経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

NOMOと老典座

2013-08-12 | プロフェッショナル
 仕事には直接関係のない話を少々。
 昨日はMLBファンにとっては、ドジャースタジアムでの野茂の始球式、ケン・グリフィーJr.のマリナーズ殿堂入りセレモニー、という大イベントが重なった日でしたが(ケン・グリフィーJr.のキャリア最後の630号HRがライトスタンドに飛び込むのを目の前で見たのがプチ自慢の私は後者のネット中継に噛り付いていましたが・・・)、野茂についてこんな記事を見つけました。
 野茂が始球式を行った試合に先発したMLB屈指の好投手のザック・グリンキーは、野茂のキャリア最終年のチームメートでもあり、野茂についてこんなエピソードを語ったそうです。

 「彼は40歳近い年齢だったのに、2時間にわたる打撃練習でもずっと球拾いをしていた球拾いをやめて中に入ってはどうかと声を掛けても他の選手と一緒にずっと球拾いをしていた。彼がキャリアでどれだけのことを成し遂げてきたかは誰もが知っていたけれど、彼は決してそれを鼻にかけるようなことはしなかった。ああいう一面を僕も見習いたいと思った」

 このエピソードで思い出したのが、いきなり仏教の世界に飛んでしまいますが、道元の典座教訓に出てくる老典座の話です。
 どんな話かは、こちら→「道元禅師と典座教訓」に紹介されていますが、要するに、食事の準備に汗を流す年老いた典座(=食事の用意を担当する僧侶)に、そんなことは若い人に任せて坐禅や仏法の勉強をしたらどうですか、と若き日の道元が尋ねたところ、今やっているこの典座の仕事こそが大事だ、と返され、道元が修行の何たるかを知った、という話です。
 華やかな仕事だけでなく、目の前にある目立たなくても大事な仕事をしっかりとこなすことこそが修行である、ということです。

 というわけで、この酷暑の中、お盆休みは溜まった仕事を片付けるだけだよ、という皆さん(含む自分)。FBを開けるとちょっとイラッときてしまったりするかもしれませんが(笑)、NOMO精神、老典座精神で頑張りましょう。

審ビジネス眼

2010-04-27 | プロフェッショナル
 24日の日経夕刊に建築家の安藤忠雄氏へのインタビュー記事が掲載されていました。そこで語られていたのが美しさや本物を見抜く‘審美眼’で、独創的な建築物を創り出すのはこれが不可欠だそうです。この‘審美眼’は本物を見ることによって養われるけれども、本物を見分けるためには知識も必要。安藤氏も最初は古代ローマのパンテオンのよさがわからず、古典を読んで勉強したとのことです。
 確かに、奈良の大仏をただ見れば「でかい」と思うだけかもしれないけれど、そこにどういう物語があったかを理解していれば「よくこれだけのものを作れたものだ」と深く感動し、「美しさ」を感じることができる、そういうものなのだと思います。

 これは実は最近あれこれ思っていたことに通じるものがあって、‘審ビジネス眼’とでもいうか、仕事の中で目にするもの、耳にするものの表面だけをみて判断して、その本当の意味や価値を見落としてしまっていることはないだろうか。VCにいたときに投資を担当したあるベンチャー企業での話ですが、社長と投資家との月例ミーティングで、投資家側から「女性スタッフの数が多すぎるから減らすべし」との要求がありました。これに対する社長の答えは、「あの女性が見ているからあの営業マンが頑張っているとか、会社の中ではいろいろあるんです。そのバランスをちゃんと見ながら判断しているので、私に任せて欲しい」というものでした(実は頑張っているのは社長だったりして・・・)。ちなみにその会社、その後もしっかり業績を伸ばしていきました。
 知財の仕事では、たとえばこんな話。時々パネルディスカッションのモデレータやパネリストを務めることがあるのですが、専門家の立場でお声掛けをいただくと、他にパネリストとして登壇いただく経営者などのゲストの決定や当日のディスカッションの流れなど、事前に企画的な部分も担当することが少なくありません。そして無事本番が終了した後に、「なかなかよいパネルだった、ご苦労さん」と言ってくださる参加者の方もいれば、「ゲストの話はよかったけどモデレータは大したことなかった」という評判が漏れ聞こえてきたりもします。表面だけを見て判断するか、その裏側にまで眼が届いているか。とか言っている自分も、先日ある雑誌の記事を見て「なんでこの人が出てるの」みたいな感想を述べていたところ、実はその記事はその人が温めていた企画を出版社に持ち込んだものでした。まさに‘審ビジネス眼’の欠如そのものと反省せねば。
 これはたぶん日常業務の中でも大切なことで、ビジネスも人間がやっていることなのだから、表面に出てくるものの裏側で、誰がどのような思いでそのことに取り組んでいるのか、そこにまで眼が届くか、想像できるかどうか。ビジネスがわかる知財パーソンたるためには、SWOT分析とか4Pとかを知っているかどうかより、まずは‘審ビジネス眼’を養うことが大事なのでは、なんて思う次第です。

工夫と研究心

2009-09-27 | プロフェッショナル
 鳴戸会に入って稀勢の里を応援する者としては、何とも気になる記事を見つけました。伸び悩む稀勢の里について、鳴戸親方の苦言。
工夫や研究心があまりにも足りない。いつも同じようにヤラれるというのは、その相撲が相手に研究されて、もはや通用しないってこと。これまで自分はどうやってはい上がってきたか、最大の武器は何か、もう一度、よく考え、相撲を思いきって変えないと。いまのままではいつまでたっても結果は同じだ」
 なんだか自分に言われているみたいで、ズキッときてしまいました。確かに、鶴竜は立会いのタイミングや角度なんか随分試行錯誤しているらしくて、それが明らかに今場所なんかは結果に表れてきた。あたりまえですが、工夫しないといつまでたっても結果は同じ。こういう苦言って、年をとるほど周りから言ってもらえなくなるものなので、自分で気付き、心していかないとヤバい。

 さて、iptops.comには一昨日から‘944’の数が並んでいて、この不況期に大変だといった論調が目につきます。が、自分は当事者であって評論家ではない。たとえば、稀勢の里が「昔と違って外国人力士が多いんで大変だ」なんて言ったところで、それが何になるのか(勿論、稀勢の里は直向で真面目な力士なのでそんなことは言いません)。鳴戸親方の仰るように、自分の強みをよく考え、もっと工夫・研究し、思い切って変えていかなければならない、という自分の問題です。
 そして、評論家ではなく当事者である以上、‘研究’で終わらずそれを具体的な‘工夫’にまで持っていかないと、結果にはつながらない。苦言を呈してくれる親方はいなくても、この業界にも、よりよい明細書を作るために顧客のオフィスに常駐するとか、非定型の特許業務をソフトウェアで効率化するとか、随分早い時期に会社を作って代理人業務の前工程や顧客の組織体制作りに取り組んでいるとか、顧客を中小・ベンチャーにフォーカスして独自のセミナーや情報提供を続けているとか、小手先ではなく腰の据わった‘工夫’を実践している方々がおられるわけで、彼らのように工夫し、行動していかなければ、なんて思う次第です。

何であんなボール球を打つの?

2009-02-25 | プロフェッショナル
 連日のWBCネタです。報道ステーションで言っていた話ですが、国際大会ではNPBより広いストライクゾーンにどう対応するかが課題になる中で、イチローは「ストライクゾーンを広げる」、横浜の内川は「ストライクゾーンをずらす」という発想で、ボール気味の球への強さを身につけているとのこと。その中で、イチロー自らが語っていた、「なぜボール球に手を出すか」という理由が大変興味深いものでした。
 低迷が続くマリナーズでは、毎年のように早い時期からポストシーズン進出の可能性がなくなってしまう。そうすると、そんなチームの消化試合は審判も早く終わらせてしまいたいから、どんどんストライクをとってしまう。だから、ボール球にも対応できる技術を身につけて手を出していかないと、確実に成績が悪くなってしまう。「周りから見ると、『何であんなボール球を?』って見えるだろうけど、そういうこと。」だそうです。なるほど、強打者であったはずのベルトレとかセクソンの成績がマリナーズに移籍してからガクンと落ちたのも、それが一因なのかもしれません。
 つまり、一見したところセオリーに反するように見える行動にも、実は現実に対応するための深い理由があったりする、ということです。こういう場面は、知財の仕事でもよく生じるものです。実務をやる上ではいろんなセオリーがありますが(クレームを上位概念化するとか、他人の商標権に抵触するおそれのある商標は使用してはいけないとか)、一見それに反しているように見える仕事にも、人間の心理や現実との兼ね合いから、深い意味があったりすることがある(単にセオリーを知らないだけのこともあるでしょうが・・・)。まぁ、それが成果に結びついてこないと、考えている意味はないわけですが。でも、たぶんその部分が‘ビジネスセンス’ということになってくるのだと思います。

格が違う。

2009-02-24 | プロフェッショナル
 WBC日本代表の合宿は大盛況だったようですが、イチローに対する注目と期待は、ちょっと半端なものではなってきてしまったようです。元々は、‘スキル’の違いが際立つプレイヤーだったのが、近年はそれが‘格’の違いに昇華してきているように感じます。では、
 ‘スキル’の違い
 ‘格’の違い
とはどこが違い、どうやって「スキルの違い」が「格の違い」に昇華していくのか。
 思うに、「スキルの違い」というのは、文字通り技術が違うということ。これに対して「格の違い」とは、周囲に対する影響力や説得力の違いであり、それは人を集める力や物事を動かす力に結び付くものなのだと思います。だとすると、知財の仕事を技術として的確に処理するだけでなく、その仕事が事業を動かし、企業活動に影響を与えるものにしていきたいと思うなら、「スキルを高める」だけでなく「格を高める」努力も求められることになってきます。前回のエントリで書いた「自らを活かすポジションを作ることも才能のうち」というのも、おそらく同じことなのでしょう。
 「格の違い」を生み出す上では、「スキルが優れていること」とそのスキルに伴う実績は、‘格’を押し上げるための一要素であり、それ以外にも、深い洞察力、言葉の力、キーパーソンとの人間関係など、ヒューマンな要素が関係してくるのだと思います。企業経営に貢献する‘知財人材’たるためには、スキルでは測れないそういう要素も重要なのでは。

「知財は○○に頼めば会社が繁栄する」と言われるためのヒント

2009-01-18 | プロフェッショナル
 日経ビジネスに「1000店をデザインした男」と題して、店舗デザイナーの神谷利徳氏が紹介されています。これまでに1000店以上のデザインを手がけ、地元の名古屋では「神谷に頼めば繁盛店ができる」という神話めいた空気まで存在するそうですが、一体その違いはどこから生まれるのか。そこに何か「知財は○○に頼めば会社が繁栄する」と言われるためのヒントはないか。
 で、ここかなぁ、と感じたのは次の2点です。
 1つめは、神谷氏がデザインを本格的に学ぶようになった頃(といっても普通の学び方ではなくある家具職人の工房に無給で通って修行したらしいですが)の話で、「その頃から、物事の背景にある本質や意味を考えるようになった」とのこと。ここを考えるかどうかの違いは大きいのだと思います。
 もう1つは、「デザインで大切なのは、優しさや思いやりこんなことまでやるのかといった、お節介がどこまでできるかだと思う。自分らしさとかアイデンティティーといった、デザイナーの独り善がりは捨て去っていい」と語っているところです。確かに自分がプロフェッショナルという意識をもっていると、自分のスタイルに拘ってしまう部分があるかもしれません。でも、自分が前面に出て戦うのならともかく、知財サービスのような後方支援でそういう独り善がりは不要なのかもしれない。これって、サービス業の本質なのかもしれません。
 それにしてもこういう一流のプロって、いろんな意味で格好いいですね。

常識に囚われずにより適切な手段を探る・その2

2009-01-05 | プロフェッショナル
 昨日のエントリに関連して。
 話は飛びますが、正月番組の‘イチ流’で、イチローがまたまた興味深い話をしていました。バッティングに関する技術論なのですが、スイングの前にできるだけグリップの位置を後に残すことを意識して、手元でのボールの変化に対応しているとのこと。そうすると、バットの出が遅くなり、バットの芯に当たらず「詰まる」ことが多くなってしまうわけですが、バッティング理論の常識では「詰まる」のは避けなければならないこと。しかしながら、イチローは「詰まる」ことを頭から否定せず、手元の変化に対応できることを「可能性が広がる」と表現して、「詰まる」ことは許容できるもの(詰まってもファールしたり狙ったところにポテンヒットを落としたりすればよい)と捉えています。要は、必要なことは点をとるためにヒットを打ったりランナーを進めたりすることであって、「詰まらないこと」ではない。これまでの常識に囚われていては、本来の目的を達成するのに有効な可能性を殺してしまうことがある、ということです。
 この話を聞きながら考えていたのが、例えば、これはセミナーなんかでよく問題提起しているのですが、「回避されれば負け」というのが特許の世界の常識であるとして、事業を有利に進めるための環境を作るという本来の目的に立ち返ってみると、「回避可能な特許」であっても相手方に「回避するための負担」をかけられれば事業環境にプラスに働くこともある、ということ。外国での模倣品対策、特に権利行使にかかるコストを中小企業がどう吸収していくかという問題に対して、先日ある社長が仰っていた、「そんなの自分でできるわけないから、早く現地での有力なパートナーを見つけてパートナーにやってもらえばいいじゃないですか。パートナーと組むために必要なコア特許だけはしっかり押さえておいて(注;模倣品対策に悩むくらいの有力な製品なら販売パートナーを見つけることは可能なはずという前提です)。」という発想。知財活動は、まだまだその「可能性を広げる」ことができるのではないかと思います。

※ 今回の写真(薬師寺の東塔ですが)も本文とは関係ありません。

8:2の割り切り

2008-12-23 | プロフェッショナル
 報道ステーションの松岡修造のスポーツ特集のコーナーで、JRAの三浦皇成騎手がとりあげられていました。武豊の新人騎手最多勝記録を21年ぶりに更新した天才騎手とのことですが、松岡修造が興味深いコメントをしていました。
 競馬は、馬:騎手の貢献が8:2と言われているらしいのですが(なんか、知的財産と知的財産権の関係みたいでちょっと反応してしまいましたが)、三浦皇成騎手の優れているところは「割り切り」にあるとのこと。100%自己責任のテニスと違い、競馬の場合は騎手の努力の効果には限りがある。うまくいかないときには、普通であれば‘8’の部分のせいにして愚痴りたいところを、自分の力が及ばない部分はそういうものだとしっかり割り切って与えられた‘2’の部分で最大限の効果を発揮できるように努力をしている。
 これって、知財の仕事にも通じる部分があるように思います。プロの仕事には割り切りが肝心か。

祝200本

2008-09-18 | プロフェッショナル
 今年の200本目はちょっとシケたヒットでしたが、イチローが最後の部分で、「うわっ、それ、言うか」って感じのコメントをしています。

「できるだけ早くクラブハウスから出ることを心がけた。マイナスの空気は皮膚から入る。それで、悪い方に流れることだけはしないという信念を持っている」

今日は某所で前向き&頭が整理されるいい議論ができたのですが、逆に、プラスの空気だって皮膚から入る。誰が得している誰が損してるといった足の引っ張り合いとか、当事者意識のない形ばかりの議論とか、皮膚から入ってしまわないように要注意、って改めて思い直します。 -->

「勝負強さ」とは何か

2008-08-12 | プロフェッショナル
 一気に盛り上がりを見せてきた北京オリンピックですが、あれだけの真剣勝負を見るといろいろ考えさせられてしまいます。例えば、

 勝負強さ、とは何なのか。
 敗者はどうやってその事実を受け止めているのか。
 どうしても人によって差がある「華」は、どこから生まれるのか。

 この中でもプロフェッショナルの端くれにいる者としてやはり気になるのが、「勝負強さ」とは何かということです。そこに「根性」の一言で済まさない法則を見出さないことには、それを吸収することはできません。
 そこで女子バレー初戦のアメリカ戦ですが、いい試合をしていたのですが、セット最後の5点くらいをいつもあっという間に相手に取られてしまっていました。最後の場面では、一番調子のよかった選手、一番プレッシャーに強そうな選手、チームのエースの順にトスを回したけれど、どれもブロックでシャットアウトか大きくふかしてしまう。アタッカーが決めるには、ブロックのないところに打つか、ブロックに当ててコート外に出すか、どちらもだめならリバウンドを拾いやすいようにブロックに当てるしかなく、そのどれかを冷静に選択していかなければいけないわけで、20点くらいまでは日本チームもそうやって点を重ねてきたものの、最後の詰めのアタックはただ打っているだけのように見えてしまいました。要するに、勝負強さを決める要因は、勝敗を決する場面で思考を放棄せずにやるべきことを貫けるか、というところにあるのではないでしょうか。
 そんなことを考えながら北島康介のインタビューを聞いていると、後半の見事な泳ぎの場面では「自分の泳ぎ、自分の泳ぎ」とだけ考えていたそうです。やはり、厳しい場面でもやるべきことをやりつづけこと、それが勝負強さを分けるポイントのようです。