経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

知財の‘実需’

2008-12-24 | 企業経営と知的財産
 一昨日のトヨタの営業赤字のニュースをはじめ、暗いニュースが本格的に蔓延してきてしまいました。金融の世界で起こった信用収縮が、ついに本格的に経済の収縮に及んできてしまっているようです。知財業界についても、こんな恐ろしい記事が出ていたりしますが、目の前の問題に対処していくこととあわせて、今の大きな経済環境の変化をどのように捉え、どのように対応していけばよいのか、中・長期的な視点で考えることも重要になってくると思います。

 今回の金融危機から始まる世界経済の悪化の引き金となったのはサブプライムローン問題でしたが、これは要するに、投資銀行業務が行き過ぎて、信用力の乏しい本来お金を出してはいけないところにまで突っ込んでしまい、それが破裂してしまったというものでした。一昔前の金融業務は、融資先を十分に審査し、その融資先からしっかりお金を返してもらうという地味な業態が中心でしたが、世の中の変化の速度が速くなり、審査で将来を予見することは難しくなった。そこで出てきた手法が証券化・流動化で、金融機関自身が与信リスクを抱え込むのではなく、それを小口に分散して多くの投資家でシェアすることで資金提供を可能にする。それはそれで優れたモデルだったのですが、金融機関の役割は、しっかり審査して自らがリスクを負うという立場(いわゆる商業銀行)から、投資家にリスクを配分するコーディネーターの立場(いわゆる投資銀行)に変質していった。そういうモデルだと、たくさん商品を組成して販売したほうが儲かることになるから、与信判断はだんだん緩くなり、本来なら与信が不可能なところにまで資金が提供されるようになっていく。そうした資金で住宅や自動車が購入され、実需以上の需要が創造され、その需要にあわせて住宅関連や自動車関連の産業が成長していった。その根元にあった仕組みが崩れ落ちてしまったことにより、これらの産業での需要が突然減退し、今のような状況になってしまった、というのが大まかな流れであると思います。要するに、これは在庫調整とかいったレベルの不況ではなく、実需以上に膨らんでいた贅肉をそぎ落とし、本来の需要に合ったレベルにまで経済規模が縮小する大幅な調整過程に入っているということなのではないでしょうか。経済状況の変化は、設備投資から順に、やがてサービス業にも及んでいきますから、この贅肉を落とすための調整過程は知財業界にもこれから本格的に影響してくるのでしょう。
 このようにある産業が成熟する(膨らんだ部分が減るだけ今の状況は‘成熟’より厳しいですが)一方で、人間に欲求がある以上は必ず新しい需要が起こってくるはずです。そこを掘り起こして新しい‘実需’に基づいた経済を再構築していくこと、民間ベースで難しい時には政府がそれを牽引していくことが本質的な‘経済対策’であると思うのですが(アメリカの新政権はその一つをクリーンエネルギーと見定めて前倒しで資金を投下していくようですが)、マクロの話はさておき、経営共創基盤CEOの冨山氏のコラムでは、これからの企業経営のキーワードとして、次の4つを挙げています。
  ワン&オンリー、ローカリティー、ユニークネス、差別化
 詳細はコラムをお読みいただくとして、こうした高付加価値・差別化戦略の下では、大量生産・価格競争型のビジネスモデルに比べて、知財業務に対する‘実需’は必ず拡大してくるはずです。但し、それが単純にハッピーなシナリオに結び付くものではなく、‘実需’の伸びが‘仮需’による贅肉の減少分を上回るかどうかが定かでないとともに、クライアントが置かれている厳しい競争環境下での‘実需’に対するサービスのあり方が、これまでと同じものでよいはずがない。それは、先のビジネスiの記事に書かれているコストダウンのような従来の考え方の枠内にある話ではなく、「企業の高付加価値・差別化戦略においてどのような貢献ができるか」という根本的なところから考えていかなければならない問題であるように思います。

8:2の割り切り

2008-12-23 | プロフェッショナル
 報道ステーションの松岡修造のスポーツ特集のコーナーで、JRAの三浦皇成騎手がとりあげられていました。武豊の新人騎手最多勝記録を21年ぶりに更新した天才騎手とのことですが、松岡修造が興味深いコメントをしていました。
 競馬は、馬:騎手の貢献が8:2と言われているらしいのですが(なんか、知的財産と知的財産権の関係みたいでちょっと反応してしまいましたが)、三浦皇成騎手の優れているところは「割り切り」にあるとのこと。100%自己責任のテニスと違い、競馬の場合は騎手の努力の効果には限りがある。うまくいかないときには、普通であれば‘8’の部分のせいにして愚痴りたいところを、自分の力が及ばない部分はそういうものだとしっかり割り切って与えられた‘2’の部分で最大限の効果を発揮できるように努力をしている。
 これって、知財の仕事にも通じる部分があるように思います。プロの仕事には割り切りが肝心か。

勝手知的創造サイクル

2008-12-19 | 知財発想法
 やれ知財戦略だ、金融だといった話をしていると、同業者の方から、
「土生さんは、知財の‘活用’まで関わっているのですか?」
と聞かれることがあります。おそらく「創造⇒保護⇒活用」の知的創造サイクルに当て嵌めてそう思われたのでしょう。この「創造⇒保護⇒活用」、私には以前からどうにもピンとこないので、こう問われると何と答えていいのか苦慮してしまうことになります。
 で、先日のエントリに書いた「意志⇒発明⇒特許」の勝利の方程式から、どうして「創造⇒保護⇒活用」に違和感があるのかがわかりました。この知的創造サイクルには、「意志」がないのです。正確には、「ない」というよりは「活用」の部分で「どうするか」という経営の意志が表れてくるということになるのでしょう。だとすると、これは企業経営の実態の多くのパターンに対して、順番が逆になっているのではないでしょうか。経営の「意志」に基づいて「創造⇒保護」をすれば、それは当然に「活用」されていることになるはずだからです。だから、「活用」というのはこの流れからすれば当たり前の話であって、「活用」を考えなければならないような知的財産が生まれてくること自体、経営の意志はちゃんと反映されてるの、ってことになるのではないかと思います。言い換えれば、「休眠特許を活用する」ことが必要なのではなく、「休眠特許を作らない」ことが本来の目指すべき姿であるといえるのでしょう。「意志⇒創造⇒保護」の知的創造サイクルなら、スッキリします。尤も、「創造⇒保護⇒活用」は国家戦略レベルでオーソライズされたスタンダードですから、勝手知的創造サイクル、ってところですけど。

※ 今回の写真も本文とは関係ありません(先日久々に訪ねた奈良の元興寺です。元興寺は蘇我氏の建立した飛鳥寺が平城京に移設されたもので、今の猿沢の池から奈良町くらいまでを占める大きな寺だったらしいですが、点線で描かれた昔の敷地の中の一角に残された現在の極楽坊の地図を見て、「クレームの減縮」なんて思ってしまうのは仕事のし過ぎか・・・)。

お知らせ

2008-12-18 | お知らせ
 お知らせ2件です。

<その1>
 ディー・ブレイン・コンサルティング様の公開講座(1月21日)で、「企業評価における知的財産の視点」について講演します。9月にUBS証券様の主催でファンドマネージャー・アナリスト向けに行ったセミナーの内容に、知的財産権に関する基礎知識の概説を加えたものとする予定です。

<その2>
 先日発売となった「合格へのバイブル 知的財産管理技能検定3級 完全対策講座」と連動した「知的財産管理技能検定3級 オンライン対策講座」を開設しました。このブログをお読みいただいている方と検定3級を受験生される方はあまり重ならないとは思いますが・・・インターフェイスものの一つとしてこんなことを始めてみました、ということで。

合格へのバイブル 知的財産管理技能検定3級 完全対策講座
土生 哲也
日経BP社

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意志があり、発明があり、特許がある。

2008-12-11 | 知財発想法
 先日のエントリで、事業として成功する多くのパターンは、
■ 「発明」ありきではなく最初にあったのは「決意」であった
■ 「発明」が生まれて新商品を開発したというより、経営者が「こういった製品を作る」という決意をして、そのために必要ないくつかの「発明」が生まれてきた
ということを書きましたが、知財活動で実際に事業の成果をあげておられるある方と先ほどまで話をしていたところ、まさにその部分の考え方が一致してスッキリしました。
 こういう商品を作りたい(サービスを提供したい)という意志があり、そのために必要な発明が生まれ、その発明を保護するために必要な特許をおさえる。
 ①意志 ⇒ ②発明 ⇒ ③特許
 この順序が大事であって、②や③から始めるものではない。①や②を置き去りにして③を云々するのは全くナンセンスとして、大学発ベンチャーや産学連携なんかがいろいろ苦労しやすいのは、出発点が②となることが多いからではないか。①は「ニーズ」と置き換えてもいいのでしょうが、ニーズが顕在化してから投資をしても手遅れであることが多いので(価格競争に突っ込むだけになってしまいやすい)、①は結局は仮説に基づいてエイヤッと腹をくくる「意志」ということになってくるのだと思います。
 ③の仕事をやるのに、まず②に遡ることが「発明発掘」とかいう世界になってくるのですが、さらに①まで遡ることによって、事業の中で知財が何をやるべきかというところが見えてくる=「仕事の質」(狭義の「特許の質」ではない)が向上するのではないでしょうか。マーケッティングもファイナンスも、結局は①からスタートしてそれを実現するために必要な手段として展開していくわけだから、経営や事業に即した知財活動のあり方というものは、①に遡れば自ずから見えてくるのではないかと思います。
 意志のあるところに投資あり、意志のあるところに発明あり、投資を回収するためにその発明こそ守るべきもの(=知財活動に投資する意味があるもの)、といったところです。

※ 今回の写真も本文とは関係ありません(先日久々に訪ねた奈良の新薬師寺です。古人の‘意志’を感じる素晴らしい仏像に息を呑みますが、薬師如来を取り囲む十二神将が強力な特許ポートフォリオに見えてしまうのは仕事のし過ぎか・・・)。

イタリアンスパゲティ

2008-12-07 | 知財業界
 一昨日、京滋知的財産権協議会様・京都発明協会様の合同特別セミナーで「企業に活力を与えるための知的財産戦略」と題してお話をさせていただきました。京都、滋賀にある企業の知財担当の方が定期的に集まられる会とのことですが、知財協さんをはじめ、企業間の機能横断的な交流が盛んなところは他にない知財分野の特徴です。そうした中で、「知財の仕事でどうやって企業にガツンと活力を与えられるか?」というお題をいただきました。
 で、セミナー本番では、関西に行くとついつい余談が多くなって時間が押してしまうもので、大事なレジュメの最後(本の宣伝部分を除く)のページをすっ飛ばしてしまいました。ここに書いたことは、
■ 知財分野の美辞麗句に酔うことなく、何がどう機能して、何に役に立つのかを十分に整理して考える。
■ 「経営課題」→「知財活動」→「課題解決」というループを作る。
■ 「知的財産権」は、「財産」というより、課題解決のために利用できる「道具」である。
■ 「道具」の使い方は、業界、事業環境によりケースバイケース。どのように利用するべきか、各々の現場で考え抜くしかない
■ 何よりも重要なのは、実践する仕組みを作り、実践すること
でしたが、要するに、外野席から‘事業戦略に即した知財戦略’だ‘三位一体’だなんていうことは簡単だ。そんなこと言われなくてもわかっていて、それをどうやって実践するかが一番難しい部分である(特に組織が大きくなり関係者が増えるに従って)。それを一つ一つ解きほぐして、実現可能な仕組みを作って回していくことが知財戦略の‘実践’であり、その役割は知財実務を知る者にしか担えない、我々が「知財活動→企業価値向上」のシナリオを実現していかなければならない、というのがここでのメッセージです。外野席から知財を見ていた私自身も、そう思って知財実務の世界に足を踏み入れてきたわけですから、これはキレイごとでもおべんちゃらでもありません。
 ところで、今回の会場は月桂冠大倉記念館というとても趣のある場所で、ホテルや貸会議室でやるセミナーとは違う雰囲気で、いい感じでした。さすが、京都です。

注)タイトル&写真はセミナー前の腹ごしらえで、本文とは関係ありません。

‘知財戦略’を言うことの矛盾

2008-12-01 | 企業経営と知的財産
 先日書いたヒアリングシリーズで、ある社長様が「‘知財戦略’とよく言われるようになって、特許が直接利益に結びついたり資金調達をできたり、っていった今までにない新しい話が出てくるのかと思ってたのに、自社の強みを特許を出して守るって、そんな私たちが普通にやってきたことでよかったんですか」といったことを仰られていました。「知財戦略」とか「三位一体」とかいった切り口が却って全体を見えなくしてしまうリスクについても書きましたが、効果的な「知財戦略」とは「事業戦略」の中で自然に実現されているものであり、殊更に「知財戦略」だけを取り出して云々することは、却って知財を事業や経営全体の流れから乖離させてしまうかもしれない、という矛盾。最近よくこうしたことを考える中で、宮崎駿監督のこのコメントを見つけました。

 宮崎監督は現在の子供達の環境がアニメ、ゲーム、携帯、マンガなどバーチャルなものばかり。そんなバーチャルなものが子供達から力を奪い取っている、と指摘した。そして、「自分達のアニメの仕事も同様で、それが自分達の抱える大きな矛盾。その矛盾の中で、何を創ればいいのか、いつも自分達に問い続けながら、映画を作っている」と語った。

 その矛盾の中でいつも自分達に問い続ける、おそらく、ここに一つのヒントがあるのではないでしょうか。
 子供達に本当に必要なものは、現実の世界で様々な感動を体験することである。しかしながらそうした体験を得にくい現代社会において、その体験が大切であることをアニメを通じて問いかけることができないか。宮崎監督は何も結論を語っていませんが、そんなことを考えておられるのではないでしょうか。
 三位一体、事業に即した出願を、といった知財戦略の原則論は当たり前のことであり、現実に重要なのはどうやって実践するかというオペレーションに関する問題、それこそが事実であると思います。ところが、そのオペレーションが複雑になり、作業負担が増すようになると、だんだんと手段が目的化して本来の原則論を見失ってしまうおそれが生じる。そのために、原則論をわかり易い形で示し続けることにも意味がある。少なくともそこはしっかり認識しておかないと、「今さら何を当たり前のことを言っているの」となってしまい、「知財戦略」を云々する意味は失われてしまうのでしょう。