経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

知財活動による信用力強化

2009-01-28 | 企業経営と知的財産
 昨日来、特許法抜本改正のニュースが各所でとり上げられています。「勉強することがまた増えるから勘弁してよ」とか「『発明の利用を図る』って今の特許法1条にも書いてあるじゃん」なんて茶々を入れたくなったりしますが、特許庁の「知的財産の更なる活用の在り方に関する調査研究委員会」という委員会でいろいろ議論をさせていただいてわかったのですが、特に実施許諾に関する現行制度については実ビジネスへの影響が大きい問題を抱えており、制度の思想・目的から抜本的な検討が必要なのだと思います。
 一方で、「財務基盤の弱いベンチャー企業が研究開発資金を確保できるよう、特許の出願段階で、それを担保に融資を受けられる支援制度の創設」というところについては、あまり実ビジネスには結び付かないなぁ、という印象です。「技術系のベンチャーが開発資金を調達したい→信用力が劣り担保もないので融資を受けられない→知財を担保に!」と10数年前から同じことが言われ続けていますが、一向に状況が変わらないのは、この論理展開が的を射ていないからです。担保の有無以前に問題は信用力の部分にあり、資金調達と知的財産を考える上でポイントになるのは、知的財産そのものに価値があるかどうかということではなく、知財活動によって信用力が強化されているかというところにあると思います(即効性がないので辛抱のいる話ですが)。ヘンリー・チェスブロウの「オープンビジネスモデル」には、「テクノロジー自体には固有の価値はない。テクノロジーを市場に投入するためのビジネスモデルが価値を決定する。同じテクノロジーであってもビジネスモデルが異なれば、提供される価値は異なる」と述べられています(54p.)。しからば与信判断において重要なのは、知財そのものの価値があるかないかではなく、その知財を活かしたビジネスモデルが収益に結び付いていくかどうか(その中で知的財産権がビジネスモデルを効果的に支えているか-ここでいう知的財産権は勿論‘ビジネスモデル特許’という意味ではなく、キヤノンの消耗品で稼ぐビジネスモデルを守るのに必要なインクカートリッジの特許、とかいう意味です)、というところにあると思います。話が少しそれてしまいましたが、まぁ法制度は法制度として、できることはやっておいたほうがよいのでしょう。

<<お知らせ>>
2月17日の横浜市知的財産セミナーで「知的財産に着目した中小企業向け融資のあり方」について講演します(参加無料)。上述のような観点からお話をさせていただく予定です。



オープンビジネスモデル 知財競争時代のイノベーション (Harvard Business School Press)
ヘンリー・チェスブロウ,Henry Chesbrough
翔泳社

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知財の役割の再定義

2009-01-25 | 知財発想法
 実体経済の急速な悪化がいよいよ顕在化し、自動車や電機メーカーなど大手企業の業績も凄いことになってきました。徒然知財時々日記さんが高機能・高価格路線か、低価格路線か、というテーマをとりあげて知財との関係を論じられていますが、実際のところ電機メーカーがマスマーケットで知財の力によって高価格路線を推し進めるのは困難であり(IBM、アップル、キヤノンなどの収益力も「高価格」というよりビジネスモデルによる部分が大きいでしょうから)、「特許で参入障壁を築く」というオーソドックスな考え方では対応できないのが現実なのでしょう。クロスライセンスの条件が有利になるとか、設計の自由度が保たれて開発コストを抑制できるとか、間接的には粗利を押し上げる様々な効果が考えられますが、特許という参入障壁によって市場をコントロールするという典型的な知財経営モデルが適用できるのは、医薬品などの分野かニッチマーケットが前提になってくるのが現実であると思います。そこで、オープンイノベーションのような新しい考え方が出てくるのでしょうが、そうした中での知財(特許)の役割を考えると、「参入障壁」より上位概念化して「有利な事業環境を形成するツール」と捉え直すことが必要になってくるのだと思います。オープンイノベーションにしても、知財を差別化要因として用いるより、相互利用による市場拡大のほうがより「有利な事業環境」に寄与するということであり(‘相互’だから知財の保有が前提になってくるわけですが)、これも「有利な事業環境を形成するためのツールの使い方の一つ」ということになるのでしょう(オープンイノベーションについては不勉強なので正確にはわかりませんが、本質的にはそういうことかと理解しています)。
 すなわち、知財というツールをどう機能させれば有利な事業環境に寄与するかというところを、個別に考えていかなければいけないということかと思います。そうすると、知財の機能を出発点に物事を考えるのではなく、事業環境や収益構造を把握することから始めて知財の適用方法を考えていくことが求められるようになる。だから、知財戦略を考えるためには、知財の知識以上にビジネスセンスが重要になってくる、って話なのではないでしょうか。やっぱり、個別の問題へのきめ細かで柔軟な対応や、常識(教科書的な知財の考え方)に囚われない姿勢が大事になってくるのだと思います。

中国電力の知的財産報告書から考える‘サービス業の知財戦略’

2009-01-19 | 企業経営と知的財産
 先週末に中国電力の知的財産報告書が公開されました。知的財産報告書も最近ではニュースになりにくくなってきましたが、製造業ではない電力会社がどうして知的財産報告書?と、ちょっと意外感があります。研究機関としての活動内容の理解を求めることが目的ということで電力中央研究所が知的財産報告書を公表した例はありますが、電力を供給するという‘サービス’を提供する中国電力は、どういう目的で知的財産報告書を作成し、そもそもどのような知財活動を実践しているのでしょうか。‘サービス業の知的財産戦略’のあり方を考える上で、興味深い事例といえそうです。
 この報告書についての評価や解釈はいろいろあると思いますが、私が注目したのは3~4p.の「知財戦略推進の基本理念」、特に最初の項に書かれている、
知財戦略の取り組みが社員全員参加の裾野の広い活動として展開され、社員全員のモチベーションの底上げにつながっていることは、「人と技術の力で新たな価値を創造する」ことを目指すグループ経営5ヵ年ビジョンの実現を下支えするもの
という部分です。報告書の5p.には、その「全員参加」を裏付けるデータとして、
 発明者人口=2,001人
 知財関連の研修受講者数=2,812人(2007年度)
 社内イントラの知財Gホームページアクセス件数=57,260件(2007年度)
といった数値が開示されていますが、会社四季報によると同社の社員数は単体で9,278人、連結で14,424人ということですから、電力業者の業態を考えると、確かにこれは相当高い数値であり、出願ということだけでなく、知財Gの提供する情報に一日あたり数百件のアクセスがあることからも、社内の関心の高さが読み取れると思います。
 これに対して、「知財(特許)活動は数ではなく質の問題だ。数を云々することは時代遅れである」といった意見が出てきそうです。私も正直なところ最初はそういった印象を持ちましたが、ここで今一度、同社は商品を開発して販売する製造業ではなく、電力供給というサービスを提供する企業である、ということを考えてみることが必要なのではないでしょうか。製造業の場合、その企業の有する競争力は商品そのものに表れてくるのが通常です。よって、その商品の強みをいかに権利化していくかというのが課題になってきますが、サービス業ではそのようなことはありません。サービス業の場合は、(ネット系は別として)個々の事業所で人を介して提供されるサービスが全体としてその企業の強みになってくるので、何かの物や方法に関する権利を取得すれば全体の競争力が強化されるという性質のものではありません。中には、在庫管理のコンピュータシステムとか、店舗で使用する什器のデザインとか、サービスに使用する物が権利化できることもありますが、競争力全体に占める割合は製造業よりは明かに低くなり、サービスを提供する現場での意思統一やモチベーションによる部分が大きくなってくると思います。そうすると、この報告書にある「全員参加」と「モチベーションの底上げ」というところが大きな意味を持ってくるのではないか。報告書の17~22p.には、特許を集中的に出願している技術開発の例が示されていますが、研究所の先端技術というよりも、現場に近いところにありそうなアイデアが多々拾い上げられており、現場から様々なアイデアを出し合ってサービスの改善に取り組んでいる様子が伺えます。
 特許を中心とする知財活動=技術の保護、という公式に当て嵌めて考えるのではなく、その業態において競争力のコアとなるものは何か、その競争力の強化や保護に対してどのように知財活動が貢献できるのか、という順序で物事を考えていくと、同社の活動の意図するところが見えてくるのではないか。勿論、こうした活動は意思統一やモチベーション向上のために選択し得る方法の一つであり、どの会社にも適用できるというものではないでしょうが(少なくとも技術的な要素のある業態でないと特許は使えない)、‘サービス業の知財戦略’についての一つのヒントがあるように思います。

「知財は○○に頼めば会社が繁栄する」と言われるためのヒント

2009-01-18 | プロフェッショナル
 日経ビジネスに「1000店をデザインした男」と題して、店舗デザイナーの神谷利徳氏が紹介されています。これまでに1000店以上のデザインを手がけ、地元の名古屋では「神谷に頼めば繁盛店ができる」という神話めいた空気まで存在するそうですが、一体その違いはどこから生まれるのか。そこに何か「知財は○○に頼めば会社が繁栄する」と言われるためのヒントはないか。
 で、ここかなぁ、と感じたのは次の2点です。
 1つめは、神谷氏がデザインを本格的に学ぶようになった頃(といっても普通の学び方ではなくある家具職人の工房に無給で通って修行したらしいですが)の話で、「その頃から、物事の背景にある本質や意味を考えるようになった」とのこと。ここを考えるかどうかの違いは大きいのだと思います。
 もう1つは、「デザインで大切なのは、優しさや思いやりこんなことまでやるのかといった、お節介がどこまでできるかだと思う。自分らしさとかアイデンティティーといった、デザイナーの独り善がりは捨て去っていい」と語っているところです。確かに自分がプロフェッショナルという意識をもっていると、自分のスタイルに拘ってしまう部分があるかもしれません。でも、自分が前面に出て戦うのならともかく、知財サービスのような後方支援でそういう独り善がりは不要なのかもしれない。これって、サービス業の本質なのかもしれません。
 それにしてもこういう一流のプロって、いろんな意味で格好いいですね。

マニュアルでの評価より、きめ細かなフォロー

2009-01-16 | 新聞・雑誌記事を読む
 知財と中小企業向け融資というテーマに関連して、昨日の日経にもこんな記事が掲載されていました。おそらく、知的資産経営報告書の内容を評価する側向けにアレンジしたようなものなのではないかと思います。
 財務諸表に表れる数値情報だけでなく、企業の知的財産、人的資産なども考慮して融資判断を行うべき、というのは極めて全うな説ではあるのですが、資金の出し手からすると、結局はいくらまでなら返済できるかという数字の問題になってくるので、そういった要素も含めて償還能力をどう見るか、すなわち企業の将来収益をどのように予測するか、というところに落としこめる情報が必要になります。そういう意味で、これらの情報がそれはそれで納得できるものであったとしても、じゃあいくら貸せるかという判断はなかなか難しい。特に、知的資産のような曖昧な情報になってくると、企業側からはなんとでも言えてしまうところもあるので(以前に「在庫管理のノウハウがわが社の知的資産」と開示した後に、「不良在庫が積みあがった」として決算予想を下方修正していた会社もあったように記憶していますが・・・)、金融機関側で「客観的」に見ることが必要になってきます。
 個人的な意見としては、こうした定性情報の評価をマニュアル化したとしても、それを直接的に融資判断に反映することは難しいのではないかと思います。ただ、金融機関が知的財産を含めた知的資産に関する情報を得ることに意味がないというのではなく、むしろ融資をした後の融資先のフォローアップに活かすべきものなのではないか。以前のエントリに、変化の激しい時代においてはきめ細かなフォローが必要になるのでは、ということを書きましたが、例えば、技術系の企業が新製品を開発する際には特許の要否を検討するようアドバイスするとか、人的資産が重要な企業であれば人の動きをウォッチしておくとか、そうした対応が間接的な債権保全の効果として効いてくるのではないかと思います。

<<おしらせ>>
1月21日 「企業評価における知的財産の視点」について講演します。昨年9月にUBS証券様の主催でファンドマネージャー・アナリスト向けに行ったセミナーの内容に、知的財産権に関する基礎知識の概説を加えたものとする予定です。

特許権などを背景にした新規受注契約の状況や見込みを調べる

2009-01-14 | 新聞・雑誌記事を読む
 昨日の日経に、金融庁が金融機関による中小企業への融資を促進するために、財務諸表に表れる数値だけでなく経営改善策や技術力を柔軟に評価するよう指導を強める、といった記事が掲載されていました。「技術力と販売力」の項目では、「特許権などを背景にした新規受注契約の状況や見込みを調べる」とされています。実際にそれが債務者の信用格付けに反映されるところまで想定されているのか記事からは不明ですが(何もなしだと実効性が?になってしまいそうに思いますが)・・・
 特許と融資との関係というと、実際は「特許なんて、返済能力には関係ないよ」で済まされてしまっていることが多いと思いますが、振り子が逆に振れたときに「特許のある企業に積極的に融資すべきだ」といった意見が出てくることがあります。こうした意見は、
(1) 特許がある→技術力がある
(2) 技術力がある→成長力がある=返済能力がある
といった論理展開が背景にあるものと思われますが、実際のところ、(1)の論理も(2)の論理も正確ではありません。知財業界の方であれば、(1)が正確でないことは当然と理解されているでしょうが、一般には「特許=技術力が高いことの証明」と理解されていることが少なくありません。逆に(2)については、融資の現場にいれば何度も痛い目にあうところで、技術力は事業の成否を決める上でのあくまで一要素に過ぎません。「特許のある企業への融資を促進する」といった短絡的な制度設計にならなければよいのですが。
 融資を返済できるかのポイントは、あくまで事業計画を実現して返済資金を確保できるかどうかにあり、その事業計画の裏付けになる特許等の権利が確保されているか、というのが知財権についての重要な視点であると思います。日経の記事では、そのあたりが考慮されているような書き方になっているので、ちょっと期待したい動きです。

サービスの「価値」と「価格」

2009-01-12 | 知財業界
 GLOBIS.JPに、「マーケティングの泉 第8回 ブランド、サービスの価格を最大化する“プラットフォーム価値”(1)」というコラムが掲載されていますが、サービス業に携わる者にはなかなか興味深い内容です。サービスの「価値」と「価格」がテーマとなっていますが、提供者側からは原価積上げ式で考えがちなサービスの「価格」について、顧客からみるとそのサービスによって「自分が受け取れる価値」=「価格」である、その顧客が受け取るサービスの「価値」を的確に把握してサービスの「価格」を設定することが肝要、ということが結論になってきそうな感じです(コラムの続編を待たないと明らかではありませんが・・・)。
 この話を我々のような代理人業務に適用すると、いろいろな事例についての議論が展開しそうですが(クライアントである出願人は何を「価値」と考えているのか、廃止された標準報酬額表はどういう意味(提供者側の考える「価値」?)をもっていたのか、代理人報酬の値下げをどのよに考えるのか(出願人がそれだけの「価値」を受け取っていないと感じているということか)、コンサルティングなどの非代理人業務はどのような「価値」を提供できるのかetc.)、個別のケースによってかなり異なる話になってきそうなのでここでは置いておくとして、このコラムにあるミスドの値下に関する分析(厳密には商品の価格の例ですが)が興味深いです。ミスドに対して顧客が感じている価値を「スタバよりも手軽に楽しめる、甘くておいしいお菓子とコーヒーのひととき」と認識し、であればドーナツのサイズを小さくしても本質的な価値が損なわれることない、サイズを小さくした分を価格の引き下げに充てるという、世にある多くの値下げとは一線を画した戦略的かつ能動的な価格設定としての値下げと分析されています。我々知財サービスに携わる者も、何時間かかったからいくら、いままで類似のサービスが何円だからいくら、といった提供者側の事情だけでなく(もちろんこれらも原価管理上必要な要素ではありますが)、「クライアントが感じている本質的な価値とは何か」というところを、もっと意識していくことが必要なのでしょう。

新版MBAマーケティング
グロービス・マネジメント・インスティテュート
ダイヤモンド社

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常識に囚われずにより適切な手段を探る・その2

2009-01-05 | プロフェッショナル
 昨日のエントリに関連して。
 話は飛びますが、正月番組の‘イチ流’で、イチローがまたまた興味深い話をしていました。バッティングに関する技術論なのですが、スイングの前にできるだけグリップの位置を後に残すことを意識して、手元でのボールの変化に対応しているとのこと。そうすると、バットの出が遅くなり、バットの芯に当たらず「詰まる」ことが多くなってしまうわけですが、バッティング理論の常識では「詰まる」のは避けなければならないこと。しかしながら、イチローは「詰まる」ことを頭から否定せず、手元の変化に対応できることを「可能性が広がる」と表現して、「詰まる」ことは許容できるもの(詰まってもファールしたり狙ったところにポテンヒットを落としたりすればよい)と捉えています。要は、必要なことは点をとるためにヒットを打ったりランナーを進めたりすることであって、「詰まらないこと」ではない。これまでの常識に囚われていては、本来の目的を達成するのに有効な可能性を殺してしまうことがある、ということです。
 この話を聞きながら考えていたのが、例えば、これはセミナーなんかでよく問題提起しているのですが、「回避されれば負け」というのが特許の世界の常識であるとして、事業を有利に進めるための環境を作るという本来の目的に立ち返ってみると、「回避可能な特許」であっても相手方に「回避するための負担」をかけられれば事業環境にプラスに働くこともある、ということ。外国での模倣品対策、特に権利行使にかかるコストを中小企業がどう吸収していくかという問題に対して、先日ある社長が仰っていた、「そんなの自分でできるわけないから、早く現地での有力なパートナーを見つけてパートナーにやってもらえばいいじゃないですか。パートナーと組むために必要なコア特許だけはしっかり押さえておいて(注;模倣品対策に悩むくらいの有力な製品なら販売パートナーを見つけることは可能なはずという前提です)。」という発想。知財活動は、まだまだその「可能性を広げる」ことができるのではないかと思います。

※ 今回の写真(薬師寺の東塔ですが)も本文とは関係ありません。

常識に囚われずにより適切な手段を探る

2009-01-04 | 知財一般
 昨年一昨年は、年の始めにあたり、みたいなエントリを書いていたのですが、今年はどうもこれといったネタが見つかりません。その理由はおそらく、普通に経済が回っているときであれば一年一年を区切りにして自分なりのテーマを設定することにも意味があるのでしょうが、昨年から起こっているような歴史的ともいえるような経済の変革の過程においては、年が替わることの意味合いも薄れてくるということなのではないかと思っています。そういう意味では、昨年後半からスタートしている「経済の様々なルールが変化する中で、自分は何をしていけばよいのか」ということが当面の大きなテーマとなり、それは今年と区切ってどうこうするような性質の問題ではないのでしょう。
 年末年始の討論番組などを見ていると、「市場原理主義、株主至上主義が崩壊した」「小泉改革の誤りが明らかになった、規制緩和・構造改革は過ちだった、」と勝ち誇ったように叫ぶエコノミストが目立つようになっています。確かに、投資銀行のビジネスモデルの崩壊に見られるように、市場の欠陥が明らかになったことは事実なわけですが、どうもこの種の主張には「では根本の問題をどうやって解決するのか」というところをすっ飛ばしているものが多いように感じます。そもそも、日本がこうした米国型資本主義のモデルに傾斜した背景には、経済が成熟し、キャッチアップ型の産業モデルに限界が生じ、マイナス成長・デフレ経済という泥沼に陥ってしまっていたという状況があったわけです。そこで、市場の競争原理によって新産業の創造を活性化させようというのが本来の目的だったのであり、単純に元の状態に戻せばよいという話ではないことは勿論、「人を大切に」「日本らしさを」「ものづくりを重視して」みたいな抽象論だけではそもそも抱えていた課題に対する解決策にはなりません。人は崇高な「理想」だけで普通は動けないものであり、そこにうまく「カネ」も含めたリターンが得られる仕組みを作っていかないと(勿論「カネ」のインセンティブに傾斜しすぎたことは大きな反省点になるわけですが)、現実の社会を支える「経済」にはなってこない。前回書いた金融の問題にしても、しっかり審査して金融機関自身が責任をとるモデルに転換しようといっても、社会の変化のスピードやニーズの多様化に対して将来予測が困難になっているという問題は何ら解決されていないわけであり、その部分について証券化等によるリスク分散に代わる新しいモデル(あるいはそれを修正したモデル)が出てこないと、結局前には進めなくなってしまうわけです。
 それがどういうモデルなのかは当然ながらまだ見通すことはできませんが、金融の例などから考えると、プロフェッショナルにはより自らが責任を負担することを求められるようになる中で、将来の不確実性にきめ細かに対応していく道を探っていくことにならざるを得ないのではないかという気がします。経済活動に参加するプロフェッショナルという立場は、知財人も同じです。結果に対する要求がこれまで以上に厳しくなってくるでしょうし、そのためには、個別によりきめ細やかな対応を効率的に行うことが求められるはずです。たぶんこれまでの考え方の枠内にある定型業務では対応できないことが増えてくるだろうし、常識に囚われずにより適切な手段を探る姿勢が肝要になってくるのだろうと思います。
 結局は抽象的な話になってしまいましたが、まずは「常識に囚われずにより適切な手段を探る」というところの実践から。

※ 写真は角界随一のうまさと評判の鳴戸部屋のちゃんこ鍋で、エントリ本文とは関係ありません。