goo blog サービス終了のお知らせ 

浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2018-08-16 11:27:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

お待たせしました。
小生の住まいする比国では日本サイズの物を入手するにはいつも
大変苦労をしております。

そのため、今回のカセットデッキの入手にも手間取り、
ダビングの完了が今となってしまいました。

本日より、「心の扉」の投稿を再開させて頂きます。
カセットデッキやテープに不調和が発生しない限り
恩師「長尾弘」先生のラジオ放送「心の扉」の最終回までの
テープ起こしをしまして、投稿をさせて頂く所存です。
宜しくお願いします。

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる


先の続き・・・
では、どうすれば好きになれるのでしょう。
人間の心にはすべての人に共通の思いがあります。
それは自分にとって都合の良い人は好きです。
と、言う思いです。

これはもう世界の国々や人種に関係なく共通しています。
自分にとって都合の悪い人が大好きだという方は
まずいないでしょう。

これをよく理解していれば良い出会いが生まれ
幸せにもなれるのです。
つまり自分が相手にとって都合の良い人間になることです。
そうすれば必ず相手の方から自分を好きになって貰えます。
逃げるのではなく先ず自分から始めるのです。

そうすることで互いに良い出会いになり、
心から相手を好きになれるのです。
身近なところで夫婦の間、親子、兄弟で相手にとって
都合の良い自分になることです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-16 00:00:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
「大宇宙は大神体なるがゆえに 
   この現象界の地球も神体なり 
      神体なるがゆえに 大神殿なるべし」
先の続き・・・
私は神理の実をいっぱい実らせた一本の大樹に
なりたいと思っています。
この実を食べたら不老長寿です。
死んでも死にません。
それは死んで極楽の世界に帰れるからです。
このような素晴らし実をいっぱいならせて、
すべての生きとし生ける者の栄養
にさせていただきたいというのが私の望む理想です。

そのようにならせていただきたいと常に心がけております。
この世は自分が生きるのに精一杯でヒイヒイ言いながら
自分のために生きておられる方々も多いですね。
しかし、自分よりも人様のために生きてみて下さい。
ご主人のために、奥さんのために、両親のために、
子供のために自分を犠牲にして生きるのです。
その時、与えられます。
与えるがゆえに与えられます。
与えない者にに誰も与えてはくれません。
させていただくから、していただけます。
してやってはいけません。

これは徳をみな人にやってしまいます。
「こうしてあげる」「私はあの人に、こうしてあげた」と
言うのは、みな徳を人にあげているのです。
「私はさせていただいた」という心がけの時、
その徳は自分が頂けるのです。
だから「許させていただく」のです。
人はつい「してやった、してやった」と言います。
場所によって言い方が違うのですけど、
南のほうのある島へ行きますと、
借りたお金を返しにきて「これ、やるわ」と言っています。

普通ならば「自分が借りていて、
これやるとはお前何ということを言うのか」
と叱られるところです。
「やる」という言葉はいけません。
この場合は「返させていただきます」と言うべきです。
用事をする時も同じことで、「私がさせていただきます」
「どうぞ私にっさせて下さい」これならば徳が頂けます。
「私がしてあげます」は、徳をやってしまいますから、
どうか皆さんは徳が頂けるように行動してほしいと
思いますね。

     
     ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-15 00:05:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 二
 
「大宇宙は大神体なるがゆえに 
    この現象界の地球も神体なり 
       神体なるがゆえに 大神殿なるべし」
先の続き・・・
しかし、
私は破門されるほど立派な人間ではありませんでした。
破門されるというと、
相当偉くなければそのようなことにはなりません。
私は何十万人の会員さんのごく下っ端の一人でしたから、
先生は私という者がいるということも、
恐らくご存じなかったでしょう。
ご存命中にはどこに誰がいるということは、
いくら先生でもお分かりではなかったでしょう。
先生の目にも留めてもらえなかった存在の私ですから、
そんな者が破門されるはずがありませんね。
その私のことを九州ではそのようにいって
おられるそうです。

電話を下さった方たちは、
「私たちが防波堤となって、
  そういうものを防いでまいりますから、
    どうぞ先生がんばって下さい」と連絡して
 下さいました。
しかし、私には防波堤も何も要りません。
それは、私には一切の望むものがないからです。
名前を売りたいとか、
このことでうまく金儲けをしたいとか、
会員から金を集めて記念会館を建てたいとか、
自分の地位を得たいとかいう、
望みは何もありません。
私にあるのは、
縁によって一人でも多くの方が
幸せになってくれたらいい、
苦しい方が救われてくれたらいい、
病気が治ってくれたらいい、
というその願い以外の何ものもありません。
欲の無い者、望むものの何もない者に、
どのようなものがのしかかってきても、
かかる場所がないはずです。

もし欲があれば、「これはえらいことだ、
これをとられてはいかん、
何とか防衛しなくてはいかん」と、防波堤を作ります。
しかし、私にはそんなものは要りません。
欲しければ皆さんに全部差し上げます。
このように来てもらっても、
私には一銭の儲けにもならないのですから、
いっそ皆さんからクビにしてもらいましたら、
私はどんなにか楽になれるのにと思っています。
そういう思いの者に、
いくら悪口を言ってくれてましても、
いっこうに通じません。
しかし、組織を自分の生活の糧として
おられる方にとっては、何とかして自分を
守らなければ食べていけませんからね。
宗教家は宗教で飯を食っております。
そういう人はすべて自己保存の心が湧きます。
それは、食べられなくなるから当然のことです。
食べるために組織を大事にしなくてはいけないし、
金を上げてくれる人を大事にします。

   
   ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-14 01:09:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


    講演 二
 
「大宇宙は大神体なるがゆえに 
    この現象界の地球も神体なり 
       神体なるがゆえに 大神殿なるべし」
先の続き・・・
有難いことに、
今こうして話しましたことをテープに
録音してもらっています。
私は著作権の侵害などとはいっさい言いません。
各自持って帰ってもらって、各自がダビングをして、
各自が他の方に上げてもらったらいいのです。
そうすれば、どんどん広がっていきます。
現在、日本全国に私のテープが回っているようです。
沖縄はもちろん、北海道でも縁ある方に
聞いていただいております。

私は自分の心の中で、
日本国中にこんなに急激に知ってもらうということは、
これぽっちりも考えたことはありません。
ただ下座にあって、
岸和田の磯上の一隅で縁ある方が何人か集まり、
この一隅さえ照らさせてもらったらいいと思って、
高橋信次先生が亡くなられて以後、
ずっとお話会を続けてきました。
それが次第に各地から「来てくれ」といって
招いていただくようになり、
去年の八月から、爆発的に全国に広がったのです。
しかも、皆さんは正しい教えを求めておられます。

高橋信次先生が亡くなられた後は、
皆様ばらばらになって苦しんでおられました。
その指導者たる方が自分の知と意をもって、
自分なりの教えを説こうとされますが、
先生からはずれた教えをされて、教えに背くから、
縁ある方々が苦しまなくてはいけなくなります。
去年の八月以来、東京のほうで、
先生に縁のあった組織の方が一度に二百人まとまって
脱会されまして、
私の方にご縁ができました。
その後また百人ほど脱会されましたそうです。
ごそごそ抜けてこられましたら、
もしその会によって生活をしておられるとしたら、
これはえらいことです。
まあいわば商売がたきとなります。
「あいつは私の信者さんと取ってしまった」と
言って怒っておられますね。

また、九州のほうで、
高橋信次先生の教えを伝えていた方の会員さんたちが、
櫛の歯がポロポロ欠けるように抜けて、
私の所にたくさんの方のご縁ができました。
先日、九州の方からの電話によりますと、
どんどん抜けてこられるので、
「あの長尾という奴は高橋信次先生に破門された者だから、
あんな奴の言うことを聞いてはいかんと、
講演のテープの中で話しております」というのです。
そういうテープが回っているのだそうです。

      
    ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-13 00:00:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


           講演 二
 
「大宇宙は大神体なるがゆえに この現象界の地球も神体なり 
      神体なるがゆえに 大神殿なるべし」

先の続き・・・

「お金を上げなさい」とよくいう宗教があります。
まとめて上げさせるのやら、少しずつ絶えず上げさせるのやら、
いろいろあります。
しかし神様は一銭もお受けになりません。
神の御手には一銭も届きません。
このイエス様の写真の前に一万円を置いて
「イエス様どうぞこの一万円を使って下さい」とお願いしましても、
いつまで経ってもなくなることはありません。
いつか腐ってくるはずです。

イエス様がポッと手を出されて一万円をとられたらほんとうですが、
そんな神様は見たことがありません。
神の世界ではお金は必要とされないのです。
「神様に上げなさい」と言って、
ある宗教では入会と同時に袋を渡されまして、
その袋の中には、さらにお金を上げる袋が五つ入っているそうです。
玉串料、感謝料、お祭り料と、
みなそれぞれを入れて持っていくようになっているのですね。

そのお金はいったいどなたが使ってくれるかといいますと、
頭に毛の生えた者たちです。
お坊さんは頭に毛はありませんが、あれは剃っているだけです。
そういう方がみなお使いになります。
世の中にはいろいろな間違ったことがあってもいいのです。
人はその方その方の魂の段階に応じて、
その人が修業する場所として与えられております。
私たちの正しい法に縁をいただける方は、
いかに得難いかということです。

得難いご縁によってこうして共に学ばせていただきます。
正しき教えにめぐり会い、ご縁を頂くのは、
「片目の亀」のたとえよりもなお難しいのです。
今、日本は一億二千万からの人口です。
私たちが巡り合えるのはほんとうに一部の方たちとです。
一億何千万人のうちの何千人としかご縁がありません。
ほんとうに、穴のあいた丸太棒に盲目の亀が首を突っ込むよりも
なお難しことです。
しかし、これは皆様が一人ひとり縁のある方に伝えてもらったら、
やがて誤った信仰から救われる方もたくさん出てくれることと思います。

   
         ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-12 05:06:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる


先の続き・・・
世の中には様々な出会いがあるのですから、
出会う人全部を好きになればこんな幸福なことはありません。
有名な言葉で私は嫌いな人に会ったことがないと
言った人がおりましたが、
この言葉が感動を呼ぶのもこのためです。



お知らせ:

「心の扉」の投稿は現在手持ちのカセットのダビングが
完了するまでお休みさせていただきます。

ダビング完了後、再度投稿させていただきますので
宜しくご了解ください。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-12 02:32:27 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


   講演 二
 
「大宇宙は大神体なるがゆえに 
   この現象界の地球も神体なり 
      神体なるがゆえに 大神殿なるべし」
この大宇宙が大神体、つまり神の御姿であり、
その中には目に見えないエネルギーが充満していますから、
大神霊ともいえます。
宇宙を一秒の狂いなしに動かしている見えない力、
このエネルギー、これこそまことの神であると知った時、
たとえ無神論者であったとしても認めざるを
得ないはずです。
「私は神様を信じません」と、
この世に神様はいないという方がありますが、
神を受け入れることのできない人は、
自分から神にお断りしているのですから、
迷わざるを得ません。

死んだら一番早く迷いの第一号となります。
第二号はあの世を信じない人です。
「あの世なんかあるものか」と言う人は、
自分が全然ないと信じていた世界へ、
死んだら入っていくのですから、迷わざるを得ません。
迷いの第三号は執着を持つ人です。
この砂袋を持つ人です。
この砂を軽くしないと、死んでから絶対に上には
上がれません。

重いものが上にあがるはずがないのは自然の法則です。
閻魔さんが瑠璃玻璃鏡と釘抜きとを持ってきて、
「お前は何をしたか、嘘をついたらこの鏡にみな写る」と
言われ、もし嘘をついたら舌を抜かれるという話しが
ありますが、あれは嘘です。
自分が拵(こしら)えて、自分が迷い、
自分が過ちを犯して、自分の心を重くして、
重いから沈んだだけのことで、
閻魔さんなどいるはずがありません。
軽い人は軽いがゆえに浮き上がっていくだけです。
変な仏教の中には、七、七、四十九日の間、
親戚縁者が集うて
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と拝んだら、
地獄に行っている人に届いて、閻魔さんから
勲一等を許されて、いいところに行けるとか、
七回拝んでもらったら、もう少しいいところに
行けるとか教えているのがありますが、
これも真っ赤な嘘です。

そんなことがあるはずがありません。
お坊さんには怒られますが、神理は枉(ま)げることは
できません。
お坊さんが何とおっしゃろうと、
神父さんが何とおっしゃろうと、関係ありません。
神理はただ一つです。
私の口を通して語っていただくことは神の声です。
お坊さんが反対しても神様は正しいのですから、
どうしようもありません。
間違っていたら駄目です。

     
  ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-11 07:54:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる



生きていくと言うことは自分以外の人との
出会いで展開していきます。
おぎゃーと生まれてまず親との出会いがあります。
親はこの時、子と出会います。

子は成長していくと、友と出会い、結婚相手と出会い、
また、子を授かればその子との
出会いがあります。
出会いの中に人生が展開していきます。

出会いの中で喜びや苦しみなど様々な体験があります。
そして喜びより苦しむことのほうが多いのが世の常です。
出会いによって自分を不幸にも幸福にもします。
嫌な人に会って、ああ、嫌な人間だと思い込み顔も
見たくないと思うこともあるでしょう。

そんな人が近づいてくるだけで
隠れてしまいたくなることもあるかもしれません。
しかし嫌な人が一人でも二人でも多いほど
自分自身が不幸なことに気付いてください。
嫌な人を作ってしまうのは自分の心です。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-11 01:08:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
「当体の細胞なるがゆえに 細胞に意識あり」
この世の中のいちばん小さな単位であるミクロの世界、
原子の世界に入っても、
ちゃんと大宇宙の循環と全く同じ循環が行われています。
これが、当体の細胞なるがゆえに細胞に
意識があるということですね。

「かくのごとく 万物すべて生命にして 
エネルギーの塊なることを悟るべし」
万象万物すべては、
原子の世界に入っても活動しているということです。
この活動こそが生命、いのちです。
大宇宙は大生命であり、
ミクロの世界の原子の世界もまた生命によって
動いています。

エネルギーによって動いています。
この私たちも同じことで、
この肉体から生命が消えた時は、
もう一個の腐りゆく物質でしかありません。
何日かの間には腐ってきます。
大宇宙を動かしている命も、
私たちを動かしているこの命も、
全く同じ命が宿っているのです。

このことが、神と私たちが同質同根だということ
なのであり、しかも、これはすべてエネルギーです。
高橋信次先生はこのように話されました。
「マッチ一本ほどの水素を完全にエネルギーに換えると、
それは巨大な電気が何百年も働くほどの
エネルギーに相当する」と。
すべてはエネルギー、命であることを知って下さい。

         
  ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-10 10:20:43 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる


先の続き・・・ 
おはようございます。
長尾弘です。
爽やかな朝のひと時ご一緒に心にも夜明けを迎えましょう。
さて、たいていの人は自分のことは
他人に言われるまでもなく自分が一番よく知っている
と思っていますね、しかし、本当にそうでしょうか。

本当に自分が見えているでしょうか、
食べ物の好みや今朝は何時に起きたかということなら
他人よりよくわかっているでしょうが、
そんなことで自分を知っているとは言えません。
自分がどんな人間なのかこれまでにどれほどの悪を重ねているか、
また、良いことを積み重ねたか、
気づく人はほとんどないのです。

その自分さえ知らない人間に人を知ることはできません。
ほんの少し、例えば自分を一つだけ知ることができれば
人の心を一つ知ることができます。
自分を二つ知れば
人の心を二つ知ることができます、
自分を十知った時、
人の心も十知ることができるようになっているものです。
それ以外は知っていると思っているだけです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-10 00:19:17 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

     ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


     講演 二
 
「地球は小さな細胞体なることを知るべし」
先の続き・・・
先日も、おばあちゃんが一生懸命内職をなさって、
お金が溜まったらまた私の所に連れてきてもらうと
言いますから、
「おばあちゃん、そんなに内職しなくても結構です。
今度の治療費はこれを使って下さい」と、
内緒で渡して使ってもらいました。
ほんとうに困っておられる方であれば、
自分に余裕があるならさし上げて使ってもらったら
いいのです。

これが神の子としての生き方です。
差別をしない、まして人に罰を当てないことです。
「あんな悪い奴」と心に思うのも罰ですね。
思うだけならまだいいけれど、
心の中で行動を起こす人がいます。
心の中で「あんな悪い奴は死んでしまったらいい」と、
自分にとって都合が悪いと、
人に罰を当てようとしますが、
これはとんでもないことです。
私たちはすべての方を許させてもらわなくては
いけません。

人を責めることは、許していない証拠ですね。
「許しとは愛である」と説かれてますが、
「許し」とは、自分自身が許されることを
知らなければなりません。
しかも憎さの大きい人、
許せない気持ちが強い人を許すほど、
怒り、憎しみの苦しみから自分の心が許される
度合いが大きいものです。
神様は私たちに「忘却」という愛を
お与えになっています。
忘れ去っていきます。

過ぎ去った過去の出来事は時間と共に薄らぎます。
しかし、何かの縁に触れますと、
その時の苦しみがそのまま再現してきます。
自分にとって憎い人や、辛い目に合わされた人を
思い出したり、また、その人のことを話しに聞いたり、
その人の姿を見たりすると、
そのままかつての苦しみが心の中に再現してくるのですね。
完全に許していれば、そういう人と出会っても、
もう自分の心は苦しみませんが、許さない限り、
自分の心が苦しみから許されないのです。
人を憎んで腹を立てている自分の姿は哀れです。
そして、自分の心が苦しんでおります。

この苦しみから救われるために、
許させいただくことを実践することです。
いつまでも憎んいたら、あなた自身の心が苦しいです。
その苦しみは神が嘆かれます。
「ああ、私のいとし子よ、そなたはなぜ自らを
    苦しめるのか、幸せになれ」
と言われます。

自らを苦しめてはいけません。
どのようなことがあっても自らを苦しめないように
努力をすべきですね。
そのためには、許させていただくことです。
そうすれば必ず幸せになれます。
そして極楽に帰れます。
このように、大いなる神の慈愛の中に私たちは
生きさせていただいていることを自覚することが
第一で、そして次に、自分が行うことです。

        
    ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-09 08:05:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる



先の続き・・・
悪口のような醜いことを言えばその逆になるのは当然です。
ですから、考え方によっては、
神様を信じるというのは特別な事でも、
特殊な事でもなんでもないのです。

特定の場所へ行かなければ出来ないようなことでもありません。
普通の日常生活の中にあるのです。
どれだけ自分の周囲を愛し、信じているか、
それに尽くしているかそれこそが神様を
信じていることです。

神様をスーパーマンのような存在だと思い、
都合の良い時に助けてもらえるんだと
決めている人に限って信仰について語ることが多いようです。
これは通用しません。

泥棒に入られてもあの泥棒に罰を当てないで下さいと
思うほどの心を持つことです。
この時、何より自分自身が苦しみから救われます。
苦しみは自分の心の中から生まれるものです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-09 00:25:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 二
 
 「地球は小さな細胞体なることを知るべし」
先の続き・・・
今日は北海道からお見えになっていますが、
二日前の金曜日から来ておられます。
この方はある信仰を持っておられて、
「その信仰は正しくありません」と、
説明させていただいたのです。

最初は、ほんとうにショックを受けておられたそうです。
その信仰で何かを見ていただこうと思うと、
二十万円のお金が要るのですね。
しかも予約の人がいっぱいで、
何年か先でないと見てもらえないというのです。
それだけ苦しい方がこの世の中には多いということです。
藁にもすがりたい、何とか助かりたいと思うのですね。
見て下さる方というのは、
あたかも自分が光の天使であるかのように、
たくさんの本も出しておられます。

しかし、欲望が雲であれば、神理から見ますと、
一人ひとりから二十万円も巻き上げて、
いったい何に使うというのですか。
或るいは大神殿を建てるためといっても、
その大神殿はまた金を巻き上げる人の寄る場所で、
ただ欲望以外の何ものでもありません。
この欲望は自らの心から出ている、
また行いから出ている雲であり、スモッグです。
今日のお天気のように雲の上ではお日様は燦々と
輝いておられますが、雲やスモッグによって
お日様の光を拝むことはできないのです。

どれほどいいことを言いましても、
どれほどたくさんの立派な本を出しましても、
行いが欲望の雲を出しておりましたら、
神の光は届きません。
届くはずがないのですね。
その欲望を捨てた時、
「そんなに苦しい病気なら、お金はいいですよ。
困っておられるのならば無償でよろしい。
神様は私たちを無償で生きさせて下さるのだから、
お金など持ってくる必要はありません」と、
言えるはずです。
私はそのようにさせていただいております。
「あの方は生活が少し苦しいのです」と、
前もって電話を頂きましたら、
「ああ結構です」と言って来ていただいています。
人は恵まれない時があって当たり前です。

その恵まれない時の助け合いをしてこそ、
神の子としての兄弟同士、
どなたこなたの関係はありません。
「別にお金を持ってきていただく必要はありません。
ただ治っていただいたそれでいいのです」と、
そのようにお話して治療にきていただいております。
それにひき比べ何十万円というお金を取って、
聞くところによりますと、それでも治らないそうです。
「治らないから、お金を返せ」と言われた時に困るので、
前もって「いっさい苦情は言わない、
お金の返却を要求しない」という
趣旨のものに印鑑を押すようになっているそうです。
こういう信仰もあるのです。
ほんとうの神様の信仰とは遠く離れていると、
私は思います。
私はそのようなことはいたしません。

         
    ~ 感謝・合掌 ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-08 15:52:32 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より
心の扉―1


主題:苦しみは自分の心の中から生まれる
 
先の続き
人の悪口を言っておいてそれで神様を信じているとは
言えないのです。
どこにでも神様の心があります。
つまり夫婦で喧嘩をすれば、神様同士が喧嘩をしたことに
なります。

これは調和を乱す不調和で、不幸の始まりです。
それでいて、信仰しているとしたらおかしなことです。
宝くじのお願いをしているのと違いはない信仰でしょう。
まず、身の回りの自分に縁のある人を信じることです。
それが神様を信じることです。

本当に人を愛することが神様を愛することです。
日本語の挨拶にご機嫌ようと言うのがあります。
相手の健康を願う心です。
外国語でも例えば、英語ではグッドラックと
言うのがあります。

相手の幸多きことを願っています。
世界中どこの国にもこうして日常の何気ない言葉や
挨拶の中に縁ある人を大事に思い
信ずる心があるのです。
正しい心は変わらないのです。
すべて美しい言葉です。
神様を信じ、愛する言葉と言ってもいいでしょう。
こうした心で話をしていれば、調和のある人生、
つまり幸せな人生です。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2018-08-08 00:43:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、 二

               黄金の光と暗い想念

先の続き・・・

そして、香川県から徳島県へと、
あの大きな大坂峠を越えて入っていきました。
峠にさしかかった夕方、まだ暗くはなっていなかったのですけど、
左側は山肌で、中に道が通っており、右側は谷でやはり切り立った崖で、
ガードレールが付けてあって谷へ落ちないようになっています。
山を切り開いた峠を車が登っていき、
私は助手席に乗せてもらって左側を見ますと、
山肌がちょうど車の黄色いヘッドライトでパァーッと照らしたように黄金色で、
ずっと光っているのです。
すごく光っています。
山肌が全部光っています。

それで、「ああひょっとしたら後からバスかトラックが来て、
黄色いライトをつけて追いかけてくるのかなあ」と
思って後を何回も見たのですけど、何も来ません。
その峠を越えるまでずっとものすごく光っていたのですね。
四国の旅から帰って何日か経って、
一緒にいってくれた方々と又お会いした時、運転してくれた方が、
「先生、あの峠を越える時、気が付きましたか」と言うのです。
「あ、お宅も気付きましたか」と言うと、
「私、運転していましたから、前のほうがパァーッと光って、
ちょうど黄金の光ですから、あの強い黄色のライトで照らしたような光なので、
バスが来たのだと思って、何回もバックミラーで後を見ました」と、
やっぱり同じことを言っているのですね。

「そんなこと言ったら頭がおかしいのかと思ってね、よう言いませんでした」
「ああ、気付かれましたか」と私が言いますと、後ろの席に乗っていた方も、
「私も右側のガードレールがずっと光っていたのを見ていました。
大阪のカードレールは確か白だったと思うのに、
四国へ来たら金色が塗ってあるのかなあと思った」と言うのです。
「私たちは光です」と言いました時、
忽ちその車の周りがものすごい黄金の光に包まれていたのです。
現実に何人おられても、皆が肉の目で見ることのできる光です。
本当の愛ゆえに行動を起こしますと、どなたでも全部、光になります。
光に包まれるのです。
愛は光なり、神は愛、光こそ神、
そういう自然界の中にも厳然としてはっきりとこの肉体の目をもって
光を見せていただけます。


                ~ 感謝・合掌 ~



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする