ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

多々良沼で白鳥を探望

2011-01-25 07:06:59 | 食楽・年金ライフ 
群馬県館林市の西、邑楽町との境界に湿地形態の「多々良沼」がある。
それほど大きくないその沼には、毎年冬になると白鳥が飛来してくる。
わが家から車で30分程なので、買い物の余裕時間を使って訪れてみた。
地域の有志が餌付けをしているが、その時間でないので遠くから眺めた。
沼の3カ所に白鳥が羽根を休めていて、その数は100羽ほどだった。
カメラの愛好家らしい人に聞くと、合計130羽の白鳥が来ていると言う。

種類は、オオハクチョウとコハクチョウに地元種コブブハクチョウらしい。
年によっては、めずらしいアメリカコハクチョウや黒鳥も飛来するらしい。
水面や水辺の日向で休んでいるらしく、首をすくめてほとんど動かない。
沼周辺に田圃が広がり、少し離れたところには赤松林や雑木林がある。
白鳥をはじめ渡り鳥達には、餌と安全が保障された住み易い所のようだ。
3月までこの地で越冬し、3月下旬には北に向かって旅立つことになる。

もう一つの目当ては蕎麦食いで、沼に近い所にある蕎麦屋で食べる昼。
「そば勝」の蕎麦は、この店だけの薄く平打ちした独特の幅広麺である。
元々農家のご主人が、家族でやりくりしている飾り気のないお店である。
蕎麦屋と言うよりは「そば家」的で、やや硬い平打ち蕎麦は美味しかった。
私は、年末年始の努力によって先週の採血結果がまあまあの数値だった。
「私は餌付けが待てずに、蕎麦を食べにここまで来た」と、ひげ爺の独り言。
白鳥は毎日1回の餌付けをジーと待っているが、私は3食が待ちきれない。
 *先週の採血結果、血糖値179、A1C7.6と上々の改善に一安心
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利根川の河川敷で野焼き

2011-01-18 08:47:54 | 地域活動・つながり
1月16日(日)に、利根川河川敷の清掃活動と野焼きが予定されていた。
旧北川辺町が、利根川沿い住民の協力で行うクリーンアップ運動である。
その日の朝、目が覚めたら家の周辺がうっすらと積もった雪景色だった。
気温が低く積もった雪は凍っている上に、まだ雪がちらちら落ちている。
幸い風はまだ吹いていないが、冬型気圧配置で強い風が吹くとの予報だ。
川原の枯れ草が濡れては燃えないし、強風でも延焼が怖くて燃やせない。
しかし野焼きの行事は、強雨や風によって3年続けて中止になっている。

8時頃になると、雪は止んで陽射しも出てきて実施の決定が連絡された。
9時に集合、私も自治会の役員として参加したが西風が吹き始めてきた。
手順説明後、決められた地域が決められた範囲でのゴミ拾いから始めた。
約30人で、幅150㍍程の河川敷を約1500㍍にわたりゴミ拾いした。
1時間で作業が終わったが、雑草焼きの点火を前に風が強くなってきた。
下流二つの地区団と連絡を取り、予定を10分早め10時の点火となった。

本来は風上に点火すれば野火は風に乗って風下に延焼するのだが、今日
は風が強すぎ危険なので、風下から細かく点火しながら風上に移動した。
風の強さと葦草の繁茂状況で、場所によっては火が廻らず焼け残りが出た。
雪は解けて葦は乾いてきたが、強風では焼却に面倒がかかることになった。
「3年間中止になっていたから、今日は無理にも実行だ」と、ひげ爺の独り言。
今年の野焼きは、強風のために 時間も 神経も 手間もかかることになった。
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胃腸をいたわる七草がゆ

2011-01-11 09:33:06 | 食楽・年金ライフ 
年の初めにあたり、新しい年が明るく元気な年であることを期待している。
干支の卯年は、ウサギが跳ねるような飛躍が期待できる年と言われる。
跳ねるほどではなくても、日本や国民にとって安定した年であってほしい。
そして私や家族にとっては、健康で平穏な年であればいいと願っている。
そんなお正月も、松がとれる7日には七草がゆを食べて一区切りになる。
我が家でも、家族の無病息災を願って粥を食べる事が恒例になっている。

暖冬気味の今年、家周辺を探せば春の七草の大方が採取出来るだろう。
でも今年は、前日スーパーで買ってきた「七草」で作った粥の朝食だった。
元々古い中国での習慣だったようで、新年の運勢を見たり立身出世を願
ったと言われるが、伝来した日本では年の初めの節句的な意味になった。
年のはじめに、若々しい青葉を摘み 生命力をいただく意味を持っている。
それは、青葉が不足する冬期での栄養補給と言う効用にも繋がっている。
また、年末年始の食べ過ぎ飲み過ぎで疲れた胃腸をいたわる事にもなる。

ひげ爺は糖尿病の数値が心配だから、年末も年始も飲食を制限してきた。
特にお酒類と甘味は極力避けてきたが、どうしても間食が増えたようだ。
それも少しだけで しかも三が日まで、かなり我慢をしてのお正月だった。
ともかく、血糖値を下げるに「七草がゆ」はもってこいのメニューと言える。
「今年の私の胃腸は、疲れるどころか欲求不満ぎみ」と、ひげ爺の独り言。
下旬に採血する、結果が良ければ価値ある努力になる、・・・でないと困る。
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新年を迎えての「三が日」

2011-01-04 09:26:34 | 食楽・年金ライフ 
大晦日の11時すぎに敷地の角々に「晦日祓い」を立てたあと、例年参拝し
ている古河の長谷寺に行き、本堂に座って年明けを待って祈願をしてきた。
我が家の宗派にも連なるお寺の1番護摩で、家内の安全をご祈祷してきた。
家の差配を任された30年前ころから、毎年続けている私の初仕事になる。
帰ってから一眠りし、日の出と一緒に起きて地元の鎮守様への初詣になる。
それから家族で・・、と言ってもたったの4人なのだが新年を祝い朝食をとる。

元旦は、お婆ちゃんを囲み家族に姉妹一家も加わっての新年賀会になる。
今年は子供と孫の夫婦が5組に未婚者2名子供2名で、計15名集まった。
挨拶を交わし、お酒を飲み、おせちを食べ、お年玉を出したり貰ったりする。
糖尿病の心配のある私は、お酒もおせちもお餅もほんの少々に我慢した。
銘酒を用意したが、最もお酒の好きの男が今年は欠席で酒量が進まない。
子供が少なかったとは言え、カルタやコマなど正月らしい遊びは何もない。
ちょうど良い風があったが、凧のあがっている様子はどこにも見られない。
玄関前に国旗を出しているのだが、近所でも国旗は滅多に見なくなった。

正月2日は、例年妻が実家に年賀に伺うが今年は娘の運転で出向いた。
その間の我が家には、娘夫婦と孫が嫁ぎ先の実家から年賀にやってきた。
昼を挟んでお酒とおせちと雑煮と、飲んで食べたあとは孫と自転車遊びだ。
そして3日、今年は訪問者なしの日で、箱根駅伝を見ながら静かにすごした。
届いた年賀状といただいた年賀品、お婆ちゃんが貰ったお年玉を整理した。
記憶力の落ちたお婆ちゃんへのお年玉は、名前を書いて私が預かっていた。
「でも母がしまったお年玉は、早速どこかに落とし玉?」と、ひげ爺の独り言。
お年玉を忘れたり落としたりなら良いのだが、多くの記憶も落としそうなのだ。
 *今年も毎週火曜日に記事投稿致します。引き続きお付き合い下さい
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