赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

半島横断(9) キョンジュ雨歌

2008-02-03 13:07:47 | ぶらりアウェイの旅
前回からのつづき)

9月末の韓国・チョンジュ(全州)遠征のついでに韓国内をぶらぶらしたときの話がそのまま放置になっていたので、今更ながら雪で外出する気にもならない徒然に、残っていた最後のキョンジュ(慶州)での話を中心に書き記しておく。何か今となっては遠い昔の出来事のような気がする。いやまあ昔なんだが。そういえばニュースで「(水曜に日本代表とする)タイ代表が「韓国の強豪」全北現代に2×0で快勝」ってやっていて、正直失笑を禁じえなかったな。

ソックラム(石窟庵)を後にし、プルグクサ(仏国寺)へ。この日は雨だったし、そもそもタクシーを借り上げてしまっていたのだが、どうやらこの間はハイキングコースにもなっているらしいので、また訪れる機会があればそういうのもトライしてみたいもの。今期のACL韓国代表の1クラブとして、慶州に比較的近い浦項が出場しているので、行くチャンスはあるかもな。



デカデカと「佛国寺」と書かれた門をくぐり、橋を渡って歩いていく。敷地内は韓国の修学旅行生のガキどもが席巻していて、コイツらがまたうるさいわ落ち着かないわで雰囲気を台無しにしてくれる。しっかり監督しろ先公!(死語ですがスクール☆ウォーズを見たばかりなものでご容赦ください)



ガキどもの騒音にもめげずに歩を進めていくと、眼前に石でできた高い階段が2つ。写真はうち右側にあった橋で、青雲橋・白雲橋という橋(ネット情報によれば、2段に別れた上の16段が白雲橋、下の18段が青雲橋)。どうみても階段なのに橋と呼ばれているのは、上にある門を越えて釈迦如来の彼岸世界に渡るための橋だからっつーことらしい。



ただし上にある門そのものからは「彼岸世界」に入ることはできず、横から入ることになっていたと記憶している。そんなこんなで中に入るといくつかの塔と「大雄殿」と抱えれた建物が目に入ってくる。そして最初に思ったのが「『伽藍配置』きたあああああ!」という、えらくマニアックなものだった。ううん、アジアに生まれてよかったああああ!



いや、昨年の悪夢のナビスコ杯準々決勝の際に訪れた大阪の四天王寺もこの「伽藍配置」といわれる構造になっていたわけです。それで解説かなにかで「伽藍配置は、朝鮮半島などでも見ることができる」という記述があって、ACLで韓国行ってこの目で確かめてやろうと思っていたもので、変な感慨があったわけで、別に伽藍配置フェチとかではないので誤解なきよう。



大雄殿には本尊である釈迦牟尼像が置かれ、両脇に文殊菩薩、普賢菩薩の像が並んでいます。大雄殿の前にある2つの塔はタボタプ(多宝塔)とソッカタプ(釈迦塔)。写真にちょっとだけ写っているのは恐らく前者。



これはチョンジュでも見られた極彩色。オレが見て回ったような寺院では基本的にこういうカラーリングがほとんどだった。鮮やかなものです。

さて、まあ、また気が向いたら続くということで・・・。

アナザー吉祥寺

2008-02-03 02:26:51 | アウェイじゃないけどぶらり旅
先日、神名備@千駄木でらーめんを食べた後、腹ごなしにちょっと散歩でもしようと不忍通りから道灌山を登ってみた。急な坂を上りきってからもしばらく歩き続けると、やがて駒込エリアに差し掛かってくる。そこでちょっと気になるお寺らしき建物があったので覗いてみたところ、「吉祥寺」というお寺だった。武蔵野市の「吉祥寺」に吉祥寺がないという話は以前聞いたことがあったが、まさかそれが駒込にあったとは。

偶然出くわしたのも何かの縁かと思い、ネットやらでちょっと調べてみたところ、この吉祥寺(きっしょうじ、と読むという話もあった)、もともとは現在の千代田区のあたり、大田道灌が江戸城を築城した際に井戸から「吉祥増上」と刻印された金印を見つけたため、江戸城西の丸・和田倉門のあたりに建立したものらしい。その後神田駿河台移転を経て、明暦の大火(1657)の後さらに現在地に移転してきたという経緯のよう。

その「明暦の大火」というのが結構キーワードになっているようで、その大火の原因となった火事を引き起こした放火の犯人といて火炙りにされた「八百屋お七」と、その恋人を祭ったものがあった(彼女のお墓はまた別のところにあるらしいが)。火事の際に知り合って惚れたこの男にもう一度会いたくて思わず放火をしちまったという16歳の少女。なんともはハタ迷惑な話だが、恋は盲目ってヤツなんでしょうか。

また、武蔵野市の「吉祥寺」という地名だが、実はそれもこの「明暦の大火」と少なからず関係があるらしく、その大火の際に罹災した本郷元町(現文京区)にあった吉祥寺門前の住人たちが五日市街道沿いに移住し、開拓したところから村名がつけられたといわれてるらしい。いや思わぬところで勉強になっちまった。

勉強と言えばこの寺は多くの学僧を育てていたようで、その学寮だった「栴檀林」(せんだんりん)が現在「駒澤大学」となったということらしい。禅学を修得する道場として江戸時代以降洞門に数千の人材を送ったとか。そして栴檀林といえば、境内で個人的にひときわ目を引かれたこの建物。



栴檀林の、いわゆる「図書収蔵庫」だったらしい建物。江戸時代に一度再建されたものらしいが、彫物がなんとも言えず趣があってよかった。また、内には経典を所蔵する輪蔵があるんだとか。そしてその建物の傍にあったのがこれ。



狛猿・・・なのか? 浦和の調(つきのみや)神社では狛兎?というやはり珍しいものが拝めたが、これも個人的には初めてみたような気がするんだが。

その他にも、鎌倉大仏のミニチュア版みたいな仏像や、榎本武揚のお墓や、二宮尊徳らのお墓もあってなかなか楽しかった。二宮尊徳のお墓の傍には昔校庭にあったいわゆる「二宮金次郎」の像があってちょい懐かしかった。「学校七不思議」で夜になると二宮金次郎の目が光って校庭を走りまわってて薪を投げつけられるなんてトンデモ話があって、それを真に受けて怖がっていたもんだ。

しかし文京区はなにげに寺院なんかが多くて、休日のおっさんの運動不足解消を兼ねた暇つぶしにはなかなかいいかもしれない。吉祥寺の傍には寺社のほかにも夏目漱石の住居跡や、森鴎外の関係の建物なんかもあって、実は結構漱石好きだったりするんで今度ゆっくり歩いてみようかななんて思っている。

しかし勉強になったはいいがブログのネタにするくらいしか生かす機会はないのかもしれないなとw ま、例によってまたひとつつまらぬことに脳細胞を使っちまったっつーことで・・・。

長谷部後半から出場か・・・とりあえずドイツデビューおめでとう!