高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

南後志の環境を(あらためて)考える会

2020-08-22 13:33:55 | 日記

羊蹄山を囲む町村を後志(しりべし)地域と言うのですが、ちょっとそこから離れた地域(黒松内町、寿都町、島牧村)は、南後志地域とも呼ばれます。8月も中旬となり、地域の環境に関わる大きな問題がふたつも同時に表面化しました。

これに対して、反対のための運動体ではなく、「問題を知ろう、課題化しよう」という立ち位置での学習会を始めることにしました。 この発足を兼ねて8月29日に第一回目の学習会を開催することにしました。

テーマは、「寿都・黒松内の地層について ~持続可能な未来づくり(SDGs)の視座から見た原発と放射性廃棄物最終処分のありかた~」です。

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(仮)南後志の環境を(あらためて)考える会

  設立趣意書

 コロナ感染収束は見通せないままの2020年8月に、「環境まちづくり」を掲げてきた北限のブナ里に、突然に大きな環境問題が表面化しました。 ひとつは隣町寿都が、核廃棄物最終処分場の受け入れ調査応募を決定する流れ、もうひとつは、北海道新幹線伸長トンネル工事黒松内の内浦工区の町内に留め置きされる掘削残土から基準値の4倍のヒ素が検出されたこと。 寝耳に水の突然のできごとでしたが、豊かな自然を未来に引き継ぐことを目指して来た私たちとしては看過できない事態となりました。

 

 現在は、推進側の説明だけを聞き、賛成受け入れする大きな流れはありますが、これに対して、ただ推進反対を掲げるだけの市民活動だけでは地域の分断を進めてしまう危惧が拭えません。

 そこで、私たちは、推進派の説明を聞くだけでなく、問題点を科学的、環境倫理学的にも「知る」ことが、まず大切だと考えます。そのうえで、未来に引き継ぐべき豊かな自然、食の安全のあり方など持続可能な社会を創出すべく英慧を絞ってゆかなければなりません。

 これらの問題をいろいろな角度から学習をすることを目的とした会を設立したいと思います。

 

活動方針

反対のための運動体ではなく、ESD(持続可能な開発のための教育)の理念の元にSDGs(持続可能な社会の開発目標)を達成するために、地域の環境問題を広く時間的・空間的視野を持つ視座を養う学習活動を行うことを目的とします。

(例)高レベル放射性廃棄物とはなにか。

黒松内・寿都の地史や活断層など地球史レベルの地殻変動について

幌延の深層地下埋設実験地の今を知る 

新幹線トンネル残土に含まれる有害物質について

野生動物との共生 など

 

発起人代表 高木晴光 NPOくろす野外計画社・黒松内ぶなの森自然学校代表

呼びかけ人 黒松内町 岩澤史郎 大類幸子

      寿都町  渡辺千春

連絡先   090-3392-1683  高木  harusan@buna-cross.org

  

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人生フルーツ

2020-08-22 13:28:12 | 日記

瀬棚にご在住の川村翁を三人の若造爺(アタシ、三木さん、岡崎さん)で訪問しました。 翁は自然学校を黒松内で立ち上げた20年前頃、瀬棚でデンマークの「風の学校・フォイストフォイスコーレ」を実践している方がいるということを知り、訪ねてゆき、初期の自然学校運営委員にもなって頂いたことがありました。 青年たちに農場という暮らしの中での学び場を起こし実践された方です。 今はこの新しいオルタナティブスクール活動は止めらたとのことでしたが、オトナ向けのセミナーは不定期で開催はしているとのことでした。

長い年月をかけて造ってきた庭や畑は気の通りもよく、優しいエネルギーに包まれていました。 たぶん?もう80歳前後であられそうですが、そのゆったりとした立ち振る舞い、お考えをお聞きする豊かな午後を過ごさせて頂きました。 

「人生フルーツ」という、老夫婦が都会の一角で畑を耕し果物を育て、自給自足するようなゆったりとした時間を過ごす様子をたんたんと描くドキュメント映画を見たことがあるのですが、瀬棚町の田舎の山あいの暮らしで、北海道的には広くはない自家農園でしたが、野菜や囲む樹木だけではなく、納屋にある道具や機械すらも、まるで命があって、今はそこでゆっくりと待機休憩しているように感じる佇まいがありました。

人生フルーツの題名に込められた意味は、歳を重ねると熟してくることをさしているのだと思います。 御夫婦おふたりでの暮らしを垣間見て、まさしく、熟されたフルーツ人生なのだなあ・・と、しみじみと感じた 若輩三爺さんでした。

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