先週起きた「熊本・大分での大地震」。
まだまだ余震が続く中、徐々にインフラや交通網が動き始めている。
電車や新幹線などの交通網が動き始めることで「復興の一歩が始まった」という、前向きな気持ちになれるような気がする。
その一方、今回の大地震で目立つのが「マスコミに対する、厳しい見方」だ。
「ガソリンスタンドでの給油横入り」に始まり、リポーターがSNSに「お弁当の写真の掲載」、被災地の情報を伝えると言いながら、雨宿りをしていた被災小学生を追いやりずぶ濡れにさせたり・・・と、「被災地報道とは何か?」ということを考えさせられるような内容がSNSなどに数多く寄せられている。
これだけではなく、取材ヘリの音が煩くて、消防などの避難放送が聞こえないという指摘もされている。
かつての「現地取材」と言えば、被災地であってもテレビのレポーターの背後でVサインをして、はしゃぐ子どもや若者の姿が定番であった。
ところが今回の大地震では、「マスコミのはしゃぎっぷり」ばかりが目立ち、被災者側の「取材拒否」へとつながっている。
避難所の中には「取材禁止」という張り紙まで張り出している所もあるようだ。
これまで、マスコミ取材というと、取材を受ける側が一段下に下がっていたようなところがあった。
報道に上下関係があるわけではないが、報道をしてもらうことで「惨状を知ってもらう」という、被災者側の考えもあったからだろう。
ところが、ここ数年の間で急速に広まったSNSが、その「避難者の現状情報発信」そのものが、大きく変わってしまった。
FacebookやTwitterなどで、被災者が窮地を知らせると、瞬く間に広がる。
その速さは、マスコミの取材よりもはるかに速く、リアクションも素早い。
「マスコミを通して、窮地を知ってもらう」ということが、余り必要ではなくなった(というと、おかしいが)のだ。
そのような社会的変化を、マスコミ側も理解をしているはずだと思うのだが、現実には十分理解していなかったのだろう。
いわゆる「ギョーカイ然」とした、被災者に対する「可哀想な人を取材する自分たち」という、ややもすると「上から目線」というか「取材する自分たちの満足」のような態度が、今回のマスコミに対する厳しい指摘へとつながっているのだと思う。
そう考えると、テレビをはじめとするメディアそのものが、大きな意識変化をする必要がある。
かつての「情報発信独占業」ではなくなり、必要とあらばごく普通の生活者がSNSなどを通して、情報発信ができるようになったのだ。
もちろん、SNSなどから発信される情報は「玉石混交」ではある。
しかし、それでも「マスコミ優位」という時代ではなくなってきている、ということなのだ。
今のままだと、「マスコミ不信」だけが強くなっていくのでは?と、懸念もしている。
マスコミ自身が、「報道のプロ」として、「何をどう伝えるのか?」ということを、真剣に考えるきっかけとなるような気がする、今回の震災報道だ。