ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

桜の季節に入社同期会

2010-03-30 08:53:01 | 地域活動・つながり
毎年のことになるが、桜の花の咲くころに同時入社の同期生が集まる。
場所は上野公園に近いお店の「香林坊」で、今年は3月26日であった。
開宴の時間前に上野に到着、散歩がてら雨降る公園の桜を覗いて見た。
早めの開花が報じられていたが、ソメイヨシノはまだ五分咲き状態だ。
それでも、入り口にある「エドヒカンザクラ」の枝垂れ桜は満開だった。
あいにくの小雨の中で、その濃いピンク色が鮮やかに人目を引いていた。

ひげ爺にとって、上野は新入社員の支店勤務以来、地区内異動や出戻り
勤務と旅連本部など、合わせて20年間勤務した想い出の街である。
集まった同期は12名。一寸少ないが健康不安の欠席者はいないという。
皆な、経済成長とともに活躍してきた企業マンで、口は達者で元気がいい。
まだ現役もいれば、社会奉仕者もいる。当然に健康管理の話しは定番だ。
ゴルフや旅行に自己学習など、趣味や文化活動で研鑽している人もいる。
パソコン 小説書き 一人旅に山、どうも奧さんが相手にしてくれないようだ。

毎回の近況報告は連続の物語になっていて、褒めたり貶したりで面白い。
それは飽くなき意欲をもった欲張り気質なのか、未だ発展途上のようだ。
歳は間違いなくとっているのだが、仲間と会うこの時だけは青春に戻る。
毎日を過ごす時間に余りはあるが、人生の時間は余りがないように思う。
有るようで無いのが時間とお金、無いようで有るのが健康と元気らしい。
「お互いに、禿げ増しあって、毛がないように・・・・」と、ひげ爺の独り言。
予定の時間も「アッ」と言う間に、互いの健康と再会を語りあって散会した。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫の自転車を買って

2010-03-23 09:22:34 | 食楽・年金ライフ 
たった一人の孫娘が先月6歳になり、この春4月に小学校に入学する。
孫の誕生日は2月22日、今年は平成22年だから2の5並びになった。
そんな孫娘の誕生日のお祝いに、新しい自転車を買うことにしていた。
昨年末のクリスマスの日には、入学祝いのランドセルを買ってあげた。
年末お正月から続く毎月の家計は、何かとお金がかかって赤字続きだ。
でも、2歳頃から使っている小さな自転車は、すでに限界になっていた。
そこで本人を伴って行き、やや大きめの22インチのものを買い求めた。

何とか車に積める大きさだったので、持ち帰って早速に試乗を開始した。
サドルをいっぱいに低く下げると、両足がやっとつま先立ちできる高さ。
片足立ちの状態から、もう一方の足でペダルを踏み込むことから始める。
ペダル足に力を入れると自転車のバランスが保てずに倒れる事になる。
足で踏み込むと同時に前進させ、バランスをとることに時間がかかった。
それでも徐々に踏み出せるようになり、走る感じが少しづつできてきた。
段々と距離を伸ばすようにしたら、それからの上達はさすがに早かった。

庭で試乗してから表道路に出て、回ることも停めることも自在になった。
ひっくり返り、泣きべそをかくこともあったが、近所の仲良し友達と一緒に
遊ぶ自転車乗りが待ち遠しいのだから、頑張るしかなかったようだ。
そんな孫の気持ちが、1時間少々で乗りこなせるようにさせたのだろう。
「孫は自転車試乗で、こちらの財布は自転車操業だ」と、ひげ爺の独り言。
でも、孫の自慢げに喜ぶ姿を見ると、赤字続きも自転車操業もいいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉町式に参加して

2010-03-16 09:28:12 | 地域活動・つながり
去る3月14日、合併により消滅する「北川辺町」の閉町式が行われた。
この町は 明治の合併を経て利根川の左岸に存在してきた利島村と川辺村
の2村が昭和30年に合併して北川辺村となり、昭和46年に町政を施行し
て現在に至っている。農業を主産業にしている小ぶりな町であった。
北川辺としては半世紀の歴史になるが、その歴史を閉じることになった。
そして、3月23日に1市3町の合併による新市「加須市」が誕生する。

閉町式は、上田清埼玉県知事をはじめ、地元選出の国会議員、県会議員、
近隣市町の首長や関係者など多数のご来賓をお迎えして厳粛に行われた。
町民の多数も参加し、多目的ホール「みのり」がほぼ満席になっていた。
私も、町の総合政策審議会委員 合併協議会委員として招待を受けていた。
閉町式の次第は、一部が式典で二部がアトラクションという構成だった。
町長や議長が主催者として挨拶し、水と闘い水の恵みを得て発展してきた
町の歴史と先人達の努力を語り、合併後の更なる発展を切望した。
来賓の上田知事は、今後の新市の発展に向けた協力を力強く約束した。

そして、永年にわたり議会や行政の役割を担ってきた人達が表彰された。
議会人や行政役員などの自治功労、団体組織関係者の特別功労である。
町の歌の斉唱と町旗が子供達によって降納された時にはジーンときた。
参加者の想いも複雑なものから、希望や意欲に満ちたものになったようだ。
「表彰を受ける事になった私は、歳をとった証拠だよ」と、ひげ爺の独り言。
それでも、合併後の「まちづくり」にちょっぴり責任を感じる閉町式だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光で ゆば料理を賞味

2010-03-09 07:54:36 | 旅行・秘湯・巡礼 
3月6日、宿泊では初めての高校クラス会が鬼怒川温泉で催された。
昨年は母校の110周年、その記念行事で汗かいてくれた人がいる。
その記念事業の打ち上げと慰労の兼ねての温泉クラス会とも言える。
現地集合だが電車組のほかは吉川発と久喜発の車に分乗して行った。
久しぶりに会っても、直ぐ溶けこめる何かを共有している仲間なのだ。
話題は、想い出を中心に健康や近況話、何とも楽しい一夜を過ごした。
顔の皺は増えたが、心のひだも増えて、欲の張りは減ったものらしい。

翌日は、小雨ふる天候で、時に雪や氷雨がちらつく寒い日になった。
家に帰っても「ろくろく」用事のない、66歳のおじさん達集団なのだ。
そこで、悪天候ながらも何処か観光をして閑をつぶす事になった。
宿を遅めに出発し、日光東照宮を観てから湯葉料理を食べることした。
2台の車で西参道へ、そこは小雪ふる始末で気温はなんと2度である。
世界遺産とはいえど観光する雰囲気になれず、入場料がもったいない。
簡単に見学、わずか33分で駐車場に戻る事になった。「さんざん」だ。

車で移動し、日光老舗名店会員の元祖ゆば料理「恵比寿家」に入る。
早速懐石膳を注文。寒い日の待ち時間は当然に熱燗の日本酒を飲む。
湯葉の田楽、湯葉のお刺身、湯葉と山菜の煮物、天ぷら等を賞味した。
ところで、「ゆば」を「湯葉」とも「湯波」とも云い、「油皮」とも云うのだが、
「貴方は湯葉、それとも湯波、まさか湯婆では・・」と、ひげ爺の独り言。
ここ日光では、「湯葉」は使わず、「ゆば」と「湯波」を使っているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬季オリンピック終わる

2010-03-02 08:01:31 | 社会・経済・国際 
カナダのバンクーバーで開催されていた冬季オリンピックが昨日閉幕した。
過去最多の参加国を迎え、冬のスポーツの祭典が17日間行われていた。
高い気温や雪不足などに悩まされたが、何とか無事に競技が終了できた。
バンクーバーもスキー会場ウイスラーも、かつて観光で訪れたことがある。
それは花の季節や紅葉の季節で、発展する綺麗な町との印象が強かった。
その時、冬季五輪開催など予想もしなかったが、考えればカナダなのだ。

早朝は枕元のラジオで、その後はテレビで、日本選手の活躍に注目した。
ひげ爺には丁度良い時差で、朝から期待と興奮し夜まで余韻を楽しめた。
特にフィギアは、男・女ともに日本選手全員の活躍に感動してしまった。
出場した6人全員が入賞する成績で、放送に釘付けの満足状態が続いた。
浅田真央ちゃんも重圧のなかで頑張ったが、キム・ヨナ選手が完璧だった。
それにしても、氷上の競技では韓国の強さがやけに目立つことになった。

日本選手のメダルは、銀3個と銅2個の計5個で金メダルは穫れなかった。
スピードスケートで男子500㍍、長島選手が銀、加藤選手が銅。女子パシ
ュートで銀。フィギアでは、男子で高橋選手が銅、女子で浅田選手が銀。
その他、惜しいところでメダルを逸した4位・5位の選手も印象的だった。
体力や環境の不利の中で、8位までに入賞した若い選手にも拍手したい。
「ほとんどが『滑る』競技、しかも高いレベルの争だ」と、ひげ爺の独り言。
時は2月、受験生や家族は、どんな思いで「滑る」を見ていたことだろう。
滑っても、落ちても転んでも、代表選手の中に受験生はいなかったようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする