経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

知的財産とは何か

2010-05-30 | 知財一般
 前に‘審ビジネス眼’のエントリで、その時代を知れば建築物に込められたものが美しさとして伝わってくる、みたいなことを書きましたが、似たような話をちょっと違う角度から。
 遷都1300年ということで復元された平城京の第一次大極殿には、四神と十二支の壁画が描かれているのですが、その壁画を描いた日本画家の上村淳之氏が、テレビのインタビューで次のような話をされていました。
「自然の中に神を感じる、そういう世界を感じて描かないと、神が宿る青龍(四神の一つ)は描くことはできない。それは見る人には必ず伝わって、思いが深まっていなければただの竜になってしまう。神を感じられるところまで思いを深めるのが一番難しくて、そこを超えると描くのが楽しくなってくる。この建物が何年ここにあるのかはわからないけれども、1000年以上も恥をかくことにならないように、頑張らないといけませんね。」
 ちょっと話は変わりますが、龍馬伝を見ながら「岩崎弥太郎は一体何をきっかけにブレークするんだろうか?」というところが気になっていたのですが、先週ようやくその兆しが見えました。そしてそのキーになるのは、商品を売るのに「気持ち」を込める、ということだったようです。
 さらに話は変わりますが、こちらもいつブレークするのだろうと気になっているゲゲゲの女房の水木しげるですが、夢中になって漫画を描いている水木しげるを見て、ゲゲゲの女房が「こんなに気持ちを込めて描いているものが、人の気持ちに届かないはずがない」、だからいつか成功するはずだ、と感じるシーンがありました。
 いずれにも共通するのは、いささか精神論・宗教チックになってきますが、気持ちを込めて作ったものは相手に伝わる、ということです。

 翻って経済社会に目を移してみると、先週末にまた大行列ができたアップルストア。
 似たような商品があってもなぜアップルか、ブランド力といえばブランド力なのですが、やっぱりそこには作り手の気持ちが顧客に強く伝わり、共感を得られているという側面があるのではないでしょうか。同じスマートフォンであっても、作り手の気持ち・動機が「アップルに対抗する」ということにいってしまっていれば、顧客としてはそんなことに共感したいわけではない。それより、アップルと一緒に未来をみてみたい、というのが顧客の自然な思いなのでしょう。

 大反省モードの経済となってから、企業理念が大切だということがよく言われます。でも、企業理念が商品として売れるわけではなく、その企業理念から生まれた商品やサービスが顧客に受け入れられることによって、はじめて企業が成り立つわけです。つまり、企業理念が込められた商品やサービスを作ること、そしてその商品やサービスが顧客に選ばれることによって企業の競争力は高まるわけで、その裏では、商品やサービスに込められた企業理念が顧客に伝わり、顧客の共感を得ているということではないかと思います。
 そうすると、企業にとっては、企業理念を具現化した商品やサービスを開発すること、そして、その商品やサービスに込められた企業理念を顧客に届けることが求められることになります。

 そこで、企業理念を顧客に使える媒介としてはたらくのが知的財産です。知的財産というのは、よりよい商品を作りたい、よりよいサービスを提供したいという気持ちから作り出されるものであり、企業理念が具体的に表現されたものともいえると思います。そうすると、その知的財産に込められた企業の思いを顧客に確実に届けること、企業理念を顧客に届けるルートを整えること、これが知的財産に関する仕事の本質なのではないか。だから、理念なき紛い物が混じることによって顧客に届きにくくなっているのならば、それはやはり排除しなければならないし、自分の力だけで顧客までのルートを開けないのであれば、むしろ顧客との接点をもつ人達に積極的に開放していったほうがよい。目の前まで来ていても顧客に気づいてもらえていなければ、PRに重点を置く。そこはいろんなケースがあって然るべきなわけです。
 ちょっと中途半端な終わり方ですが、今日はそんなところで。

智、情、意

2010-05-11 | その他
 昨日書いた渋沢栄一の「論語と算盤」から、もう一つ。

 人の心には「智、情、意」の3つがあって、人間社会で活動して成果をあげるには、この3つが調和しなければならない、とのことです。
 「智」(知恵)ばかりで「情」(情愛)に欠ければ、自分の利益のためならば他人を蹴飛ばしてもかまわないとなってしまい(知恵があるだけに極端に走ってしまう)、それでうまくいくはずがない。
 かといって「情」(情愛)ばかりだと感情に流されてふらふらしてしまうので、強い「意」(意志)によるコントロールが必要である。
 一方で「意」(意志)ばかり強くて「智」(知恵)や「情」(情愛)が伴わないと、ただの頑固者になってしまう。
 だから、この3つのバランスがとれていないと社会の役には立てない、ということだそうです。

 では、知財活動で成果をあげる、知財活動をとおして会社(or顧客)の役に立つためには何が必要なのか。

 「智」にあたるのが実務面の知識やスキル(知財実務)、「意」にあたるのが戦略思考(知財戦略)であるとするならば、この2つについては、いろいろな情報が提供され、議論もされてきています。それでは「情」にあたるものとは、一体何なのでしょうか。
 論語と算盤では、「情」とはバランスを保つための一種の緩和剤と説明されていますが、これは「智」や「意」以上に抽象的で掴みにくいもので、実務や戦略のように他から学ぶことが難しく(知財業界でそこを伝えようとされているのは最近「コミュニケーション」を強調されている的場先生くらいではないでしょうか・・・)、個別性の高いものなのでしょう。最近このブログでも、止揚だ、審美眼だと抽象的なことを書いていますが、たぶん「情」の部分にあたる要素は‘知財’と名のつく情報の中には見つからず、自分でどこかから探してこなければならないのだろうと思います。

「企業における知財の意義」のインタビュー記事のお知らせ

2010-05-10 | お知らせ
 先日ご紹介させていただいた月刊誌「発明」の「企業における知財の意義」のインタビュー記事ですが、5月号に掲載いただいた後編のほうもPDFで公開させていただけることになりましたので、前編とあわせてご一読をいただけると幸いです。

 話は変わりますが、渋沢栄一の「論語と算盤」、時が過ぎても物事の本質は変わらないということを確認できて、とても面白いです。
 たとえば、「志」と「振舞い」についてのこんなくだりですが、

 思うに人の行為がよいのか、それとも悪いのかは、その「志」と「振舞い」の2つの面から比較して、考えなければならない。「志」のほうがいかに真面目で、良心的かつ思いやりにあふれていても、その「振舞い」が鈍くさかったり、わがまま勝手であれば、手の施しようがない。「志」において「人のためになりたい」としか思っていなくても、その「振舞い」が人の害になっていては、善行とはいえないのだ。・・・

 何か今の新聞の社説にでも、そのまま使えそうな感じです。
 これをちょっとアレンジしてみて、

 思うに知財活動が会社の役に立つのか、それとも立たないのかは、その「戦略」と「実務」の2つの面から比較して、考えなければならない。「戦略」のほうがいかに真面目で、革新的かつ素晴らしいと賞賛されていても、その「実務」が鈍くさかったり、的外れであれば、手の施しようがない。「戦略」において「企業経営に貢献したい」としか思っていなくても、その「実務」が企業の害になっていては、役に立つ活動とはいえないのだ。・・・

なんて、ちょっと違うか、、、

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)
渋沢 栄一
筑摩書房

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