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浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

得るものも失うものも無き我れに
何を恐れん我れ神の中

「御垂訓」

2018-08-22 12:26:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご講演ラジオ放送より

心の扉―1

主題:苦しみは自分の心の中から生まれる

 
自分が物を買えるだけのお金を持っていて、
しかも買いたいものを売ってくださる人がいる。
こうした世の中の主張は人と人との
出会いや約束事に対する感謝の気持ちは
大事なことです。

お金を払ったからと言って、済むことではありません。
誰もが私利私欲だけで動いていれば社会は混乱し、
破局を迎えます。
心ある人が心ある仕事をしてくださるから
世の中は動いていくのです。

いくらお金を持っていても、
多くの人々の力なしには、
生きていけません。
そこに感謝の心が生まれるのです。
人の心は不思議なことに、
一度に一つのことしか思えないのです。

私は器用だから一度に二つ思える、と,
言われるかもしれませんが、
そんなことはありません。
ああ、楽しいな、悲しいな、とは思えません。
腹が立つな、幸せだな、とも思えません。


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「御垂訓」

2018-08-22 00:06:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   ~ 恩師の「心行の解説」上巻より ~


      講演 四
 
「かくのごとく 万物すべて生命にして 
    エネルギーの塊なることを悟るべし」
先の続き・・・
今日お見えになっているあのお方も、
頸椎が狂っていまして、お医者さんから手術を
しなければ絶対に治らないと言われたのです。
手がしびれて感覚がなかったそうです。
水につけてもお湯につけても、
ものに触れても感覚がなかったのは、
神経の中でも知覚神経によるのです。
なぜ知覚神経が配線されているかと言うと、
例えばお料理を作っていても、
知覚神経がなければ痛みもないし、
熱いものも全く分からなくて、
指を切っても分からなくなって、
気が付いたら「あら指がなくなっている」と
いうようなことも起きかねませんが、
しかしちょっと切っても「ああ痛い」と反応して
指を守るために、この知覚神経は与えられています。
しかも神様は完璧です。

「痛い」と感じるだけではなくて、
次にさっと逃げるための運動神経を与えて下さっています。
「痛い」という瞬間に、
脳のコンピューター室に指を切ったということが伝わり、
「早く逃げろ」という命令が下るように、
この肉体の中にある神経一つ見ましても、
自分を守るために目に見ることのできない神経が
張り巡らされております。
これはまさに神業というほかありません。
この頸(くび)が脳のコンピューターの
配線の束になった根本のところで、
ここから下へくだって全身へ送られます。
上には上の神経が通っていて、顔面神経などがあります。

神経が異常興奮しますと、
ピクピク動いて止まらなくなります。
その神経がちゃんと調和されているのです。
神経一つ見ましても、
私たちの肉体を守るために与えられていますから、
五官というものが肉体を守るために道具で
あるということを知りました時に、五官を通し自己に、
自分を守る立場でものを見たり聞いたりしますと、
必ず自己保存と自我我欲という色眼鏡が
かけられているということが分かります。
あくまで五官は自己を守る道具であり、それと同時に、
この五官の感官こそが悪魔の正体であります。
では、この悪魔からどのように離れ、
悪魔を征服するかというと、
自分の見方から離れて、
常に相手の立場に立って見る練習を積むことです。

相手の方の立場だけになりますと、
これは相手に片寄る場合もありますから、
善意なる第三者の立場、自分にも相手にもつかない、
全くの悪意のない善意の第三者の立場、
つまり公平な神の立場に立って、
自分と相手をよく観察しますと、
その時自分から離れたものの見方ができるはずです。
これが中道の調和された見方になります。


     ~ 感謝・合掌 ~


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