ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

「独居老人生活」を経験

2021-05-25 08:35:51 | 食楽・年金ライフ 
5月12日から一週間、私は独身老人として 自力で生活をすることになった。
かみさんが眼の手術で入院したため、残された私が 一人になったわけである。
単身赴任を3年間経験しているので、「炊事も洗濯も自分で出来る!」と 思
っているから、妻を心配すことがあっても自分のことの心配はなかった。

病名は「黄斑浮腫」と云い、糖尿病によって 網膜の黄斑に腫れができた状態。
入院中が「独居老人生活」で、私はあえて 今まで同様の日常通りを心がけた。
1週間の入院なら、何か出来ない事や不足があっても 我慢をすれば済む事だ。
事情が妻の入院でコロナも心配、勝手に羽根を伸ばすことはできない。

外食は1回だけで17回が一人でのおうちご飯、食事/お風呂/洗濯は準備と後
始末がありラジオ体操と散歩も必須、残る自分時間はネットとテレビが中心。
昔かたぎの親爺は、炊事や洗濯はできても 後片づけや収納が苦手でまごつく。
日常通りといってもどこかが違う、あれやこれやで 毎日が短く感じた。

13日の昼から手術、術後の経過を見ながら過ごし予定通り18日に退院した。
「退院後も暫くは投薬と安静を・・」といわれ、以降も私の家事労働は続いた。
『女房がいなくても何とかなるが、やっぱりいたほうが無難だ!』と、独り言。
明日が手術後初の診察日、妻が安静から解放されれば私の主夫業も解放される。
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街なか散歩24〔熊谷宿〕

2021-05-11 10:14:13 | 食楽・年金ライフ 
コロナ禍で外出自粛中ながら、感染予防の上で場所を選んだ散歩は許される。
ガラガラの下り電車に乗り30分、人混みのない街並み「熊谷宿」に向かう。
9日の10時過ぎ、JR熊谷駅東口に立つとそこには「熊谷次郎直実」の銅像。
駅前通りを進んで 筑波で、国道17号を横断し北に右側歩道を進んで市役所
通りを右折し100m余、変哲のない道があるがそれが「旧中山道」になる。
旧街道を越えた先に、かき氷で有名は「慈げん」があるがこの日はクローズ。
旧中山道を北に進むと、間もなく右奥に「高城神社」があり境内に大きな欅。
宿場町なのかと疑いたくなる旧道を北に進むと、右側に「熊谷寺」があった。
源平合戦後に熊谷直実公が庵とした跡の寺、門は閉じられて拝観は出来ない。
周辺は旧宿場町になるのだが、面影は全くなく寂しい家並みとしか言えない。

街道は「八木橋デパート」に突き当たる形、左に回ると 敷地内に「旧中山道
跡碑」があり、そばの本石交差点で国道を横断し 西に路地を入ると竹井本陣
別邸の「星渓園」で、小さな回遊式庭園を一回りしてふたたび国道に戻った。
国道を南に進むと歩道に「本陣碑」があり、続いて「札ノ辻跡碑」があった。
周辺の道路や街並みは整ってはいるが、旧街道の宿場を思わせる建物はない。
市役所通りを西に星川を超え、創業170年の老舗「廣川」でうな重を食べる。
絶妙の味を満喫し、人影の少ない街中を駅まで戻りコーヒー飲んで電車待ち。
昔最大級の宿場町も、今はやや寂しい埼玉県北の都』と、ひげ爺の独り言。
「日本一暑い」が売りの熊谷市も、この時期この日は「かき氷」不要だった。
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