今週、放送局や新聞社から「お詫び」があった。
一つはTBSのHPでの「盗作記事」。
もう一つは、JR西日本での福知山線脱線事故での記者会見時の讀賣新聞社記者の常識を逸脱したような「質問」。
どちらも、メディアの中心にいる人たちが起こした事への「お詫び」である。
TBSの場合は、2001年にまで遡るくらい前から行われてきたにも関わらず、気が付かないというのは・・・どこかのブログで指摘されていたように「注目度の低い」内容だったのかも知れない。
そして、讀賣新聞記者の「新聞記者としての逸脱したような態度」というのも・・・新聞記者としての品位?が感じられず、まるでゴシップ記者のような印象しかもてない。
それでも、そのような人たちが書いた記事や新聞・HPコラムを読む私たちは、それらを信頼しているところがある。
その場にいない私たちの代わりに、「事実を伝えてくれている」と思っているからである。
しかし、このようなことがあると「都合の良いことだけを伝えているのでは?」と疑ってみたくもなる。
大きな事件が起きると、ゴシップ記事から難しい?社説まで様々な視点の記事が出る。
その中から、「何を伝えているのか?」という判断をするためには、新聞1紙、テレビ1局ではない情報収集が必要だということなのだと思う。
幸いインターネットなどで複数の新聞などを検索し、読むことが簡単になってきた。
時間が掛かっても、そのような複数の情報源を持つことが「都合の良いメディア情報に踊らされない方法」だと思う。
それにしても、記者やライターといわれる人たちの「あるべき姿」って何なんでしょうか?
「受け手となる私たちよりも偉い」という錯覚を持っている人たちが増えてきているようで、嫌な感じを受けます。
お願い!
「みどりの日」のエントリーに、コメントを下さった方がいらっしゃいます。
残念ながら、お名前がありませんでした。
コメントを下さる方は、お名前だけは必ず書き込みください。
やはり、「名無し」さんではこちらもコメントをするのに困ってしまいます。
一つはTBSのHPでの「盗作記事」。
もう一つは、JR西日本での福知山線脱線事故での記者会見時の讀賣新聞社記者の常識を逸脱したような「質問」。
どちらも、メディアの中心にいる人たちが起こした事への「お詫び」である。
TBSの場合は、2001年にまで遡るくらい前から行われてきたにも関わらず、気が付かないというのは・・・どこかのブログで指摘されていたように「注目度の低い」内容だったのかも知れない。
そして、讀賣新聞記者の「新聞記者としての逸脱したような態度」というのも・・・新聞記者としての品位?が感じられず、まるでゴシップ記者のような印象しかもてない。
それでも、そのような人たちが書いた記事や新聞・HPコラムを読む私たちは、それらを信頼しているところがある。
その場にいない私たちの代わりに、「事実を伝えてくれている」と思っているからである。
しかし、このようなことがあると「都合の良いことだけを伝えているのでは?」と疑ってみたくもなる。
大きな事件が起きると、ゴシップ記事から難しい?社説まで様々な視点の記事が出る。
その中から、「何を伝えているのか?」という判断をするためには、新聞1紙、テレビ1局ではない情報収集が必要だということなのだと思う。
幸いインターネットなどで複数の新聞などを検索し、読むことが簡単になってきた。
時間が掛かっても、そのような複数の情報源を持つことが「都合の良いメディア情報に踊らされない方法」だと思う。
それにしても、記者やライターといわれる人たちの「あるべき姿」って何なんでしょうか?
「受け手となる私たちよりも偉い」という錯覚を持っている人たちが増えてきているようで、嫌な感じを受けます。
お願い!
「みどりの日」のエントリーに、コメントを下さった方がいらっしゃいます。
残念ながら、お名前がありませんでした。
コメントを下さる方は、お名前だけは必ず書き込みください。
やはり、「名無し」さんではこちらもコメントをするのに困ってしまいます。