経営の視点から考える「知財発想法」

これからのビジネスパーソンに求められる「知財発想法」について考える

資格は成り金か?

2008-11-16 | 知財業界
 先般、諸事情により流れてしまった講演用に準備していたレジュメ(抜粋)をアップします(→レジュメはこちらをクリック)。テーマはビジネスキャリアと弁理士資格について。このブログにも何度か書きましたが(その1その2)、弁理士資格とはその人の属性の1つであって、主体になる性質のものではないのではないか、というのが主題です。

<P.1> 弁理士資格の取得を目指している人は「弁理士になりたい」のか、それとも「弁理士の資格をとりたい」と考えているのか。既に資格を得ている人は、「弁理士になりたい」と思っていたか、それとも「弁理士の資格をとりたい」と思っていたか。この意識の違いには、実は大きな意味があるのではないか。
<P.2> つまり、自分が将棋の成り金のように弁理士に化けるのか。それとも、自分はそのままで弁理士資格という1つの道具を手に入れるのか。
<P.3> 言い換えれば、あたかも会社に就職するように弁理士というグループに仲間入りするのか、それとも弁理士資格という同じ道具を持っていてもそれぞれは全く別個の主体なのか。
<P.4> で、巷で弁理士についてあれこれ言われるときには、前者のように弁理士が主体として語られていることが少なくない。でも、これってなんか変な議論ではないか、と違和感がある。弁理士って、そもそも主体ではなく、属性なのではないか。
<P.5> 主体になるのは「弁理士」ではなく、「~さん」「~事務所」「~社」であるはず。
<P.6> ところで、自らが提供する商品やサービスについて、「相対思考」と「絶対思考」の2つの見方がある。「相対思考」は同じ枠内で括った商品やサービスの中で他との違いや優位性を考えるが、「絶対思考」は常識に囚われずそもそもどういう商品やサービスを提供すべきから考える。
<P.7> 弁理士を主体と考えれば、弁理士という常識で括った枠内で仕事のあり方を考えるので、必然的に同質化し、思考は相対化する。一方、弁理士を属性の1つと捉えれば、弁理士とはこういうものという固定観念に囚われることなく、弁理士という道具やそれによって得た知識やスキルを活かしながら何ができるのか、思考は絶対化して選択肢も多様化する。
<P.8> すなわち、弁理士資格を属性の1つと捉えることによって、各々のバックグランドを活かした多様なビジネスパーソンが生まれるのではないか。相対思考に陥っていてはコップの中の争いが激しくなるだけで、サービスの質が劇的に変化することはない。
<P.9> 見方を変えると、ビジネスパーソンとしてのアイデンティティがないままに資格に拘ると、弁理士が主体化し、同質化が進んで相対思考に陥りやすくなる。自らのアイデンティティが確立されていれば、資格の活かし方も多様になり、絶対思考によって新しい良質なサービスが生まれる可能性が高まるはず。
<P.10> たとえば、専門分野の深堀り、専門分野の拡大といった二次元の枠内の進化だけでなく、これらの業務を事業活動と融合させるという三次元的な進化のためには、各々のアイデンティティに基づく絶対思考が必要になってくる。この領域は、相対思考の延長線上で進化していく性質のものではない。たぶん。

とレジュメに沿って説明してみたものの、これではなんだか抽象的でよくわからないですかね。


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8 コメント

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弁理士試験と弁理士業務の矛盾 (久野敦司)
2008-11-16 05:37:11
弁理士資格を保有しているかどうかは、個人の属性の一つです。また、弁理士業務を行なっているかどうかも個人の属性の一つです。弁理士資格を保有していても弁理士業務に従事していない人は多数いますが、弁理士資格が無いと弁理士業務をできないのも事実です。
弁理士資格を有しているという属性、弁理士業務をしているという属性だけでは個人の属性のほんの一部を表現しているだけであり、弁理士業務に従事している人も多種多様であり、顧客の事業に無関心な人もいれば、顧客の事業にアドバイスできる人もいるというのも事実です。
そうすると、個人の属性としての弁理士資格や弁理士業務を論じても他の属性との関係に埋もれてしまいます。それよりも私が常々感じている矛盾である「弁理士試験は弁理士が業務独占している業務における中心能力を試験せず、業務独占していない業務における中心能力の試験をしている」というものの方が論じやすいと思います。

すなわち、弁理士試験は弁理士業務において最重要な発明の本質部分の抽出と比較と表現の能力の試験をせず、法律学校の教師に最重要と思われる法律の解説能力の試験となっているという矛盾です。

例えてみれば、野球の審判の試験としてはふさわしい野球のルールの試験だけをして、バッティングやピッチングの実技試験をせずに、野球選手の採用をしているようなものだと思います。

なぜ、弁理士試験がこのように、弁理士が弁理士法に基づいて業務独占している出願等代理や鑑定の業務の本質部分の能力の試験を全くしていないのかが不明であり、矛盾だと思います。
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初めまして (パテパンダ)
2008-11-16 09:45:43
ipippiから飛んで来ました。

この視点はよりよい商品・サービスを創造するために、他の士業にも必要なものではないか、と感じています。
資格ありきではなく、自分の事業の中でその1属性をどう活用するか。
とても納得のいく内容の記事でした。
ありがとうございます。
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Unknown (土生)
2008-11-17 00:11:00
パテパンダ様

コメント有難うございます。
大雑把な説明でご理解をいただけたようで・・・この話は、同じような問題意識を持っておられる方には、1ページ目だけでもピンときていただけるようです。
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Unknown (土生)
2008-11-17 00:13:02
久野様

コメントありがとうございます。
弁理士試験に関しては、確かに実務との遊離が大きいのは問題でしょうが、おそらくそれに対しては、
・業務範囲は特許(発明の本質抽出)だけではない。
・知識(法律知識)は客観的に評価しやすいが、技能(発明の本質抽出力)は客観的評価が困難。
といった反論があり得るのではないかと思います。野球のルールを知っていることを最低限の条件としておいて、実際にプレーする能力が伴わなければ試合に出る機会が得られないだけ、という考え方もあるのでしょう。また、「ルール&実技」のように条件項目を増やしていくと、構成要素の多いクレームのように範囲が狭まり、今度は人材が画一化し過ぎてしまうという問題も生じそうですし・・・
いずれにしても、1プレイヤーである自分の立場からは制度は所与のものとして、プレイの腕を磨くことを第1に考えていきたいと思います。
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Unknown (wakinobee)
2008-11-17 01:36:25
先般から水をさすつもりではないのですが。
たぶん私の行きたいところの先を歩いている方として見ているので、
批判しようという気持ちもなく。でも、どうもこの属性に関しての話は
もっともらしいのですが、何かがしっくりきません。

例えば、
英検○級もそのヒトの属性で、英検○級と弁理士資格と同じなんだろうか?
つまり、属性レベルで仕事していいんだろうか?
むしろ弁理士=特許出願代理人と、とらえてしまった間違ったところから出発している
から、こういう属性論をいわなくちゃいけなくなるというのに陥っているような…。

例えば、弁護士資格を持った大統領は、この場合、弁護士資格は確かに属性、でも大統領は属性なんだろうか? 属性レベルで仕事していいのか? 暗殺を覚悟で仕事をする気概が必要なんじゃないか?資格は主体にもなり、属性にもなる、という相対的なものとして理解した方が私にはしっくりきます。ま大統領は厳密には資格とはいえませんが。。

つまり、弁理士業界というのは確かにあって、それはそれで時代にキャッチアップして世の中の信頼を得る必要がある。他方、弁理士資格を持った人が他の業界で活躍する場合があるけど、その場合は弁理士として他の業界のヒトといっしょに仕事をするのか、または弁理士という立場を捨て(弁理士登録は一応持ちつつ、名刺に書く程度)、他の業界人として働くのか、2つに1つなんじゃないかと思うのです。後者の場合は属性となる。そうじゃないと結局うまくいかないような気がしてます。

あってるかどうかはわかりません。
で、私としては2つに1つの選択肢を決めかねてる、といったところで、この話題にはすごく反応してしまうのです。。。
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悩まなくても良いのでは? (久野敦司)
2008-11-17 05:58:59
実務との乖離が大きい試験による資格である弁理士資格ですので、実務の立場から弁理士資格が個人の属性かどうかなどを含めて、あれこれと悩む必要は無いと思います。

要は、顧客の事業や経営に貢献する仕事を知的財産権の専門知識と専門能力を用いて、きちんと実行し、その対価を顧客からきちんと得るだけの話だと思います。
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Unknown (土生)
2008-11-17 13:29:01
wakinobee様

これはあくまで個人の感覚の話なので、しっくりこなければ無視してもらえばいいです。久野様にご指摘いただいているようにどっちが正しいかと悩むような話ではありません。
ただ、ニュアンスが伝わっていないかと思うのは、ここで言っているのは外形ではなく意識の問題であるということです。弁理士法の条文は弁理士を主語にして書かれていることからも、「弁理士が主体になる」のは外形的な事実としてその通りでしょう。一方で、代理人業務に確固たるアイデンティティを見出し、その人ならではの事務所業務(≒弁理士業務)をやっておられる方は、弁理士とはああだこうだという画一化された議論とは一線を画しており、そういう方の意識は私から見れば後者です。「弁理士=属性」⇒代理人業務を捨てる、という外形で切っているわけではありません(ゆえに、「弁理士=属性」⇒職業意識が低い、とはならないと思いますが)。
まぁ、これも水掛け論っぽいですが。
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Unknown (wakibee)
2008-11-17 17:40:07
くだらない話とか、どーでもよい話とか、には関わらないタチなのですが、この話はどうも何か本質的な話が潜んでいる感じがして無視できず・・・。

(^^;)で、結局うまく説明できないので、大人になって「まっ、クライアントのためになればねえ」ってお茶を濁す自分がもどかしいのですが。

あーだ、こーだ言わず体を動かせばいいかな、って、この間もそう思ったのですが、また書き込みしてしまいました。

お邪魔しました。。。

あっ、この書き込みにはコメント不要です。
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