日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「働く」ことの意味

2016-04-06 12:01:09 | アラカルト

今日、名古屋市内の小学校では、入学式が行われたようだ。
小学校の入学式だけではなく、この時期は「ピカピカの一年生」が、たくさん誕生している。
新社会人にとって、研修の日々かもしれない。
その研修について、HUFFPOSTが興味深い記事を掲載している。

HUFFPOST:「皆さんの会社は採用ミス」新入社員に厳しい叱責、過酷な研修に波紋広がる

「採用ミス」という言葉は、新入社員には責任がないと思うのだが、社員研修というよりも何かとトラブルが多い「自己啓発セミナー」のような印象を受ける。
ただ、記事中にある「仕事をする目的」という部分では、考えさせられる点も多い。
最近の傾向だけではなく、以前から「仕事をする目的」が「収入を得るため」と回答をする、若い人たちが増えているような気がしている。
確かに、雇用そのものが不安定で、経済の格差が広がりつつある今のような社会状況では、正社員になれても「安定」とは言えない。
「仕事をする」という目的が、「収入を得るため」と回答してしまうのは、ある部分では「今の社会を映す言葉」なのかもしれない。
それでも、やはり「収入を得るため」の仕事では、やりがいがあり面白い!と感じる仕事と出会うことはできないだろう。
だからこそ、「働く目的」ということを改めて考えてほしいのだ。

先日、批評家の若松英輔さんの本を読む機会があった。
若松さんの著書の多くは「悲しみ」をテーマにしている内容が多いのだが、昨年、日経新聞夕刊に掲載されていたエッセイをまとめたがある。
その中に「書けない履歴書」という、一文があった。

今時の新入社員は、「履歴書」ではなく「エントリーシート」なのかもしれないが、その「エントリーシート」に入力している内容は、表面的な「出来事」をまとめただけなのでは?
本当の自分を「エントリーシート」で伝えきれるものではない。
仕事はその「書ききれない(入力しきれず、また面接でも伝えきれない)自分の歩み」を成長させるものである、という趣旨のことを書いていらっしゃる(少なくとも、私はそう読んだ)。

ビジネスマンとして、様々な経験をしてきた側からすると「仕事は収入を得るだけ」では、とてもつまらない仕事しかやってこない。
これは若松さんだけではなく、ドラッカーもまた同じようなことを述べている。
人生の中で「仕事をする時間」というのは、決して短くはない。
であれば、「仕事=金儲け」ではない「働く目的」を見つけることが、自分らしい生き方となるはずだ。
だからこそ「自分と仕事」というテーマに、格闘しながら「仕事をする意味」を見つけてほしい、と思うのだ。