はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

三軒茶屋交差点

2009年10月28日 | はなし
 三軒茶屋のこの三叉路に昔(江戸時代のことだ)、名前の通りに三軒の茶屋があって繁盛していたらしい。

 村上春樹の『1Q84』の図書館の予約の順番がまわってきたので読んでいるのですが、その物語はこの場所――首都高速道路三号線の非常階段――から始まります。

 主人公の青豆(女性30歳)がタクシーに乗りその中でFMラジオからヤナーチェック作曲の『シンフォニエッタ』という曲を聴く。その時に彼女は“ねじれた感覚”をもつ。彼女は渋谷へ行きたいのだが高速道路は混雑していてそのタクシーは進まない。運転手は、彼女に、非常階段があるということを知らせる。彼女はタクシーを降り、ハイヒールの靴を脱いで非常階段を降りる。そして田園都市線三軒茶屋駅にむかう。彼女の目的は渋谷のホテルにいる男に会いその男を暗殺すること――。


 前回書いたように「オッターバ・コンブリオ」を聴きながらこのブログを書いています。
 さっきは偶々ヤナーチェックの『落ち葉』(草かげの小径にて第1集 ~落ち葉)という曲が流れていました。秋の曲ということで。その後の曲はバッハ『アリア』。 僕はこの番組によってヤナーチェック(1854-1928チェコの作曲家)をはじめて聴きましたし、バッハの『アリア』は知っていても、いまだ『カノン』と区別がつきません。
 でもそんなこととは関係なく、音楽はたのしめる…。 しかしもう少し心地良い環境で聴きたいものだと思っている。どうもこの部屋の‘ぐあい’が良くないのです。なにかが。なにかをどうにかせねばならん。
 サティ『風変わりな美女(真面目な幻想曲)』という曲が面白い(タイトルも)。


 1984年…か。 
 その年、僕はまだ東京に住んでいなかった。(あの日本航空御巣鷹山墜落事故は1985年。) だから「三軒茶屋」なんて地名も知らなかったのですが。


 三軒茶屋キャロットタワーという建物です。



 三軒茶屋将棋倶楽部。
 ここはプロ棋士宮田利夫七段が席主をしている。
 将棋道場というのはほんとに儲からない商売であるが、将棋のすきな人にとっては天国の休日が過ごせる。800円だか1000円だかで一日将棋が指せて、しかもこの三軒茶屋将棋倶楽部はコーヒー付きだ。それだけではない。そのコーヒーを現役プロ棋士(宮田七段)が運んできてくれるのだからすごい!
 宮田利夫さんは故高柳敏夫の弟子だが(中原誠名人や島朗さん清水市代さんも高柳さんの弟子だ)、その高柳道場が昭和の時代に渋谷にあって、平成になってその道場が閉鎖になった。その後に渋谷に近いこの三軒茶屋に宮田さんがこの道場を立ち上げたということになる。

 とはいえ、僕は最近さっぱり将棋を指していない。




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 大原まり子さん(大阪府出身)は17歳の時に小説を書いてSFマガジンコンテストに応募したが落選した。その時に入選したのが新井素子さん(東京都練馬区出身)で、大原まり子と同学年。大原さんはちょっと自信を失い2年間小説を書かなかったが、再び応募してこんどは見事に入選。その作品が彼女のデビュー作となった『一人で歩いていった猫』。 僕は彼女の描くキラキラしてかっこよくそして悲しい宇宙物語が大好きだった。 彼女の「未来宇宙」では、「アディアプロトン機械帝国」と「調停者(人間)」の2大勢力が常に戦争を行っている。 その未来宇宙に、“天使の翼(これは機械の共生生物)を背にもった宇宙猫”を主人公とした話が『一人で歩いていった猫』である。 大原さんはヴァン・ヴォークトのSF小説の大ファンのようだ。
 大原まりこがこれらの宇宙物語を書いた1980年代は、まだ「ソビエト連邦」が存在していた時代で、彼女の描く宇宙の‘2大勢力’という構図がその時代の影響をうけているというのが、今考えるとおもしろい。 上の写真でもいわゆる「聖子ちゃんカット」が流行っていた時代で、しかも「太い眉」ももてはやされ(石原真理子がその代表)、太眉の大原さんは時代のど真ん中を歩いていたわけだ。
 大原さんは、東京の女子大に入学し卒業したが、大阪時代から「三軒茶屋」に憧れていたという。 …なぜだ? 


コメント
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