2年間勤務した。
支社と言っても、営業範囲が広いだけで事務所も狭く社員数も少なかった。
それだけに、家族的な雰囲気のなかで、私流の思い出の多い仕事ができた。
減速傾向にあったバス需要下で、売り上げを伸ばすこと容易ではなかったが、
前年比を重視しながら、他社に負けないことを最重要戦略として心がけた。
定時異動で岡山本社に帰って行った仕事仲間の一人が時々上京してくる。
今回は、その社員が出世して東京地区に仕事でやって来ることになった。
そこで、すでに都合退職している東京の仲間が一杯会をやることになった。
久しぶりに8月20日、上野駅ビル内の居酒屋に同窓生?仲間が集合した。
私は、スカイツリーの成長を見たいこともあり、やや早めに出かけていった。
仲間はそれほど変わりなく、近況報告に始まり褒めたり冷やかしたりの語
り合いだったが、岡山の現役社員の話が中心になることは仕方がなかった。
地域経済の状況、バス業界や会社の動向、会社人事など、近況を聞いた。
全国的にバス需要が減っていて、観光バス業界は苦戦しているというが、
両備バスは組織改変しつつ、地域に根を降ろした営業をしていると言う。
所属長は、会社組織の一翼を担う立場から厳しく難しい仕事も多くなる。
地域営業の責任が仕事とは言え、一部に経営的判断が求められるだろう。
「皆 健康で元気に過ごし、またの再会を楽しみに・・」と、ひげ爺の独り言。
ともあれ、身体と精神との両方の健康を備えた『両備』で頑張って欲しい。
毎年のことになるが、お盆を迎えて 娘が 孫娘を連れて 我が家にやってくる。
今年は、8月11日の夕刻から3泊4日の間が 保育所がわりになる我が家。
娘の勤務関係から、保育所が休みの間だけがひげ爺一家が預かることになる。
たったひとりの孫である女の子は、小学一年生で可愛い盛りになっている。
知恵も付き 身体も一回り大きくなって、自我も欲望も一人前になってきた。
高齢家族の我が家に、そんな賑やかで騒がしい孫娘の豆台風がやってきた。
11日、夕刻に娘と孫が栗橋に到着、出迎えてから家で一緒に夕食をとる。
12日は、朝は犬と散布し自転車乗り。お買い物をしてお寿司の昼食、家に
帰ってゲーム遊び。虫が怖くて外で遊ばず、夜だけ庭で花火を楽しむ。
13日は、午前中は春日部に行き、午後は近所のお友達と遊びお盆様を迎
え、夕刻には水彩塗りをし、ひげ爺とお風呂に入ってお母さんを迎に行く。
14日は。午前中滞在、お父さんが来て親子で妻沼のお盆に帰って行った。
大きいお婆ちゃんは、年齢から話するだけで、一緒に遊ぶことが出来ない。
小さいお婆ちゃんは、家の中で遊べるが、忙しいから長い時間は遊べない。
ご近所のお友達は、海に行ったり親戚に行ったりで、時間割が限られる。
そこで、ひげ爺の出番が多くなる。 遊びの注文が多くて応えきれない程だ。
孫は一人、二人いたらマゴマゴで、三人ではマゴマゴとマゴつく事だろう。
お盆前にやってきた豆台風、散らかしかき回し一足早く過ぎ去っていった。
「孫はいると忙しく騒がしいが、いないと寂しくなる」と、ひげ爺の独り言。
そんな豆台風、その後は熊谷方面からディズニーランドに移動してるらしい。
旧北川辺町の中央部に、絶滅危惧種「オニバス」の自生している所がある。
直径が1㍍を超える大きな葉にトゲがあることが、その名の由来らしい。
蓮には珍しい種から発芽し成長する一年草で、自生地は全国で数少ない。
そのオニバスが、猛暑の続くなかの7月末、自生地で花を咲かせ始めた。
葉が大きい割に花は小さく、日の出の1時間後から午前中だけ花を開く。
例年7月末から花をつけるが、8月後半が色も良く数も多い見頃となる。
その自生地に、開花目当ての見物客や写真愛好家が早朝からやってくる。
オニバスはスイレン科の植物で、養分が多く水深が一定で透明度のある沼
に生育する。水深や日照などに敏感で、幼葉を食べるザリガニは天敵だ。
6月はじめに水底の種が発芽し、ヤジリ形の幼葉を水面上に伸ばし、やが
てハート形から棘のある大きな丸い葉となって水面いっぱいに拡がる。
7月下旬から小さい紫色の花を咲かせ、3日後には水中に沈み種を作る。
花を開かずに水中で自家受粉して種を作る閉鎖花も多く、子房から放たれ
た種は一度水面に浮き、水面の風を使って種をより広く散らして沈む。
子孫を残す知恵をいろいろもっているのだが、それでも絶滅の心配がある。
今年から北川辺観光協会の役員有志10人ほどが、7月末から7週間の土
曜と日曜の午前中、オニバス自生地でボランティアガイドを引き受けた。
ひげ爺も、7月21日に雑草除去に参加し、案内役も8月7日から担当する
ことになった。自生地だから、自然の環境を守り保護することが大変だ。
猛暑日の炎天下でのボランティア、訪れる人も暑そうだが、こっちも暑~。
「オニバスの葉の下は、水中の葉陰で涼しかろうな~」と、ひげ爺の独り言。
だから、水中の敵から花を守るため、葉の下側にびっしりトゲがあるのだ。
毎年ひげ爺は、秋まき長ネギ「根深」を種まきから苗を作り栽培している。
9月下旬に半畳ほどの苗床に筋播きした種が発芽し、そのまま越年する。
苗床で針状に発芽した苗は、春までに長さ15~20センチ程に成長する。
3月中頃、苗を抜き伸び過ぎた根や葉は切り揃えて、最初の移植をする。
長ネギは蔭を嫌い、日照りと水はけの良い乾いた土地を好む性質がある。
この時は浅く並べ植えし、後は肥料少々を与えネギ坊主をとるだけで良い。
その後の長ネギは、徐々に太くなり長くなり、大きさは完成品に近くなる。
乾きを好むから、梅雨明けを待ち雷雨を避けて2度目の植え替えをする。
畑地に深さ20センチ程の深溝を掘り、その溝にネギを5~6センチ間隔で
並べたてて植え、少しだけの土を根元にかけて根・茎を固定させる。
倒茎防止と水はけのため、溝にトウモロコシや藁の枯れ茎を敷き埋める。
今年は7月28日に定植行ったが、夕方でも暑さが応える力仕事だった。
8月末に肥料と1回目の土かけをし、成長に合わせて順次土寄せていく。
種まきしてから1年を経過してもまだ収穫できず、11月末からが旬になる。
秋まきは、長期栽培にネギ坊主、その上2回の植え替えなど手がかかる。
そこで、今年は短期栽培の春まき栽培を試み、下仁田ネギを作る事にした。
3月末に種をまき、5月に畑に移植したものが今、茎を太らせてきている。
煮て食べると美味しい下仁田を先に食べ、秋まき根深ネギはその後になる。
「軟白部を長くするには、長~い期間がかかるのだ」と、ひげ爺の独り言。
すると、今年の根深一本ネギは種まきして15ヶ月後の正月前が初収穫だ。