高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

私のサスティナブルツーリズム

2019-03-17 10:52:52 | 日記

日本エコツーリズムセンターの通信へのコラム原稿(未発表)なのですが、アップしてしまおう。

私にとってのスティナブルツーリズム

 この町(北海道黒松内町)の廃校になった小学校に黒松内ぶなの森自然学校を開設した時の人口3700人だった。それが20年経ち、人口は3000人を下回ってしまった。典型的な過疎少子高齢化の地域に住んで、自然学校を生業にしている。子どもの長期自然体験村を経営の柱として北限のぶなの森や地域ツアーの受け入れをしてきたが、子どもを取り巻く情勢や体験観光の動向の変化もあってか国内からの参加者は減っている。反面、海外からの滞在者は増え、また、子育てや高齢者福祉の担い手不足から地域内の受託仕事が増えた。 仕事量は多岐にわたり忙しいがスタッフに恵まれて来たので、なんとかやりくりをしてきた。

 しかし、多くの日本の過疎地域が抱えるように、定住・交流人口を増やす有効な手立てを見つけることはたやすいことではない。次の20年で町はほんとうに消滅してしまうかもしれない。

 一方、2020年は東京オリンピックで、災害が続いたことも原発放射能汚染のこともおきざりにされて、そこへ向けての機運作りが進んでいる。おかしな方向に国が破滅への道を進んでいるように思えてならない。地域行政の機構改革もまったなしで、行政の働き方改革も正職員化が進められるらしいが、その結果として、生活の糧となっていた地域住民のパート切りも進行するだろう。当自然学校の若い職員のこれからの生活づくりもさまざまな社会問題が直結的に解決すべき課題と顕在化している。

 うーん、どうしたもんか、自らの持続可能性を追求し直さねばならぬ。私自身の未来の時間も限られてきた・・・。

 「ねおす銀河ネットワーク・・個性ある小集団を数多く生み出し、それらが緩やかにつながりながら支えあう協働社会」の創出をめざして来た。人はその銀河間を旅をするのだ。我が周辺ではかなりいい線まで形作られてきたと自賛しているが、自らの社会福祉的な課題可決できる仕組みにはまだほど遠い。

 ここへ来て、改めて思うのは、「理念」の大切さである。イマジネーションが無ければ現実化しない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CONEラップアップフォーラム

2019-03-16 10:49:31 | 日記

3月15-16日

NPO自然体験活動推進協議会(CONE)主催で全国7箇所(九州、広島、淡路、長野、東北、東京、北海道)で開催されたCONEキャラバンフォーラムの各地の実行委員が東京に集結してのラップアップフォーラム。(ラップアップという言葉を一昨年知った)北海道はつい最近の2月に美瑛の大雪青少年交流の家を会場に開催されました。

各地の報告、そして次年度開催へ向けての課題やテーマ出しを行いました。 この集まりは、3年間継続されるもので2年目でした。  4年目の自主開催やターゲットを絞り込んでの3年ステップアップで取り組んだ地域もあり、北海道の実行委員長として反省をすることしきりでした。

3年間共通する全体のテーマは、「自然体験活動は次世代へ」です。 この次世代は、後継者としての次世代の意味合いと、自然体験活動そのもののステージアップという意味合いもあると、改めて全体で確認。そして、副題として、一年目はアクティブラーニング、二年目は自然体験活動のソーシャルバリュー(社会的価値)をテーマにしてきましたが、三年目の2019年度は、Mustな副題は各地域に任されて、ぼんやりとした共通項として、「もっと自然体験活動を・・・」という言葉を掲げました。

自然体験活動業界のレジェンド組と言われてしまう60代の私ですが、じわじわと40代の担い手が増えてきており、それよりも若い世代も現れていることも確かです。その中間,50代がとても少ない・・・。(いっときは40代でしたが、その年代も歳をとりますからね・・どうもこれは社会全般、福祉も企業もの問題のような気がしていますが・・、) 

 遊びが仕事・仕事が遊びのような感覚でやってきた我々世代は、学生の頃に山岳部、ワンダーフォーゲル部、探検部、動物や植物の愛好・観察研究のように 自らが時には命をかけてアウトドアで遊んできた世代なので、アウトドアスキルやリスクマネージメントが自然と身についてきました。そして、CONEが立ち上がった20年前ほどには、それらの面々が講師役となり全国で自然体験活動のアクティビィティやプログラムデザイン、リスクマネージメント、ファシリテーションやコーディネイションの研修会を国の助成を受けて展開した経緯もあり、生業としてのスキルも高めてきました。

そういった経緯のない若い世代が業界に参画してきているので、経験知・スキル不足も顕在化してきていることも事実としてありますし、業界と言えども、まだまだ一般企業のように給与や休暇など福利厚生は前時代的な側面があることも否めません・・・。

若い世代にも魅力ある職業として成人はしきれてはいないなあ・・・。

とは言え、我が家は三人の子どもを育てました。レジェンド組みは孫を持つ正真正銘のジジババ世代となり、20年一緒にやってきた仲間達も小学生、中学生の子育て世代も増えてきています。 そういった意味からは、我が自然体験活動業界もやっとひとケタ世代からジジババ世代まで存在する世代構成になりました。

しかし、持続可能な社会づくりが人類社会の大きなテーマとなっていますが、まだまだ足元の仕組みが持続可能になっていないなあ・・とも感じる次第です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年金事務所の調査

2019-03-13 11:06:31 | 日記

今日はこれから倶知安まで 年金事務所の調査に応じに行かねばならぬ。 一日掛かりの仕事だ。

当社は、NPOと言っても、総務係りがいない小さな個人会社のようなものですから、こういったことは私の仕事になってしまう。

年金、雇用、健康保険や入社退社に伴う各種事務手続きは、決められ事なので、わかっている人がいればたいしたことではないのだろうけれど、言葉の意味とそれに対応する書類が何であるかがわからないことだらけのアタシにとっては、ともかく時間と手間がかかる仕事になってしまう。 元来、決められた通りにすることが苦手な私ですからね・・。

旧NPOねおすは少しずつ大きくして行き、みんなのご苦労のうえで、普通の会社の経理総務の仕組みを作り上げ専属職員をおけたのは規模もあったからなあ・・・。 事務職員を雇用できるようにしたいもんだ。

しかし、世の中の雇用がある小さな会社、商店では みなふつうにやっていることなんだからな! と、気持ちを引き締めて、調査(雇用や保険に関わる管理がちゃんとできているかの・・まっ、査察ね)に応じて来よう!!!

ふぅ~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふった復帰

2019-03-12 10:10:00 | 日記

「ふった」こと、佐藤ふたみさんが、新年度のスタッフとして加わります。というか、すでに加わっています。

彼女は、確か震災前の2010年に合流したスタッフで、時のチーフディレクターだったJOYが釜石出身で、震災支援に向かうことになりそのまま現地で 三陸ひとつなぎ自然学校設立の流れの中に突入したために、2011年の夏は長期村のチーフとして大胆抜擢、大活躍をしてくれたスタッフです。 その秋にトラックに追突されて脊椎損傷という重体入院したにも関わらず、必死のリハビリの末に翌年復帰。つごう3年あまり在籍後、世界放浪の旅にでて、いろいろな経験を積んで、ご学力もつけて昨年帰国。

ぶなの森自然学校同総会に昨年末にやってきて、新年度は20周年、自然学校のゆき先を案じて、復帰を決意してくれたのでした。相棒的信頼感ある彼女が帰ってきて、まさに鬼に金棒な心境なワタシです。

2020年度以降をどのようにしてゆくか、走りながら一緒に考えてゆきたいと思います。

 皆様、ご贔屓によろしくお願い致します。

PS 住処は、自分から申し出て、自然学校体育館裏のキャンプ場にあるロッジに住みます。 キャンプ場が ふった野外カフェが常設されることに期待です。 アタシも暖かくなったら、敷地内別居で長期テント泊するかな・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プレイパークづくりへ

2019-03-11 10:46:44 | プログラム 子ども

3月11日 東日本大震災8周年。 あの日は次女の結婚式でニセコの教会の地下の待合にいた。揺れは気づかなかった。ニュースもスマホ情報も見る余裕はなかったのでまるで気づかなかったが、夜の披露宴で回りがざわめいていたがさして気に止めなかった・・。 親戚同士での二次会を終えて深夜、部屋に帰りTVをつけて、動転した!!  翌日に自然学校に戻り、釜石が出身の同僚の心配気な様子を見、福島原発事故の報道も増えていて、逡巡下が、ワゴン車にありったけの支援物資、自己完結キャンプができる資材を積み込んで、その日のうちに釜石に出発したのでした・・・。 町内子ども向けの野外放課後催事があったが、参加者みんなで黙祷をした。

さて、黒松内ばかりではなくて、多くの町村では子育て支援事業として、児童館活動や放課後活動が実施されている。前者は共稼ぎ家庭支援であり厚労省が補助しており、放課後活動はそれに関わらずの子どもの放課後居場所づくりで文科省が補助している。ふたつの仕組みがあるのだが、子どもの減少、働きての不足といった過疎地の少子高齢化、行政のスリム化の方向もあり、両者を存続させてゆくのは現実的ではなくなっている・・。

今日は、その両者の合同開催を自然学校がお手伝いをして行った。 放課後活動は指導者、見守る人の経験知もあり、どうしても安全面から室内遊び場になるのだが、もっと外遊びをできる場所をうみだしたいと、プレイパークの運営を町に提案しており、次年度から試行できることになった。 しかし、それがどういうものか、町内の人にはイメージがつきにくい・・。

そこで、今回の合同開催で、似たことを実施することにした。 普段の自然学校ではふつうに行われている、ある程度あそびのきっかけを提供するが、ワラワラと時間と空間を提供する場づくりをし、教育委員会の職員、児童館の指導員、放課後活動のスタッフも加わって協働で場づくりをした。 薪割り、焚き火、雪遊びなど たわいのない自由な場づくりだ。

子どもの安全をどのようにして確保するのか・・、野外遊びが慣れていない大人は、不安があるのは当然である・・。が・・、やってみれば意外に安全は確保できるものだと関わってくれた大人が感じ取ってくれたと思う・・。

今回の場所は、町の公共施設の駐車場の一角をし切って使わせてもらったのですが・・、本来のプレイパークは子ども達が自分の発想で自主的に遊びが作れる場、それ場そのものが、造り続けられる変化ができる場であるべきだと思うのだが、今回はちょっと、それができないなあ・・・。

今後は、プレイパークの開催場所の確保が課題だなあ・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

可視化しよう

2019-03-10 10:29:44 | 自然学校の日常

おはようございます。 3月9日。 今日も日中は零度を上回るでしょう。朝の愛犬散歩とラジオ体操の日課は三日坊主の私にしては珍しく続いています。五日目くらいかなあ・・。 昨夜のゲストさん、チコのお友達三人を送り出したところです。なんでも小中学校からのお友達とのことで、二度目のご来校でした。幼馴染は大切にね。

各人の業務ボリュームを可視化しようとボードに一覧でTODOを書き込みました。 仕事の集中と選択はよく言われることですが、これがなかなか難しいのよね・・・。

本日はチコはお友達と函館へ。くま・ふったはお休み。ぺんちゃんは、夕方に札幌であるセミナー参加に合わせて仕事を作って出張へでました。私も余市で開催される森づくりのフォーラムに午後参加してから、札幌へ。子どもの外遊びは必要か?をテーマにした学習会へでかけます。

短い原稿を一本書き終えたので、そろそろアタシも出発するかな・・。

今日もなるたけ幸せな一日でありますように・・、関わってゆこうと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子ども外遊びは必要か!!

2019-03-09 09:36:26 | プログラム 研修、講演等

ちょっと、挑戦的なお題で集めたセミナーには40名ほどが参集頂きました。遠くは釧路や静岡からも!!

子どもの外遊びは、発達か考えずとも、あったりまえに必要でしょう!という前提で自然体験活動をしてきましたが、スマホやタブレットをいじる子どもは幼児期から増え、幼児の子育てでも室内でゲームやらインターネットで動画をみせていたほうが、母親も楽チンみたいな子育てが当たり前に横行し、デジタル・ネット依存症が精神疾患に認定されています。国立の体験施設ではもう何年も前から、ネット依存の子ども達対象の体験活動がモデル的に実施されていることも知りました。 そんな中での今回のセミナーは、児童発達心理学の専門家である、石崎一記教授をお招きしての学習会でした。 広報時間も少なかったのですが、会場の関係からの定員も上回る盛況でした。

               

自然体験活動の意義・効果については、私は私なりの見解を持ち、講演活動もして来たところですが、昨今の子育て・子どもを取り巻く環境、特に今の親世代の意識は外遊びに否定的な層が増えていることも間違いはありません。改めて、外遊びの意義をその場づくりの担い手が自信を持って、活動を展開することが大切だと感じ直した次第です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪融けすすむ。

2019-03-08 15:58:14 | 日記

ここのところの日中は零度を上回る日が続いており、雪解けがどんどんと進んでいます。校舎の窓下の土手も土が見える面積が日に日に広くなっています。 校庭の様子は、雪解けクイズの応募締切がまだなので、写真報告はできませんが、まだ土は見えていませんよ・・・

例年、3月下旬春分の頃に雪が降る荒れ模様になることが多いのですが、今年はこのまま冬将軍は春に追いやられてしまうんじゃあないかなあ・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぶな里学習

2019-03-07 13:13:24 | 日記

昨夜(3月7日)は町内の図書館・マナベールで開催された中学生向けの講話会に参加してきました。 教育委員会のMさんがコーディネイトしている放課後活動の一環で、普段は塾のような学習補修をしている町の事業だと思うのですが、中学生ばかりが10名ほど集まりました。 本日は、町で働いている人の講話。講話と言っても、難しそうなテーマではなくて、その人がどういう経緯で今の仕事について、その仕事はどんなことなのか・・というようなお話です。 今回のゲストは黒松内診療所の院長先生。黒松内の町営病院は国保でしたが、2年前くらいなのかな、勤医協が指定管理となり、新しい医療スタッフ体制となり、現在は改修中でもあります。 

K院長先生は、「意外」と思われるような 若手の女性です。なかなかお会いする機会もなく(実は私は隣町の病院に懸かりついている)過ごしていたのですが、健康づくり=森林療法を町の活動にしてゆこうというプロジェクトが始まり、つい先だって、その会合でK先生と初顔合わせをしたばかりでした。 なので、そのお人柄も知りたくて、中学生対象の講話会であったのですが、押しかけて後ろで拝聴させて頂いたのでした。

小中とドンな子どもであったか、そして高校・大学で医学をめざそうと思った経緯、地域総合医としての道を歩もうと思った経緯。若くても小さな病院の院長として卒業後間もなく赴任したご苦労などなど・・。 自分より年上がほとんどのような病院でリーダーとして献身されるご苦労も多いだろうに・・・、たいへんさを楽しむ、未熟であるがゆえに努力するなど、人生訓はもう人生のベテラン、地域医療という総合職を目指したお心意気、お志も高く、感銘しました。

私の座右の銘に 宮沢賢治さんの「永遠の未完、これ完成なり」、怒髪天の「どちらか迷ったら、どっちがロックで決めるのさ」などの言葉があるのですが、それに通じるものもあり、 これであれば、ご一緒に新しいプロジェクトに精を出せそうだなあと感じ入りました。

よろしくです。 身体の健康管理も隣町の病院をやめて、こちらへお預けしようと思いました。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年度に向けて

2019-03-06 09:24:02 | 自然学校の日常

2019年度は黒松内ぶなの森自然学校の20周年となります。 この次をどうしてゆくか、節目の年です。 NPOねおすは、北海道各地に自然体験活動の拠点づくりを進め2016年度をもって、その各地拠点を法人化独立し解散をしました。ここ黒松内もそのひとつであり、自然学校の運営協議会はそのまま継続し、自然学校を事業として委託する先としての NPOくろす野外計画社を法人として新たに立ち上げました。 この二社の関係性をどのようにしてゆくかも含め、大きな転換期にあります。

私は、メーンイベントである夏の長期体験村の現場全体責任者は、2019年度をもって引退するとの宣言をしていますが、自然学校そのものの実質運営体制をどのようにしてゆくのかは、未決定・保留されています。 自らが設立し引っ張ってきたNPOねおすが発展的解散をしたのとは、事態が異なりますが、私だけの発想とイニシアティブだけでは、年号も変わりますしい・・・・、昭和の経営感覚ではもう古いと観念しているところです。

 こういった転換期の危機・好気感をもち、責任感が強い、仕事もできる元チーフディレクターの佐藤ふたみさんが、この春から復帰することになりました。 5年目のちこさんも仕事の能力があがり、2年目ではあるものの社会経験もありコミュニケーション力があるぺんちゃん、そして新人男性を1名迎えます。

 初年度スタッフ体制としては、経験知が過去最強かもしれません。 これまで、毎年のように複数の新人と、2、3年目のスタッフとスタートさせてきた新年度でしたので、経営感覚をもってコアスタッフみんなで次年度へ向けての会議はできていませんでした。 それはそれで、次世代を担う若者の人材育成には、夏の長期村運営のチーフディレクターを2、3年目で実行するというハードルが高い要求があったわけですが、それはそれで、ある一定の意義がある、あったと自負しています。しかし、ベテランスタッフの定着がなされてきていませんでしたから、経営ノウハウは私個人に蓄えられてしまうという循環でした。

ですから、毎新年度の私の仕事は、夏の一大イベントに向けて、その年のスタッフのチームワークと運営感覚を養ってゆくことが、私の最大の役割でしたが、今年は春から安心しています。 一方で、2020年以降の自然学校をどのようにしてゆくかに意識を集中させられそうです。

夏の外部からの指南役の久恒ぼーぼーも来校してもらい、経営会議を開きました。 胸襟を開くというのでしょうか、時には激しいやりとりをしながら、熟議ができたかな・・。今年は月に2回はこのような会議を継続定期的に開催してゆきたいものです。

新しい一年は、20年度以降のあり方を考えつつ、何に集中すべきか、何を選択放棄すべきかを検証しながら、確実に進めてゆきたいと考えています。

まっ、言えることは、昭和感覚のアタシがイニシアティブ、強いリーディングで事業を進めてゆくことは、控えるということだな・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする