「ふんふんほうかね~ぇ」のおばあさん。
白内障のせいで視力はあまり残っていないが、高齢のせいで手術などする気はない。
なので、ほとんどあまり目が見えていない。
耳は聞こえるけれど、年寄りによくあるパターンで都合のいい時はよく聞こえるが、聞く気がない時は聞こえない。
会話はできコミュニケーションはとれるけれど、耳と一緒で聞く気がない時は人の話には興味がない。
でも、自分がしゃべりたい時は同じ話を繰り返す。
なので、おばあさんの体調を確認するために、私たちは時々おばあさんの鉄板ネタと鉄板のキーワードをおばあさんに話してみる。
この話に食いついてくるときは、たいがいおばあさんの調子が良い時で、覚醒しているので目も見えるし耳も聞こえている。
でも鉄板ネタに食いつかず、鉄板キーワードを目の前にぶら下げても全く食いついてこない時は、おばあさんの体調はいまいちというわけで、目は開いてるけれど見えてなくて、耳も聞く気がないのでふさがったまま。
でも、でも、
おばあさんの辛うじて残っているおばあさんなりの社会性のせいか、おかげか、分からんけれど、おばあさんは人がしゃべり始めると、そうしなければならないように、必ずピントのボケたタイミングで相槌を打ってくれる。
「ふんふん、ほうかね~~ぇ」
おばあさんの相槌は絶妙のタイミングで、話しかけた人がおばあさんの返事がないので他の話題に移ろうとしていたりするタイミングぴったりに、おばあさんは返事をする。
「ふんふん、ほうかね~~ぇ」
決して話を聞いているわけでなくて、相槌を打つのが礼儀だとでも言うようにおばあさんは返事をする。
「ふんふん、ほうかね~~ぇ」
そして、笑う。
「はっはっは」
何で笑っているのか、何がほうなんか、全くわからないけれど、おばあさんは「ほうかね~」と共感し、「はっはっは」と笑ってくれる。
おばあさんのタイミングの外れた返事にいつもズコッとなりながら、笑っている私たちがいる。
「はっはっは」と笑ってごまかすおばあさんに、イラつく心を和ませてもらっている私がいる。
めんどくさいおばあさんが、だんだん歳をとり、もっとめんどくさいおばあさんになっていても、ときどきこんな面白いことがあると、その瞬間、なんか心が穏やかになる私がいる。
おばあさんが今よりも、もっともっとめんどいおばあさんになっても、きっとおばあさんはずっとこうしてわけのわからん相槌を打ち、何がなんだかわからん笑い声を響かしているのだろう。
暴れたり、怒ったりしていた時期が懐かしく思い出されるほどに、おばあさんは歳をとったということかもしれない。