◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

無理解・無関心に泣く。

2007-02-12 12:26:45 | ストレスと闘いながら
                あ~落ちる~
 昨年末、電子書籍を出したころ、身近な人たちに「私は変な日本語アレルギーで、病気の域に入っている」と訴えたのですが、全く理解されず、すぐにそのことは忘れられてしまいました。その後も、機会をとらえ、身近なところで言葉の区別があいまいなために弊害が生じている、壁にぶつかっていると言ったのですが、その人たちにとっては取るに足らないどうでもいいことで、その結果どういう困ったことになるか全く想像できなかったようです。
 ここで誤解のないように言っておきますが、私の言う変な日本語とは、「あいうえお」でなければいけないところを「か・うに/せ-ほ」と表現することで、「か・うに/せ-ほ」って何だろうと思っている人がいても、本人はこれを「あいうえお」だ、これでいいんだとかたくなに思い込んでいるのですから、ここが問題なのです。「aiueo」でも「AIUEO」でも「アイウエオ」でもいい、個性、味わい、方言、しゃれ、便利、柔らかい、楽しい、親しみ、それはそれでいいのですよ。
 聞き取れない、読みにくい、何を言っているのか、何を書いてあるのか理解できない、いちばん肝心なことが伝わってこない、知らないから教えてほしいのにどうしても分からない、はっきりしない、あいまいで混乱する、概念をねじ曲げる、不快である、誤解を生む、その原因が日本語そのものにあるとき、それを「変な日本語」と言っているのです。特に、人前で話すことが職業である人、例えば、アナウンサー、キャスター、司会者、講師、講演者、教員、そして、企業や公的機関のサイトおよび印刷物の担当者、こういったところの人たちが日本語に注意を払わないのは非常に困ったことです。
 2月5日の記事に、変な日本語アレルギーに対する周囲の人の無理解ということを書きましたが、無関心な事柄というのは記憶の片隅にも残らないようで、どんなに人を苦しめても、まさか自分が苦しめているとは全く思わない、何も思い当たらないようなのです。知らない間に他人を傷つけるということはだれでもありうることですから、何かあったら、せめて、自分の言動を、その人が言っていたことを、真剣に振り返ってみるぐらいのことはしなければいけませんね。

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