経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

プールサイドの準備体操

2008-10-27 | 知財業界
 弁理士会のパテント誌で知財コンサルティングの特集が組まれ、いくつかの知財系ブログでもこの特集に言及されているようです。この特集に書かれているような最近の知財コンサルティングに関する議論を見ていると、どうも「コンサルティング」という手段ばかりが浮き上がってしまって、何か違う方向に逸れていってしまっているように感じることがあります。そもそも知財の専門家としてどのように経営に貢献していくべきかを考え、模索するのが本質論であるのに、コンサルとは何かとか、コンサルは儲かるか、大企業と中小企業のどちらがターゲットかとか、コンサルになるには何をしたらいいかとか、前提や結果を気にした話が多く、大事な中味が抜け落ちてしまっているのではないでしょうか。
 先のエントリにも書いたように、重要なことは、
「経営課題」→「知財活動」→「課題解決」
の効果的なループを作り出し、企業全体として「確かに必要だ」というコンセンサスを得ながら知財活動を進めていくことです。そこが十分にワークしていることを実感できないから、「知財なんてやって何になるの、ただのコストセンターじゃないの」みたいな評価を受けることがまだまだ多いわけです。数年前からお手伝いをさせていただいている特許庁関連の事業(その大事な「中味」についてパテント誌の特集に委員長の鮫島弁護士が寄稿されています)も、出発点は「中小企業が知財戦略を実践するにはどうしたらいいか」というところにあり、それが結果的に「知財戦略コンサルティング」という機能を追求する方向に進んできているものの、正式な事業名称には「『知財戦略』支援人材・・・」となっていて、あくまで主題となっているのは「知財戦略」の実践です。だからその形態はコンサルティングでなければいけないというものではなく、「知財戦略を実践」するために最適の形態をとればいいわけです。例えば、期間雇用みたいな形態になるかもしれないし、知財担当役員で中に入ったりすることもあるかもしれない。出願代理人である弁理士が顧問のコンサルタントや税理士、銀行の担当者などと「経営課題」を共有できるようになれば、うまくキャッチボールをすることによって、今の形のままでもコンサル同様の機能を実現できるかもしれない(それが最も現実的なように思います)。だから、コンサルがどうのこうのではなく、「経営課題」と「知財活動」をどのように結び付ければよいか、「課題解決」に結び付く「知財活動」をどのように組み立てていけばよいか、といったことを考えていく(&日常業務の中でもできることから実践していく)ことが大切だと思うのですが・・・

知財戦略コンサルティングの骨格

2008-10-17 | 企業経営と知的財産
 「視点・2つ」のエントリで書いた話の続きです。中小・ベンチャー企業向けの知財戦略コンサルティングの骨格について。知財活動が経営の中で有効にワークしている、すなわち知財経営がうまく機能している状態に至るまでには、次のようなプロセスを経ているはずです。

(1) 企業が何らかの「経営課題」を抱えていて、
 ↓
(2) それが「知財活動」によって解決可能であると判断し、
 ↓
(3) その課題に即した知財活動を「実践」し、
 ↓
(4) 経営課題が「解決」される(「成果」が得られる)。


 もちろん経営はいつも動いていますから、(4)までいったとしてもそのときには新たな経営課題が生まれていて、次の(1)~(4)のプロセスが進行していく。すなわち、(1)~(4)のループを自ら作り出していく力を持っている企業は、知財経営を実践できる企業です。
 これに対して、知財戦略コンサルティングが効果的を発揮するはずの企業には、おそらく次の2つのタイプがあるように思います。
<タイプA> (1)を抱えているけれども、知財活動のことがよくわからないので、(2)以降に進まない。
<タイプB> (1)~(3)をやっているようではあるものの、(4)に至らない。例えば、特許なんか出してもろくなことないよ、ってモードに陥っている。
 そして、知財戦略コンサルティングの骨格。
 タイプAに対しては、まずは(1)→(2)の紐付けをすることが重要な課題になります。ここでは何でもかんでも知財に紐付けてはいけない(というか、広く企業全体をみれば、殆どの経営課題は知財活動では解決できない)。知財で解決できる経営課題を選別すること、すなわち(1)→(2)の紐付けが適切に行われていないと、(4)には至らない。そして、(2)が発見できれば(3)の仕組みを作って、実践する。この流れをうまく作れれば(4)につながる。
 タイプBに対しては、なぜ(4)に至らないのか、(1)~(3)のプロセスがどのように結び付いているかを検証する。例えば、(1)で「経営課題」ではなく「知財の課題(特許出願の件数が少ないetc.)」からスタートしていたとすると、それでは「経営課題」が解決できないのは当たり前です。或いは、(3)の設計に誤りがあるのかもしれない。こうした検証から見つかった問題点を解消して、(4)に結び付けていく。
 要するに、「経営課題」→「知財活動」→「課題解決」の効果的なループを制御する活動こそが知財戦略コンサルティングの本質であると思います。
 そしてこの活動は、別にコンサルティングという形態にとらわれるものでもない。(3)の中の一部である出願代理が本業であっても、(1)~(4)に目を配っていくことは可能であるし、企業の内部でこのループを回す活動をしていったっていいわけです。

 といった整理を、某公的プロジェクトの中で進めているところなので、いずれ詳しくご報告できればと思います。

問題は「何をやるか」。

2008-10-16 | 知財業界
 先日のエントリに関連して、この記事についても同じようなことを感じます。
 コンサル業務へ挑む弁理士業界
これもまた、弁理士を「主体」として捉えた話になってしまっています。受け手の側からすると「誰が」やるのかが問題なのではなく、「何を」やってくれるかが問題であるはずです。オバマ風に言えば、
弁理士による知財コンサルティングも、経営コンサルタントによる知財コンサルティングもない、あるのは知財コンサルティングだけだ。
ってところです。それがこんなふうに、仕事の奪い合いが厳しくて大変だから有効需要を創出します、みたいな文脈の中で出てくると、「なんだあんたらの事情かい」って、それだけで顧客から見ると幻滅なんじゃないでしょうか。
 重要なことは、「誰(弁理士)がやるか」ではなく「何をやるか」。「何(シンクタンク)を作るか」でもなく「何をやるか」。次のエントリに書きたいと思います。

「弁理士になりたい」か、「弁理士の資格をとりたい」か

2008-10-10 | 知財業界
 一昨日、ある中小企業診断士の資格を持たれたコンサルタントの方と話していて、よく感じている弁理士の意識の問題点について、やはりそうかと感じました。
 以前にも、弁理士というのは属性の一つであって主体ではないのでは、ということを書きましたが、診断士の世界では属性という意識が強い、というかほとんどそれが当たり前、ということのようです。
 例えば、
� 弁理士になりたい
� 弁理士の資格をとりたい
同じように見えて、実はこの意識の違いはとても大きい。�は弁理士を主体と捉えているのに対して、�だと属性の一つという位置づけです。社会人としてのアイデンティティが形作られる前に資格云々を考えると、意識としては�になっていきます。これだと画一化・同質化された弁理士が再生産されていくだけで、その中での差異は相対的なものになる。一方、社会人としてのアイデンティティが見えてきた後であれば、アイデンティティに裏付けられた自分を主体として考えるので、資格というものは属性の一つという、�の意識になりやすい。そうすると、同じ資格をもっているとはいっても多様であり、絶対的な違い・個性のあるビジネスパーソンになっていく。
 その方は、以前にも「診断士として一括りに分類されると、あまりにもいろんな人がいるのですごく違和感があります」と仰っていましたが、たぶんアイデンティティが多様であるので、社会への食い込み方、クライアントとの関係も人それぞれなのだと思います。
 もちろん、知財業務というのは均質性・安定性を求められる部分が大きく、�の意識からアプローチしてトラディショナルな弁理士として活躍することも十分に可能(というか、たぶんそれが主流)なわけですが、たぶん弁理士全体に欠けていると指摘される要素は、�の意識なのではないかと思います。なんて言いながら、これも弁理士で括って考えちゃってるわけだから、そもそもこの議論自体がナンセンス、ってことなのかもしれませんが。

産業金融から考える本来的な知財戦略・知財活動

2008-10-09 | 企業経営と知的財産
 昨日の続きというか、まとめです。
 まず、金融について。
 企業が事業への何らかの投資を行う際に、それが回収可能なものかどうかを十分に精査した上で必要な資金を供給する、それが産業金融の本来的な役割でした。金融機関とは、事業の推進を支える役割を果たすものであり、事業から得られた利益の一部を報酬としていただく(出資であれば、中長期的な成果として市場での値上がり益を享受する)。そうやって成り立っているのが本来の姿でした。
 ところが、規制緩和・ボーダレス化による競争激化の中で、リスクを固定しておくことが難しくなり、資産(ローンや株式など)の流動化が始まった。そうしているうちに、流動化すること、資産を売ったり買ったりするほうがおいしい商売だと思うようになり、投資銀行化が進んでいった。そうなると、たくさん動かしたほうがもっと儲かるため、証券化して売買しやすくし、多くの人を巻き込んでいくことになった。売買するネタが多いほうが儲かるということで、回収可能かどうかという本来の視点が置き去りにされたローンまで組成され、流動化してばら撒かれてしまった。その爆弾が、世界中で破裂してしまった、というのが今の状況です。
 本来あった産業金融の姿(私が銀行に入った頃はそういうことを教えられたものですが)に回帰する、これからはそういう方向に進んでいかざるを得ないのではないかと思います。
 さて、知財はどうか。
 企業が実体のある事業活動のために投資を行う際に、競争環境をできるだけ有利なものにするために、効果的に知的財産をマネージメントする。それが知財戦略・知財活動の本来的な役割であるはずです。その成果というものは、中長期的に事業からのキャッシュフローの増加という形で現れてくる。その戦略・活動から結果として知的財産権が発生するわけですが、これは金融の例でいえばローンや株式みたいなものです。それを動かしたり、バラして売り払ったり、自分では使わずに他人に使わせたり、といった形でも儲けを得られることがあるかもしれませんが、それは産業金融を忘れて投資銀行バブルに走っていった金融の誤りと同じ道なのではないでしょうか。
 事業活動を支え、事業からの利益を享受するということが、本来的な知財戦略・知財活動の姿である、ということを、金融業界の現状からも再認識させられます。

実体経済と地道な知財戦略

2008-10-08 | 企業経営と知的財産
 昨日は暗いトーンのエントリを書き、今日はマーケットがさらに壊滅的な状況となってきていますが、震源地の米国ではパニックに陥るばかりでなく、地に足の着いた見方も出てきているようです。そうした見方でよく見かけるようになってきたのが「実体経済」というキーワードです。この記事を読んでいたら、今の状況は「地道な知財戦略」を推進する上では好機のように思えてきました。特に、「終焉を迎える投資銀行」の

基本に立ち返ることになるだろう」と、モルガン・スタンレー・アジアのローチは言う。「コンサルティング業務が増え、レバレッジの高い取引は減る。取引はクライアントの戦略的ニーズに沿って進められるようになり、取引そのものも金儲け一辺倒ではなく、より戦略的になるだろう」

というくだりです。健全な、実体のある企業経営を支えるものであるならば、知財戦略はむしろ重要性が増してくるものであり、そうした手堅い経営に金融もついてくるようになるだろう、ということなのではないでしょうか。知財の世界でも、実体のある本業から離れて、知財そのものを商品のように切った貼ったするような「知財で稼ぐ」的な戦略は消えていき(消える前にそもそも存在しないという話もあるかもしれませんが)、実体のある本業の足元を固める「地道な知財戦略」が正当に評価されるようになる。そんな流れになっていくのであれば、災い転じて、って感じなのですが。

※ 来月、某誌に「知的財産による資金調達」という論文が掲載されるのですが、「知財戦略で収益力を高めることが企業の信用力向上→コーポレートとしての資金調達力の強化に繋がる」という「地道型」の話と、証券化(+信託)のような「切った貼った型」のアセットファイナンスの話を両方解説したのですが、経済社会がこういう方向に向かっていくのであれば、後者はバッサリ落としてしまってもよかったのかも、なんて思ったりします。

金融危機と知財の世界

2008-10-07 | 知財一般
 金融危機が大変な状況になってきています。
 先週は、ソニーの株価が解散価値を下回りました。
 そしてついに今日は、トヨタの株価も解散価値を下回りました。
 市場の評価をそのままに読むと、ソニーも、トヨタも、知的資産を含むオフバランス資産の価値はゼロ以下になってしまった(ソニーとトヨタの知的資産がなくなった!)、ということになってしまいます。そんなバカな話があるわけはないのですが、金融市場ではそれくらいのパニックが起こっているということなのでしょう。2000年を挟んだ日本の金融危機でも同じようなことがありましたが、あのときは日本固有の問題で、「アメリカみたいな効率的な金融システムを作るまでの辛抱だ」と、目標というか、お手本にするものが見えていたわけですが、どうも今回はそのお手本が世界中で壊れてしまったようです。日本では今月から政府系金融機関が大きく衣替えをし、本格的に縮小の方向に向かう一方で、アメリカでは住宅金融会社も、最大の保険会社も、政府の管理下に入ってしまいました。
 金融は産業の血液みたいなものですから、これが円滑に流れなくなると大変なことになり、現に不動産業界ではバタバタと黒字倒産が発生しています。一方、知財の世界では、まだリアルな影響はあまり生じていないのではないかと思います。妙に穏やかというか、こんな記事まで出ているのをみると、今の世界経済とは隔絶された世界の話というか、何かひと昔の記事でも紛れ込んでしまったの?みたいな印象を受けます。これからは実体経済にお金が向かう、という説もあるようなので、知財の世界にはプラス面もあったりするのかもしれませんが・・・