8年間の間にいろんな人を見送ってきた。
人がいろいろなようにその死の姿もさまざまで、私たちはそのたびに経験を重ねさせてもらっている。
昨日、私はまた新しい形の看取りをさせてもらった。
ご近所に住むその人のことを、私はほとんど知らない。
でもその人の旦那様と私たちは、もう長年のお付き合い。
池さんがオープンしてからずっと、畑で育てた新鮮な野菜をいつもどっさりと持って来てくれ、池さんの胃袋を支えてくれていた。
1年ほど前、「家内の様子がどうもおかしい。自分の部屋に閉じこもって、窓に目張りをして真っ暗にした中で過ごすようになった。テレビを一日中つけっぱなしで、幻覚や幻聴も出ている。どうにか外へ出られないだろうか」と相談があって、デイに来るようにお誘いに行った。
でも、奥さんは外へは出なかった。その後も何度かお誘いに行ったが、どうしても外へは出ない。4畳半ほどの暗い部屋でコタツにこもったきり、寝たり起きたりを繰り返すようになっていった。
1ヵ月前、旦那さんから電話があった。野菜を持って行ってあげたいけど、家内が寝込んでいるのででかけられない。取りにきてもらえないかと。
畑で野菜を採りながら、旦那さんはこう言った。足が立たなくなった。もう1ヵ月、ご飯を口にしていない。かろうじて水は飲む。何をどうすればいいのかもわからない。
病院へ行く気はないのかと、私は尋ねた。
あれほど家から出ることを嫌がってきたのだから、病院へ行くのはきっと望まないだろう。このまま家に置いてやりたいのだと旦那さんは言った。
それなら・・・病院へ運ぶつもりがないなら・・・
まず往診してくれる医師は必要になる。でないと、何かあった時不審死として警察が介入することになるだろう。
私は池さんのかかりつけ医を紹介し、その後、週に一度の往診をしてもらうようになった。ケアマネに話をして、認定期間が切れている介護保険をもう一度使えるように頼んだ。相変わらず奥さんは部屋から出ない。足は立たなくても部屋から出ることを頑固に拒否し続けていた。
そして金曜日、旦那さんから電話があった。野菜を採りに来てくれと。
再び私たちは畑で話す。ちょうど2日前、ケアマネが来て暫定で介護保険が使えるようにしてくれ、介護ベッドが家に入ったことを話す。2日前から水も飲まなくなったこと。オシメも替えささないし、どうしたらいいのか。
午後、医師が往診に来てくれることになっていると聞き、その時間に私も同席することにした。
そして午後2時、医師からおそらくもう長くないだろうと告げられる。それでも念のために、もう一度私は聞いた。
もし点滴や入院が必要なら、先生は望むようにしてくれるからと。でも旦那さんは躊躇せずにこう言った。ご飯を食べなくなって40日。もし点滴をしたとしても、もう一度元気になるはずはないだろうから、苦しみを長引かせることだけはしたくない。家から出ることをあれだけ拒んだのだから、ここでこのままでいいですと。
もう意識は混濁していた。
私は急いで必要なものをとりに帰り、再びその家を訪れる。
混乱しはじめてから4年の月日が経っていた。
4年もの間ずっとコタツで寝続け、衣類は着替えや入浴を拒んでいたためにひどく汚れていた。足が立たなくなってから旦那さんがつけてあげたオシメも汚れたままになっていた。
お湯を沸かしてもらってから、私は身体を拭いてあげた。ずっと寝てばかりだったので、身体中に褥創ができていた。
髪をとかし、家からもって行った寝巻を着せてあげ、渇いた口を脱脂綿で湿らせてあげる。
見違えるように綺麗になった。仕事が終わってから、もう一度来るからと伝えて、私は家を後にした。
午後5時、「息を引き取りました」と連絡が入り、すぐに家に向かう。医師が死亡確認をしてくれていた。
その人は、静かに穏やかに最後を迎えたようだった。私が家を出る前と全く変わらない姿でベットに横になっていた。旦那さんが言った。「大きく息を一回して旅立ちました。まったく苦しまずに穏やかに逝きました。さっき本当に綺麗にしてくれていたから、もう何もしなくてもいいです。このままでいいです。ありがとうございました。」
私は簡単にエンジェルケアを行い、これからの手順や葬儀会社への連絡など旦那さんがわからないことを手助けして家を後にした。
その人を見送った今、いろんなことを考える。
ほとんど知らないその人。
でも、旦那さんは私たちを長年支えてくれた。
同じ地域の住人として、野菜を届けてくれるという方法で私たちを助けてくれた。
私たちにできることは、奥さんを家で看取ろうと決めた旦那さんを支えることだったと思っている。
ただご近所という関係。そこには利害や責任は何一つない。
でも私たちが目指していたもの・・・池さんという場所を通じて縁あった人を大切にして生きていきたいという一番大切なもの・・・を想いださせてくれた、そんな出来事だった。
旦那さんのSOS。野菜を取りに来てくれというSOS。何をどうすればいいのかわからないというSOS。縁のある人のSOS。
旦那さんがずっと支えてくれた私たち。私たちはその人の発するSOSに気づき、ただ無心に恩返しすること。縁ある人と、純粋に繋がっていくこと。
それが池さんなのだと。池さんの出発点なのだと。
原点をもう一度見つめることができた時、
私たちはまた、新しい一歩を歩きはじめることができるような気がする。
もうひとつの看取り。
池さんという場所が、もっともっと深く濃くなるために与えられた出来事。