池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

春は山菜!

2012-04-29 22:10:21 | デイサービス池さん

毎年やってくる山菜の季節。

寒い冬の間、縮こまっていた身体に溜まった毒素を、山菜の持つアクは取り除いてくれます。な~んて健康志向な理由はちょっとだけ・・・本当は、この時期じっとしていられない人たちがいっぱいなだけ。もう一つの理由は、食材費の節約のため。

山へ毎日出かけて山菜を採り、塩漬けにしたり冷凍にしたり、干したりと大忙し!

「ワラビ採りに行く人?」「は~い」・・・「たけのこ採りに行く人?」「は~い」・・・というわけで、山へ行く人、山菜が帰ると皮をむいだり、刻む人・・・誰もがそれなりに山菜に関わる。

そして・・・ワタクシは、この時期になると「冷凍庫」が欲しくなる病になるわけで・・・。

皆が採ってくる山菜の保存場所に、いつも困ってしまうわけで・・・。

今年こそ・・・今年こそ、ワタクシは冷凍庫買います!!

今年こそ、今年こそ・・・と、「毎年思う春の夜」。

 

 

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思うこと・・・18

2012-04-26 21:56:26 | デイサービス池さん

その18。「する自己からある自己へ」

 

芹沢俊介氏の「存在論的ひきこもり」論

ひきこもりに関する著書であるが、老人の立場からも考える視点を与えてくれる本。

一文を紹介したい。

 

老人とは、一言で表せば、できていたことができなくなる、「する」「できる」ということから次第に遠ざかる存在、「する自己」に見離されていく、そんな不可避、不可逆の過程をたどる人のことです。赤ちゃんが「ある自己」を出発点とし、しだいに「する自己」に向かい、やがて「する自己」に飲み込まれてゆくのに対して、老人は逆です。「する自己」からふたたび赤ちゃんに通過したことのある「ある自己」に帰ってゆく存在です。

 

何かをすることが当たり前の社会にあって、「ある」だけでいいのだと、それだけでいいのだという想いが心に届く。

「できなくなる」ことは、批判されたり、改善を目指して対処されるものではなく、「やむをえないもの」として無条件とはいえなくても肯定され、尊重されるものなのだと。

 

そして、「ある自己」が否定されかけた時、人は「ある自己」を守るために、ひきこもるのだと。老人で言えば、社会との断絶を自ら図るのだと。

 

さらに「支援」という視点で考えた時、支援は支援される側を主体に、その必要性を軸になされるべきであること。決して支援する側が自分の価値観・知識・技術・経験を「善意」でもって押し付け、支援される側を主導するものであってはならないと。

 

「ある自己」は、すなわち「ありのままの自己」

「ただあるだけで肯定されるべき」自己。

本来、人とは、そういう存在であったはず。

いろいろな人がいて、いろいろな人生を作り歩むうちに、「こうあらねばならない」という社会的価値観や基準を無意識に私たちは作っているのだろう。身体が健康で、社会生活を送る上でなんら問題が生じない時期はそれでもいい。けれど、一旦病気や老いによって、社会の一線から退くことを余儀なくされた場合、あるいは病によって今までと違う人生を生きてゆかなければならなくなった時、人は、自らの価値観を根底から大きく揺さぶられてしまう。周囲も、その人があるがままで生きていくことを受け入れるのに、大きな葛藤を感じてしまう。

 

社会での葛藤を抱えて、引きこもる人だけでなく、「老い」によって数々の人としてのあり方を変えることを余儀なくされていく人たちにとっても、「ただそこにある」ということの大きさを、理解できる人が周囲にいるかいないかで、その人生の価値は大きく変わってゆくのだろう。

 

「ある自己」が存在していることを認め、なおかつ豊かに「ある自己のまま」でいられるように、私たちは支援してゆかねばならない。

支援する側が「正義」と思うことが、実は「ある自己」の否定につながりかねない支援であったり、ただの自己満足にしかならない支援もありうるのだということを肝に銘じたい。

 

先日15周年を迎えた富山の「にぎやか」の数々の言葉の中にある一言を思い出す。

「生きているだけ」

それは、生きづらさを抱えてもなお「生きているだけ」でいいのだというメッセージ。

目の前の人たちの、「ただある」ことの重さを、

今一度感じてみたい。

ボケようと、忘れようと、暴れようと、叫ぼうと、

ヒイちゃんはヒイちゃんのままで、幹太は幹太のままで、たまちゃんはたまちゃんのままで、そのままの皆を、心から受け入れ心から愛おしいと思い、そして人としての日常を一緒に刻んでゆきたいと思う。

そして、自分自身も「ある自己」のままで豊かな「生」を生き切ることができるように、

この本のことを、心にとどめておきたいと思う。 

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忘れます

2012-04-25 20:17:45 | デイサービス池さん

頭の細胞が、音を立てて消えてゆく・・・。

あっ!これ利用者じゃなくて、ワタクシね。

おおむね・・・ほとんどの場合、

ぼんやり聞いたり、何かをしているときに聞いたことは、

頭には残っていない。

真剣に大事なことを聞いたとしても、

ちょっとしたら、忘れてる!

で、今回、作ったTシャツの胸に書いてあるロゴ。

 

「わすれます」

 

・・・そのまんまじゃないですか!!!

 

今日、これを着て送迎に出かけたら、

さっそくばあちゃんの息子さんに言われました。

でっかい声で、「な・に・を・忘れるのですか???」

ワタクシ「まあ、いろんなことを」

息子さん「そうですか?忘れますか?」

ワタクシ「はい」

息子さん「ハハハハハ」

 

ま、これは、

ワタクシそのままのロゴということで、

このシャツを着ている私を見たら、

どうぞ笑ってやっておくれ

 

 

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春の日に・・・

2012-04-22 01:08:54 | デイサービス池さん

今日は土曜日。4月21日。春まっさかり。大切な思い出を語りたい。

 

私の人生の中で、大きな影響を受けた人が、何人かいる。

その中で、私だけでなく池さんという場所にも繋がる大きな存在の人。

湯浪のじいちゃんという人がいた。本名はもちろん違うけど、私は自分の母とあまり年が違わないこの人を勝手に「じいちゃん」と呼び、じいちゃんの住む地名とくっつけて「湯浪のじいちゃん」と呼んでいた。

 

最後の選挙の時、知人に集めてもらった後援会の名簿の中に、その人の名前があったのが出会いの最初。湯浪という場所は、その名簿の中で最も遠くにあった。私は名簿の住所を地図で調べながら挨拶回りをしていたが、初めてその地を訪れた時「なんて山奥なのだろうと」驚いた。

山を切り開いて、その人はシキビを作っていた。

「こんにちは」と初めて声をかけた時、その人は「お~!」と言いながら、90度に曲がった腰を伸ばすようにして、背丈ほどもあるシキビの間から顔を出して笑ってくれた。

初めて会った人なのに、初めて会った気がしなかった。まるでずっと前から知っていた人のように、私たちの話は弾んだ。

「遠くから嫁いだおなごのくせに、よう議員なんかするもんじゃ。」とあきれながら、その人は笑ってくれた。

何度か足を運ぶうち、すっかり山へ魅せられた私たちは、選挙運動期間中も山の中まで選挙カーを走らせて、「人のいない山へなんか行かずに、もっと街中を走れ!」と支援者に叱られたりしたものだ。

投票日。その人は、朝6時から投票所の前で待ち、おそらく一番最初に私の名前を書いてくれた。

選挙には落ちた。合併を挟んで5年半の私の議員生活は終わった。ただ理想の地域を作りたいと突っ走ってきた5年の月日が虚しく感じて、失意の中にいた私の所へ、その人は朝早く雨の中ボロボロの車を運転して、家まで来てくれたのだ。

そして笑いながら言ってくれた。「お金や打算が溢れる政治の世界で、あなたは綺麗な選挙をしたのだから、胸をはっていいのだと。胸をはるあなたの背中を、あなたの子どもは見ているのだと。」・・・言葉が心に沁み込んだ。

ただそのことを言いたくて、その人は私の家まで来てくれた。それまで全く見ず知らずだった人。

 

それ以来・・・その人は「湯浪のじいちゃん」として、ずっと私の心を支え続けてくれた。

家族で池さんを始めた時も、「頑張れよ」と笑って励ましてくれた。そしてオープンしてしばらく後、流木だったというでっかい木の根っこを綺麗に磨いて「これを家に持って帰れ。これは守り神じゃ」と言って私たちにくれた。じいちゃんは、いつも私たちのことを気にかけてくれ、仕事が軌道に乗るように願ってくれた。

春は必ず山菜を持って来てくれたし、柿やシイタケや手作りのお茶やコンニャクなど、いろんな自然の恵みを届けてくれた。

家族ではなかったけれども、私は自分の母より2つ年上のじいちゃんを頼りにしていたのだ。疲れた時や迷った時、現実から逃げたくなるような時、苦しい時にはいつも山へと向かった。じいちゃんは何も聞かずに、いつも「頑張れよ!頑張らないかんのんぞ!」と声をかけてくれたのだ。山の澄んだ空気とじいちゃんという人間に、私はいつも心を癒された。

 

じいちゃんが山で倒れているのを発見されてから、8か月がすぎた。

じいちゃんは意識もなくチューブに繋がれ、足はひどく拘縮してしまい・・・ただベットに寝ているだけだったが、確かに「生きていた」のだと、今改めて思う。

じいちゃんが亡くなったことを知ったのは、昨日。

じいちゃんは、14日に亡くなっていた。16日がお葬式だったらしい。

じいちゃんが倒れてから、病院へは何度も足を運んだが、湯浪へはどうしても行く気になれなかった。じいちゃんのいない湯浪は、今までの湯浪ではなく、私にとって全く違う場所になっていた。

なのに・・・15日の日曜日。 急に無性に行きたくなって、ヒイちゃんと一緒に本当に久しぶりに湯浪へと出かけたのだ。

湯浪の水汲み場にある桜が、見事に満開だった。タシッポもあちこちに顔を出していた。

ヒイちゃんと一緒に長い間、桜を見ていた日。タシッポを採った日。じいちゃんはもう「生きてはいなかった」

なぜか、本当になぜか、この日行きたくなった湯浪。

 

桜の咲く日。山には山菜が芽吹く頃。じいちゃんがもっともいきいきと見えた春。

 

夏に倒れてから入院生活の中で、じいちゃんは何度も何度も肺炎を患った。けれどいつも、奇跡的に回復した。そして・・・最後の時、じいちゃんは危篤状態になってから、たったの2分、たった2分で・・・逝ったそうだ。

きっと・・・

きっと・・・春が来るのを、山の桜が咲くのを待っていたのだろう。

春が来たら・・・桜が咲いたら・・・山へ帰ろうと・・・決めていたのだろう・・・そう思える。

桜が満開のこの日。「よし!帰ろう!」と旅立っていくじいちゃんが見えるような気がした。

いつものように、「お~!」と手を上げて。

 

私はまた、心の支えを失ったけれど、でもじいちゃんに教えてもらったことは、心の中にちゃんと刻まれている。

山で苦労して生き抜いたじいちゃんが、頑固に自分の生き方を貫いたじいちゃんが、その命をもって私たちに教えてくれたことを、心に刻んでこれからも生きていきたいと思う。

 

ネットで注文していた書籍が、たまたま本日届く。

偶然、最初のページにこんな文字があった。

「死は、積み重ねてきた努力の終わりを意味するのではない。精一杯生きた人生は、その次のより良き人生を導く」マハトマ・ガンディー

 

じいちゃんの生がどんなものだったのか・私たちの知らない人生が必ずあったと思う。そして、じいちゃんの死に方が、死にゆく姿がじいちゃんの望んだものだったのかどうか・・・それは、私たちにはわかるはずもない。

ただ・・・ただ・・・じいちゃんが残してくれた「私たちの知る人生と死」が、私自身の人生の指針になっていることは確かなことだ。

 

春。山の桜は、まだ咲いている。山菜も次々に顔を出す。

じいちゃんは、きっと今日も山を走り回っていることだろう。

 

私の人生の中での大きな転機となった時に、それからの新しい人生を歩む時に、私がじいちゃんから与えてもらった大切な思い出や時間を胸に刻んで。

春の日に。

心を込めて伝えたいと思う。

 

「ありがとうございました」

 

 

 

 

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ヒイちゃんの意地

2012-04-19 21:01:56 | デイサービス池さん

本日、往診日。

宅老所を常時利用する人は、いつどんな状況になっても私たち自身で対応できるように、主治医を池さんのかかりつけ医にしてもらっている。つまり最後の時を、穏やかにすごしてもらえるように、救急搬送をせずに看取ることを前提に、ご家族と話し合ったうえで預かることにしている。

・・・これは、私たちのこだわりでもある。(救急医療よりも、最後の時をご家族と共に、運命のままに受け入れてほしいというこだわりでもある。つまり大頭の池さんという宅老所は、「緊急時の泊まり」に対応もしているが、「住む」ということに関しては、この前提を納得して頂いた方のみということになる。現在ヒイちゃんは大頭の住人として、この選択を理解してもらっている。まさこさんは流動的なので、今のところ、池さんのかかりつけ医を主治医とすることに同意してもらっている。)

ヒイちゃんとまさこさんの診察に、先生が来てくれる。

いつものようにヒイちゃんは、よそいきの顔で先生の前にいる。

先生は手を握って脈をとり、看護師が検温をしようとヒイちゃんに触れた。

「冷たい」とヒイちゃん。(付け加えるとヒイちゃんは、冷たい手で身体に触れられることが大嫌いなのだ。冬の間、手が冷たくて体温計を脇に入れようとするスタッフは、いつも怒られている。)

一度機嫌を損ねると、結構頑固で強くなるヒイちゃん。

ごめんねと謝る看護師の顔を見ようともせず、ヒイちゃんは怒っている。

「冷たかったか?」と先生は笑いながら、脈を見て酸素量を測り、薬の様子などを私に聞いていた。

その間ずっと、ヒイちゃん怒った顔で先生を睨みつけている!

ヒイちゃんの診察が終わり、まさこさんの順番。

「先生」に弱いまさこさんは、スリッパを持って「先生、まあこれでも履いてください」といつものオホホの顔。

「ありがとう」と言いながら先生は脈をとったり検温したり。まさこさんが「どうでしょう?」と聞くと「血液の検査も異常ないし、血糖値も安定しているし・・・」と説明していた時・・・

・・・ヒイちゃんが車椅子を動かして、先生に近づきはじめた。

先生は、まさこさんと車椅子のヒイちゃんに完全に挟まれた状態で身動きできなくなっている。

困った顔の先生にヒイちゃんが言った。

「まだ、診てもろうてない!!!」

「ヒイちゃんは、もうすんだよ!」と私が言っても、ヒイちゃん目を三角にして「まだよ!」と言う。

先生はすぐに、「まだじゃったか。ハイハイ」と再び、ヒイちゃんを診察してくれた。

それから、「大丈夫。調子はいいよ。」と言ってくれた。

それでやっと、ヒイちゃん納得。

ほんのわずかのやり取り。

でも、ヒイちゃんの意地をそこに感じたワタクシ。

まさこさんは耳もいいから、先生とのやり取りが直接できる。きっと、ヒイちゃんは二人のやり取りがうらやましかったのだろうと思う。

「まだ診てもらっていない」という言葉は、ヒイちゃんの女の意地。

最初にひどく怒ってしまったものだから、怒りで診察どころではなかったヒイちゃんが、「まさこさんの診察に割り込む」瞬間は、見ているワタクシには興味深くて面白かった。

93歳と89歳の二人。

人間くさくて、意地深くて、強情で、ちょっとかわいいばあさんたち。

先生をめぐる二人の女の関係の結末は・・・。

三角なのかどうなのか、それさえ忘れてしまう二人のばあさんたちの乙女チックにドキドキした本日の往診の時間でしたとさ

 

 

 

 

 

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思うこと・・・17

2012-04-18 20:45:18 | デイサービス池さん

その17。「老いの魅力」

以前のブログにも書いたけど、私はずっと子どもに関係した仕事をしたいと思っていた。子どもの心にとても関心があって、卒論も「環境が子どもの心に与える影響」だったし、3年生の実習先も「児童相談所の一時保護所」を希望した。

社会福祉学科だったので、当然老人施設に行く友人もいたけれど、「なんで年寄り?」というふうに思っていた。

「子どもは未来を作る」と思う熱い気持ちは、今も変わってはいないが、子育てを終え(まだまだかな?)、私自身が年を重ねてくると、年をとるということの意味や重みをひしひしと感じ、老いてゆく過程での精神状態の変化や老いを生きる環境に魅力を感じることが増えてきたように思う。

池さんを始めて、その思いはますます強くなってきた。

今、「老いた人」あるいは「老いゆく日々を生きる人」の魅力の虜になっている。

どの人も違う老いを生きている。

病に苦しみながら、老いに苦しみながら、しかしその老いを受け入れ緩やかに日々を重ねてゆく人は、最後の時を、その命をまっとうしようと一生懸命戦っているようで、人間くさくて最強に興味深い人々。

白髪が増え、シワが増え、足腰が弱り、腰が曲がり、目も見えなくて耳も聞こえなくなり・・・世の中の多くの情報を受け入れる脳も弱り、けれども自分が生きてきた証としての生活歴や人生の歴史を頑として守り続ける老人は、頑固でどうしようもなくわがままで、そしてどの人もとても魅力的に映る。

私たちは介護という仕事に携わっているが、決して一方的な関係ではない。つまり、年寄りは常に弱者ではない。ある時は私たちを振り回し、ある時は頑固に自分を主張し続け、ある時は弱弱しく涙を流し、そして誰もが死に向かって歩いてゆく人生の先輩。

年寄りだからといって、全ての人を愛せるわけではない。

けれどもこの人を背負うと決めた時から、時を重ねてゆく中で、面白く思えたり、好きだと思えたり、愛おしいと思う感情が芽生えてくる。

そして、共に時間を過ごすことがかけがえのないものになってゆく。

老いてゆく人は、魅力に溢れている。ボケて壊れそうになってゆく人に、私は多くのことを学ばせてもらい、そして・・・死にゆく人に「生きる」と言うことの意味を教えられている。

 

自分自身が深く大きくなるために、

死に最も近い人たちが与えてくれる指針は、確かに大きくて豊かなものであると、

池さんという場所を通して、今強く感じている。

年を重ねること、死を真近かに感じることは、確かに不安に包まれたものかもしれない。

けれど、こうして誰もが年をとってゆくのだと思うことで、「老いも死も苦しみだけではない」ということを知ることができる。

満ち足りた時の中で、残り少ない日々を笑いながら過ごすこともできるのだと思えば、それもそれでいいのではないかと思えてくる。

私たちに与えられた役目は、「そのために今をどうするか」「どう生きてもらうことが最もよいことなのか」を真剣に悩むことだと。

おのずと見えてくる年寄りへの関わりの在り方は、未来の私たちの姿にも繋がっているのだと心に刻んで、大切に日々を送ってゆきたいと思っている。

 

 

 

 

 

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今年の春に

2012-04-15 20:12:45 | デイサービス池さん

春が訪れた。

そして・・・湯浪のじいちゃんは、病院で「生きている」。

毎年、山菜の季節は湯浪へ私たちは通い、じいちゃんの採ったツクシやふきのとうやタシッポやタケノコをもらっていた。

じいちゃんは、いつも野良着姿で私たちを迎えてくれた。

いろんな話をし、山菜をお土産にして、私たちは豊かな時間と季節の食材をじいちゃんに与えてもらってきた。もう6年間も・・・。

 

今年の春。

じいちゃんのいない湯浪は、私たちにとって今までとは全く意味の違う空間になった。

山菜は豊かに、今もこの地にある。

けれど、それはどこにもある山菜でしかない。

じいちゃんと過ごした豊かな時間は、もうない。

ヒイちゃんと訪れた今日の湯浪。

遅咲きの桜が美しく咲いた山の道。

 

じいちゃんは生きている。

じいちゃんらしくはないけれど、じいちゃんの命を今も生きている。

「人間生きないかんのんぞ」と言ったじいちゃんは、

確かに今も生きている。

きっと、与えられた命を全うすることの厳しさや苦しみを、

私たちに教えてくれるために・・・

 

春。

じいちゃんのいない湯浪は、

なぜか寂しげに

私たちを迎えてくれた。

 

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言葉

2012-04-12 21:56:44 | デイサービス池さん

11月6日のブログに登場した近所の老夫婦。

久しぶりに、私は買い物に訪れた。

おじちゃんは、色が白くなりまた少し痩せたように感じた。

今日はとても暖かかったので、私は皆のためにとアイスクリームや駄菓子を購入することに。

それからちょっと立ち話。

「おばちゃん、どう?」

「あ~ぼちぼちよ。」

「ちょっと暖かくなってきたから、過ごしやすくなったね~。」

「ほんと。でもまたすぐに暑くなってくるからしんどくなるわな。」

・・・・しばらくいろいろな話をして、ふと、おじちゃんは言った。

「年をとるということは、本当にしんどいことじゃ。こんなにしんどいと思わんかった。生きていくことは本当にしんどいことじゃなあ。」

私は何も言えず、ただおじちゃんを見て微笑むことしかできなかった。

老夫婦は、私がここへお嫁に来るずっとずっと前から、ここで生きてきた。初めて会った時から、二人の印象はほとんど変わっていない。つまり私の中では、ずっと昔のままの夫婦。(確かに私自身もこんなに年をとったわけだから、夫婦も同じく年を重ねていたのだが・・・)

ただ、「身体が辛い」ということだけではないだろう。

いろいろな想いが、おじちゃんに「しんどい」と言わせる。

「生きることがしんどい」と。

思いがけず襲いかかるこうした赤裸々な「言葉」は、私の心の中にビンビン響いてくる。

軽々しく返事などできない。

病を得てなお、社会で暮らす人として、背筋を伸ばして生きる一人の老人を前に、私は何も言えない。

・・・・・

年をとり、ボケることの苦しみや、記憶をなくしてゆく不安は確かに大きいに違いない。

しかし、この老人のように、しんどさを抱えながらしっかりと生きてゆかなければならないのも・・・確かに辛いに違いない。

 

「老い」はすべての人に訪れる。

「老い」をどう生きるか。

「自分の老い」をどう受け止めるのか。

 

優しいおじちゃんの辛そうな表情は、今も私の心に突き刺さったまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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思うこと・・・16

2012-04-11 21:44:49 | デイサービス池さん

その16。「ボケと認知症」

「ボケ」

「ボケた」という言葉は、いつからか「認知症」という言葉に変わった。「認知」に障害がある人ということらしい。

認知症という呼び名になったとたんに、「ボケ」は「病気」のカテゴリーに分類されるようになった。

「認知症は治せます」というテレビのキャッチコピーを見た人は、おそらく多くの人が「治るんだ!」と思ってしまう・・・ように思う。

ボケは認知症という病気だから・・・ばあちゃんは病気なのだ・・・薬を飲ませたら良くなるかもしれない・・・少なくとも認知症の進行を遅らせることができるかもしれない・・・病院へ行かなくては・・・病気だから・・・という構図が、多くの人たちの頭の中に出来上がっている。

そして・・・病院では、様々な薬を処方される・・・ことになるだろう・・・。

脳の病変による疾病と、加齢による「ボケ」を混同してはならない。

全てをひっくるめて、「認知症」だということ自体に無理がある。

「ボケ」を病気だと思うから、何とかしようなどと思ってしまう。加齢によってボケたじいさんやばあちゃんは、決して治療の対象者ではない。

 

「老いゆく人」そのものの姿なのだ。

 

「ボケ」は決して病気だとは思わない。

だから・・・どうにかしようなどとも思わない。

ただ・・・どうすればその心に寄り添えるのか・・・ということを、私たちは常に考えている。

 

年を重ねてボケた人は、確かに数々の問題だと思われる行為を始める。けれど、 一体誰にとって問題なのかを考えた時、それはその人を取り巻く人にとって問題だということでしかない。

本人は、忘れることも分からなくなることも、すべてのことが当たり前のことでしかないのだから。

「困った人」というレッテルをはり、「問題行動」を解決しようとするが、そうではない。

「解決すべき問題をもった人として」しか見ることができなくなっている私たちの方にこそ、問題があるのではないかという意識を持つと・・・そうすれば、おのずと関わる方向が決まってゆくように思える。

ヒイちゃんも、ばあちゃんも、そして池さんにいるほとんどの人たちがボケているが、それは決して症状の改善を目指して、デイに来ているのではなく、ただ人として豊かな時を持つためにこそ、その一日があると・・・私たちは思っている。

ボケてもいい。わからなくなっても大丈夫。心の不安に寄り添いたいと思う私たちが、いつもあなたのそばにいる。・・・そう言って、不安に震えるシワだらけの手を優しく握ってあげたいと思う。

 

そういえば・・・。

忘れもしない小学校6年生の時。担任の先生からの年賀状に、こう書いてあった。

「・・・・・呆けもののゆきこさん。頑張ってください。・・・」と。

この場合の「呆け」は、ボケという意味なのか、疾病としての認知症を指すのか?

小学校6年生だから、まさか加齢による呆けではないだろう。

だとしたら・・・私は幼い頃から呆けていた・・・ということらしい。

今だに、私の心に引っかかっている「呆け」という言葉・・・・・

 

 

 

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桜咲く

2012-04-09 19:06:40 | デイサービス池さん

桜・・・咲きました。

「大頭の桜」

去年、植えた桜です。

みちおさんのお孫さんに植えてもらった「桜」です。

まだ細い枝に、それでもちらほらと美しい花を咲かせました。

大頭の池さんを、縁あって出会った人たちと過ごす場所にできたら・・・という大きな想いを込めて植えた桜の木。

昨日、初夏のように暖かい一日。

私たちは大頭の桜で、お花見をしました。

きっと、窓からじいちゃんやみよちゃんも見ていてくれているよね・・・と話しながら。

 

「大事な出会い」を、こんな風に大切にできる池さんでいたいと思います。

「大切な時間」を、皆と共有できる人間でありたいと思います。

そして、いろんな「想い」を深く考えてゆける豊かな心を持ちたいと思います。

 

池さんで生きる年月を、私自身が人生の糧にできるように、謙虚に生きてゆきたいと思います。

 

桜咲きました。

日本人の心を映し出す「桜」が、大頭にも咲きました。

 

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春は、うらうら・・・

2012-04-04 21:19:12 | デイサービス池さん

不覚にも、体調悪し。

同業者ならおそらく皆そうだろうと思うが、今回の介護保険の改正は、事業所にとって理解不能な状況が多く・・・なにしろ、県が行った事業者説明会でも、相次ぐ質問に担当者さえ、「わからない」を連発し、改正の大枠だけが整った段階で3月が終わり、4月からの改正の利用者への説明すらできない始末。

今の時点でさえ、利用者の提供票すら出揃ってはいない。

施設から在宅へと移行することを方針としながらも、本当にこれで在宅での暮らしが支えられると思っているのだろうか・・・と疑問点が山のようにある。

せめて利用者に分かるように、利用する人が理解できる介護保険制度にならなければ・・・と思う。

書類の作成・ソフトの入れ替え・ケアマネとの調整や連絡・・・単位が変わり、加算の状況が変わり・・・もともとあまり良くない頭でムリな思考を重ねた結果、胃が悪くなったワタクシ。

台風よりひどい低気圧の一日を過ごし、あちこちの桜が咲き始め、花見ツアー全開の今日。

気候のせいか、春のせいか、はたまた気圧のせいか、全く毎日落ち着かず笑うしかない状況の中で、自由気ままに生きる年寄りと共に、春休みの子どもたちと共に、今日も一日が終わる。

食べることしか興味のない人や、人の悪口満載の人や、元気のない人や、遊びたい人や、庭でオシッコする人や、とにかく落ち着かない人たちに振り回されながら、一日を終えて夜、ヒイちゃんと喧嘩し、まさこさんが叫び、いつもと同じ時間。

だれも、法律の改正などと関係なく、老いゆく一日を過ごす。

 

「細分化された介護保険など、くそくらえ」と大声で叫びたくなる春の夜。

サービス提供強化加算・日常生活継続支援加算・緊急受け入れ体制加算・看護体制加算・栄養改善加算・事業所評価加算・若年性認知症利用者受け入れ加算・運動機能向上加算・口腔機能向上体制加算・・・・・

なんじゃそりゃ!

家で生きることを支援するためには、ぜ~んぶ当たり前のケアではないのだろうか。サービスを提供することも、歯磨きすることも、運動することも、ご飯を食べることも、病気になったら看護することも、急に受け入れることも、ぜ~んぶあたり前のことじゃありません???

単価を下げたから、加算で稼げとか?

 

・・・

法律に振り回され、法改正に振り回され・・・・・結果、老人はコミュ二ティーとの関係をかき消され・・・・・地域から隔離され・・・・・そして・・・・・施設や病院へと移り住んでゆく。

あ~~~胃が痛い!

「春うらら」ではなく、

まちがいなく、

この春はうらうらと「介護保険の質」を変え、住み慣れた地域を変えてゆくのだ。

・・・・・

もっとシンプルなシステムの介護保険を!

と大声で叫びたい胃の痛む人は、

ワタクシだけ?

 

 

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