さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

旧東海道[川崎宿]を歩く

2014-10-29 09:17:43 | 閑話休題


2014.10.25(日)川崎の昔と今を歩いた。 明治維新後、川崎は京浜工業地帯として発展した。なかでも、東京電気(後の東芝堀川町工場)、鈴木商店(現・味の素)、そして、「セメント王」の浅野総一郎によるところが大きい。

□東海道川崎宿
 1604(慶長9)年、徳川家康は、江戸日本橋を起点として定め、東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の「五街道」の整備を開始。一里ごとに一里塚を設けたほか、一定間隔ごとに宿場を設置した。
 川崎は、品川宿と神奈川宿の中間に設けられた宿場町。川崎大師への参拝客の増加で大いに賑わった宿場町。
 1600年(慶長5)六郷川(多摩川)に六郷大橋がかけられたが、1688年(元禄元年)の大洪水で流された以降、1874年(明治7)まで、「渡し舟」が交通手段となった。
   六郷の橋まで来たり
          春の風 
              正岡子規(1867-1902)





□川崎大師(平間寺)
 ご本尊は、弘法大師。
 平安時代の1128年(大治3)建立された寺、真言宗。厄除け、家内安全、交通安全、開運なごのご利益があると、初詣での人気スポット。
 1813年(文化10)第11代将軍徳川家斉が41才の前厄にあたり、厄除けの祈願のため公式参拝することになった。大僧侶が、将軍をお迎えするため、頑張りすぎて疲れで倒れ、急死してしまった。当日は、代役の僧侶がお務めをしたが、将軍は気づかず騙せたが、うわさが江戸の民衆に広がり、『将軍様の厄を大僧侶様が一身に被ってくれた。川崎大師さまのご利益はすごい』と、庶民、武士階級まで信仰が広まった。
   朝霧の雫(しずく)するなり
             大師堂
               正岡子規
               (1894.11.3参詣の際に作った俳句)






□東芝未来科学館
JR川崎駅西口から徒歩1分のところに、今年1月に開館した。
東芝の創業者である田中久重と藤岡市助の二人の歩みとリニアモーターカーの超伝導などの最先端技術が展示されている。
・からくり儀右衛門こと「田中久重」;1875(明治8)年、銀座に「田中製作所」(後の芝浦製作所)
・日本のエジソンこと藤岡市助;1890(明治23)年、電球製造会社「白熱舎」を設立。






□味の素
味の素の創業者である鈴木三郎助が由来の京急大師線「鈴木駅」を降りたところある工場、「味の素」「ほんだし」「C00K D0」を製造している。
池田菊苗博士が、湯豆腐の昆布だしをきっかけに、4つの基本味である甘み、塩味、酸味、苦みとは違う、もう一つの味があることに気づいた。この味の成分は、グルタミン酸というアミノ酸の一種で、この味を「うま味」と命名し、1908年(明治41)調味料製造法の特許を取得した。
鈴木三郎助はこの特許を共有して、1909年(明治42)5月20日、「味の素」販売開始。
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