はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

菩提樹

2009年10月27日 | はなし
 これは芦花公園の菩提樹(ぼだいじゅ)。 菩提樹にもいろいろあって、これはシナノキ科、つまり中国菩提樹と呼ばれる種類らしい。
 “菩提樹”というのは、ハート型の葉っぱで、良い香りがして、加工しやすいのでヨーロッパの人々にとってはたいへん親しみのある樹のようだ。


 少しづつクラシック音楽の世界に興味をもってきている。きっかけはTBSラジオで1年前から、深夜3時より1時間『OTTAVA con brio』(オッターバ・コンブリオ)が放送されるようになり、時々聞くようになったことである。この番組のミュージック・ディレクター斉藤茂さんの話題のすすめかたに親しみを感じたということもある。この番組は元々はインターネットラジオ放送で毎日3時間半(18時~)ほどの番組で、放送後1週間の間はいつでも聞く事が出来る(無料である)。 それで僕はこの頃はPCをいじっている時はこの番組を聴きながら、ということが多い。
 22日(木曜日、ただしTBSラジオでは金曜日深夜)の放送では(はじめから10分くらいの時間に)「ドイツ音楽と菩提樹」について斉藤茂さんが話していた。これは元々はある聴取者からの質問(2週間前)で、斉藤さんも「そういえばほんと菩提樹は音楽の中に登場しますね、なぜでしょうね?」と興味を持って、別の聴取者からの意見などもあったりして、どうやらこういうことらしいというような斉藤氏なりのまとめを話していた。その後で紹介された曲はマスネ(19世紀フランスの作曲家)の『組曲第7番:「アルザスの風景」 ~菩提樹の下で』。
 僕にとっては、クラシック音楽は‘未知の新しい世界’で、とても新鮮だ。(そういえば『のだめカンタービレ』は完結したらしいね。)

 興味がある方はこちらでどうぞ→『OTTAVA con brio
 
 (「OTTAVA con brio」とは「元気になる!」というような意味らしいです。)


 そんな“菩提樹”の話を聞いて、たまたま上のような写真を何ヶ月か前に撮っていたことを思い出したので、それで今日の記事にしてみた。




 「目覚めなければ…」と僕は感じている。
 自分にとって‘目覚める’ということがどういうことなのか、半分くらいしかわからないのだが。

 僕はずっと夢の中を旅しているように思っている。「目覚める」とは、夢の中の旅を終了して、リアルな世界に生きるということである。そのための準備をしなければ、と思っている。でも、「準備」とは、具体的に何をすることだろう…、そんなことを今はずっと考えている。「準備」のなかに、ブログを書くことをストップするということもあるかもしれない。
 ブログを書くことで、僕の中ではいろいろなことが前にすすめた。有意義なことだった。自分のなかに、もやもやしたものがある。その正体を少しづつ明らかにしていく。そんな作業だった。それでも、もやもやしたものは、同じ割合で今もある。ブログに明らかにしたことは、「書きたいこと」その全体のうちの6分の1、つまり全体の1割7分くらいのような気がする。そして、書いても書いても、あとの8割3分ほどの「もやもや」の割合はいっこうにかわらないのだ。
 そうなると、「量」で言えば、「明らかになる」分量よりも、「もやもや」の分量のほうがふえていくわけで、これでは…。



 最近、コナン・ドイルの『ロストワールド(失われた世界)』を読んだ。これは怪獣映画のルーツとなる物語で、1912年に発表された。主人公はケンカ大好きの老教授チャレンジャー。彼はある詩人のスケッチブックを手にいれる。そこには“翼竜(プテラノドン)”が描かれていた…! チャレンジャー教授は、その怪物は、南アメリカのある地に生存していると確信し、若い新聞記者らとともに、冒険の旅に…。

 現実世界での「恐竜の研究」の始まりは、1820年代のイギリス南部である。オックスフォード大学のバックランド教授(メガロサウルスの研究を発表)、医師ギデオン・マンテル(イグアノドンの歯を発見)、女性メアリーー・アニング(プレシオサウルス発見)の三人がその草分けである。

 恐竜自体は、もちろんもっともっと昔に存在した。絶滅したのは6500年前…ではなく、6500万年前だ!!
 (人類最古の芸術作品は3万5千年前だったが…、6500万前って…どんだけ~!?)

 絶滅の原因でもっとも有力なのは、隕石(小惑星)衝突説だが、これはアルヴァレス父子が1980年(つい30年前のことだ)に発表したもの。彼らはたった一発(!)の小惑星の衝突の影響によって恐竜すべてがいっぺんに絶滅したと言ったのだ!
 はじめはだれもそれを疑ったが、その後1992年メキシコ・ユカタン半島沖の海中にある直径190キロメートルの巨大クレーターが発見された! これを調べるとぴったり恐竜絶滅の時期と一致した(6498万年前)のだ! それは直径10キロメートルの小惑星が地球に時速4万キロメートルでの衝突によるものと推定された。今では、この小惑星のそのただ一回の衝突が恐竜を絶滅させたという説が最有力とされているそうだ。
 アルヴァレス父子は、衝突後に生じる地上の温度変化を算出し、その温度変化によって恐竜は絶滅したとしたのだった。衝突後、膨大な量のチリが舞い上がり、何年にもわたって太陽を覆い隠す…すると地球の温度は低下する…。その寒さが恐竜たちを絶滅させた―――という。



 「学ぶ」ということは、過去へ過去へとさかのぼって行くことらしい。学べば学ぶほど、こころは「過去へ」と飛んで行く…。
 「過去へ飛ぶ」というのは、時間のながれに逆行するということである。現実のながれに自然に対応していくことが「リアルに生きる」ということであるなら、「学ぶ」という行為は、そこからどんどん離れていく行為となる。「学ぶ」のはおもしろいが、「現実」というものの手触りや温もりをわすれてしまいそうになって時々怖くなる。
 自分はこれでいいのだろうか。幽霊になってしまってはいないだろうか。

 どうやら、僕は、「学んで」いたようである。
 ほんとうは、10代のときにしっかり「学んで」おくべきなのだ。「学んだ 」ことをリアルな世界で生かすつもりならば。旅は若い時のほうがいい。僕は、自分に、お前の学びたかったことはこういうことだろ、と納得させるために、そのために夢を見ていたのだと思っている。学びそこねた10代の自分に話しかけていたのだ。このブログを使って。

 さあさあ、目覚めの準備をはじめよう。 (過去の空を飛ぶのはホドホドにして。)
 まったく自信はないが、こうしていてもしかたがないから。 まず言葉にしてみる。



     ☆      ☆      ☆      ☆


《カテゴリー分類について、お詫び》
 1年くらい前から、「しょうぎ」「つめしょうぎ」以外の内容は、すべて「はなし」のカテゴリーに入れています。(なにも考えずそうしています。)
 ブログという形式は、過去にさかのぼって記事を読むのが大変ですよね。だから新しい読者のためにカテゴリーはしっかりまとめたほうが良いのですが、それがむつかしいのです。 僕の記事はもういろんな分野の内容を(煮込み料理のように)雑ぜて書くことに面白さを感じてしまったので、もう、分類しようがないのです。たとえば今回の記事も、植物なのか、音楽なのか、動物(恐竜)なのか、自分についてなのか、本なのか…。もはや、手におえません。御免なさい。
 このブログ内でなにか興味のあるテーマで探すものがあるなら、上の欄にブログ内検索があるのでそれを利用されるのがよいと思います。 (カテゴリーはあてになりません。)
コメント (2)
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