「千歳鶴サービスステーション・酒房つる」が閉店した。 昭和49年、私が北大に入学した頃は、狸小路の3丁目の東側(4丁目かな?)の交差点の角の2階にあった。 ガタガタと古い木製階段をあがった昭和の香りプンプンの、今なら映画のセットのような場所だった。 「つるのおばちゃん」と慕われた妙齢な婦人(今は婦人なんて言わないけれど、まさしく婦人としか言いようがない優しく美しい方だった)、今思えば、私のオフクロよりも年配だったかな。 金がない学生が多いお客にとても親切に接してくださった。
北大ワンゲル部をコアにしてカウンター・厨房にアルバイトに入っていた関係もあり、山関係の学生、社会人山岳会のたまり場だった。オーケストラ部も利用していたと聞いていたが、門外漢のアタシは、山関係の客人以外には親交はなかったな・・。私は社会人山岳会の札幌山岳会に学生の頃から所属していたが、うちの会でもよく利用していた。おばちゃんの娘さんとワンゲルのOBのOUCさんがご結婚し、おばちゃんが引退後は彼が亭主となり、場所も狸小路の再開発で市電通りに面したビルの地下に移って営業が続いていた。 しかし、OUCさんも高齢となり、遂に閉店とあいなった・・・。
ブラックニッカをボトルキープするのが、学生分際のステータスみたいな感じで、いつかは角サンを置きたいなどと夢を見ていたなあ・・・。(あれ?ニッカとサントリーか? まあ、日本酒の千歳鶴サービスステーションだからな)
自分のいたならさなのに先輩や同輩と言い争い、傍目もはばからず号泣してしまったこともあった。
亭主のOUCさんとも言い争いの結果、しばらく行かない絶縁状態もあったなあ・。
連れのMRKさんとの初デートもこの酒場だった。
ここで、一緒に飲んでたヤツが山で遭難死したのもひとりやふたりではない・・・
写真は、狸小路時代のハガキカード写真の転写。 私の記憶では、テーブル席は窓に縦に置かれ3つに平行に並べられたボックス席のレイアウトだった。 このカウンターと丸椅子の高さがちょうど肘がつける程よい感じであった(高めなのね・・)
更に裏階段で3階もあり、グループ宴会場だったな。
北大寮歌や山の唄を誰かが歌えば、酒場全体で合唱になったこともあった。
当時、千葉の高校山岳部出身の同輩後輩が、5人も北大生だった時代もあり、連中で酔っ払って、道路工事現場の赤い点滅灯を松明のようにかがけて、旧道警本部玄関に酒をバラマキ、北大通りを駆け抜けたこともあった・・(オフレコ??)
大学青春時代の、笑いも泣きも、喧嘩もあったまさしく青春の坩堝であった・・・・。
昭和も平成も終わると思うと・・、感慨ひとしお。