日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

電子書籍を普及させるには

2012-04-04 14:16:59 | ビジネス
よくお邪魔をさせていただく、大西宏さんの「マーケティング・エッセンス」に電子書籍についてエントリをされていた。
日米でタブレットPCの使われ方が違うのは供給側の怠慢に過ぎない
大西さんは常々、電子書籍化を早く進めるべきとブログの中で言っていらっしゃる。
おそらく、時代の流れとして電子書籍化されていくのだと思っている。
ただ、そのスピードの遅さという点については、「そんなもんでしょう・・・」という気がしている。
その理由は、電子化されていない書籍が多いということよりも、なんとなく私の周囲の人たちは、それほど電子書籍に対して興味を持っていないように感じているからだ。

それだけではなく、以前拙ブログでエントリさせていただいたように「日本の文字の問題」というコトも、出版社が電子書籍に対して積極的ではないのでは?と、思っている。
「電子書籍が本格化しない理由」
文字の構成の複雑さから考えれば、中国語も同じだと思われるかも知れないが、中国語は「簡素化」が進み、日本語の漢字ほど複雑ではないし、漢字・かな・カタカナという複数の文字を使い分けるコトも無い。
その漢字を潰さずに、印刷された文字のような鮮明さを求めるためには、今の携帯タブレットでは難しいようなのだ。

とすれば、大西さんが指摘されている「供給側」には、当然日本のPCメーカーも加わる必要があると思う。
その意味で、先日発売された「新しいiPad」は、以前のものよりも画素数を上げ、鮮明さを打ち出したのは、「美しい画像」という点だけではなく、日本のような「電子書籍化が遅れている事情」をある程度理解し、一度進み始めれば一気に増えると考え、先手をうったのでは?思ったほどだ。

おそらく、今電子書籍に対して期待している層というのは、案外年齢の高い層のような気がしている。
その理由の一つに、頁をめくる手間よりも「文字を(ある程度)大きくして読みたい」というコトと、重たい本を持ちたくない、という点があるように思うからだ。
そして、そのような層が携帯タブレットを持つというコトは、ある程度飽和状態のPC市場に、新しい市場が創られるということにもなる。
だからこそ、先日政府から発表のあった、電子書籍化推進のための予算がこれまでのような「業界のためのモノ」であれば、無駄のような気がするし、少なくとも出版社のビジネスパートナーは政府ではなく、ソニーやパナソニックだと思う。

ただ個人的には、現在国会図書館で進められている「収蔵書籍の電子化」が、もっとオープンなものとして、一般に利用されることへの期待値のほうが高い。
なぜなら、既に廃刊となってしまった本などが、出版された当時の状態で読めるからだ。

Ruby言語と個人的期待感

2012-04-03 12:08:56 | ビジネス
一部新聞のWEBサイトに、「Ruby言語が国際規格に認定」というニュースがUpされていた。
筋金入りの文系なので、Ruby言語がプログラミング言語であるコトは知っていても、その内容となるとまったく理解が出来ていない。
ただ、私がこの「Ruby言語」という言葉を知ったのは、随分前で実は実家に帰った時だった。
ご存知の方も多いと思うのだが、この「Ruby言語」を作り出した、まつもとひろゆきさんが松江の方で、現在も松江に住んでいらっしゃる。
そして私は帰省し松江にあるお墓に行く時などに、「Ruby言語についてのセミナー」のような会合の告知を見ることが何度かあったのだ。

個人的期待感とタイトルさせていただいたのは、この「Ruby言語の国際規格認定」によって、松江というITやコンピュータとはまったく縁のなさそうな、日本の一地方都市が、コンピュータプログラミングの発信地となる可能性があるという期待感をもったからだ。
というよりも、既にそのような発信地となり始めているからだ。
もちろん「プログラミング言語」そのものを理解してしまえば、松江という一地方都市には用が無いと思うのだが、このような事業分野は何も有名大学がひしめく大都市部でなくては出来ない事業ではない、という点で注目したいと思っている。

と同時に、「モノづくり」というとクルマや工作機などのような、具体的形のあるモノを指して言う場合が多いが、これから先の日本の「モノ作り」というのは、このような「モノづくり」が中心になっていく必要があると思う。
その理由は、拙ブログで改めて言う必要も無いと思う。

もう一つは、このような日本発のプログラミング言語というか、ITの頭脳部分の開発の分散化が、各地に埋もれている高い技術力と組み合わされるコトで、新しい価値を持ったモノが生まれてくるのでは?という期待感もある。
プログラミング言語そのものは、広く多くの人に使われなくては意味が無いと思うのだが、これまで「ガラパゴス化」といわれ続けている日本の工業製品のブレイクスルーというか、突破力のようなモノを生み出せないか?というコトなのだ。

この分野に疎いため、あくまでも期待値というか希望値的な話に終始してしまうのだが、応用技術や発想力という点では、まだまだ日本の優位性はあると思う。
これまでの「グローバル化」の意味は、生産拠点を海外に移すという部分でしかなく、市場的発想の「グローバル化」ではなかった、というコトだとも言える。
とすれば、今までの「グローバル化」の視点を変え、国内産業の様々な応用力のある技術力を組み合わせ、「世界を視野に入れた」発想力が必要なのだと思う。
そして「Ruby言語」のように、地方に住むひとりのプログラマーが世界標準になりうる、という事実はこれからの日本の一つのモデルとなれば良いと思っている。


auにとってのiPhoneとは

2012-04-02 20:28:00 | ビジネス
所要を片付けるために、チョッと昼間出かけていた。
途中auショップがあり、路面に面した窓には「iPhone4S」のポスターが貼ってあった。
ご存知のとおり、auがiPhoneを扱いだしたのは4Sから。
その意味で、ポスターが貼ってあるコトには何の違和感も無いのだが、ポスターの貼られ方というか、場所などを含めなんとなく「auにとってのiPhoneって、どんな位置づけの商品なんだろう?」と考えてしまった。

以前からiPhoneそのもののテレビCMには、ソフトバンクが取り扱っているという表現はされてきていない。
だが、多くの家電量販店でiPhoneを堂々と展示している場所には、ほとんどソフトバンクのiPhoneの料金プランやウルトラwifiのチラシが置いてあると思う。
そこには、auの料金プランや新しいauのサービスなどのチラシが置かれているという印象は無い。
たまたま私が知っている所だけなのかも知れないが、多くの人にとってiPhoneを取り扱っている携帯会社=ソフトバンクという印象のほうが強いのではないだろうか。

例えばauショップなどが、ソフトバンクのお店並みにiPhoneのポスターが貼られているとか、ポスター+お店独自のPOP広告がされている、といった工夫がされていれば、「auもiPhone本気なんだな」という印象が起きると思う。
それが他の新サービスや新機種のポスターから、ポツンと離れたところに1枚だけ貼ってあると、「auにとって、iPhoneの位置づけって何?」と感じてしまうのだ。

auがiPhoneの取り扱いを始めるにあたって、アップル社からは相当厳しい数値目標を与えられたのでは?と、言われてきた。
アップル社側がそれだけ強気でいられるのは、iPhoneという商品そのものが既に高い価値を持っていたからだ。
その商品を、ライバル社であるソフトバンクよりも遅れて扱うというのは、相当なハンディとなる。
だからこそ、それなりの「本気度」のようなモノを打ち出さないと、ソフトバンクと扱い数では太刀打ちできないはずなのだ。

ところが、auの新料金サービスなどを見ても、スマートフォン向けサービスの一環としてという感じを受ける。
確かにauは現在「選べる自由」というコンセプトで、事業展開をしているのでアンドロイド携帯かiPhoneかを選ぶ自由を、顧客に与えているということは言えると思う。
「スマートフォンの1機種としてiPhoneを扱っています」というコトのほうが正しいのかも知れないし、違う見方をすれば「iPhoneは既に魅力的商品だと認知されているので、特別なキャンペーンはしません」というコトのようにも見える。

イロイロ考えると、ますますauにとってiPhoneはどのような位置づけの商品として、アップル社と契約を結んだのか、よく分からなくなってくるのだ。
上述したとおり、ソフトバンクより遅れて取り扱うというハンディを考えれば、もっと積極的なアプローチをしなくては、auがiPhoneという商品を取り扱う意味が無いような気がするのだが・・・。

安心を買う消費を考えよう

2012-04-01 19:11:09 | ビジネス
先日朝日新聞の「オピニオン」に、デフレ理論の第一人者である小野善康さんがとても興味のあるコトが書かれていた。
それは今の経済的不振の理由は、「(不安だから)お金を溜め込みすぎている」というコト。
この指摘は多くの人がされていることだが、このコラムの視点が違ったのは「将来の不安があるから」というのではなく、バブル期に起きた不動産などへの過剰な信頼が、お金に移っただけでその本質は、20年以上経っても何も変わっていない、という指摘だった。

もちろん「将来の不安」というコトはよく理解できる。
「100年安心プラン」と時の与党が胸を張った年金プランは数年で崩壊し、先月問題が表面化したAIJのように、「何を信用したら老後の経済的安心を得られるのか?」というのが、今の状況なのだと思う。
だからこそ、「たんす貯金でも良いからお金を貯め込む」というのも分からないわけではない。

だが視点を変えると、とにかく経済が動かなくては雇用も生まれないし、税収も増えてこない。
税収が増えることで、消費税の税率が上がることも抑えられる可能性も無いわけではない。
消費税に関しては、食品など日常生活に最低限必要なモノとブランド品のようなモノと同じ税率でよいのか?という議論もされる必要もあると思う。
ただ、年金崩壊で一番困るのはおそらく「お金を貯め込むことが出来ない人」で、「お金を貯め込める人」というのは、その実、さほど心配しなくても老後が安泰という方たちなのではないだろうか?

面白いデータがある。
2年ほど前に米国のプリンストン大学が「年収と幸福感について」という調査だ。
ITメディアニュースより「お金があるほど幸福」ではない
最近では、ブータンの「幸福度」という点も注目されているのは、ご存知のとおりだ。
むしろ、ある一定額以上の収入(と言っても「億」という単位だが)があると、財産が減ることが怖くなる、というデータもあるようだ。

とすれば、せっせとお金を溜め込んでいる人たちに対して「安心できる消費」という提案をしていく必要があると思う。
「安心できる消費」と言っても様々だが、例えば住宅リフォームなどがある。
阪神淡路大震災以前に建てられた住宅は、耐震面などで建替えが迫られている。
であれば、バリアフリーの住宅にして「生活の安心」を確保するという考えもあるだろう。
安心・安全・おいしいを謳う食材宅配の利用なども「生活の安心」かも知れない。
同じ「生活の安心」でも、人によっては「健康」という方もいらっしゃるだろう。
ならばサプリメントなどではなく、スポーツクラブや定期的な人間ドッグの活用という方法もある。
「病気になたら」と不安になってお金を貯めるよりも、検診を積極的に受け早期発見・早期治療をすれば、充実した老後を十分楽しめる、という安心を得られる、
他にも、健康のための旅行もあるはずだ。
どうしてもお金を使いたくない!というのであれば、若い事業家たちの支援に使いながら、その企業の商品・サービスを積極的に利用する、という方法もある。

少なくとも、「貯める(本当は「溜める」かも知れない)だけのお金」では、経済や社会の血液・血管であるお金にとっては「健康な状態」ではないはずだ。
「上手なお金の使い方」こそ、成熟した社会ではとても大切なことなのかも知れない。
なぜなら、残念なことに「貯めたお金は墓場に持って行けない」のだから。