~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~
講演 二
「大宇宙は大神体なるがゆえに
この現象界の地球も神体なり
神体なるがゆえに 大神殿なるべし」
この大宇宙が大神体、つまり神の御姿であり、
その中には目に見えないエネルギーが充満していますから、
大神霊ともいえます。
宇宙を一秒の狂いなしに動かしている見えない力、
このエネルギー、これこそまことの神であると知った時、
たとえ無神論者であったとしても認めざるを
得ないはずです。
「私は神様を信じません」と、
この世に神様はいないという方がありますが、
神を受け入れることのできない人は、
自分から神にお断りしているのですから、
迷わざるを得ません。
死んだら一番早く迷いの第一号となります。
第二号はあの世を信じない人です。
「あの世なんかあるものか」と言う人は、
自分が全然ないと信じていた世界へ、
死んだら入っていくのですから、迷わざるを得ません。
迷いの第三号は執着を持つ人です。
この砂袋を持つ人です。
この砂を軽くしないと、死んでから絶対に上には
上がれません。
重いものが上にあがるはずがないのは自然の法則です。
閻魔さんが瑠璃玻璃鏡と釘抜きとを持ってきて、
「お前は何をしたか、嘘をついたらこの鏡にみな写る」と
言われ、もし嘘をついたら舌を抜かれるという話しが
ありますが、あれは嘘です。
自分が拵(こしら)えて、自分が迷い、
自分が過ちを犯して、自分の心を重くして、
重いから沈んだだけのことで、
閻魔さんなどいるはずがありません。
軽い人は軽いがゆえに浮き上がっていくだけです。
変な仏教の中には、七、七、四十九日の間、
親戚縁者が集うて
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と拝んだら、
地獄に行っている人に届いて、閻魔さんから
勲一等を許されて、いいところに行けるとか、
七回拝んでもらったら、もう少しいいところに
行けるとか教えているのがありますが、
これも真っ赤な嘘です。
そんなことがあるはずがありません。
お坊さんには怒られますが、神理は枉(ま)げることは
できません。
お坊さんが何とおっしゃろうと、
神父さんが何とおっしゃろうと、関係ありません。
神理はただ一つです。
私の口を通して語っていただくことは神の声です。
お坊さんが反対しても神様は正しいのですから、
どうしようもありません。
間違っていたら駄目です。
~ 感謝・合掌 ~