パナマのある法律事務所から流出されたとする「パナマ文書」。
その内容は、「租税回避地」として利用した、企業や個人のデータだという。
その情報量は、2.6TBという膨大な量。
現在40か国のジャーナリストたちが「調査報道」のために、参加をしていると言われている。
ただなんとも心もとないのは、日本から参加しているジャーナリストは共同通信社と朝日新聞社の各1名、という点だ。
多ければよいというわけではないが、情報量が桁外れに大きいことを考えると、ある程度の「人海戦術」で分析しなくては、すべての分析が終わるのはいつの頃やら?ということになってしまうような気がする。
現在日本だけではなく、欧米でもこの「租税回避地」での「節税対策(というべきか?)」は、法的には問題が無いが、「倫理的には問題ではないか?」ということで、問題になっている。
この「租税回避地」を利用することによって起きる問題は、経済という問題だけではなく、むしろ「社会保障」という点で問題があると、指摘をする経済学者もいる。
その理由は、大企業や富裕層が実際に企業活動や生活をしている国で、適切な税を納めないことによって国の税収が減り続けている、という点。
もう一つは、そのしわ寄せ(というよりも犠牲になっているの)が、中間層である、という点だ。
このような状況が続けば、現在の中間層は崩壊し富裕層と貧困層に分かれてしまう可能性が高い、という指摘もされている。
このような指摘をしているのが、昨年話題になった「21世紀の資本」の著者であるトマ・ピケティや、マーケティングの父と言われるフィリップ・コトラーだ。
フィリップ・コトラー:資本主義に希望はある
「租税回避を行っている大企業や富裕層は、目先の自己益しか考えていない」というのが、コトラーの指摘である。
なぜなら、租税回避をするコトは、上述した通り中間層に対する負担を多くするものだ。
この中間層が崩壊してしまえば、これまでのような「消費=経済活動」は、見込めなくなってしまう。
いくら企業が様々な商品やサービスを提供しても、それらの商品やサービスを利用する人がいなくては、意味がない。
「資本主義の崩壊」を招く危険性がある、ということになる。
そのコトを真剣に考えれば、租税回避をするのではなく、大企業や富裕層がその収益に似合うだけの税を納めることで、中間層だけではなく貧困層全体を引き上げることにもつながる、という指摘だ。
もう一つの問題は、「租税回避」を恐れて国が大企業や富裕層に対し、「優遇措置」を実施することへの懸念だ。
既に今の富裕層の多くは、使い切れないほどの資産を有しながら、「税」として社会に還元することへの興味を失っている、という状態になっている。
その状態を拡充させるのが、大企業や富裕層に対して「納税をしてもらうための優遇措置」であり、結果以前よりも「税負担」そのもの(率ではなく、所得に対する実質的な生活+社会保障費)が、中間層よりも軽くなってしまう可能性が高い。
結果として、中間層の負担は「二重負担」になっていく。
となれば、中間層はいくら働いても「税負担」や「社会保障負担」が増え続けるだけではなく、それに似合うだけの所得+経済的余裕がなくなってしまえば、企業が提供する商品やサービスを購入しなくなり、結果として大企業やそれらの企業に投資をしている富裕層にまで影響を及ぼす、という懸念は上述した通りだ。
このようなことが起きれば、「資本主義」そのものが成り立たなくなってしまう。
持てるものが、多くの社会保障負担をするコトで、社会全体が豊かになるというのは、北欧の「高税率・高福祉社会」で、ある程度実証されている。
そのコトに大企業の経営責任者や富裕層は、気づく必要があるのでは?