経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

‘顧客ニーズ’と‘社会のニーズ’

2012-05-25 | 企業経営と知的財産
 昨日、ネット上にこんなコラムが掲載されましたが、なかなか厳しいところを突いた内容です。

  特許戦争で得をするのは弁護士だけ!?
  それでもアップル・サムスンが訴訟合戦を続ける理由

 アップル・サムスンの訴訟問題の他にも、ここのところ、ヤフー対フェイスブック、グーグルによるモトローラモビリティ買収、フェースブックのマイクロソフトからの特許購入など・、知財屋(特許屋)的には「やはり特許は重要ですよ」と説得するネタが次々と現れ(どれも米国ネタばかりではありますが・・・)、フォローの風が吹いているようにも見えるのですが、特許に関係のないビジネスパーソンの偽らざる本音がこのコラムには記されているように思います。

 「ただ、一般消費者にとって、こうした訴訟は見ていておもしろいものの、何らいいことはない。」
 「まず、訴訟に莫大なコストがかかっている。・・・そんな訴訟コストは、最終的には商品の価格に上積みされ、それを払わされるのは結局われわれ消費者だ。」
 「・・・特許でカバーされる範囲があいまいだったり広過ぎたりするために、競合企業製品のどんなデザインや機能も訴訟ネタにできるようなところがある。訴訟に用心すれば、何ら新しいことができなくなる。」
 「・・・世界中の裁判所もウンザリ気味だと言われる。ビジネス上の競争の始末を公的な裁判所に持ち込んでいる面があるからだ。・・・」

 そうはいっても、特許問題はそれが生じた当事者にとっては非常にシリアスな問題だし、争いが生じた以上、知財屋(特許屋)には明白な‘顧客ニーズ’が発生するわけで、‘顧客ニーズ’に最大限応えられるよう努力するのは、プロとして当然に求められる役割です。一方で、こういう見方を目にすると、そういう側面も否定し難いことは自分でもわかっており、果たして特許制度は、そしてその特許制度の下で仕事をしている自分は本当に社会の発展に貢献しているのだろうか、なんて考えてしまったりすることもあるわけです。

 ビジネスにおいて、‘顧客ニーズ’に応えることが重要、というフレーズは誰もが繰返し耳にしてきていることで、それは否定のしようもありません。一方で、金融の仕事をしていた時期も含めて様々なビジネスの盛衰を見てくると、そこにたくさん存在していたはずの‘顧客ニーズ’がいつの間にか失われてしまう例は少なくありません。比較的近いところでは、投資家を募り老朽化した不動産を仕入れてバリューアップして売却するビジネス、その前だと携帯コンテンツビジネスなど、ものすごい‘顧客ニーズ’があるということで、雨後の竹の子のように会社が生まれ、急速に業績を伸ばして次々と上場にまで至る企業が表れたものの、その多くが短期間に急速に萎んでいってしまいました。
 勿論‘顧客ニーズ’は大切だけれども、その奥にある‘社会のニーズ’はどうなっているのか。そこをしっかり見据えておくことが、さらに大切だと思うのです。
 特許紛争が生じれば、そこに明らかな‘顧客ニーズ’が生じるけれども、それを社会はどう捉えているのか、‘社会のニーズ’はどちらを向いているのか、社会が本当に求めていることは何なのか。

 特許制度が存在する理由は、その存在によってイノベーションが促進され、社会が豊かになることにあり、‘社会のニーズ’、社会が本当に求めていることはそこにあるはずです。
 勿論、企業が先行投資を回収して次のステップに進むため、新たな付加価値を提供するサイクルを繰り返すためには、悪質な模倣を排除することが必要なケースも多々あるのだから、特許紛争=イノベーションを阻害、という図式になるわけではないのだけれども、それが本当に‘社会のニーズ’に裏付けられたものであるかをできるだけ意識しておきたい。
 やはりそういった目的で設けられた特許制度の下で仕事をする以上、‘顧客ニーズ’だけでなく‘社会のニーズ’に応え、ブームを作って社会を煽るのではなく、経済社会と調和した知財屋(特許屋)としての仕事をやっていきたいものです。

 そんな思いから、最近は、知財のもつ排他的な機能よりも(それは語って下さる方が多々おられますので)、知財活動によって他との違い・自らの強みを客観的に浮かび上がらせる機能自らの強みをよく理解して、顧客に、パートナーにその強みをわかりやすく伝えてビジネスチャンスを拡大していく機能、そこに注目して、いろいろな取組みを始めています。
 知財活動のこういった機能、自らの強みを知る、ビジネスのきっかけを創る、という機能は、それは企業の存在を前提にする以上、社会において普遍的なニーズであり、いわゆる‘知財ネタ’には関心を持てないビジネスパーソンにとっても、共通の関心事であると思うからです。知財の領域に引きずり込むのではなく、知財という道具を持って共通の関心事に踏み込んでいく、という感覚です。
 自分のような知財屋(特許屋)が一枚噛むことによって、中小・ベンチャー企業がビジネスチャンスを拡げることにつなげられないものか。「結局は売上」、「知財は面白い。」、「売るための、伝えるための、デフレ時代の知財戦略」、「説明できるか、できないか。」、「人の力を引き出す」、「会社のプライド」といったエントリにそのあたりのことを書いてきましたが、どんどんいわゆる‘知財ネタ’からは遊離してきて、アイツの言っていることはわけがわからん、ともなってきているような・・・。

 ですが、今はクリアには見えないけれども、この領域にはきっと‘社会のニーズ’に裏打ちされた‘顧客ニーズ’があると信じて、引続き追求していきたいと思います。

Keynote投入!

2012-05-24 | お知らせ
 本日は、ちょっと宣伝です。
 今年の2月頃から、セミナーでのプレゼンソフトをPowerpointからKeynoteに切り替えました。
 文章や図表は配布資料のほうに集約し、スクリーンにはキーワードやイメージ図のみを投影する。そして、伝えたいメッセージは、スクリーンの動きと喋りで表現する、というふうに、使うソフトの違いによって、プレゼンテーションのスタイルも随分変わってきたように思います。
 Keynote版の標準的なパターンの一部を、以下のFacebookページにアップしてみました。

(1) 「知的財産とは何か?」 の導入部分
(2) 「7つの知財力」 のアウトライン
(3) おわりに~知財を切り口に訪問した中小企業から見つけた元気の法則

 知財といっても、実務系のセミナーではあり得ないプレゼン資料ですが、中小企業の経営者や、知財が専門ではない支援者、金融機関の方々向けにお話しをさせていただくことが多いので、こんな感じでスピリチュアル系でやっております。
 昨年度は全国の都道府県のギリギリ過半数(24都道府県)を回らせていただきましたが、時間が合う限り全国どこでも参上する所存です。「知財?特許?う~ん、難しそう・・・」といった類の話ではなく、「地域の中小企業を元気にする方法を、いろいろな企業の例から知財という切り口で考えてみましょう!」というノリで喋らせていただいていますので、「地域を元気にするのに何かいいアイデアないもんか?」という際には、ipvinfo●ipv.jp(お手数ですが●を@に変更ください)まで、是非お声掛けください。
 

‘知財ネタ’って何?

2012-05-21 | 7つの知財力
 昨年度来、地域金融機関向けに「7つの知財力」関連のお話をさせていただく機会が多くなっていますが、先日の某地銀さんの行内研修会の後に、何人かの方から次のような感想をいただきました。
 「お客様との話のネタに使えそうだ。」
 地域金融機関では、ここ10年来「リレーショナルシップ・バンキング」、すなわち、地元の中小企業との関係強化が重要なテーマになっています。そのため、とにかくお客様のところに足繁く通って経営者と話して来い、と号令がかかっているそうなのですが、顔を出したところで何かネタがないことには話が続かない。そこが結構、悩みの種だったりするそうです。確かに自分がベンチャーキャピタルで仕事をしていた頃も、社長室で何をネタに話をするか、アポの30分くらい前には訪問する会社の近くに行き、ドトールで日経新聞やビジネス誌を読みながらネタ探しをしたものでした。
 そうした中で、ユニークで元気な中小企業から抽出した「7つの知財力」は、結構話のネタに使えるかもしれない、という印象を持たれたようです。
 社長にいろいろ悩みを聞いた上で、「下請で培った技術を活かして自社製品を開発したい」と言われれば「見える化」、「育てた社員が辞めて同業他社に転職してしまう」と言われれば「財産化」、「社員が仕事に消極的で・・・」と言われれば「活性化」、「営業の押しが弱くて困っている」と言われれば「自社の強みを外部に伝える」などなど・・・中小企業に生じやすい悩みに対して、「知財」をキーワードに新しい見方を提供できるかもしれない、ということです。
 ‘知財ネタ’というと、アップル対サムスン、切り餅、面白い恋人、iPad商標、米国特許法改正・・・などといったテーマが思い浮かびがちですが、そのネタで中小企業との関係強化というわけにはいかない。初めから知財に関する話を持ち出すのではなく、経営者の悩みを聞き出した上で、知財的な見方で切り込んでいく。こういう‘知財ネタ’のほうが、中小企業経営者との距離感を縮めるのに実用性は高そうです。

原理原則は「知財だから」というわけではなく。

2012-05-16 | 書籍を読む
 昨年度、四国経産局の事業で御一緒させていただいたデザイナーの大口様の著作、「稼ぐ デザイン力」を読みました。以前、このブログで「中小企業のデザイン戦略」という新書を紹介しましたが、その本と同じく、‘デザイン’に対するイメージが変わるというか、その本質がよく理解できる、お薦めの一冊です。
 私はこれまで、主に技術(特許)面から知財を見てきましたが、いろいろ考えてきたことに共通点が多いことにも驚かされます。デザインも知財の一つだから、というよりも、これは何も知財に限ったこと、知財だからそうなる、というわけではなく、どうやって事業に、経営に役立てるかということから考えると、結局原理原則は同じところに落ち着いてくるのではないかと思います。
 その中から2点、例を挙げてみることにしましょう。

 1つ目は、デザインを真似ることにはどういう問題があるか? という問いについて。
 この本では、デザインを真似ようとしている時点でライバルはさらに次に進んでいるはずだから、真似たデザインでは古いイメージになってしまいやすい、といった対競合との関係について説明した後に、社員等の関係者の意識の部分に着目し、「類似のデザインでは携わる人間すべてがモチベーションを落とす」 と説明しています。
 この、社員等の関係者の意識に対する効果については、技術についても同じことがいえるはずです。「会社のプライド」のエントリでは、フィーサさんや、テンパール工業さんの例を挙げて説明しましたが、特許の存在は、「我が社は他にはない技術に支えられた商品を売っている」という、営業マンのプライドの支え、モチベーションにもつながるものです。オリジナリティというのは法的な側面だけでなく、人の心に与える影響が大きいこと、技術やデザインを考える際には、ここも決して見落としてはいけない部分です。

 2つ目は、模倣品対策ですが、以下にコピー商品対策についての記述の一部を引用します。

 「コピー」にいちいち文句をつけていてはきりがありません。それよりも、「本物」としての魅力を引き上げることに全力を上げたほうがよいのです。コピー商品は自社の宣伝をしてくれるものと考え、自社製品の品質を上げ、さらには新商品を開発していくことに力を入れる。長期的に見れば、それが一番効果的です。

 ここでは警告や権利行使の必要性を否定しているわけではなく、それはあくまで短期的に必要になる対策であって、長い目で見た場合の差異化の本質を見失ってはいけない、ということを述べておられます。
 模倣品対策については、相手を排除することによって差異化するという方法だけでなく、相手を活かしながらその違いを明示して本物であることをアピールする、すなわち相手を下げるのではなく自分を上げることによって差異化する方法もあるわけで、知的財産権には前者の狙いで模倣品を排除するという機能だけでなく、後者の方法を考える場合にも、知的財産権の存在は‘本物’であることの証明になるものです。
 勿論、本物と見間違って購入されることを狙ったようなそっくりそのままのコピー商品を放置するわけにはいきませんが、1社の製品しか存在しないような市場が拡大するなんてことは医薬品でもない限り現実的ではないし、どんなに優れた製品でもいずれは何らかの形でキャッチアップされてくるものです。
 本物として進化し続けるという勝利の王道を見失わないように、短期的な対策と長期的な対策をしっかり区別して考える。この考え方には大いに共感します。

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‘甲子園企業’がニッポンを元気にする!

2012-05-05 | 企業経営と知的財産
 先にお断りしておきます。久々のエントリになりましたが、今日は気合いを入れて書きます。長くなりますが、何卒ご容赦ください。
 
 ここ数年、特許庁や各地の経済産業局のプロジェクトで、全国各地の様々な中小企業を訪問させていただきました。
 知財面からの中小企業支援のあり方について深堀りをしていくのが主な目的ですが、‘中小企業支援’という言葉から、その対象としてどのような企業をイメージするでしょうか。

 中小企業といえば、いつも大企業に叩かれて、資金も人材も不十分で、デフレや円高に苦しめられている弱者である。しかし、日本の雇用の多くは中小企業によって支えられているから、国がなんとかしなければいけない。亀井元金融大臣の時のモラトリアム法なんかが典型例ですが、中小企業支援というと弱者救済的なイメージが強いように思います。
 ところが、前述のプロジェクトで訪問した中小企業については、初めから元気な企業を選んで訪問したというのがその大きな理由ではありますが、支援の必要な弱者というイメージが強い‘中小企業’に分類して論じることに、少々違和感を感じることが少なくありませんでした。
 だからといって、単純に 「日本の中小企業は元気です」 なんて言っているわけではなく、知財という切り口で注目した中小企業の多くは、一般的にイメージされる‘中小企業’とは一線を画している、ということが、ここで強調しておきたいことなのです。
 これらの企業を、普通に ‘中小企業’と呼んでしまうのに違和感を覚えるというか、むしろ企業規模とは違う部分で共通の特徴を有しており、規模で論じることがあまり適切でないように感じるのです。規模だけをものさしにして‘中小企業’というグループに分類してしまうのではなく、切り口を変えて違った見方をすることで、これらの企業の本質というか、知財でやるべきことを考える上でも大事な部分が見えてくるのではないでしょうか。

 そもそも企業を分類する上で規模というのは一つの要素でしかなく、大企業、中小企業という分類が唯一無二というわけではありません。
 例えば、‘ベンチャー企業’と呼ばれる企業については、どういった条件を満たす企業であればベンチャー企業に分類されるのでしょうか。‘中小企業’と違って、‘ベンチャー企業’には明確な定義がないのです。あえて客観的な基準で区分しようとするなら、設立からの年数が関係してくるかもしれませんが、それよりもむしろ企業の性質によって判断されているのが実態です。
・ 独自の製品やサービスを開発して事業展開し、
・ 常に成長を志向し、
・ 新規事業への果敢な投資を厭わない。
 規模や設立からの年数に関わらず、そういった性質を持つ企業であれば、‘ベンチャー企業’と呼ぶことに違和感はないのではないかと思います。

 その‘ベンチャー企業’ですが、シリコンバレーに倣ってベンチャー企業を育成し、日本経済を活性化しよう、ということが、かなり昔から言われてきました。産学連携、大学発ベンチャーなども、その文脈から出てきたものと思います。
 ところが、こうしたことが言われ始めてから随分時が経ったものの、なかなか変化がみられないどころか、IPOの数もベンチャーキャピタルの数も大きく減少し、むしろ後退しているといってもいいくらいの状況です。
 十数年前の私も、ベンチャー業界が日本を変えると信じて金融の世界で活動していた一人でしたが、先日、当時からベンチャー企業を研究しているある方が、「なぜ日本ではベンチャー企業が育たないのか」 といったテーマで、カルチャーの違いやら何やらを解説することを求められている、といった話をされていました。
 その話を聞いた時に、正直なところ、少々うんざりする感が否めませんでした。一体いつまで同じ議論を繰り返しているのかと。カルチャーの違いなんて、15年以上前から(おそらくもっと前から)、同じことがさんざん言われてきました。ところが、それは簡単に変わるものではないし、変えるべきものかどうかすら明らかではありません。

 例えば、ベンチャー企業が新規事業に思い切った投資をしたい場合に、シリコンバレーであればベンチャーキャピタルから(日本円に直すと)10億円単位のお金が集まるけど、日本のベンチャーキャピタルだと数千万からせいぜい数億円で、しかも投資判断で実績が重視される。そういう話を聞きかじってきた人が 「日本のベンチャーキャピタルがリスクをとらないのはけしからん」 ともっともらしく語っていたりすることがありますが、ではその人は自分の余裕資金をどのように運用しているのでしょうか?
 まさか郵便貯金じゃないですよね、マザーズやジャスダックの株を買っていますよね・・・。
 だって、ベンチャーキャピタルの商売が成り立つのは、投資した株を誰かが買ってくれるからであって、彼らはボランティアでお金を配っているわけではないのです。一定のレベルまで成長した暁に買ってくれるマーケットがあり、投資家がいるからこそリスクをとれるのであって、昨今のように株式市場が低迷してIPOも難しい環境下で、積極的にリスクをとれるわけがありません。売れないもの、買い手がつかないものを、仕入れるわけにはいかないのです。
 カルチャーというのは他人事ではなく、一人一人の行動やマインドによって形成されるものです。多くの国民が、それもベンチャー云々を論じるような人達がマーケットに参加せず、関心すらないような状況で、カルチャー云々を論じたところで何かが変わるはずもありません。

 勿論、日本にそういうマインドをもった人や企業が全く存在しないという訳ではないので、シリコンバレー的なモデルによるサクセスストーリーが生まれる余地がないということではありません。ベンチャーの世界に触れることで仕事の面白さを知った自分としては、まだまだその世界で頑張っている企業や人と関わり、可能性を追求していきたいと思っています。
 しかしながら、こうしたカルチャーの部分はかなり根深い問題であり、社会全体のマインドが変化し、シリコンバレー的なベンチャー企業が数多く成功への道を辿り、その力で日本経済を再生するというのは、現実問題として難しいと認識しておくべきではないでしょうか。

 話を元に戻しますが、日本経済を活性化するという目的を考えるのに、それを実現するプレイヤーは、シリコンバレー的なベンチャー企業でなければならないというものではありません。
 では、どのような企業があるのか? ということになると、大企業・中小企業といった規模による分類はあまり意味をもたず、重要なのは企業の性質なのではないかと思います。
 そして、ここで求められることになる性質、それも日本のカルチャーにフィットした性質が、知財というテーマで訪問してきた全国各地の企業群に表れているように感じられるのです。

 知財をテーマにして訪問する企業なので、これらの企業には他社にはない技術、デザイン、ブランドなどのオリジナリティがあります。そしてそのオリジナリティは特許権、意匠権、商標権といった形で可視化されて、会社のシンボルとなり、ヤル気の源になっています。規模は小さくても、
私たちの会社は他社にはできない仕事をしている特別な会社だ
というプライドがあり、それが会社の活力になっているのです(詳しくは「会社のプライド」のエントリに)。
 こうした企業を訪問すると、社員の皆さんが立ち上がり、元気に 「いらっしゃいませ」 と挨拶をしてくださる。工場を見学させていただいても、作業していた手を止め、同じように 「いらっしゃいませ」 と挨拶をしてくださいます。
 これは殆どと言っていいほど、例外がありません。
 通常イメージされる弱者のニュアンスを含んだ ‘中小企業’との違いは、こうしたオリジナリティに支えられたプライドと活力にある、と言っても過言ではないでしょう。

 そして、「製品やサービスにオリジナリティがある」 というこれらの企業の特徴は、「独自の製品やサービスを開発して事業展開している」 という、先ほど考えた‘ベンチャー企業’の性質の一つと共通していることに気付かされます。
 オリジナリティがあり、それを事業の推進力にしているという点において両者は共通しており、異なるのはその事業化の手法の部分だけなのです。

 IPOを目標に据え、外部からの資金も積極的に受け入れて新規事業に果敢に投資し、比較的短期で成果を上げようとするベンチャー企業。 これに対して、知財を核にした全国各地の中小企業は、会社の着実な基盤作りを第一に、自己資金や地域金融機関の融資を活かして地域に根差しながら着実に実績を積み重ね、中長期に渡って存続する会社であることを強く意識しているように感じます。

 そして、それぞれを資金面から支えるベンチャーキャピタルと地域金融機関も、一見対極にあるようでありながら、実はよく似た部分があります。
 どちらも会社と密に付き合い、財務諸表だけに表れない部分をしっかり感じとりながら、絶妙のさじ加減で会社に必要な資金を提供していくという部分です。エクイティかデッドかというファイナンス手法に違いはありますが、それはむしろ金融機関へのお金の出し手の違い(投資家か預金者か)、出し手のマインドの違い(ハイリスクハイリターンかローリスクローリターンか)に起因しているといってよいでしょう。
 このように言うと、「そんなことはない、日本の銀行は決算書しか見ないで貸し剥がしも酷いものだ」、といった声が聞こえてきそうですが、地域密着で活動している金融機関の中には、それだけではない金融機関がたくさんあるはずです。
 リーマンショック後の銀行による貸し剥がしが問題視されていた時、ある信用金庫の方がこういう話をしてくださいました。
 「我々のような信用金庫が、貸し剥がしなんて、そんな簡単にできるものではありません。地域社会で生きている我々は、貸し剥がしをしておいて 『転勤になりました』 といって姿を眩ますことができるわけでもなく、お客様とは地域社会の中でずっと一緒に生きていかなければいけないのです」。
 また、他の信用金庫では、こういう話を伺いました。
 「この企業の技術力が確かかどうか。我々に技術そのものを理解することはできなくても、付き合いのある地元の企業の評判から、その企業がしっかりした仕事をしているかどうかを知ることができます。今、その企業がどういう状況にあるかだって、地域の評判で我々の耳に入ってくるものなのです」。

 では、そうしたユニークでオリジナリティのある企業は、どうしてより大きな市場を求めて東京や大阪に集まってこないのでしょうか。
 地方にいる強みはどこにあるのか。この点について、以前にエルムの宮原社長が、「地方には企業が少ないので分業化しにくく、何でもやらなければならない。結果としてできることの幅が広がり、商品開発の発想も多様になっている」 と話してくださいました(詳しくは「経営者の視座」のエントリに)。合理化や効率化だけで差異化が難しくなっている時代になり、今求められているのは、他にはない斬新な発想力です。そういう発想力は、造られた無機的な環境下ではなかなか育たない。だから、自分たちの地元、自分たちの地域に根差して活動していることが、意味をもってくるのです。
 また、鹿児島にあるエルムさんは、地元の強い期待を背負った企業でもあります。新社屋の落成式に出席させていただいた際には、自治体、地元企業などが一体となって応援していることがよく伝わってきました(詳しくは「見て感じること」のエントリに)。
 細かい話になりますが、企業訪問の際に最寄駅からタクシーに乗って会社名を告げると、「あぁ、〇〇社さんね」と直ぐにわかってもらえることが少なくありません。規模は小さくても存在感があり、よくお客さんが訪ねてくることの証なのではないでしょうか。

 以前のエントリにも書きましたが、全国各地にこうしたユニークでオリジナリティのある企業が存在しているということを、日本にいるとそれほど特別なことだとは感じないかもしれませんが、実はこれは他国にはあまり見られない、日本ならではの特徴であるようです。
 日本の中小企業の特許出願の件数は、ASEAN諸国におけるローカル企業の特許出願の件数を1桁~2桁上回っています。韓国の知財関係者が、中小企業が全国のどの都道府県でも特許出願について相談できるインフラが整っていることに驚いていたという話を耳にしたこともあります(詳しくは「ニッポンの底力」のエントリに)。
 言われたことをただこなすだけでなく、自らにプライドを持ち、自分の頭で考え、チャレンジし、プライドと覚悟をもって戦っている企業が全国各地に存在している、これはおそらく日本ならではの特徴です。日本は‘現場力’の国だとよく言われますが、まさにその日本のカルチャーが表れた‘地域の現場力’と言ってもよいでしょう。
 そして、そうした企業を資金面で支えているのが、これも日本のカルチャーにあった資金を預かり、運用している地域金融機関であり、自治体や地域の専門家も ‘おらが企業’ に期待し、応援しているのです。

 このように考えてみると、日本のカルチャーを反映した、よく似た存在が浮かび上がってきます。
 そうです、 ‘甲子園’を目指している高校野球のチームです。

・ 戦う覚悟があり、地域に止まらない大きなフィールドでの勝利を目指している。
・ 自分たちの力(オリジナリティ)を信じて、地道に努力を続けている。
・ 地域に誇りを持ち、地域からの熱い応援を受けている。
・ メンバー(社員)はチーム(会社)が好きで、チームに誇りを持っている。
・ 声(挨拶)が自然に、よく出ている。

 知的財産は、差し詰めそのアイデンティティを象徴する、校歌やユニフォームといったところでしょうか。

 ‘甲子園’というイベントも、他国の事情を調べたわけではないので正確にはわかりませんが、おそらく日本のカルチャーを象徴する独特のものなのではないでしょうか。

 そこで、こうした地域に根差したユニークでオリジナリティのある企業を、私は勝手に‘甲子園企業’と呼ばせていただくことにしました。

 前述のプロジェクトで訪問した企業は、既に実績を上げている‘甲子園に出場した企業’と言えるかもしれませんが、実績はまだでも甲子園を目指している、そうしたマインドのある企業であれば‘甲子園企業’です。
 東京や大阪のような都会にある企業でも、マインドがそうであれば‘甲子園企業’です。
 ‘甲子園企業’は、「国が、政府が何とかしてくれんと・・・」、「景気が回復してくれんことには・・・」 とかいった依存型のセリフは吐きません。
 政府云々を語るとしても、依存するのではなく、‘喝’を入れるのが‘甲子園企業’の特徴です。
 シリコンバレーを真似ようとしなくても、ニッポンにはニッポンのカルチャーに根差した‘甲子園企業’があるのです。

 この‘甲子園企業’にもっと注目し、応援することで、ニッポンを元気にしていくことができるのではないでしょうか。



補1) では、具体的にどういう企業が‘甲子園企業’なのか。‘甲子園’どころか‘メジャーリーグ’で戦っている企業も含まれていますが、「ココがポイント!知財戦略コンサルティング~中小企業経営に役立つ10の視点~」 や 「知的財産経営 プランニングブック」 に紹介させていただいている企業は、まさにその典型例です。


補2) 要するに‘ニッチトップ’や‘オンリーワン企業’のことではないか、とのご意見に対して。
 その1、‘ニッチトップ’や‘オンリーワン企業’は、市場でのポジショニングを示す表現であって、そこには地域との関係性が表れていません。‘甲子園企業’であれば、地域に根差した企業の性質、そしてそうした企業が全国各地に存在していることも表現し得るのではないかと思っています。
 その2、‘ニッチトップ’も‘オンリーワン企業’も、市場や競合との関係という米欧的な戦略論の俎上に乗ってしまった捉え方で、日本独自のカルチャーに基づく強みが見えなくなってしまうように感じます。日本の強みが、米欧的な合理性や効率性では説明がつかないチームワークや現場力、献身の精神にあるとするならば、‘ニッチトップ’や‘オンリーワン企業’ではそうした精神的な側面の強みが表現できないと思うのです。
 その3、‘ニッチ’というと何かセコそうな印象を、‘オンリーワン’というと‘No.1’になる戦いから逃げているような印象をもたれてしまうことがあるかもしれませんが、‘甲子園’にはまさに正面から正々堂々、最高峰を目指すマインドが表れているように思います。