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ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ファンタジーの中での女性キャラクターの活躍

2009年06月05日 | 指輪物語&トールキン
休みも1週間経って、毎日更新もそろそろネタが尽きてきますので、だんだん与太話になって来ますが・・・(汗)
先日グイン・サーガのアニメを見ていて、グインが公女将軍アムネリスに向かって「女の身で鎧兜をまとっているが本物の戦士の前では笑止千万」とかなんとか言うシーンがあって、そういやこんなこと言ってたなあと・・・
原作の最新刊126巻でも、リンダが「国家の元首は男性でないと」というようなことを言っていて、ふーん、と思ったところだったんですね。
ちょうどゲド戦記を読んだところだったからというのもあるんですが、女性が書いていてこういうこと書くんだー、と。
グイン・サーガは当初は「ヒロイックファンタジー」というジャンルのつもりで書いていたはずで、なので原作序盤のアムネリスに対するこの台詞はまあそんなもんかな、と思うんですが、昨今の女性も活躍する作品が多い中で改めて聞くと、まあ古風だなあと思ってしまいました。まあ書かれたのも70年代ですが。
しかし、最新刊でもそんなに変わらないこと書いてるなあというのにちょっと驚いたというか。
たまたまキャラクター的にアムネリスもリンダも、一見気が強そうだけど実は女らしい性格、というキャラクターだというのもあるかもしれませんが、なんか行間からそれだけではないものを感じていまうんですね。
「女性だとダメ」というのが、もともとの性質の違いによるものなのか、それとも社会的なしくみで積み上げられてきたものなのか・・・というところですが、ゲド戦記を読んだ後だと、後者に軍配、と個人的には思ってしまうのですが。
まあ、社会的に古い段階にあると思われるファンタジーの世界の場合、女性が社会的に低い位置にいるのは当然とも言えるかもしれないんですが。
なんか、アメリカで育ったル=グインと、日本で育った栗本薫の違いを感じるかな、とも思いました。
そんな中でつい連想してしまうのは、トールキンは結構女性のキャラクターを重要な位置につけてるよなあ、ということです。
まあ、「終わらざりし物語」の「アルダリオンとエレンディス」を読んだりすると、トールキンも結構「女には男の気持ちは理解できない」みたいな考え方なんだなあ、というのが見えるのですが。そもそも女性の登場人物が異常に少ないことからも、決して女性を男性と同等には考えていないことがうかがえますし。
しかし、初めてエオウィンの活躍を読んだ時にはあまりに斬新なのでびっくりしたし、実は奥方の方が権力ありそうなガラドリエルも珍しいなあと思ったものです。
エオウィンについては、トールキンらしい、既存の神話・英雄伝説のパロディ的な「常識はずし」として女性のエオウィンを活躍させたのかなあとも思いますが、それにしてもあのエオウィンのカッコよさったら。初読時の驚きは忘れられません。
子供の頃から、ファンタジーのような冒険譚がわりと好きだったのですが、もっと女の子が活躍する話があればいいのになあ、と思って、やや不満だったんですよね。今だと女の子が主人公の話なんて、マンガでもライトノベルでも珍しくないかもしれませんが。
そんな中、あしべゆうほの「クリスタル・ドラゴン」を読んだ時には、こういうのが読みたかったんだ、と嬉しかったものです。(未だに完結してませんが・・・(汗))
でも、なかなか「これだ」というものに巡り合えないまま来て、まさか19世紀生まれのトールキンの作品でエオウィンのようなキャラクターに出会えるとは思ってなかったですね。ハマった理由はエオウィンだけではないですが。
本当に、19世紀生まれで結構保守的なトールキンになぜエオウィンのようなキャラクターが生み出せたのか、その理由がすごく知りたいんですけどね。なかなかそういうこと研究してる人もいないみたいであんまり聞きませんね・・・。ガラドリエルには母親の、ルシエンにはエディス夫人の存在が感じられたりもしますが、エオウィンはよくわからない・・・
まあとにかく、そういうところも「指輪」の魅力なんですよね。と無理やり指輪カテゴリーの内容に適合させて締めたりして(汗)

平渓天燈節その2 ランタンを飛ばそう

2009年06月04日 | 旅行
さて、一回り周辺を見て回ったら、自分たちのランタンを飛ばそうと物色を始めました。
ランタンはそこらじゅうの店で売ってます。値段は皆同じだったような。
ランタンの色によってかなう願い事が違うのですが、何パターンかあって同じ色でも意味合いが違ったりして・・・
店によっては、二色使った欲張りな?ランタンをおいているところもありました。
私たちはどんな願いでもOKという赤を選択。
ランタンを買うと、文字をかくための針金が設置してあって、洗濯ばさみでランタンを張って字をかけるようになってます。
字を書くための小筆と墨も用意されてます。自分でマジックを持っていってもいいと思いますが、結構大きいのでかなり太めのマジックじゃないと様にならないですね。
絵心のある人は、デザインのようにカッコイイものを書いていたりして、いいなあと・・・


ランタンの中は針金の骨組みがあって、中にこの油がしみこんだ紙?をセットし、火をつけて中の空気をあたためて飛ばします。
この火をつけるの、普通のライターとかだと危険だし、ちょっと自分でやるのは危険だと思いますね・・・。皆ランタンを買ったお店の人に点火を頼んでました。
お店の人に頼むと、手を離すタイミングも教えてくれたりして、上手く飛ばせますしね。
遅い時間になって混んでくると、自分たちでランタンを飛ばしている人たちもみかけましたが、暖め足りなくて途中で落ちて来たりとかしてましたね。初心者は早めに来てお店の人に頼むのが無難だと思います。


点火したら中があったまるまで手で抑えて待ってから離します。
これやってると、周囲の人たちがわらわらとランタンが飛び立つ様を見物に来ます。ランタンに書いてある文字とかも思いっきり見られてしまうので、書く内容はよく考えましょう(笑)


手を離したらあっという間に飛んでいきます。


トーベ・ヤンソン ムーミン童話シリーズ

2009年06月04日 | 読書
実はゲド戦記の「さいはての島へ」と「帰還」の間にムーミンシリーズ読んでいたのですが。
このシリーズ、初めて読んだのは結構最近で、ほんの数年前でした。
読んでみて、面白くてびっくりでした。昔見てたアニメとは全然違う(笑)
コミックもあるようですが、ちらっと読んだ感じでは特に読みたいと思いませんでした。この童話シリーズが好きですねえ。
読んでみてびっくりしたのは、「本当は怖い~童話」じゃないけど、結構暗い話だったことです。
描かれている登場人物たちも実に後ろ向きだし。
意外にシニカルな話なのでびっくりしました。
その一方で、児童文学らしいというか、子供らしい心理がかわいく描かれているところももちろん魅力だと思いますが。
ムーミントロールのスナフキンに心酔する様が、年上の友達に憧れる子供らしい心理をよく表してるなーとか思うし。
スノークのおじょうさんの目先のことしか見えないところは女の子の愚かさとかわいさをよく表していると思います。トーベ・ヤンソン自身はそういう女の子だったとは全く思われませんが、よくわかってるなあと。
そんな愚かしくもかわいい女の子を好きだと思うムーミントロールの心理もまたよく書けてるなあと。この二人は子供の幼い初恋(それも幼稚園か小学校低学年の)の感じがよく出てるなあと思います。
そして、男の子らしく勇ましそうでいて、なんでもママが解決してくれると信じきっているムーミントロールがまたかわいいですねー。子供の頃ってそうだよなあと。
こういうあたりはまさに児童文学の魅力、と思うんですよね。
一方で、洪水が起きたり彗星が衝突しそうになったり・・・という物語の暗さについては、訳者あとがきでも、戦争が時代背景にあるということを言っていて、それはそうだろうなあと思います。
けれど、あとがきでは、こういう暗さは成功していない、だから後に明るい作風になった、というのですが、後期のムーミンパパ海へいくでもわかるように、暗さは影をひそめていただけで、実際には暗い方が本来の姿なんじゃないかと思うんですが・・・
私は青い鳥文庫で読んでますが、どうもこのあとがき、一面では確かに・・・と思うんですが、このシリーズの暗黒面???を無視して、良い子なところしか評価していない気がして、違和感があってならないです。
物語の背景の暗さもありますが、なんといっても暗いと思うのは、ムーミンパパが妻子を置いて、あるいは無理やり引き連れて放浪したがる性癖がある、というところですね。
このあたりあとがきでどう解説してるだろう・・・と思ったら、思いっきり避けて通られていたのでがっかり、でした。
このムーミンパパの放浪癖、ムーミンママの家庭的すぎる?ところと比較して、トーベ・ヤンソンの男女観を描いているようでとても興味深いと思うんですが。
後にトールキンの「終わらざりし物語」で「アルダリオンとエレンディス」を読んで、このムーミンパパとムーミンママのことを思いだしたものです。
どちらも、自由でありたいと、常に気持ちが外に向かうのが男、家庭を守りたいと気持ちが内側に向かうのが女、みたいな、男と女の根本的な違いによるすれ違いを描いているように思えるんですね。
ただ、トーベ・ヤンソン自身はムーミンママやスノークのおじょうさんのようなタイプの女性だったとは思えないし、ミムラやミイやおしゃまさんのような女の子たちも登場してますから、単純な男女観ではなく、一つの例かなーとは思いますが。
この「ムーミンパパ海へ行く」、暗くて嫌いという人も多いようですが、私は暗さの中にも何がしかの暖かさを感じます。
小さなトロールと大きな洪水では妻子を置き去りにして放浪していたムーミンパパが、今度は無理やりでも家族一緒に行こうとした、ということに、ちょっと感動したりもするのです。
一見無理やりだけれど、それでももう家族と離れまいと思ったんだなあと・・・
ムーミンママも、それがわかっていて、本当は家を離れたくないけれど、パパとも離れたくないから、愚痴ひとつ言わずについて行くんですね。
その結果ホームシックになって心のバランスを崩す様は見ていて怖かったですけど・・・(汗)
放浪癖と言えばスナフキンですが(笑)昔アニメで見ていたときはカッコイイ印象でしたが、原作では結構いい加減男ですよねスナフキン・・・(汗)
ただ、ムーミントロールの慰め方とか、ムーミン谷の仲間たちの中のエピソードで、小さい竜が自分になついてしまった時の処し方とか、結構悟ってるところもあったりして、そういうところは大人だなあと思ったりもしますが。
しかし、スナフキンの父親のヨクサルはただのいい加減な怠け者だと思う・・・スナフキンがこの父親似だとすると(いや間違いなくそうだけど)うーむ、ですが(汗)
そう言えば、ムーミンパパの思い出で、若き日のムーミンパパがスナフキンやスニフの父親と一緒に旅をしていた話をするけれど、どうも眉唾な気がしてならない・・・スナフキンともスニフとも偶然出会っているのに、その父親たちとパパが仲間だったなんて。
どうも、スナフキンやスニフのためにパパが作り話をしているのでは、という気がするんですよね。なので、最後にその両親たちが現れるのが、物語が本当になったみたいで、なんだかちょっと不思議なあったかい気持ちになったりします。もしかしたら彼らが見た幻想なのかも、とも思って。
あと、登場人物たちに、すごく後ろ向きで変わった人たちが多いのも印象的です。
弱虫で欲張りでヤキモチやきなスニフはまあ子供らしいとしても、ミーサとかホムサとかフィリフヨンカとか、面白いくらいに被害妄想で後ろ向きな登場人物が出てきますね。
その後ろ向きなキャラクターたちを否定せず、彼らなりの彼ららしい気持ちの落ち着き先を見つけて描いているところに、トーベ・ヤンソンの優しさと懐の広さを感じます。
特にそれを感じるのがムーミン谷の十一月ですね。ムーミン一家に会いたいとムーミン谷にやってきた人たちが、不在のムーミン一家が帰ってくる前に、自分たちで自分自身の気持ちの整理をつけて去って行くというこの物語、とても好きです。
皆が皆あくせく前向きに頑張らなくてもいいんだよ、後ろ向きな人だって自分らしく生きていいんだよ、と言っているようで、なんかすごく癒されるんですよね・・・。モモなんかもそうなんですが。
そんな中、私が一番の傑作だと思うのはムーミン谷の冬ですね!
フィンランドの厳しい冬の描写と、一人目覚めてしまったムーミントロールの自立していく様子が見事に描かれていると思います。
今回読んでいて、雪うまが子りすを乗せて走り去っていくところは泣けてしまった・・・
冬の描写もすばらしいけど、春の訪れの描写もまた素晴らしいんですよね。本当に名作だと思います。
そうそう、キャラクターではミイが一番好きですねー。昔アニメを見ていた時は、ミイって意地悪だから嫌い、と思ってたんですが、さすがに大人になったんだなあと(笑)
笑うか怒るしかしない、というのもすごいですが、ちょっとそんなに強くなってみたいな・・・という点でも憧れたりもしますが、やっぱり子供らしくてかわいいんですよね。
そう言えば、作品が進むごとに、最初一緒にいたスニフがいなくなったり、スノークのおじょうさんがムーミン屋敷に住んでなかったり・・・と微妙な変化があるんですが、このあたりはどうなってるのかなあ。
スニフは両親が見つかったからその後両親と住むようになった、とかならいいんですが、とか思ってしまいます。
しかしスニフの両親、「大掃除の日にいなくなった」ってどんな行方不明だ・・・(笑)
というわけでとりとめもなく長い感想になってしまいました。2冊ずつくらいに分けて感想書けばよかったかなあ・・・






平渓天燈節その1

2009年06月03日 | 旅行
さて、台湾旅行3日目は平渓の天燈祭に行きました。今回の旅行を計画して、色々調べていたらたまたま天燈節に当たっていることに気がついて、行くことにしたのですが。
天燈節は旧暦の1月15日。太陰暦なので必ず満月の夜になります。
天燈節当日だけでなく、2日前くらいから毎日会場を変えてお祭りをやっていたようです。当日が平日だったのもあるかも。
天燈節当日の会場は今回は十イ分駅近くの会場だったかと。(忘れかけてる(汗))
ついでに列車で平渓線で行くのも楽しいのですが、当日はかなり混雑するらしく、のんびりした平渓線の風情を楽しむのはちょっと違うかなあと・・・
以前平渓線には乗ったこともあるし、今回はもっと気軽に行けるバスで行くことにしました。
バスはお祭りがある当日、MRT木柵線の台北動物園の近くから出ています。
台北市内の木柵線の駅からもバスが出ているようなポスターをみかけましたが、台北動物園からの方がわかりやすいかなーということで動物園まで行きました。
バスは当日正午くらいから出ているようですが、私たちは3時ごろに行ったかな?
まだ早いからか、列もさほどできていませんでしたが、ピーク時にはすごいのかな・・・
とてもサービスがよく、並んでいる間にコーヒーとかお茶を無料で配ってました。係りの人たちも出発するときには全員笑顔で手を振って見送ったりして。
このバス、ピストン輸送でどんどん発着するのでかなり便利。
バス代もちょっと忘れてしまったんですが(汗)鉄道で行くよりずっと安いです。
しかも、なぜか行きはバス代がかかるけど、帰りは無料という太っ腹。というか料金徴収するのが大変だからかな(汗)行きは鉄道で帰りはバスで、という人も結構いるようです。
というわけでバスに乗って40分くらい?で会場に到着。立っている人がいなかったからかかなり飛ばしてたみたいで、帰りはもっと時間かかってました・・・(汗)
途中の車窓の風景もなかなか楽しかったです。
会場が近づくにつれて、ランタンの残骸があちこちに見られましたが・・・(笑)

というわけで十イ分駅に到着。会場がよくわからないながら、人がたくさんいる駅の方に行って見ました。
平渓線は単線で、町の真ん中を線路が走っているのがみどころなんですが、以前行った時は閑散としていたものですが・・・
行ってみたらすごい人出! 線路の上も構わず人が歩いていて、列車が来ると避けるという・・・
そして線路の両脇にはランタンや関連グッズ?のお店が山ほど。



ちょっと暗いですが、夕暮れが近づいていて、山並みがきれいでした。


まだ明るいけれど、ランタンを飛ばしている人がもう結構います。
実は私たちが早めに来たのも、混まないうちに自分たちのランタンを飛ばしてしまえ、というのがあったからなのでした。
というわけでランタンの飛ばし方については次回。

LotRサントラ関連話

2009年06月03日 | 指輪物語&トールキン
Doug AdamsのブログThe Music of the Lord of the Rings Filmsで、先日ポーランドのクラクフで行われたTTTコンサートの動画とか写真とかがupされてます。
これ観ていてわかったこと。SEEじゃなくて劇場版のフィルムに合わせてやってるんだなーということです。SEEじゃ3時間44分だもんな・・・(汗)
でもRotKは劇場版でも3時間23分だっけ。RotKコンサートもすでにやることが決定してますが、なかなかの長丁場ですねー。コンサート会場でというのは厳しそう。休憩とか入るのかなあ?
あと、前からうすうす気づいてましたが、フィルムには台詞とか効果音も入ってるんですね。映像に合わせたコンサートというよりは、サントラ生演奏上映という感じかもしれませんね。
この動画だと演奏が今イチかな、という感じですが・・・(汗)これ多分地元のオケで、普段よくこのシリーズを演奏する21st Century Orchestraではないので、他のコンサートのレベルをはかることはできないんですが。
10月のN.Y.のFotRコンサートは大々的に宣伝してますが。なんかわざわざ行く気が起きないので・・・
ロンドンフィルの演奏のは聴きたいんですけどね。いつも4月の絶対行けない時期にやるんだもんなあ。もうちょっと違う時期にやってくれないかなあ。

あと、ようやく暇ができたので、何年越しだよ、で放置してた、RotKサントラのANNOTATED SCOREを読み始めてみました。
そしたら、結構驚きの事実が・・・! って私だけかなー。
RotKで馬鍬砦でエオウィンがメリーを鍛冶屋に向かわせた後に流れる弦楽器のメロディ、なんとMerry the Worrierというテーマ名がついてるんだそうな・・・! 不覚、今まで知らなかったなんて・・・!(笑)
このシーン、エオウィンとエオメルの会話の場面なんで、エオウィン絡みでローハンのテーマの変奏なんだろうなあと軽く考えてたんですが、実際にはローハンのテーマも入ってるし、旅の仲間のテーマもホビット庄のテーマも入っているんだそうな。そういうやそうかも・・・?
うーん、エオウィンの気持ちではなくて、エオウィンが代弁してるメリーを表していたのか・・・予想外でした。
そして、これ読んでいて突然気がつきました。そういやこの曲、SEEの追加シーンで、ペレンノールに向かう途中のメリーとエオウィンの会話の場面でも使われてましたね・・・。初めて気がつきました。不覚(笑)そうかあ、やっぱりメリーのテーマなんだなあ。
あと、メリーがセオデンに連れてってと訴える場面のホイッスル、ちゃんとジェイムズ・ゴールウェイが吹いてたんだってこととか。
というわけで、やっぱりなかなか侮れなかったです、ANNOTATED SCORE。まだ半分くらいなので、この機会に一気に読み進んでしまいたいと思います。
そして、休みのうちの少しはサントラ考察に手を入れられるといいんですが・・・色々と書き直さなきゃいけないんですよね。アラゴルンのテーマとかも入れてないし。
しかし、休みになったらもっと時間あるかと思ったんですが、意外に何もできずに日々が過ぎて行くなあ・・・(汗)
あ、朗読CDがようやくTTT終了しました。これも休みの間にどのくらい進めるか、ですねー。どうも読んでると眠くなってしまって・・・(汗)

台北のにゃんこ・わんこ

2009年06月02日 | 旅行
台湾は放し飼いなんだか野良なんだか・・・の犬があちこちでウロウロしていて、犬好きには天国のようなところですが(笑)
猫もそこそこみかけますが、犬ほどはみかけないかな。
トップの写真は、松山空港周辺で食べ物屋を探してウロウロしていた時にみかけたにゃんこたち。猫って室外機の上好きだよね・・・(笑)


よくみかける光景ですが。轢かれるなよ~(汗)


アーケード街の店の前ですっぽりひなたにはまって熟睡中。気持ちよさそう。


士林夜市でウロウロしていた犬。
この子はかわいかったんですよー。夜市のどこかの店の犬なのかどうかわかりませんが、観光客に触られるのは嫌みたいで、逃げちゃうんですが、ひたすらに誰かを待っている風情。
しばらくして、空の台車を転がしているお兄ちゃんが通りがかったら、飼い主なのか知り合いなのかわかりませんが、しっぽを振って走って行って、台車の上に乗って運ばれていきました(笑)台車に乗るの好きなんだなーきっと。
しばらくしたら一人で歩いて戻ってきたので、荷物運ぶからって下ろされちゃったんでしょうね。

ゲド戦記「ドラゴンフライ-アースシーの五つの物語」「アースシーの風」

2009年06月02日 | 読書

ハードカバーも持ってるけど、文庫を持ち歩きたくて岩波少年文庫を買ってしまった2冊。
最初に邦訳された当時はまず「アースシーの風」が出て、その後に「ゲド戦記外伝」という形で今の「アースシーの五つの物語」が出たのですが、タイトルまで変わったんですねー。
訳も、比較はしてませんが少し変わってるようですね。「カワウソ」の中でのアニエブの台詞が変わってるのに気がつきました。
アイリアンの名前も、トンボと訳されていたのにご自身でも違和感があったそうで、ドラゴンフライと変えられてました。確かに名前の中にドラゴンとフライがあることがアイリアンの存在を示唆しているので、トンボだと違う気がしてしまうでしょうが、女性の名前でドラゴンフライというのもちょっと違和感ある気もしますが。
本のタイトルも、「アースシーの五つの物語」だけでも良かったような気もしないでもないですが。
で、その元外伝、現在は「ドラゴンフライ-アースシーの五つの物語」の感想から。
まず「カワウソ」は、「帰還」で提示されだした、女性がなぜ魔法にかかわらなくなったのか、という原因の萌芽が現れるまでの物語で、まだ女性も魔法にかかわっていた時代の話。女性にも大きな力を持っている者がいたことが、アニエブやモエサシの存在からわかります。
女性だけでなく、カワウソが得意としたものさがしの術がその後ロークの長から外されたりと、次第にロークが変化して行ったことも示唆されています。
この話と、最後の「ドラゴンフライ」は特に、最終巻「アースシーの風」で書くことの前段階、準備のように感じるのですが(いやでも他の話も考えてみればそうだな)、「ドラゴンフライ」は先のことを考えて書いたわけではないとのことなので、このあたりの話を書きつつ、最終巻の構想を固めて行ったのかなあなんて思います。
初読時はアニエブのエピソードがとにかく強烈で印象に残ってました。今回もそうではあったんですが、今回はもう少し話の本質にちかづいて読めた・・・かな?
またしばらくしたら再読してみたいです。
「ダークローズとダイヤモンド」「地の骨」については初読時と印象かわらず。
「湿原にて」は、すっかり話を忘れていて、イリオスが実はゲドなのでは、とか思ってしまった(汗)考えてみたら顔に傷ないですよね・・・(汗)
ゲドが大賢人時代とか、もっと若い時でも、活躍する外伝みたいな話がもっとあってもいいのになあ、なんてちょっと思ってしまいました。
「ドラゴンフライ」は、これで読むのは3回目なんですが、ようやく話が飲み込めて来ました(汗)
外伝がハードカバーで出る前に、文庫のアンソロジーに入っているのを読んだことがあるのですが、その時は本当にちんぷんかんぷんで・・・(汗)特にロークの長が色々出てくるんだけど、誰が誰やらよくわからなかったんですよね(汗)
今回は、「さいはての島へ」や「帰還」の記憶も新たなうちに読んだので、やっと話が通じた気がします(汗)
アイリアンは、ロークの魔法使いの世界をぶち壊す存在だと思いますが、それが女性だというのが面白い・・・というか、だからこそ女性なのだろうと思いますが。
テハヌーもそうですが、「アースシーの風」で重要な人物に選ばれたハンノキも、物を修繕する力という、ロークでは軽視されている力の持ち主なところが、世界が壊されて変わって行く徴なんだろうなあと思いました。

で、最終巻「アースシーの風」です。
初読時にはゲドの出番がすごく少ないな・・・と思いましたが、今回読んだら少ないなりになかなか印象的で良かったな、と思いました。
しかし、相変わらずアレン=レバンネンの気持ちがよくわからないなあ・・・
セセラクのヴェールが、当時よく取り沙汰されていた、アフガン地方のブルカをもろに思わせるのはちょっと・・・ですが(汗)
ずっと世間の目を気にして縮こまって生きてきたテハヌーが、ドラゴンになることで自由に空を飛び回る姿はやはり感動的ですね。
テハヌーを思ってル・アルビから西の空を見るテナーとゲドの姿も。最後のシーンが二人のなんてことはない会話なのもいいなあと思います。
全体としては、「帰還」で消化不良気味だったドラゴンのこと、アースシーの魔法のこと、などが上手いこと収束されているなあと感じました。まあ、これからアースシーの魔法がどうなるかまでは書かれていませんが・・・
ところで、以前琥珀の望遠鏡を読んだ時に、死者たちの開放があまりにも「アースシーの風」と似ていたのでびっくりしたんですが、ライラの冒険シリーズの方が先なんですね。ル=グインはあのシリーズは知ってたんでしょうか?
「ライラ-」では死者の魂を閉じ込めていたのは宗教だった、と書いてしまったので教会から大顰蹙をかったようですが・・・
「ゲド」では、死者を閉じ込めてしまったのは「永遠に生きたい」と願う魔法のせいだったわけなので、違うと言えば違うのかもしれませんが、人間の思想?が作り上げたものだった、という点ではやはりかなり共通点を感じます。外に出たとたんに溶ける様に消滅して行くという点も、閉じ込められていることが死者たちにとって苦痛であるという点も。
初読時には、ドラゴンたちが西へ行ってしまうことで魔法も失われていく、というあたりにトールキンとの類似をすごく感じたのですが、今回はこっちの方が気になりました。

というわけでゲド戦記シリーズ再読終わりましたが、なんだかんだと間が少し空いたりしたので、まだシリーズ通しての感想にはならないなー。まあ、作品自体途中かなり間を空けて書かれていますが。
文庫も手に入ったことだし、またそのうちシリーズ通し読みしたいです。
やっぱりル=グインのファンタジーは面白いなあ。やっぱり今度「西のはての年代記」シリーズも読もう。

迪化街の猫

2009年06月01日 | 旅行
太魯閣に行った翌日は平渓の天灯祭に行ったのですが、午後から行けばいいため、午前中は迪化街に。妹がいつも乾物を山ほど買い込むんですよね。今回も通りがかりの日本人に「業者の方ですか?」と聞かれたらしい(笑)
その間暇な私はブラブラ歩いていたら、近くの店先に猫がつないであるのを発見。
生後3ヶ月くらいの小さいけど超元気な子ネコ。油か何かの4リットルボトルに紐がつないであって、近くにはトイレと、寝床用なのか横倒しの空ダンボール箱が。でも違うところで寝てましたけどね(笑)
なかなか人懐っこい子で、すぐによってきてすりすりマーキンクしたりするんですが、なかなかなでさせてくれないんですよ。手を出すとはっしと両手(前足)で掴んで、噛み付こうとする(笑)
写真撮ろうにも動き回っていてなかなか撮れなくて、遠く離れてようやく撮ったのがトップの写真です。あとは皆ブレてた・・・(汗)

4日目になって、妹が買い忘れた乾物があるというので、また迪化街に。
あの猫いるかなーと思ったら、この日も同じように繋がれてました。

寝床用ダンボール箱ではなく、空き袋を入れておくケースで熟睡してました(笑)
が、私が近づくとすぐに起きて、出てきて遊んでくれました。


しゃがんでいるとじゃれつかれて写真取れないので、高いところから・・・

かわいかったなあ。私はトラ猫派ですが、黒猫もいいかも、と思いました(笑)
まだあそこにつながれてるのかなあ。もう大きくなってると思いますけど。
そう言えば、台湾は犬もネコも黒いのが多いような気がしました。なんでだろ。

ゲド戦記「さいはての島へ」「帰還」

2009年06月01日 | 読書

なかなか書く暇がなかったのですが、ゲド戦記シリーズ再読終わっていたので、感想を。
なんとなく2冊ずつ書いて来たのでこの2冊の感想を書きますが、この2冊をまとめて、というのは何か違うような・・・(汗)物語の時間軸としてはほぼ続いているんですけどね。

まずは「さいはての島へ」。
1,2巻の感想を書いた時に、ハイタカは1巻のあと主役を降りている、と書いたんですが、あらためてこの3巻を読んだら、実はやっぱりハイタカが主役じゃ・・・と思えました。
というのも、初読時からそうだったんですが、どうもアレンに感情移入できないというか、何考えてるんだかよくわからないというか・・・
一見王になるアレンが主人公に思えるんですが、どうもアレンはむしろハイタカの最後の活躍を見守る語り部として登場させられているような気がしてならない・・・ハイタカの魔法使いとしての最後を見届けさせる存在として。
話の筋としては、以前読んだ時も筏の民と出会ってからが面白かったような記憶があったんですが、やっぱりそうでした。
ソレグの子孫の兄妹とか、自らを犠牲にして死者の国への道を開いたオーム・エンバーとか、終盤には結構感動的なエピソードが詰まっていて、素直に面白かったです。
そして、自分の力を棄てて世界を救うハイタカと、ハイタカを支えて生の国への辛い道を辿るアレンと。
ただ、この3巻を最高傑作とする人も多いようですが、私はあんまりピンと来ないというか・・・やっぱりアレンがよくわからないからかなあ(汗)

で、「帰還」です。
この4巻以降は、「ファンタジーに現実のフェミニズムを持ち込むな」みたいな感じで批判している人も多いようで、確かにそうかなあと思う面もあるのですが、私は結構好きだったんですよね、この話。
今回読み返してみて、やっぱり単純に面白く読めました。ファンタジーとしてどうとかではなく、一つの物語として。そういう意味では1~3巻よりもずっと面白かったかも。
虐待された子供であるテルーと、そのテルーに愛情を感じてやまないテナーのエピソードだけでも感動的ですし。
フェミニズムについては、確かに家事をやるのがどうとか、ロークの長たちが女だというだけで話を聞かないとか、現代でもまだ残っているような問題(?)が出てくるとちょっと引いてしまうのですが、古代からどうやって女性が社会から排除されてきたのか、なんてあたりを示唆していると思われるあたりの話は、なるほどなあと興味深く読めました。
2巻でテナーを登場させた時は、そこまで描こうとは考えていなかったと思いますが、テナーの存在があってこそ書けた話だなあと思ったりもしました。
テナーとテルーのエピソードはもちろん、コケぱぱと心を通い合わせるようになるあたりも良いですね。ごく普通の中年女性になったテナーの心情を細やかに描いていたのが、素直に感情移入できたし、面白く読めました。
ただ、ハイタカが力を失ってあまりにも抜け殻になってしまっているのに違和感が・・・。そのくらい覚悟してやったのだと思っていたのだけれど。そのあたりが3巻から続けて読むと違和感あったかな。
最後にテルーが竜だとわかるあたりの爽快な感動もいいですね。

もっといろいろ思うところがあったような気がするのですが、時間が経ったので忘れてしまったなあ・・・(汗)

今週のグイン

2009年06月01日 | グイン・サーガ
暇なのでアニメのグインの感想など。
11時前からずっとテレビつけてたので、BSアニメ劇場のキャラクターの番組紹介?も見たんですが、「グインまた捕まっちゃったの?」とか言われているのがなんかウケてしまった・・・(笑)確かにそうだよなあ。

さて、今週はいよいよイシュトヴァーンによるマルス伯丸焼き(汗)の一件になるんですが・・・
えーっ、焼き殺したのマルスさん一人ですか??? マルス一人のためにあそこまで手の込んだことしたの???? 青騎士隊壊滅させて戦力削ぐ作戦じゃなかったの・・・?????
あれじゃあ、マルスが強すぎて普通には倒せないから、わざわざ焼き殺したみたいな・・・(汗)グイン姑息すぎるよ! ということになってしまう・・・
そりゃイシュトヴァーン恨まれるわな、という感じですかね・・・
まさか、兵士たちたくさん描くの面倒だから少人数にしたとかじゃないだろうな~(汗)
毎回ツッこみながら観てますが、今回は笑うというよりも唖然としてしまいましたね・・・

どうもこのアニメ、そもそもクオリティが低いとは思うんですが、戦闘シーンがお粗末なのが悲しすぎる・・・特に集団戦がね・・・
原作では、セムの奇襲とかすごく面白かった記憶があるのに、アニメで観てると何やってるんだかよくわかんないし。
観てて萎えることが多いのですが、それでも気になって観てしまうんだからしょうがないですね・・・

そう言えば、公式サイトで新しいキャラクターとかがupされていて、ミアイルとかフロリーとかかわいくて、ヴァレリウスなんか結構カッコ良かったりして、ほほうと思いながら観ていたんですが。
ふと思ったんですが、どうもキャラクターとか衣装がアニメっぽくて好きになれない、と思ってたんですが、もしかしてそれってリンダとレムスだけだったりして・・・(汗)
そのことに気がついたら、またまた萎えてしまいました・・・それ一番ダメじゃん・・・(なんだかんだリンダとレムスが一番好きなので・・・)
なんであんな不自然なミニスカなんですかねえ。せめてレムスのワカメちゃんヘアだけでもなんとかならないかな・・・後姿観るたびにドン引きしている私・・・
あと、リンダのキャラクター造形も、なんか原作のお姫様故の世間知らずでちょっとお高いところとか、レムスに高飛車なところとか、そういうところが描かれてないので、ただのいい子になっちゃってて、観ていて結構ムカつくというか・・・(汗)原作では一番好きだったのになあ。
レムスも、現実的なだけでそんなに気弱には見えないし。
そして、双子もっと仲良かったと思うんだけど・・・そんなに仲良さそうに見えないのが・・・(汗)
なんか、双子が一番好きだったので、その二人が一番原作と違うように思えて、釈然としないのでした。まあ、それでも最後まで観ますけどね。

しかし、クオリティ低いながら、グインが結構いいなあ、と思ってます。絵柄とか表情も結構カッコイイなあと思うし、声優さんもいいですね。主人公が良いのは救いかなあと思います。戦闘シーンちょっとプロレスだけど・・・(汗)
しかし、今回のアニメは16巻までらしいですが、途中でグインいなくなるよね・・・(汗)どうやって最後まとめるのかなあ。
妹は、16巻の後にあたる、外伝2,4巻あたりの三人の放浪者シリーズが一番面白かったと言ってましたが、確かにあのあたりは面白かったなあ。イシュトヴァーンとマリウスの犬猿コンビ+グインといのがなかなか楽しい取り合わせでした。
まだマリウス本編に出てきてもいませんが、そういうの観られたらちょっといいのになあと思いました。なんだかんだアニメ楽しみにしてるのかな・・・(汗)