現在公開中の映画 「ツナグ」をご存じだろうか?
原作は直木賞作家辻村深月さんの同名の小説だが、もともと私は「映画より本」派。
映像だとどうしても演じる人のイメージが先行してしまうけど、本だと自由に想像を膨らませることができるから、人物も思い通りに作れてしまうのが結構好き。
映画化されたりドラマ化される物語には、ほとんどが原作があるわけだから、話題の映画やドラマは本で読むことが多い。
ちょっとだけ紹介すると、「一生に一度だけ、死者との再会をかなえてくれるのが「使者」(ツナグと読む) ツナグの紹介で再会する何組かの死者と生者。誰を想い、何を想い、その後の人生を生きてゆくのか・・・という感じの内容だけど、オカルト的でもなく、幻想的でもなく、ただ素直に私の心に入り込んでくる気がした本だった。
帯の言葉にはこんなふうに書いてある。「自分ならば誰と会うことを願うか。自分が生者の場合。自分が死者の場合。そしてたった一度しか使えないチケットを、自分は本当に使うかどうか。」 私には主人公の青年が「使者」の能力を引き継ぐまでに考えていく言葉に共感する部分が多くあった。物語の最後で、主人公と祖母が語り合う場面がある。
「歩美は迷っていた。使者って何なのか。死者は生者のために存在してしまっていいのか。死者に会いたがるのは、すべて生者の勝手な都合なのではないか。・・・失われた誰かの生は、何のためにあるのか。どうしようもなくそこにある、逃れられない喪失感を、自分たちはどうすればいいのか。」
「・・・それは確かに、誰かの死を消費することと同義な、生者の自己欺瞞かもしれない。だけど死者の目線に晒されることは、誰にだって本当は必要とされているのかもしれない。どこにいても何をしてもお天道様が見ていると感じ、それが時として人の行動を決めるのと同じ。見たことのない神様を信じるよりも切実に、具体的に誰かの姿を常に身近に置く。あの人ならどうしただろうと、彼らから叱られることさえ望みながら、日々を続ける。」
「それが生者のためにものでしかなくても、残された者には他人の死を背負う義務もまたある。失われた人間を自分のために生かすことになっても、日常は流れるのだから仕方ない。残されて生きる者は、どうしようもないほどにわがままで、またそうなるしかない。それがたとえ、悲しくても、図太くても。」
「だけど、それでも死者が抱えた物語は、生きて残された者のためであって欲しい。」
解説の中で、「死を書くのは難しい。とくに現代の日本で書くのは難しい。」と書いてある。多くの日本人の死や死後に対するイメージは、とらえる人によって多様で、同じ人の死でも、お星様になったり、幽霊になったり、千の風になったり、ただの灰になったりすると。
「死者は使者の手を借りて一晩だけこの世界に舞い戻る。生者のように鮮やかに振る舞う死者を前に、生者は茫然と立ち尽くす。生と死の彩りが逆転したような束の間の邂逅のあと、生者は生者の世界へ戻り、死者は死者の世界へと消えていく。そのとき、生者の胸に残る感情は一色ではない。前向きな希望もあり、止めどない悔恨もある。感嘆もあり、悲嘆もあり、落胆もある。ただ、どの死者も等しく残していくのは、圧倒的な喪失感である。あるいは、不在のとてつもない存在感と言えばいいだろうか。
文中の言葉でないと表現が伝わらないといけないので、引用が長くなってしまったけど・・・。私は私流にいろいろと考えてみる。
「死」も「死者」も、後に残って生きる人にとって、「どうなのか」という点で大きな意味を持つのだと思う。
「不在の存在感」という言葉に思わず頷いてしまうが、「あの人がいなくなった」という感覚は、いなくなったからこそ感じる存在感そのものだ。
どんな「生」を生きたのか、何を残したのか、生きた人の歴史は刻まれ、次の世に受け継がれていく。決して有名だとか大きな仕事を成し遂げたとかいうことではなく、平凡に世の中の片隅で生きた無名の人であったとしても、子どもがいるならその子どもに受け継がれているDNAが存在し、それはその人の身体が消えた後も、次々と受け継がれていくはずのものだろう。
人は死ぬ。命は永遠ではない。
亡くなった後に、残される人に後悔や憎しみを残したくはない。できることなら希望や夢を伝えたいと思うし、想いを残さないために「感謝」を伝えたいと思うし、更に言うなら・・・いや、これこそが煩悩そのもの。生きている私自身の驕りなのかもしれない。
どんな人も、残る人に「物語」を残すだろう。
ただ、残してくれた「物語」に気づくことができない人は結構多いのかもしれないと思う。
生きているものが亡くなった人のことを、あれこれ理由付けして語ることは自分勝手なのかもしれないが、でも確かに「その人の物語」を受け止めて引きつぎ、語っていきたいと思う。
所詮、生きていくということ自体、自分勝手で傲慢で、煩悩に満ち溢れ、どうしようもないものなのかもしれないのだから。
・・・といろいろ考えてみたけれど、私の中で、この主人公の青年がとても素敵に輝いて見えて・・・この本が好きになった理由の一つが、想像上の主人公の青年の利発さとしなやかさとかっこよさだったなんて、この年のこのおばさんには・・・大きな声では言えましぇ~んがな あしからず!