ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

アイランド(ネタバレ)

2005年08月04日 | 映画
昨日見て来ました。「お前そんなにショーン・ビーン好きか?」と自問しつつ・・・(笑)
デジタル上映でした。以前EP2を見た時以来です。EP2の時は特にデジタルだからどうとは感じなかったのですが、今回ははっきり違いを感じました。映像がくっきり鮮やか! 目が痛いくらいでした。
特に、青い海に浮かぶアイランドの映像が綺麗だったなあ。
ただ、結構グロい場面もあるので、「こんなもんくっきり鮮やかに見せられてもなあ」と思いましたが・・・(汗)
ところが、リンカーンとジョーダンがアリゾナの駅で逃げ始めたあたりからいきなりブラックアウト。最初は演出かと思ったのですが、いつまでも画面が黒いままで音声だけが流れます。なんだかショーン・ビーンの声も聞こえてくるけど・・・(汗)
しばらくしてようやく上映が止まり、さらにしばらくして、フィルム上映で再開するとの案内が。ただし、映像が切れた場所からちょうど上映できるかどうかわからなくて、場面が飛んでしまう可能性もあるとか。
見るのをやめり人は返金しますので・・・ということでしたが、また最初から見るのもたるいし、もう一度映画館来るのだって面倒だしなあ・・・という気合のなさでそのまま見ることに(汗)
上映再開したら、しっかり場面飛んでました(汗)いきなりショーン・ビーンがラテン語がどうとか話していて、すぐにL.A.に到着したリンカーンとジョーダンの姿に。
しまった、と思ったんですが、面倒なのでそのまま最後までみてしまいました。そうしたら終了後無料招待券をくれたので、かえってラッキーだったかな。

で、内容なんですが。
既に見た人たちの感想で、「マイケル・ベイなので期待していなかったけれど、思ったよりもちゃんとしてた」という人が多かったのですが、まさにそんな感じだったんだろうなあと思いました。というのは、マイケル・ベイ作品見るの初めてだったので・・・
ということは、やっぱり悪いのはブラッカイマーってことか・・・?(汗)
パンフレットは買ってないんですが、たまたま新聞にマイケル・ベイのインタビューが載っていたのを読んだところ、もともとスピルバーグが脚本を見つけて興味を持って、マイケル・ペイに「君が監督をやるなら権利を買っておくよ」と声をかけたのだとか。なるほど確かにスピルバーグが好きそうな話かな、と思いました。
アクションも派手だったけれど、「生きる」ということを考えさせる内容でもあったと思います。生き残りたいリンカーンたちは、自分たちが生きるために沢山の人を犠牲にします。助けてくれたマックや、何の関係もない、罪もない人たちを。
そのことに、最後には思い至るのかな、と思いましたが、全然そうはなりませんでしたね(汗)
まあ、それはそれでいいような気がします。生きるってそういうことなのかもしれないから。
しかしそれにしても、ハッピーエンドはいただけなかったですね。まあ、ハリウッドのアクションがウリの映画としてはハッピーエンドでないとダメなのかもしれませんが。
だいたい、あれでハッピーエンドになるとは思えないし。有名人や大金持ちのクローンばかりなんでしょ。外に出たクローンたちの映像はそれなりに感動的でしたが、その後のことを思うと暗澹たる気持ちになりました。
せめて、最後の「船の上の二人」がなければ良かったんだけど・・・
警備会社のリーダー(名前覚えられなかった(汗))が、憂いを湛えた瞳のまま冷酷に戦うのがカッコイイなあと思ってましたが、最後に寝返っちゃうのはなあ。残念でした。普通すぎて。
でも最後まで憂いを湛えた瞳がカッコ良かったです。
スカーレット・ヨハンソンは、文芸作品?のイメージがありますが、こうして見ると、すごい美人な上にスタイルも抜群なのにびっくりでした。
浮世離れした感じが、外に出てきたばかりの雰囲気にぴったりでした。
ユアン・マクレガーもあどけない表情がぴったりでしたね。
ショーン・ビーンは、自分は手を下さない知性派の悪役でしたが、「カッコイイおじさんだなあ」と思いました(笑)
最後にアクションをやったのはちょっと嬉しかったけれど、大ボスが死んでハッピーエンド、というのはつまらなかったです、やっぱり。
でも、こんなことに文句つけるようなら、ハリウッド映画なんか見るな、という感じでしょうか・・・(笑)
カーチェイスのアクションはすごいと思いました。特に、トレイラーからローラー?が落っこちて車がつぶれるところとか、すごい映像だなあと思いました。
でも、運転手「あ、積荷が落ちて大変なことに!」とか気がつかないのか・・・?というのが気になりましたが・・・(笑)

まあ、そんなに悪くなかったけれど、すごく良かったというほどではなかったなと。「ナショナルトレジャー」とかよりははるかにマシだったと思いますが・・・(笑)
しかしショーン・ビーンはこのところ出れば悪役といえども出番はかなりしっかりあって、見に行く甲斐があるなあと思いました。
だからつい見に行ってしまうのかな・・・(笑)
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トールキンは「文学」なのか

2005年08月04日 | 指輪物語&トールキン
今、ドイツ旅行に向けてノーベル賞作家トーマス・マンを読んでいるんですが、久々にちゃんとした(?)「文学」を読んでいて、改めてトールキンの作品の特殊性を考えてしまいました。
初めて「指輪物語」を読んだ時、心惹かれるものがありながらも、あまり上手い作品ではないなあ、と思ったことを思い出しました。
しばらくトールキンばかり読んでいて忘れかけていた部分もあるのですが(笑)久々に読んだノーベル賞作家の作品は、やっぱり「上手い」と思わせるものがありました。
トーマス・マンは割合に、物語を高みから見下ろして客観的に書くようなところもあって、トールキンの書き方と似ていなくもないように思います。
それでも、トーマス・マンの弱冠25歳の時の作品を読んで、物語の中に切り取られた時代の流れ、登場人物たち一人一人の人間性が見事に描かれていることに、改めて感心してしまいました。
こういう作品を読みつけていると、確かにトールキンの描く人物像は偏っているなあ、と思うでしょうね。あまりにも敬虔なカトリックの思想から生まれた人物たちは、善悪がはっきりしすぎていて、白の勢力の人々は、あまりにも高潔、清廉潔白すぎるように感じます。子供のように純粋なホビットも含めて。
善悪がはっきりしていない人物としてゴクリが挙げられますが、このゴクリが行き来する「善と悪」自体がかなり単純な善悪だとも言えます。
人種差別的な面がないとも言えないというのは、ファンですら認めている部分だと思います。
だから、「指輪物語」が発表された当時に出た批判について読んだ時も、ムッとしながら読みながらも、わかるなあ、とは思っていました。
確かに、トールキンの作品はノーベル文学賞の候補になることはないでしょう(汗)そもそも、そういった「文学作品」と同じ土俵で語られるべきものではないんだと思います。
私は「指輪物語」を読んで、次第に引き込まれていきながら、「でも文学ではないな」と思う、否定的?な気持ちとのジレンマを感じていました。で、結果として、「好きだけどあまり上手い作品ではない」という評価を下したのでした。
最近ようやく読んだ「指輪物語を読む-我らが祖父トールキン」の中のいくつかのエッセイのよって、そのジレンマが解決されたような気がしました。
これは「或る伝記」にも書いてあったことなのですが、トールキンはそもそも「文学」を書こうなんてしてなかったのですよね。シェイクスピアすら嫌いなくらい、近代文学というものに背を向けていたのですから。
文学という枠に捉われず、自らの信念にしたがって独自の大作を作り上げた、それが「指輪物語」なんだなあと。本当に、既存の作品に影響されずに自分独自の作品を書くというのは大変なことだと思います!
でも、本当は「妖精物語について」をちゃんと読まないと、トールキンの作品を費評価することはできないと思うんですよね(汗)早く読まないと・・・
それでも、トーマス・マンを読んでいて、トールキンの思想の保守的なところが、作品の品位にもなっているけれど、幅を狭めているなあとも思いましたが・・・
自然への思いや、キリスト教的ではあるけれど、力あるものが優れているものではないということ、そういった独特の考え方が物語に奥深さを与えていることを考えると余計に・・・
でも、多くの人が、トールキンの敬虔なカトリックの思想を根本として生まれた物語に感動し、トールキンの作った世界に引き込まれているということは紛れもない事実ですし、私も間違いなくその一人です。キリスト教徒であるかどうかにはかかわりなく。
「我らが祖父トールキン」にも、今でも「指輪物語」から感動をおぼえるという人もいれば、若い頃は夢中だったけれどそのうちに卒業した、という人もいます。
感じ方は人それぞれ。それは、「指輪物語」に限らず、全ての文学作品について言えることでしょうが。
それでも、多くの人がトールキンの作った世界に惹かれ、多くの人に影響を与えたことは紛れもない事実だと思います。
そして、これからも長い間「指輪物語」は読み続けられると思います。ノーベル賞作家たちの作品に負けないくらいに・・・
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