経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

活かすべきは「休眠特許」ではなく「開放特許」

2013-09-22 | 新聞・雑誌記事を読む
 今朝の日経の社説は、珍しいことに知財ネタ、さらに珍しいことに中小企業関連のネタです。
 「休眠特許で中小企業を元気に
 こうしたコンセプトが言われるのは今に始まったことではありませんが、これに対するよくある批判は、「『休眠』しているのには『休眠』せざるを得ない理由がある。それを大企業が中小企業に押し付けようとしても、うまくいくはずがない」という説です。かく言う私も、基本的にはそちら側に近い考え方でした。
 一方の賛成派に言わせると、これが「いや、大企業にとっては市場規模が十分でないために事業化できず、休眠せざるを得ない特許であっても、中小企業であれば魅力のある事業になり得ることがある。そうした理由で休眠している特許を中小企業に提供すればよい」という話になります。確かに理に適った説のようにも聞こえるのですが、そこには主役となるべき中小企業の「意志」に対する思慮がない。自分がやりたいと思って考えてきたたわけでもない、他人が要らないから使っていいよ、なんて言っているものに、中小企業が体を張って頑張っていくことができるのだろうか? リアルな事業は、そんな机上の空論だけで動くようなものではありません。

 さて、今年度はある調査事業に関わらせていただき、こうしたプロジェクトを成功させるためのポイントについて、いろいろ検討を始めています。まだスタートしたばかりではありますが、上記の両説はいずれもコンセプトについて表面的に論じたものにすぎず、実績をあげている川崎市産業振興財団さんの詳しいお話を伺ったりすると、まだ十分には伝わっていないと思われる、事の本質がいくつか見えてきています。本日はその中から、特に重要と感じているポイントを3点ほど。

(1) リスクの担い手である「中小企業」の立場で考えること。

 なにもこの件に限ったことではありませんが、リスクの担い手が誰であるのか、失敗のリスクは誰が負うのか。まずはリスクの担い手の立場に立って考えることが必要です。リスクの担い手にとってリスクをとるだけの価値がないことには、主役であるプレイヤーが動き出すはずもありません。
 たとえば、以前によく話題になった知的財産の証券化。知的財産の保有者には資金調達手段の多様化につながるというメリットがあり、コーディネートする証券会社や評価事業者もそこでフィーが稼げるのだから悪い話ではありません。ところが、このスキームでリスクの担い手となる投資家にとってどうなのか。いくら証券化してもよい知的財産が存在し、ストラクチャーの研究に熱心な人が集まっても、リスクの担い手となる、その証券を購入する投資家が「欲しい」と思わないことには始まらないのです。様々な投資対象がある中で、なぜ知的財産なのか。リスクの担い手の意志を横に置いておいて、資金調達をしたい、コーディネートをしたいという側の都合だけでその意義を論じたところで、現実的な動きにつながるものではありません。
 この話についても同じことで、実際に事業化を進め、製品開発や生産設備に資金を投下し、在庫のリスクを負うことになるのは、大企業でもコーディネーターでもなく中小企業です。その中小企業が、リスクをとってでもやってみたいと思うものでなければ、事業に結びつくはずがありません。大企業側の「休眠資産を有効活用したい」という事情がスタートラインであれば、それは押しつけ、‘パテハラ’であって、本末転倒です。そういう意味では、出発点が「休眠特許」であってはいけない。「休眠」かどうかは大企業の都合による分類であって、中小企業側には関係のないことです。事業の主役となる中小企業にとって重要なことは「使ってみたい特許」であるかどうか、そこにつきるはずです。大企業側から分類すれば、「他社に使わせることが可能な特許」か否か、つまり開放特許であるか否かが重要なのであって、それが結果的に休眠特許であったとしても、休眠しているかどうかは本質的な問題ではありません。
 川崎市産業振興財団さんのプロジェクトでライセンスの実績が出るようになっているのも、こうした面をよく考えて活動を続けられていることが大きいと思います。対象となる特許は、「休眠特許」として切り出されたものではなく、中小企業が利用可能な「開放特許」です。また、単にコンセプトを打ち出し、開放特許のリストを提示するといった形だけの取組みでもありません。このプロジェクトに限らず、日頃からの財団や川崎市の中小企業担当の皆さんの中小企業を訪問する地道な活動がベースにあり、各々の中小企業の現状とニーズを的確に把握しているからこそ、効果的なマッチングが実現できている。そこが見落としてはならない、最も重要な部分です。
 休眠特許をどのように活用するか、ではなく、中小企業に有効な特許をどのように見つけてコーディネートするか。そういうアプローチで取り組むことが、何よりも重要なポイントであるのだと思います。

(2) 直接的な売上げ等の目に見える効果ばかりに囚われないこと。

 大企業の開放特許を活かして製品開発を進めることで、これまでは下請け一筋だった中小企業が「自社製品」を持つことができる。そしてその「自社製品」の売上げが顧客の海外移転等の影響による下請けの売上減少を補い、中小企業が生き残ることができる。おそらく典型的な成功シナリオとしては、こういうストーリーがイメージされるのでしょう。
 しかし、自社製品を世に出したからといって、それがそんなに簡単にヒット商品になって自社の収益を押し上げてくれるほど、世の中そう甘くはありません。そこだけに結果を求め、開放特許を活かした製品の直接的な売上げだけで成果を測ろうとすると、もっと根本にある大切なことを見失ってしまうのではないか、と思うのです。
 もちろん、最終的にはその成果が数字に表れ、中小企業の生き残りや成長に資するものとならなければ、リスクをとって踏み出す意味がありません。しかし、成果が表れるまでのシナリオは、もっと多様なのではないでしょうか。目に見えやすい数字の変化を支える背景には、目に見えにくい体質の変化があるはずです。受け身から攻めへの企業の体質の変化、黙々と作業をする現場から積極的な提案が行われる現場への変化。仕事に対する姿勢が前向きになり、自社のポテンシャルに対する自信が育まれる。そうした変化を生じさせることができれば、開放特許を活かした製品だけに成果を求めなくても、従来の下請業務でも積極的な提案によって受注が拡大して、収益基盤が強化されるかもしれません。また、大企業の技術を活用して新しい製品を生み出した事実が、会社の信用力や注目度を高めることに効果を発揮するという側面もあります。
 大企業側のメリットについても同じことが考えられます。ライセンスの対象になった特許から得られる収入だけに目をむけると、おそらく大企業にとっては微々たるものであり、数字だけを考えると開放特許を中小企業に提供する取組みになかなか意義を見出すことはできないでしょう。それ以外の部分、中小企業とのネットワークを広げて新しい事業の可能性を探る、ライセンスを通じて関係のできた中小企業にどんどん自社のファンになってもらう、さらにはこうした取組みに積極的な大企業の企業イメージが向上するといった間接的な効果にも目を向けて、どれだけ意味のある取組みにしていくことができるか。そこにも何らかの価値を見出せないと、大企業側の協力を引き出すことが難しくなってしまうはずです。そのためには、「あの会社は地域の中小企業のためにも汗をかき、協力的でよく頑張ってくれている」と数字以外の部分にも目を向けて、頑張ってくれている大企業をしっかりと周囲が評価し、リスペクトすることも大切なのではないでしょうか。

(3) なぜ「特許」であることに意味があるのか?

 「特許=製品」というわけではない、特許のライセンスを受けられるといっても製品を構成する技術要素の一部を実施することが許されるということに過ぎなくて、それで直ちに製品開発が実現できるわけではない。中小企業が求めているのは、自社製品を開発して新規事業が立ち上がることであって、特許のライセンスはそのために必要になることがある(場合によっては必要ないことすらある)パーツの一つに過ぎないのではないか。それをあたかも特許のライセンス=新規事業のように言われることに、特許の専門家であれば、何か引っ掛かりを感じることはないでしょうか。
 私自身もそういう違和感が否めない部分があったのですが、「特許」にフォーカスすることの意味がいくつか見えてきました。
 一つは、大企業と中小企業が結びつく際の、わかりやすいつなぎ目になるということです。両者が提携することの意味が「特許」という形で見えやすくなり、対象が明確なので両者の社内におけるコンセンサスもとりやすくなる。支援する公的機関も、「特許」のように対象が明確なほうがテーマとしてとりあげやすい。多くの関係者が動かなければならないときには、ここは案外重要なポイントになるのではないでしょうか。
 もう一つは、特にライセンスを受ける中小企業にとって、大企業の「特許」技術を利用している、というシンボリックな意味です。どこにでもあるわけではない、最先端の「特別な」技術を導入し、そこに当社の技を加えて製品を作り上げた。これが中小企業にとって、オリジナリティに対する意識を育み、会社の体質を強化していく第一歩になっていくのではないでしょうか。

ポジショントークととられないために

2011-09-19 | 新聞・雑誌記事を読む
 日経ビジネス最新号に「企業に広がる『SNS疲れ』」という記事が掲載されています。企業はソーシャルメディアでの不規則発言や炎上など「SNSリスク」への対策に人・時間・お金を割かれる一方で、期待しているような宣伝効果は本当にあるのか、といった内容です。結構考えさせられる記事ですが、その中でソーシャルメディアの活用を支援してきた専門家の、「ソーシャルメディアがすごいすごいと発言している方は、その多くが(ソーシャルメディア自体を収益源とするなどの事業を担っているがゆえの)ポジショントークです」いう発言が紹介されています。
 15年ほど前に知財担保融資の立上げを担当していた頃、「担保評価のための知財価値評価、うちに任せてください」なんて売込みがあった後に、「彼らは評価を請け負えばそれで稼ぎになるけど、実際にリスクを負うのはこちらですし。価値評価ができるって言うんだったら、一緒にリスクを負担するくらいの覚悟は見せて欲しいですね」なんて上司に話したような記憶が蘇ってきましたが、そこを収益源とする業者が「すごいすごい」と主張してもどうしてもポジショントーク(狭義には金融用語ですが自分のポジションに有利になるようことを狙った発言という意味で)と思われてしまいがちです。
 そういう意味では、知財業務を請け負うことを業とする我々の立場から「経営者に知的財産の重要性を理解してもらうことが・・・」なんて述べることには、個人的にはとても違和感があります。重要かどうかを判断するのは経営者であって、我々ではない。我々にできること・すべきことは、「知的財産の重要性を理解させること」ではなく「知的財産の様々な働きや可能性を事実に基づいて的確に説明すること」、そしてその働きや可能性を引き出すことであると。まぁ、営業とはそんな甘っちょろいものではない、っていうのが現実なのかもしれませんが。

職場環境はブランドか?

2011-06-25 | 新聞・雑誌記事を読む
 日経ビジネスから気になった記事を1つ。「敗軍の将、兵を語る」を読んで初めて知ったのですが、「千円札は拾うな。」で知られるワイキューブが3月末に民事再生法の適用を申請していたそうです。他人の失敗を後付けであれこれ批評するのは悪趣味なので好きではありませんが、最近自分がよく考えることとの関係で、どうしても気になる点がありました。
 このコーナーは「敗軍の将」本人が失敗の原因を振り返って書かれた(語られた?)ものなのですが、ワイキューブの失敗の主因は、「借りられるだけお金は借りろ」「無駄金を使え!」というポリシーに基づいた無謀な借入れにあったとのことです。こうやって書くといかにも浮ついた放漫経営という感じですが、ただ意味もなくお金を使っていたわけではなく、優秀な人材の確保→快適な職場環境の提供→優秀な人材が能力を発揮→業績拡大、というシナリオを描いていて、世間から注目を集めるようなオフィスや福利厚生の充実(ビリヤード台のある社員専用バー、社内にパティシエが常駐etc.)に思い切って投資をしたとのことです。
 安田社長はこうした支出について「・・・会社のブランド力向上のためにどんどん投資しました。」と説明されているのですが、ここがどうしても気になる部分です。ここで言う「ブランド力」というのは何なのだろうかと。本来、ブランド力というのは企業の提供する商品やサービス、あるいは企業そのものが顧客を惹きつける力であり、顧客を惹きつけられるからこそ、ブランド力の向上は企業の収益、競争力にプラスになるものなのではないか。あの会社はオフィスがカッコいいし、福利厚生が充実していていいなぁとかいうことは、企業のイメージアップにつながることはあるかもしれないけれども、顧客と企業を結ぶラインには直接関係ない。何となくカッコいいことをひっくるめて「ブランド」と誤解してしまうことは恐ろしい、ブランドというのは顧客と企業との結びつきであるということをよく心しておくべし、なんて思う次第です。
 また、最近「会社の体温を上げる」という表現をよく使っているのですが、このケースに当てはめてみて、オフィスがカッコいいことやバーがあることは会社の体温を上げることにつながるのであろうか。会社の体温を上げる、つまり社員の当事者意識が高まり活動が活発化する動機付けとなるのは、やはり仕事の中味そのものでであって、職場環境は「体温を上げる」という点に関しては副次的なものであるはずです。仕事に誇りがあるからこそオフィス環境の良さもよい仕事を引き出すインフラになるというか、体温を上げる着火剤になるのは仕事の内容や企業の理念であって、環境を整えるということは温度を下げない保温材みたいな位置づけではないかと。そういう意味で、この記事は保温材の話ばかりで着火剤が何であったのかが語られていない。「体温を上げる」という視点からは、そこがとても気になりました。

<お知らせ>
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自分の軸をもつ

2010-11-08 | 新聞・雑誌記事を読む
 日経ビジネスの先週号に紹介されていた、千葉ロッテ・井口資仁選手の「二塁手論」を読んでみました。スペシャリストとしての道を模索されている方には、これはかなりお薦めです。知財の仕事も、野球で言えば二塁手みたいなイメージがありますし(って、勝手に思っているだけですが)。
 大学球界から鳴り物入りでプロの世界に入ったものの、3年間伸び悩んだ井口がブレイクするきっかけとなったのが、盗塁王という目標をたてたことと、二塁手へのコンバートだったそうです。これによって、それまでは漠然としていた目標が具体化されることによって努力のプロセスが明確になり、これまで見えなかった側面から野球が見えるようになった。例えば、盗塁のために投手の癖を盗む努力をしたことが、それまで悩んでいたバッティングにも好影響を与えた、といった話が紹介されていますが、具体的な目標を設定すること実際に自分が違う立場に立って見直してみることの必要性は、我々の世界にもそのまま当てはまるように思います。
 また、他人(ここではその他人がプロフェッショナルであるとの前提ですが)からのアドバイスを有効に活かすためには‘自分の軸をもつ’ことが重要で、軸がなければその真意が理解できずに振り回されるだけで、その軸も日々見直しながらブラッシュアップしていくことが必要であるとも。他人のアドバイスを活かしきれない、あるいはその価値が理解できないのは、‘自分の軸’がしっかりもてていないせいかもしれません。そして、‘自分の軸’をもつためには、短所を直そうとするより長所を伸ばすことが肝心であると。この話は、先日紹介したビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業」にも通じるものがあります。
 それ以外にも思わず「なるほど」と言いたくなるエピソードが盛りだくさんです。但し、野球に興味がない方には、ちょっと理解しにくいかもしれませんが・・・。

二塁手論―現代野球で最も複雑で難しいポジション (幻冬舎新書)
井口 資仁
幻冬舎

「帰っちょれ」と言われないために。

2010-11-02 | 新聞・雑誌記事を読む
 今日は甲府までの往復の列車内で日経ビジネスに目を通していたのですが、TPP、特会の仕分け、EVといった記事を読んでいると、今という時代は社会の大きな変革点にあるのだということを改めて感じずにはいられません。龍馬伝で、龍馬が弥太郎に「これから時代が大きく動くから、おまんは土佐に帰っちょれ」みたいなことを言ったシーンがあったように記憶していますが、まさにあんな感じです。「帰っちょれ」と言われないように、やっぱり日経ビジネスはちゃんと読んどいたほうがいいなぁと。そんな今週号の中から、気になった記事を2つほど。
<その1>
「シャープ、加速する構造転換」という記事です。GALAPAGOSのことは新聞記事などでもよく報道されていますが、もはやハードだけでは差異化が難しく、収益性が低いという前提で、シャープはコンテンツ配信などのソフト事業への構造転換を進めている、という視点から解説されています。家電分野だけでなく、太陽電池でも単品売りから電力卸売に脱却しようとしているとのこと。中小企業へのヒアリングから、知財権のあり方は事業モデルによって規定される、と感じることが多いと先日書きましたが、シャープのような大企業で大きな事業モデルの転換が進められているときに、知財戦略・知財活動についてはどのような議論がされているのか、そして、これまでと違った考え方や動きが生じているのでしょうか。「投資家情報」の記述からは何もわかりませんが、ソフト事業への構造転換は知財活動にどのような変化を生じさせるのか、大変興味深いところです。
<その2>
 エコカーに関する特集で、ホンダのインサイトの開発に関する記事ですが、リッター1kmの燃費を向上させるために、「『空気の気持ちになって考えろ』を合言葉に、空気抵抗を減らそうとガソリン1リットル当たり10mずつ燃費を改善するようなアイデアを約100個考えた」との話が紹介されています。知財を創造する側がここまでやっているのだから、知財をマネジメントする側だって地道な積上げを惜しんではならないなぁと。中小企業の知財活動のあり方を追求するなら、社長100人の話を聞きにいくくらいの気合が必要ですね・・・(笑)。

商品生態系&一隅を照らす

2010-09-24 | 新聞・雑誌記事を読む
 田坂広志氏のメルマガにリンクが貼られていた記事です。
もう一段高いレベルのものづくりで日本型経営の復権を
 商品の価値を決める要因が、「単品」としての価値から「商品生態系(エコシステム)」への価値へと移行しているので、企業は発想を転換しなければならない、というのが主題です。
 表現の仕方はいろいろありますが、特にここ数年、商品の優位性だけで勝負する時代は終わり、ビジネスを生態系(エコシステム)として捉えようとする考え方を目にすることが多くなっています。ビジネスの競争力を決定する要因が、商品単体から生態系(エコシステム)へとシフトしていくならば、最近このブログにもよく書いているように、知財活動に求められることが‘他者を排除する’方向から‘他者とつなぐ’方向へシフトしていくのは必然であるのかもしれません。
 では我々が提供する知財サービスはどうなのか? 「単品」(出願や調査etc.)の限界は明らかになってきているものの、次に来る「生態系(エコシステム)」とは何なのか? 「異業種連合」をすればよいというものでもなく、そのスキルをなかなか「他で使える」ものでもなく・・・そこは簡単には見えてきませんね。
 そしてこの記事ではもう一点、「一隅を照らす」の例で挙げられている弁当屋さんの話が気になります。知財の仕事にも「社会においてこういう役割を果たしているのだ」と思えるものがあればよいなぁと。7つの知財力の‘おわりに’にも書きましたが、最近は「知的財産に込められた企業の思いを顧客に届けること」なんて定義して、自分では納得していますが。

久々に爽快な記事

2010-06-29 | 新聞・雑誌記事を読む
 今週の日経ビジネスに掲載されている‘日本一楽しい職場’の特集、久々に爽快感の残るいい記事を読みました。知財とは全く関係はないのですが、「こういう風に働けるのはいいなぁ」と、ちょっとばかり感動系です。

 知財の仕事って、紙と向き合う無機的な作業が多かったり、権利がぶつかり合うと争わざるをえない場面があったり、その他にも諸々あって、そういうことが好きでもない限りは、なかなか「楽しく」は働きにくい性質のものであると思います。そうした中で最近よく考えるのが、そういう知財の仕事というのが、経済社会にとってどういう意味をもっているのだろうか、ということです。これは、企業にとって知財活動に取り組む意味ということではなく、一人の職業人として経済社会にどういう影響を与えているのかという意味でです。その部分で、自分の仕事が経済社会の発展や調和にプラスにはたらいている、という定義付けができていないと、どうしても荒んでしまうし、心底「楽しい」とは感じられないと思うからです。
 そんなこともあって、先日のエントリでは、知財の仕事の本質を「知的財産に込められた企業の思いを顧客に確実に届けること、企業理念を顧客に届けるルートを整えること」って定義してみたのですが、どういう動機付けで取り組んでいるかということは周囲の空気を作り出していくし、知財の仕事を担う組織や個人のミッションを再確認することも、結構重要だったりするのではないでしょうか。

市場布知財

2010-01-10 | 新聞・雑誌記事を読む
 新年最初の出張先が岐阜だったので、仕事後に金華山に登ってきました(ロープウェイ乗り場近くには、あのO国際特許事務所の大きな看板が)。そう思ってみるからかもしれませんが、足下に長良川、その先には木曽川(私事ですが下流で合流する三角州には「木曽を容れ長良を入れて花の水」という祖父の句碑が建っています)、濃尾平野と伊勢平野が広く見渡せる風景は、普通に‘景色がよい’のとはちょっと違って見えたりします。この景色見て、信長は天下布武を心に誓ったのか。年の初めからいいものを見ることができました。

 さて、金華山にある岐阜城は断崖絶壁の上に建っていかにも難攻不落といった印象ですが、城の守りで思い出すといえば、天守閣=知財を守る堀や石垣=知財権、です(かなり強引な展開ですが・・・)。昨日の日経夕刊には、三菱重工の発電用風車がGEの特許侵害なしと米ITCが最終決定した、というニュースが一面に取り上げられていました。それは(知財的には)よかったですね、という話ですが、3面の関連記事によると、金融危機によって資金調達が困難になったことによる投資抑制に加えて、米国の電力会社が特許問題によって自らの発電事業に支障が出ることを懸念し、三菱重工への発注を手控え、今年度の受注は未だゼロということで、ビジネス的にはかなり深刻なダメージを受けているそうです。これで思い出したのが、以前にBlackBerryのResearch in Motionが特許侵害で差止命令を受けた話ですが、パテントトロールに612.5M$も支払うことになって大変な痛手を被りましたが、その紛争の間にもBlackBerryユーザはどんどん拡大していて、‘電子メールの利用に支障が出ることを懸念’といった影響はあまり(殆ど?)見られなかったようです。特許の内容そのものまで確認していないので一概には論じにくいのでしょうが、この違いからは、
■ 自己責任のエンドユーザに販売する商品より、顧客に責任を負う商品やサービスを提供する事業者に販売する商品を対象にするもののほうが、特許問題が威圧的な効果を発揮しやすい。
■ 対象市場が民間セクターより公共・公益セクターのほうが、特許問題が威圧的な効果を発揮しやすい。
なんてことが言えるもかもしれません。

 最近の記事で気になったものをもう一つ。日経ビジネスの「隠れた世界企業」のコーナーで、1月4日号で紹介されていた㈱モルフォに関する記事です。同社は画像処理関連のベンチャーで、携帯電話用カメラの手ぶれ補正ソフトで急成長しているとのこと。デジカメではジャイロセンサーなどの装置を使っている手ぶれ補正を、映像を連写してノイズを消すというソフト処理によって携帯用にハードなしで実現した、ということなので、いかにもソフトウェア特許に馴染みそうな話だなぁと読んでいたところ、やっぱり出している(これまでに10件程度出願して既に2件は登録されている)そうです。ソフトウェアの分野で、特許を固めることによってオンリーワンであり続けることができるかどうか、これからの動向に注目です。

需要を創る

2009-12-17 | 新聞・雑誌記事を読む
 今週の日経ビジネスで「銀行亡国~『再建』放棄が日本をつぶす」と題した特集が掲載されていますが、そのタイトルとは正反対の鹿児島銀行の記事に目を惹かれました。融資先へのサービスとして、営業支援に積極的&システマティックに取り組んでいるという話で、ここまでやっている‘銀行’があるのか、とちょっと驚きでした。
 金融機関の‘貸し渋り・貸し剥がし’については、ここのところ何度か地域金融機関の現場の状況をお聞きできる機会があったのですが、どうも某大臣のパフォーマンスでイメージ先行の部分があるのではないかという印象を持ちます。鹿児島銀行の記事もそうですが、いくつかの信用金庫で仰っていたのが「地域で個々人の顔まで見える信用金庫で、そんなエゲツない貸し剥がしなんてできませんよ」とのこと、確かに転勤といっても地域を離れることはない信用金庫の性質を考えるとよく理解できる話で、そのあたりはどうも‘金融機関’として一括りに論じられるべきものではなさそうです。
 そうした中で、ある信用金庫の方から‘知的資産経営評価融資’についてこんなご意見をお聞きしました。「今考えなければいけないことは『融資先をどう評価するか』ではなく、それ以前の問題として『融資が必要になるような資金需要をどうやって創り出すか』ということだ。」
 全くもってそのとおりで、設備投資資金や増加運転資金などの前向きな資金需要が出てこないと、腰を据えて‘評価’なんて話にはなってきません。そこで、資金需要を創り出すために、経営相談やマッチング、販売支援などの取り組みに力を入れているそうです。そこまでやれば、資金需要が生じて融資申し込みとなった際には、改めて「知的資産のヒアリング」なんて形式をとらなくても、もう会社のことは財務諸表以外の部分も十分わかっているよ、ということになります。融資の際に知的資産や知的財産を評価して、って話は景気がよく資金需要が旺盛な時期に意味を持つものであって、今のような状況では評価がどうこうというより、知的資産や知的財産についてもそれをどうやって顧客支援に生かせるか、ってところで意味をもち得るものなのでしょう。
 話は変わり、これは昨日、ある知財関係の集まりでお聞きしたのですが、知財予算の削減云々の前に研究開発予算がカットされてしまっているため、知財部門が頑張ろうと思ってもそもそも発明を創出する活動が大減速してしまっている。これも銀行が遭遇しているのと同じような状況で、知財業務で腕を振るう前に需要をどうやって創るかというところが本質的な問題、という話です。
 需要そのものが減退し、サービスセクターとしては需要の創出そのものまで踏み込まないと始まらない、って状況になってきた。これはサービスの質を高めることとは異質な領域なので大変難しい仕事だと思いますが、過去に金融機関が不動産バブル・証券化バブルを生み出した歴史を考えると、需要を創ればよいというものではなく、創り出す需要の‘質’、そこに真面目に取り組まないと同じことを繰り返しかねない。やはり「知財屋として何ができるか」という問いから逃げることはできません。

スターバックスでiPhoneのスクリーンをタップする

2009-12-07 | 新聞・雑誌記事を読む
 特許などの知財権を操る知財戦略で、企業の収益にどのように貢献できるのか。その基本パターン・原則論を、
 競争力の源泉となる知的財産⇒知的財産権により保護⇒参入障壁の形成⇒価格決定力の強化⇒粗利率の向上
という流れでよく説明しています。確かに、医薬品をはじめ、オリジナリティの高い製品では今でもこの原則論が適用できるのですが、特にコモディティー化の進む分野では、開発成果を丹念に特許でカバーしていってもそんな美しいシナリオどおりにはならないことが多いのが現実です。この点について、戦略の欠如が原因だとか昨今いろいろ論じられることが多くなっていますが、‘知財を扱う者’にとって重要なことは、戦略の欠如云々を指摘して何となくわかったような気分になることではなく、原則論が通用しない中で知財屋として何ができるかを考えることであると思います。
 1ヶ月ほど前になりますが、日経ビジネスに「“モノ作り”作り直し」という記事が掲載されていました。モノ作りが提供する付加価値の中には‘機能的価値’と‘意味的価値’が含まれている。近年‘機能的価値’と価格の相関関係が崩れる一方で、‘意味的価値’による差異化の成功パターンが多くなっている。この‘意味的価値’を高める製品開発は、消費者の潜在ニーズに対して試行錯誤を繰り返さなければならないため、‘機能的価値’を高める製品開発より複雑で形式知化できない困難なものだ。ゆえに、価値が高く、模倣も容易でない、という話です。
 知財活動のうち特許に関する仕事は、この‘機能的価値’による差異化をサポートするものです。すなわち、競争の重心が‘機能的価値’から‘意味的価値’へと移行していくと、必然的に特許による差異化の価値も低下せざるを得ない。特許出願が急速に減少している要因として、単に景気の悪化ということだけでなく、こうした競争環境の変化も意識しておくべきなのではないでしょうか。じゃあ「‘意味的価値’⇒ブランド⇒意匠、商標の時代ですね!」なのか、っていうと、たぶんそんな単純な話ではない。単純な模倣でも追随されやすい‘機能的価値’に対して、デザインやロゴを真似たからといって‘意味的価値’を追随できるかというと、それはたぶん難しいと思うからです。デザインやロゴを真似てみたところで、スターバックスでiPhoneのスクリーンをタップする‘意味的価値’は、たぶん再現できないでしょう。そういう意味では、製品のもつ‘意味的価値’が顧客に訴求すれば、その時点で強力な参入障壁が得られるということなのかもしれません。
 話を特許に戻すと、では特許を扱う仕事はこうした環境変化にどのように対応していくべきなのか。それがわかれば誰も苦労しないよ、って話ですが、一つ言えることは、‘機能的価値’による差異化を追求するだけで今まで以上の成果を期待するのは難しいということです。特許が‘意味的価値’による差異化を直接的にサポートできるわけではありませんが、‘意味的価値’が訴求すること自体が参入障壁としてはたらくのであれば、その‘意味的価値’の形成過程に特許の持つ効果を何らかの形で活かしていくことはできないか。具体的なアイデアはまだまだですが(ビジネスモデル系の分野ではそういうアプローチで取り組んできましたが・・・)、方向としてはそんな感じではないかと思っています。