経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

それは、こちら側の仕事。

2010-03-16 | 知財発想法
 先週金曜は‘中小企業のための知的財産経営シンポジウムin広島’、大阪に続き多くの方にご参加をいただき誠に有難うございました。
 
 経営・事業に貢献する知財、事業・研究開発・知財の三位一体・・・といったもキャッチコピーも最近はちょっと食傷気味になってきた感がありますが、これから取り組んでいかなければならないのは、それが重要だと叫ぶだけではなく、「わかっていてるのになぜ実践が難しいのか」という部分にスポットを当てて解決策を探ることであると思います。わかっているのに実践できない理由、たとえばこんな要因があるのではないでしょうか。
1. 現場でリマインドができていない。←細かい実務に取り組むうちに原則を見失ってしまう。
2. 関係者への広がりが足りない。←知財活動の具体的な貢献が関係者にピンときていない。
3. システムができていない。←要するに業務プロセスや体制の問題。
 そういう意味で、今年の特許庁の地域中小企業知財経営基盤定着支援事業全体委員会(それにしても長い名前だ・・・)で取り組んできて、今回のシンポジウムでご披露させていただいた‘定着モデル’は1.に対する一つの解決案、昨年度から取り組んでいる経営者へのインタビューとその生の声を伝える活動は2.に対する一つの解決案、3.については今年度のヒアリング調査でいろんな事例を収集してきましたので4月以降に特許庁のホームページに公開されることになると思います(広島のシンポジウムでも‘身の丈に合った’知財活動のあり方が話題になりましたが、決して厚い体制を組めばよいという話ではありません)。
 広島のパネルのまとめは、こんな感じで締めさせていただきました。
 経営者の悩み、事業の責任者の悩みから、知財活動で解決できるものを見つけ出すことは、知財人の大事な仕事である。「知財に限らず社長の悩みをまず話してみて下さい」(広島で登壇いただいた木戸弁理士の言)と訊ね、その中から知財活動でできることを探るのはこちら側の仕事であって、「知財はこういうものですから、ネタを出してください」なんて訊ねてスクリーニングを相手に委ねるのは方向が逆。「はじめから特許ありきではなく、ビジネスプランが先でそこから特許ネタを探すのが、たぶん正しい」という信末弁理士のお話も、同じことを指摘されているのであろうと思います。


地域で生まれた技術が地域のニーズに結びつき、地域振興の期待を背負って事業を展開する

2010-03-07 | 知財発想法
 一昨日、中小企業のための知的財産経営シンポジウムin大阪が開催されました。年度末のお忙しいなか多くの方にご参加いただき、誠に有難うございました。
 今回ゲストスピーカーとしてご登壇をいただいたのが、株式会社井之商の井上社長様と、中野BC株式会社の中野社長様です。両社の共通項として興味深かったのが、いずれも地元の強い応援が得られている、知財が地域振興としっかり結びついているという点です。環境問題に熱心な滋賀を拠点に太陽の自然光を建物内に採り入れる‘スカイライトチューブ’開発した井之商さん、梅やみかんという和歌山の特産品を活かしてユニークな製品を開発する中野BCさんは、いずれも地元の自治体や企業が様々な形で熱心に応援してくれるそうです。知的財産権がどうこうという前に、地域で生まれた技術が地域のニーズに結びつき、地域振興の期待を背負って事業を展開しているという、大変興味深い2つの事例でした。もちろん知的財産権が果たす役割というのもあって、井之商さんの場合は、スカイライトチューブは施工現場から出てくる様々なアイデアを取り入れながら進化を続けている製品なのですが、そのアイデアをパートナーである施工業者さんからも募り、そのアイデアについて施工業者さんと共同で特許出願等をする。出願があたかも杯を酌み交わすような役割を果たし、施工業者さんとの結びつきを深めているとのことです。中野BCさんは以前に他社に先に特許を出願された苦い経験があり、それ以来、研究所の体制整備とあわせて知財の管理にも力を入れるようになったとのことです(地元の熱い期待を背負っている以上、そんなところで取りこぼせない、といったところでしょうか)。
 もう一つ印象的だったのが、以前に不動産事業も経験されたという中野社長様が、「利益を上げて地域貢献をするという点では同じであるはずなのに、不動産で1億円利益を出すよりものづくりで1千万円利益を出すほうが地域の強い応援が得られるものです」とお話されていたことです。まさに特許法の目指さんとする「産業の発達」を具現されているなぁ、と。

 次は広島にて、中小企業のための知的財産経営シンポジウムin広島を12日に開催予定です。

成長企業の知的財産戦略 ← 一部修正

2010-03-03 | 知財発想法
 2年少し前に「成長企業の知的財産戦略」という論文を書いたのですが、これって修正が必要かな、と考える今日この頃です。
 そもそも「成長企業」とは何ぞやですが、きっちりした定義があるわけではありません。が、敢えて「成長企業」(=成長志向の企業)をそうでない企業(=安定志向の企業)と分けるとするならば、お金の使い方にあるのではないかと思います。これは、VCの投資業務と銀行の融資業務を経験してわかったことなのですが、事業が順調に立ち上がって現金が溜まり始めたときに、その現金をどうするか。VCは成長のための投資を促し、銀行は返済原資を確保するために預金を積むよう促す。つまり、成長志向の企業はそれを新たな投資(設備投資や研究開発投資etc.)に向けようとし、安定志向の企業は預金や国債などの安全資産を積み上げる。もちろん、同じ企業でも場面によって判断は異なってくると思いますが、志向としてこの違いは結構大きいように思います。
 そこで知財戦略との関連ですが、この論文では、
「成長」には、売上増加に利益が伴わなければならない。売上を成長させるネタとして「知的財産」の創出が必要、その売上を確実に利益に結び付けるためには、価格競争を抑止する参入障壁としてはたらくような「知的財産権」が必要。
といったトーンでまとめたのですが、果たしてそれでよいのだろうか。世の中、本当にそうなっているのか。
 そこで問題になってくるのが、この前から何度か書いている
企業の競争力とは、顧客との結びつきを強める力である
というところなのですが、参入障壁の形成による価格競争の抑止を、「顧客との結びつきを強める」という視点で見てみるとどうなのだろうか。「成長」するためには、競争力の強化、すなわち「顧客との結びつきを強める」ことが必要になるわけですが、そういう視点から考えると、自社の差異化要素となる知的財産を、できるだけ利便性の高いもの、顧客に喜ばれるものとして提供することが求められる。その場合に、自社で知的財産を囲い込むことが、結果的に知的財産の広がり、知的財産を使った製品やサービスの利便性の向上を抑え込むことになってはしまわないのか。もちろん、自社が優位に立つためには差異化要素である知的財産のオリジナリティを維持すべく、知的財産権を確保しておくことは有益なわけですが、囲い込むのではなく、それをより積極的に開放して知的財産を使った製品やサービスの利便性を高めていったほうが、より「成長」に結びつくこともある。というか、むしろ成長志向の企業であるほどそういう傾向が強く、囲い込みはむしろ安定志向の表れとも言えるかもしれません。
 なんてことを最近は中小・ベンチャー企業の社長と話したりするのですが、殆どの場合「そらそうよ。」という反応です(業種の関係もあるとは思いますが)。今日もそんなことを言っていたら、ある社長さんは、
「特許っていうのは、『こちらからは特許を提供するから、そちらもそこにいろいろ知恵を乗っけてもらって、一緒に新しい製品を作っていきましょうよ』っていうふうに使ってこそ意味があるものですよ。」
なんてお話をされていました。その現象をもって「オープンイノベーション」という捉え方もあるのでしょうが。
 もちろんそればかりが全てではないですが、「成長」をテーマにするならばこういう志向をちゃんと論じておくべきでした。

考える順序

2010-02-19 | 知財発想法
 物事を考える順序について、最近考えることをいくつか。

 前回のエントリに関連して。知財マネジメントシンポジウム(名古屋)で鍋屋バイテック会社・金田社長がポロッと最初にこうこぼされました。「これまで『知的財産』という観点で考えたことがなかったので・・・」(表現は正確ではないですが)。これはおそらく他の企業でも同じで、「知財の創造、活用」なんて頭でものを考える経営者はまずおられないでしょう(そういう話をされたとしても、それは相手が知財人だからそう言っているだけ)。「競争力を強化する」という手段の一つとして、有効であれば知財活動に取り組む。そういう順番です。

 これも根本的には同じ話だと思うのですが、昨年からお手伝いをさせていただいている横浜市の知財を活用した資金調達に関するプロジェクトで「知財情報の開示を資金調達に活かせないか」というテーマでいろいろ取り組んでいるのですが、そこでの経験から感じることは、資金調達をしたいのであれば「知財情報」から資料を作ってはいけない、ということです。融資や出資などのコーポレートファイナンスで資金を調達するのであれば、資金の出し手の関心は会社の事業計画であり、いくら価値のある知財を保有しているといったところで、それが事業計画、将来のキャッシュフロー(=返済原資)に結びつかなければ意味はない。逆にいえば、価値のある知財であれば、わざわざ別建てにして評価しなくても、そこからのキャッシュフローは事業計画に織り込まれているはずです。だから、まずは事業計画書を作る。その事業計画の中で知財(知財権)がどのような働きをするかを考え、事業計画の実現性を補強する材料として知財情報を織り込んでいく。事業計画が先、知財情報で補強するのであって、知財情報が先ではない。

 中小・ベンチャー企業の知財支援なんかもそうで、先日のエントリにも書いたように、中小企業向けにいい仕事をしたいと思えば、「中小企業に興味を持つこと、面白いと思うこと」が第一の条件である。中小企業やベンチャー企業に興味をもち、その実情を理解し、そこに自らの知財のスキルを適用して貢献する。それが物事の順序というものであって、「知財コンサルをやりたいけど大企業は難しいから中小・ベンチャー企業だ」っていうのは、たぶん順番が逆なんでしょう。だから、探求すべきは中小企業やベンチャー企業の何たるかであって、知財コンサルという手段ではない、ってことなんだと思います。

知財って儲かりまっか?

2010-02-10 | 知財発想法
 知財をやったら(「知財活動に取り組んだら」の意)儲かるのか、利益につながるのか。
 こういう根源的な問いに対して最近よく思うのが、中間の重要な要素をすっ飛ばして議論がされていないか、ということです。その要素とは、「(企業の)競争力を強化する」、というものなのですが、
 知財活動に取り組む ⇒ 競争力が強化される ⇒ 利益に結びつく
のであって、この中間をすっ飛ばして、知財活動そのものが利益に結びつくかどうかを議論すると、もっと‘活用’すべきだ、ライセンス料はいくらとれてるのか、訴訟をやらなきゃ、と話が妙な方に向かってしまいます。競争力強化という視点で考えるなら、例えば、特許訴訟に勝ったとしても争いの過程で嫌気をさした顧客が離れていけば競争力は低下するし、知財を囲い込まず開放して協力者を増やしていったほうが自らのポジションを押し上げていくことになるかもしれない。つまり、知財が利益につながるかどうかを論ずる手前の部分で、競争力を高めるためにどうしたらよいか、をよく考えるべきということになるかと思います。

 この点について、昨日の知財マネジメントシンポジウム(名古屋)での鍋屋バイテック・金田社長様のお話は、大変示唆に富んだものでした。社長様曰く、
企業の競争力とは、顧客との結びつきを強める力である
と。つまり、知財を‘活用’することが、顧客(+提携先など社外の協力者も含む)との結びつきにマイナスに作用するようなものであっては、短期的な数字に貢献したとしても、それは「競争力の強化→企業の持続的な成長」につながるものではない。私自身、これまでは「知財活動→参入障壁の強化→収益力の向上」というシナリオに目が行き過ぎていたか、と反省させられることの多い今日この頃です。知財は深い、そして難しい。

‘身をもって’理解する

2010-01-07 | 知財発想法
 年頭にあたり、みたいなことを書こうとすると筆が進まなくなってしまいますが、年の初めには毎年あれこれ書いてきたようですので(2009,2008,2007)、最近よく考えることを2つほど書き記しておきたいと思います。

 その1。
 商品にしろサービスにしろ、質的向上に勤め、差異化を図るだけでは、経済価値には結びつかない
 要するに、いい物を作れば、腕を磨けば、だけでは足りないということ。質的優位も、適切なビジネスモデルに当てはめることによって、初めてそれが経済価値に結びつく。「オープンビジネスモデル」(ヘンリー・チェスブロウ著)の54p.に「テクノロジー自身に固有の価値はなく、市場に投入するビジネスモデルがその価値を決定する」とあるように、特に最近よく言われている話なので何を今さらという感じではありますが、それを意識して実践できるかというとなかなか難しく、日々の雑務に追われていると、かなり頭を使ったつもりでも質的な差異化を図ることのレベルに止まっていることが多い。しっかりと実績を出している経営者やプロフェショナルにお話を伺うと、そこを本当に意識して実践できているという点が、たぶん普通の人と大きく違う部分なんだろうと思います。
 「情報やノウハウの価値が理解されない(=カネを払ってくれない)」なんて嘆きを耳にすることがありますが、それはこの大事な原則がわかっていないことの証であり、価値を理解しない文化や社会が悪いのではなく、その質的に優れたはずの情報やノウハウの価値を具現化するビジネスモデルを持たない自らの問題である、と認識したほうがいい。「知的財産の重要性が理解されない」なんて嘆きについても、これまた価値が理解されていないのではなく、その質的に優れたはずの知的財産の価値を具現化するビジネスモデルを持たないから価値が顕在化していない(顕在化していないゆえに理解されるはずもない)のである。ビジネスモデルを構想することそのものは知財人のミッションを超えているということが多いでしょうが、少なくとも問題の所在をそのように認識しておくことで、様々な判断が違ってくるはずであると思います。
 その2。
 そのビジネスモデルについて、構想する力以上に重要なのが、ビジネスモデルの実行力、さらにはそれを支える精神力である。
 アイデアをあれこれ考えるだけであれば、意識さえしっかり持っていればさほど難しい話ではなく、ところがそれがなかなか結果に結びつかないのは、リアルワールドで行動する力、トラブルが生じても、結果が出なくてもメゲずにやり続ける精神力、そこが一番の原因であるように思います。身を張って起業しようと決意するような人であれば、何らかの構想、ビジネスモデルをもってスタートするのは当たりまえの話ですが、実際にスタートしてみると、現実に生じる諸問題をクリアしていくことが必要であり、実行力や精神力が構想力以上に結果を大きく左右しているように思います。
 これもまた、「指一本の執念が勝負を決める」などで言われている話ではありますが、こうした各所で語られているビジネスの成否を決めるポイントを、頭でわかったような気になることと、身をもって理解することは全然違う。ここが重要なところで、だからこそ‘経験’が意味を持つのであり、その経験を積むためにも、やはり実行力(+精神力)が問われるということです。ウォーレンバフェットの言によると「ほとんどの場合、人は行動が遅い」とのことで、さらに「バフェット・コード」の解説では、素早く行動するためには日頃からの(心も含めた)準備が大切である、と。
 その1、その2ともに、今さらそんなレベルの話かよ、って感もありますが、これを「身をもって理解した(つもりの)こと」として記しておきたいと思います。とりあえずはそんなところで。

複雑系から考える知財

2009-08-13 | 知財発想法
 先週、田坂広志先生の「目に見えない資本主義」刊行記念講演会を聞いてきました。よくある普通の経済論・資本主義論とは一線を画した広い視点から、大変興味深い、腑に落ちる話を聞くことができましたが、そのキーメッセージが先日書いた「奇跡のリンゴ」と共通していることにちょっと驚きました。

 現代の経済は、情報革命、規制緩和、グローバル化によって複雑系と化している。工学的に制御できる機械的システムに対して、複雑系は意図的に操作できない生命的システムであるが、人類は経済を機械的システムとして工学的に操作しようとしてしまった。しかしながら、経済は複雑化を増した生命的システムであり、これに適合しない操作的手法が今の経済危機を巻き起こしてしまった。今求められていることは、この‘操作主義’の呪縛から逃れることだ、ということだそうです。「奇跡のリンゴ」は、生命体であるリンゴの木を‘操作主義’で扱おうとしたことが誤りであり、複雑な生態系を生かしていくことが答えだった、というのが主題なので、ほとんど同じ話です。
 考えてみれば、知財を巡る環境もどんどん複雑化しています。制度は複雑化し、特許権の数は増加して‘特許の藪’と化し、特許戦略は標準化戦略と絡み合い、オープンソースの支持者が反特許を主張し、流通・消費者のパワーが増して正当な権利行使が予期せぬ反発を招き、決定要因としてブランドの比重が増し、知的資産という概念が登場し、・・・複雑化の誘因は事欠きません。特許をとって事業を独占、という単純な構図であれば、それは機械的システムとして工学的手法(クレームの質を上げるとか、複数の特許で守るとか)で対応できるけど、多様な要因が絡み合って複雑系と化した事業は生命的システムであり、そもそも‘操作主義’では扱えない。そこのところが、いろいろ頑張っているのに成果が見えんのよー、という知財人の深い悩みの原因なのかもしれません。

 では、どうしたらいいのか。田坂先生によると、全体を意図的に管理できない一方で、「個々の要素の挙動が全体を支配する」ことが複雑系の重要な特徴の1つだそうです。要するに、全体の動きを制御できない場合であっても、個々の行動規範がしっかりしていれば、結果として全体もよい方向に向かう。。複雑系を少しでもよい方向に持っていくには、そうした自己規律を高めていくしかない、ということだそうです。だから、経済で言えば、市場原理を超えた企業倫理が重要になるということ。リンゴに置き換えると、生態系を形成する虫や雑草も元気であることが、結局はリンゴを強くすることにも結び付くと言えそうです。
 そうすると知財はどうか。個々の要素の行動規範と自己規律、知財活動での個々の要素といえば、知財に関わる個々人と、保有する個々の知財(権利)。これらの行動規範と自己規律を高めるってことは、何だかまだよくまとまっていないのですが、
①知財活動の目的や価値判断を知財に関わる個々人がしっかりと持つ
とか、
②個々の知財+知財権をそれぞれしっかりした意図をもって作っていく
とか。そんな感じでしょうか。‘操作主義’的な格好いい知財戦略に比べると、なんだか泥臭い現場の知財業務に戻ってくる感じですが、個々人の意識や個々の権利への意図という部分では進化しているのかもしれない。これも田坂先生によると、物事は螺旋階段を登るように進化し、進化の過程では懐かしいものが復活してくる、これは弁証法の重要な法則の一つだそうです。

注①)例えば、知財戦略コンサルティングシンポジウムや「ここがポイント!知財戦略コンサルティング」のはじめになどで提示させていただた、「知財のための知財活動」ではなく「経営課題に対する成果」を意識する、といった原則の共有を徹底する、といったイメージです。
注②)ある友人が「私の書く明細書に無駄な部分は1つもない」と語っていましたが、そういった姿勢が意図のある知財権を作っていくと思います。

目に見えない資本主義
田坂 広志(たさか ひろし)
東洋経済新報社

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知財の役割の再定義

2009-01-25 | 知財発想法
 実体経済の急速な悪化がいよいよ顕在化し、自動車や電機メーカーなど大手企業の業績も凄いことになってきました。徒然知財時々日記さんが高機能・高価格路線か、低価格路線か、というテーマをとりあげて知財との関係を論じられていますが、実際のところ電機メーカーがマスマーケットで知財の力によって高価格路線を推し進めるのは困難であり(IBM、アップル、キヤノンなどの収益力も「高価格」というよりビジネスモデルによる部分が大きいでしょうから)、「特許で参入障壁を築く」というオーソドックスな考え方では対応できないのが現実なのでしょう。クロスライセンスの条件が有利になるとか、設計の自由度が保たれて開発コストを抑制できるとか、間接的には粗利を押し上げる様々な効果が考えられますが、特許という参入障壁によって市場をコントロールするという典型的な知財経営モデルが適用できるのは、医薬品などの分野かニッチマーケットが前提になってくるのが現実であると思います。そこで、オープンイノベーションのような新しい考え方が出てくるのでしょうが、そうした中での知財(特許)の役割を考えると、「参入障壁」より上位概念化して「有利な事業環境を形成するツール」と捉え直すことが必要になってくるのだと思います。オープンイノベーションにしても、知財を差別化要因として用いるより、相互利用による市場拡大のほうがより「有利な事業環境」に寄与するということであり(‘相互’だから知財の保有が前提になってくるわけですが)、これも「有利な事業環境を形成するためのツールの使い方の一つ」ということになるのでしょう(オープンイノベーションについては不勉強なので正確にはわかりませんが、本質的にはそういうことかと理解しています)。
 すなわち、知財というツールをどう機能させれば有利な事業環境に寄与するかというところを、個別に考えていかなければいけないということかと思います。そうすると、知財の機能を出発点に物事を考えるのではなく、事業環境や収益構造を把握することから始めて知財の適用方法を考えていくことが求められるようになる。だから、知財戦略を考えるためには、知財の知識以上にビジネスセンスが重要になってくる、って話なのではないでしょうか。やっぱり、個別の問題へのきめ細かで柔軟な対応や、常識(教科書的な知財の考え方)に囚われない姿勢が大事になってくるのだと思います。

勝手知的創造サイクル

2008-12-19 | 知財発想法
 やれ知財戦略だ、金融だといった話をしていると、同業者の方から、
「土生さんは、知財の‘活用’まで関わっているのですか?」
と聞かれることがあります。おそらく「創造⇒保護⇒活用」の知的創造サイクルに当て嵌めてそう思われたのでしょう。この「創造⇒保護⇒活用」、私には以前からどうにもピンとこないので、こう問われると何と答えていいのか苦慮してしまうことになります。
 で、先日のエントリに書いた「意志⇒発明⇒特許」の勝利の方程式から、どうして「創造⇒保護⇒活用」に違和感があるのかがわかりました。この知的創造サイクルには、「意志」がないのです。正確には、「ない」というよりは「活用」の部分で「どうするか」という経営の意志が表れてくるということになるのでしょう。だとすると、これは企業経営の実態の多くのパターンに対して、順番が逆になっているのではないでしょうか。経営の「意志」に基づいて「創造⇒保護」をすれば、それは当然に「活用」されていることになるはずだからです。だから、「活用」というのはこの流れからすれば当たり前の話であって、「活用」を考えなければならないような知的財産が生まれてくること自体、経営の意志はちゃんと反映されてるの、ってことになるのではないかと思います。言い換えれば、「休眠特許を活用する」ことが必要なのではなく、「休眠特許を作らない」ことが本来の目指すべき姿であるといえるのでしょう。「意志⇒創造⇒保護」の知的創造サイクルなら、スッキリします。尤も、「創造⇒保護⇒活用」は国家戦略レベルでオーソライズされたスタンダードですから、勝手知的創造サイクル、ってところですけど。

※ 今回の写真も本文とは関係ありません(先日久々に訪ねた奈良の元興寺です。元興寺は蘇我氏の建立した飛鳥寺が平城京に移設されたもので、今の猿沢の池から奈良町くらいまでを占める大きな寺だったらしいですが、点線で描かれた昔の敷地の中の一角に残された現在の極楽坊の地図を見て、「クレームの減縮」なんて思ってしまうのは仕事のし過ぎか・・・)。

意志があり、発明があり、特許がある。

2008-12-11 | 知財発想法
 先日のエントリで、事業として成功する多くのパターンは、
■ 「発明」ありきではなく最初にあったのは「決意」であった
■ 「発明」が生まれて新商品を開発したというより、経営者が「こういった製品を作る」という決意をして、そのために必要ないくつかの「発明」が生まれてきた
ということを書きましたが、知財活動で実際に事業の成果をあげておられるある方と先ほどまで話をしていたところ、まさにその部分の考え方が一致してスッキリしました。
 こういう商品を作りたい(サービスを提供したい)という意志があり、そのために必要な発明が生まれ、その発明を保護するために必要な特許をおさえる。
 ①意志 ⇒ ②発明 ⇒ ③特許
 この順序が大事であって、②や③から始めるものではない。①や②を置き去りにして③を云々するのは全くナンセンスとして、大学発ベンチャーや産学連携なんかがいろいろ苦労しやすいのは、出発点が②となることが多いからではないか。①は「ニーズ」と置き換えてもいいのでしょうが、ニーズが顕在化してから投資をしても手遅れであることが多いので(価格競争に突っ込むだけになってしまいやすい)、①は結局は仮説に基づいてエイヤッと腹をくくる「意志」ということになってくるのだと思います。
 ③の仕事をやるのに、まず②に遡ることが「発明発掘」とかいう世界になってくるのですが、さらに①まで遡ることによって、事業の中で知財が何をやるべきかというところが見えてくる=「仕事の質」(狭義の「特許の質」ではない)が向上するのではないでしょうか。マーケッティングもファイナンスも、結局は①からスタートしてそれを実現するために必要な手段として展開していくわけだから、経営や事業に即した知財活動のあり方というものは、①に遡れば自ずから見えてくるのではないかと思います。
 意志のあるところに投資あり、意志のあるところに発明あり、投資を回収するためにその発明こそ守るべきもの(=知財活動に投資する意味があるもの)、といったところです。

※ 今回の写真も本文とは関係ありません(先日久々に訪ねた奈良の新薬師寺です。古人の‘意志’を感じる素晴らしい仏像に息を呑みますが、薬師如来を取り囲む十二神将が強力な特許ポートフォリオに見えてしまうのは仕事のし過ぎか・・・)。