昨日、三越百貨店の横浜・大阪・枚方・倉敷の4店舗が閉店をした。
ニュースなどで、ご覧になった方も多いと思う。
大阪店は、新しく出来るJR大阪駅の駅ビルに移転するようだが、その他の3店舗については「閉店」ということになるようだ。
百貨店の経営不振というのは、ここ数年前から始まったことではない。
バブルが崩壊した頃から言われ始め、早10数年経つ。
もちろん、テコ入れ策として様々なことをしてきている。
有名ブランド店の集積所という感じの「特選フロアー」等とは別に「百貨店の顔」とも言うべき1階フロアーの大通りに面した一等地には「特選フロアー」よりも、ネームバリューのある「シャネル」や「ルイ・ヴィトン」等のブランド店を誘致し、展開することが当然となった。
一時期ではあるが、「ユニクロ」を入れたところもあった。
ここ数年は、「デパ地下グルメ」に力を入れていた。
伊勢丹百貨店のように「セレクトショップ」を展開することで、他店との差別化を図ってある程度の実績を上げている百貨店もある。
この「セレクトショップ」の仕掛け人は、現在のイトーヨーカ堂社長で前福助社長のカリスマバイヤー・藤巻氏である。
しかし、そのような努力が実らず多くの百貨店の売上は、右肩下がりのままである。
その背景には、郊外型ショッピングセンターの進出ということもあるだろう。
大都市部以外では、「自家用車の無い生活は考えられない」といわれるほど、一家に複数台の自家用車を保有している世帯は多い。
街の中心にある百貨店は、駐車スペースなどい問題があることは事実である。
また、総合大型スーパーの品揃えなどの充実も理由の一つとして上げられるかも知れない。
日本の百貨店は、文字通り「百貨以上の品物を集めている」ところである。
アメリカなどの有名デパートは、その多くが「衣料専門デパートメント・ストアー」である。
ところが、日本の百貨店は食料品から家具・電化製品はもちろん、文房具や書籍、衣料品など本当に様々な商品を取り扱っている。
屋上に行けば、小さい遊園地のような施設があったり、ペットや園芸材料を取り扱っているところも少なくないはずである。
これだけの商品を一箇所でそろえることが出来る利便性とは別に、百貨店にはもう一つの顔があったように思えるのである。
大正時代の「今日は帝劇、明日は三越」というコピーが、それを象徴している。
「(三越)百貨店は、帝劇に行く時のように少しお洒落をしてお出かけください」という場所なのである。
確かに、昭和30年代半ば生まれの私にとって、百貨店でのお買い物は「チョッとお洒落をしていく場所」だった。
それが「郊外型メガ・ストアー」と呼ばれる「スーパーマーケット」ととの違いである
ところが、今百貨店に買い物に行くのに「チョッとお洒落をして」行っているだろうか?
海外旅行に行くのにも、Tシャツにジーンズというスタイルが当たり前となっている。
いくら市内の目抜き通りにある老舗百貨店であっても、Tシャツで行くことが当たり前だろう。
イヤ、今日日社長といわれる人であっても、M&Aの記者会見にTシャツ姿で臨む時代である。
(と言っても、彼の着ているTシャツは1枚1・2万円する有名ファッションブランドのモノらしいが)。
百貨店に行く位なら、Tシャツでも当然だろう。
その敷居の高さが、生活者を引き寄せきれずにいるのではないだろうか?
もちろん、それの敷居の高さが「百貨店らしさ」になっているのだが・・・。
折角「売りの現場」が目の前にありながら、生活者の変化に敏感に対応できない今の百貨店の姿がそこにあるような気がする。
ニュースなどで、ご覧になった方も多いと思う。
大阪店は、新しく出来るJR大阪駅の駅ビルに移転するようだが、その他の3店舗については「閉店」ということになるようだ。
百貨店の経営不振というのは、ここ数年前から始まったことではない。
バブルが崩壊した頃から言われ始め、早10数年経つ。
もちろん、テコ入れ策として様々なことをしてきている。
有名ブランド店の集積所という感じの「特選フロアー」等とは別に「百貨店の顔」とも言うべき1階フロアーの大通りに面した一等地には「特選フロアー」よりも、ネームバリューのある「シャネル」や「ルイ・ヴィトン」等のブランド店を誘致し、展開することが当然となった。
一時期ではあるが、「ユニクロ」を入れたところもあった。
ここ数年は、「デパ地下グルメ」に力を入れていた。
伊勢丹百貨店のように「セレクトショップ」を展開することで、他店との差別化を図ってある程度の実績を上げている百貨店もある。
この「セレクトショップ」の仕掛け人は、現在のイトーヨーカ堂社長で前福助社長のカリスマバイヤー・藤巻氏である。
しかし、そのような努力が実らず多くの百貨店の売上は、右肩下がりのままである。
その背景には、郊外型ショッピングセンターの進出ということもあるだろう。
大都市部以外では、「自家用車の無い生活は考えられない」といわれるほど、一家に複数台の自家用車を保有している世帯は多い。
街の中心にある百貨店は、駐車スペースなどい問題があることは事実である。
また、総合大型スーパーの品揃えなどの充実も理由の一つとして上げられるかも知れない。
日本の百貨店は、文字通り「百貨以上の品物を集めている」ところである。
アメリカなどの有名デパートは、その多くが「衣料専門デパートメント・ストアー」である。
ところが、日本の百貨店は食料品から家具・電化製品はもちろん、文房具や書籍、衣料品など本当に様々な商品を取り扱っている。
屋上に行けば、小さい遊園地のような施設があったり、ペットや園芸材料を取り扱っているところも少なくないはずである。
これだけの商品を一箇所でそろえることが出来る利便性とは別に、百貨店にはもう一つの顔があったように思えるのである。
大正時代の「今日は帝劇、明日は三越」というコピーが、それを象徴している。
「(三越)百貨店は、帝劇に行く時のように少しお洒落をしてお出かけください」という場所なのである。
確かに、昭和30年代半ば生まれの私にとって、百貨店でのお買い物は「チョッとお洒落をしていく場所」だった。
それが「郊外型メガ・ストアー」と呼ばれる「スーパーマーケット」ととの違いである
ところが、今百貨店に買い物に行くのに「チョッとお洒落をして」行っているだろうか?
海外旅行に行くのにも、Tシャツにジーンズというスタイルが当たり前となっている。
いくら市内の目抜き通りにある老舗百貨店であっても、Tシャツで行くことが当たり前だろう。
イヤ、今日日社長といわれる人であっても、M&Aの記者会見にTシャツ姿で臨む時代である。
(と言っても、彼の着ているTシャツは1枚1・2万円する有名ファッションブランドのモノらしいが)。
百貨店に行く位なら、Tシャツでも当然だろう。
その敷居の高さが、生活者を引き寄せきれずにいるのではないだろうか?
もちろん、それの敷居の高さが「百貨店らしさ」になっているのだが・・・。
折角「売りの現場」が目の前にありながら、生活者の変化に敏感に対応できない今の百貨店の姿がそこにあるような気がする。