さだ・とし信州温泉紀行

続編;茨城パートⅡ

秩父三社めぐり

2023-12-02 17:15:07 | 閑話休題

2023.11.28(火)秩父三社めぐりのバスツアーに参加、孫のお受験合格祈願(高校入試、大学入試)
寳登山神社(ほどさんじんじゃ、常用漢字体:宝登山神社)
 埼玉県秩父郡長瀞町の宝登山(497 m)山麓にある神社。
祭神:神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと、神武天皇)、大山祗神 (おおやまづみのかみ)、火産霊神 (ほむすびのかみ)
歴史:日本の伝説上の第十二代天皇である景行天皇の子息・日本武尊(やまとたけるのみこと)により、西暦110年に創建された。日本武尊は、東北地方平定のために派遣されていたが、その帰りに宝登山の近くを通った際、その山の美しさと神秘的な雰囲気に心を奪われ、山を登ることにした。山に登る途中、彼らは突然激しい炎に囲まれていることに気付いた。彼らに命の危機が迫った時、黒と白のオオカミが現れ炎を消したという。そしてオオカミは皇子とその家臣を山頂に導き、消えていった。山の神がオオカミを遣わしたのだと悟った日本武尊は、命が救われたことに心から感謝した。神秘的なオオカミは神のお使い(御眷属)として崇められている。




三峯神社(みつみねじんじゃ)
埼玉県秩父市三峰にある神社、標高1100メートルの境内は、森閑とした山の霊気に包まれている。「狼」を神の使いとする信仰、狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。
祭神:伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)、伊弉册尊 (いざなみのみこと)
歴史: 神社に伝わる由緒によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征の折、イザナギ、イザナミの2柱の神をこの山にまつったのがはじまりとされる。中世以降、東国武士の信仰を集めて大いに栄えた。しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退した。
 江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る神使とし「お犬さま」として崇めるようになった。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになった。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織された。
ご利益:夫婦神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)がまつられているため、夫婦和合(夫婦が仲良くすること)、五穀豊穣のご利益。また、守護神であるオオカミは厄を除けると言われていることから、の家内安全、火難・盗難除け、諸難除けご利益がある。






秩父神社
祭神:八意思兼命・知知夫彦命・天之御中主神・秩父宮雍仁親王
歴史:延長5年(927年)に編算された『延喜式』に掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられる。中世以降は関東武士団の源流、平良文を祖とする秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、長く秩父妙見宮として隆盛を極めた。現存する社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康が寄進したもので、江戸時代初期の権現造(ごんげんづくり)と言われる建築様式で、鮮やかな色の彫刻が施された豪華な作りが特徴、埼玉県の重要文化財に指定。江戸時代初期に活躍したとされる、日光東照宮や出雲大社なども手がけた左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品が多くある。
毎年12月3日に行われる「秩父夜祭」は、国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつ。
秩父神社のご利益(ご神徳):学業成就、合格祈願、家内安全、子孫繁栄
主祭神の八意志兼命(やごころおもいかねのみこと)は知恵を司る神様のため、受験シーズンには合格祈願の参拝者が多く訪れる。


長瀞の石畳
国の特別天然記念物。荒川沿いに隆起した結晶片岩が、幅80メートル、長さ500メートの岩畳となって広がる。激しい地質変動を垣間見れる景観、日本地質学発祥の地。
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