昨日から始まった「ノーベルウィーク」。
トップバッター(?)となったのは「医学生理学賞」。
そして喜ばしいことに、今年も日本人研究者が選ばれた。
今年の医学生理学の部門では、3人の日本人研究者が有力候補として名前が挙がっていた。
ノーベル賞を受賞された大隅博士の他に名前が挙がっていたのは、京都大学客員教授の大庶佑博士、京都大学大学院理学研究科教授森和俊博士だ。
個人的には、大庶博士に期待をしていたのだが、残念ながら今年は逃してしまった、という印象を持っている。
昨日、大隅博士はインタビューで「基礎研究の大切さ」を、話されていた。
全く同じ趣旨の話を、ノーベルウィーク前に朝日新聞のインタビューに答えていた大庶博士も話していたのだった。
朝日新聞:世紀の新薬、未来へ
有料記事なので、全文を拙ブログで紹介することはできないのだが、冒頭にある「日本の大学の基礎研究で生まれ、日本の製薬会社が世界に先駆け、製品化し世界から注目を浴びている。」という文の通り、この「世紀の新薬」は「日本生まれの日本育ち」のがんの治療薬だ。
そしてこの新薬の誕生によって、世界中の製薬会社が新しいタイプの「がん治療薬」の開発に向かっている、と言われている。
この新しいタイプの「がん治療薬」がもたらす市場規模は、これまでの「抗がん剤」市場よりも大きな市場になる可能性が高い、とまで言われている。
理由は、がん種を問わない「汎用性が高い治療薬」と期待されているからだ。
そのような大きな市場を創りだすことができるのも、大庶博士の「基礎研究」があったからこそのこと。
「基礎研究」というのは、膨大な時間と費用が掛かるのに、目に見える成果というのは乏しいという問題がある。
大庶博士の研究も、実は20年以上前のものだ。
大隅博士の研究と同様に、長い月日をかけ同様の研究者から論文の参考として掲載され続け、それらの論文を基に新しい薬や製品が生まれてきている、ということも事実なのだ。
ノーベル賞を受賞する自然科学の分野の多くが、このような「基礎研究」を対象としていることを考えると、やはり「基礎研究」の重要性を改めて感じる。
今世紀に入ってから、毎年のように日本人研究者がノーベル賞を受賞するようになってきた。
その背景には、バブル期に研究費が潤沢にあったからだ、という話もある。
とすれば、バブル経済が崩壊した後の研究費の削減などで、日本の基礎研究は停滞してしまっているのでは?という、懸念が生まれてくる。
これから先も、日本人研究者が「ノーベル賞」を受賞できるような「基礎研究」の環境をどのように整えていくのか?
そのような社会的仕組みを、研究者だけではなく社会全体で考えていく必要があるのかもしれない。
なぜなら、基礎研究の先にあるのは、未来の豊かな社会だ(と思う)からだ。