5月21日先週の月曜日、無事にツバメの雛たちが孵化しました。
朝、2つの小さな卵のかけらが池さんの玄関前に落ちていて、「やった~!」と私たちは皆で喜び、親ツバメたちは忙しそうに餌を運び始めました。
まだ生まれたてなので、親たちは念入りにかみ砕いた餌を、念入りに時間をかけて2羽のヒナに与えていました。
24日、木曜日の夕方、玄関の巣のふちに産毛の小さな小さな頭が一つ見え始めました。
親ツバメが帰ってくるたびに、薄い茶色のふわふわの毛が巣からちらほらと見えて、なんて可愛いことでしょう!
フワフワ産毛と小さな黄色いくちばしの小さなツバメの赤ちゃんは、早や池さんのマスコットとして堂々たる姿!
たぶん遅れて孵化した子どもたちも、そのうちフワフワの頭を見せてくれることでしょう。
25日の金曜日も、朝から皆でツバメに首ったけ。
来た来たと親ツバメを見ながら、出た出たと子ツバメの産毛頭を見つけては大喜びの1日。
そして、、、
悲劇は突然にやってきました!
金曜日の夕方、ずっとツバメを見ていた私は、玄関に入ろうと何気なく巣の近くの雨といを見上げた瞬間、凍り付きました。
ヘビ
ツバメの巣の近くのといの中から首だけ出して、例のペロペロと赤い舌を出したヘビが!
思わず「大ちゃん、ヘビがおる!!!!!」
大ちゃんが急いでモリを手にして玄関に飛んで来てくれ、脚立を持ってきてヘビを探しましたが見つからず。
その後、ずっちゃんも探してくれましたが、ヘビは見つからず。
でも、確かにいたのです。
赤いベロベロしたやつが・・・
確かに巣の方を見ていたのです。
赤い舌をベロベロさせながら。
フワフワの産毛の可愛い頭を、あの赤いベロベロが狙っていたのです。
でも、探しても見つからない限り、とりあえず諦めるしかありません。
その夜仕事が終わってから、ヘビからツバメを守る方法を調べてみると、木酢液が効果があるということで「よし!木酢液なら夫が畑の害虫駆除用に作ってくれたものがあるから、明日朝一番で撒いてもらおう。夜は親ツバメもいるから安心」と思い眠りにつきました。
26日、土曜日の朝一番でフワフワ頭を見ようと思った私が目にしたのは悲劇の後でした。
妙ににぎやかにツバメが鳴いていると思ったのは、子どもを探す親ツバメの声。
たぶん早朝、あのベロベロヘビがやってきて、孵化した子どもたちと卵を食べてしまったに違いありません。
土曜日は1日中、親ツバメは何度も巣を見ては飛び立ち、池さんの家の中まで入ってきて雛を探していましたが、
日曜日、ツバメは姿を見せなくなりました。
弱肉強食の動物の世界。
ヘビがツバメやスズメのヒナを狙うことは、ごくごく当たり前の日常なのかもしれません。
どの生き物も何かを食さなければ生きてはゆけないわけですから。
でも、わかっていてもやっぱり悔しいです。
せっかく池さんを選んでくれたツバメのペアに、安心できる安全な場所を提供できなくて申し訳なかったと後悔しています。
あ~木酢液を夜のうちに撒いていたら・・・と夫は悔やんでいます。
あのとき、あ~していたらという「後悔」は、反実仮想の実体験そのもの。
「反実仮想が推論に有効でありうるのは直後の出来事に対してである」という点を鑑みて、「ヘビを見た時点で対策を考えて木酢液を撒いていたとしたら、ヘビはツバメの巣に近寄らなかった」・・・かもしれないが、あくまでこれは推論でしかないという不確実さを残してしまうのです。
つまり、どっちにしても、ヘビに食べられたかもしれないという話。
ただ、ツバメが「池さん」という場を選んでくれて2年目の春。
子育てをする場として池さんを選んでくれた今年のツバメ。
どんな時も、どんなに悩んでも、全ての試練にはいつも何かの意味があると思って生きてきました。
考えることで成長し、克服することで大きくなれる気がするのです。
思いもしない運命ではあるけれど、この運命さえも決して無駄にはしたくない。
ツバメたちは、「私たちにいったい何を告げたかったのだろうか」そんな想いが満ちてくる大頭の夜です。
大頭のツバメたちはまだ、卵を大事に温めています。