日清のカップヌードルのCMが、中止されることになった。
朝日新聞:矢口さんら出演のカップヌードルCM中止、日清謝罪文
CMそのものを見てはいないので、今となってはどのような内容であったのか、確認することができない。
ただ「不快に思う人が多くいた」という点を考えると、CMとしてはあまり出来が良くなかった、ということになるのだと思う。
Yahoo!のトピックスにも取り上げらたことで、ユーザーコメントがたくさん上がっているようだが、そのコメントを見ると、好感度の低いタレントさんを起用し、そのタレントさんが「自虐ネタ」で笑いを取ろうとしているのが不快、というコメントが目に付く。
一度ネガティブなイメージがついてしまうと、なかなか好感度を上げることは難しいとはいえ、ここまで低いとは思っていなかった、ということかもしれない。
ただ、CMというのはタレントさんのイメージだけに、左右されるモノではない。
実際、日清側は「ある程度、予想はしていたが、これほど評判が悪いとは思っていなかった」という趣旨のことを話している。
ということは、ネガティブイメージのタレントさんを起用しても、乗り切れると判断をし、制作したということだろう。
しかし、起用したタレントさんが、人を傷つけた側であったという点で、「自虐ネタ」が、「自虐ネタ」では無くなってしまっていたのではないだろうか?
このCMそのものの制作意図と内容が、あっていなかったのでは?という気もしている。
というのも、このCMは「CRAZY MAKES the FUTURE.」というシリーズで、「若い人たちへエールを送る」という狙いがあったからだ。
「若い頃の失敗などは、気にせず前へ進め!」という、メッセージが本来であれば込められたCMであったはずなのだ。
この制作意図から思い浮かべるのは、スティーブジョブスの「Stay Hungury, stay foolish.」という言葉だ。
日本語では「貪欲であれ。馬鹿であれ」と、訳されることが多いのだが、この時の「foolish」の意味は、表層的な「馬鹿」という意味ではないのでは?と、思っている。
「愚直」という意味かもしれないし、哲学者ソクラテスの言葉「無知の知」という意味かもしれない、と感じている。
とすれば、CM冒頭の「自分をさらけ出す」という、ビートたけしの言葉と、重なるように思うのだ。
「人生に失敗はつきもの」だからこそ、その経験を「失敗」ではない「学び」として前に進むことが大切、という趣旨であれば、もっと違った笑いとメッセージを伝えることができたのではないだろうか?
ダイレクトな表現だけが、人に伝わりやすいのではない。
CMというのは、映像と言葉、音楽が一つになって「メッセージを伝える」ことができるツールでもある。
日清をはじめとした関西の企業のCMは、「クスッと笑えるCM」を創るコトが、上手だった。
この「クスッと笑える」というのは「あんたも阿保やが、わても阿保や」という、部分があったからだろう。
それがないCMというのは、やはり「面白くないCM」だったのではないだろうか?