池さんで働くおばさんの日記

デイサービス「池さん」の大ちゃんママのブログです。

生き方を想う

2017-09-29 00:32:30 | デイサービス池さん

もうすぐ9月が終わる。

本日は半月。上弦の月。

雨が上がり夜空に月が輝いている。

自分の生き方に想いを巡らし、家族の在り方に心を巡らし、これからの池さんに想いを巡らす。

私自身は、池さんの「大ちゃんママ」という立ち位置での自分が、たぶん今までの自分の中で一番好きな自分だと思っている。

12年近く過ごして、やっと好きだと思える自分に出会えた。

誰かの顔色を気にして、自分を押し込めて生きていた妙に大人びた幼い頃の記憶を消し去り、素直ではなく斜に構えたような嫌な人間ではなく、素直な自分でいられることが楽しい。

着飾る必要もなく、繕う必要もなく、恰好よく生きる必要もなく、シンプルに生きることができている自分が結構気に入っている。

靴下が破れてようと、お財布にお金がなくても、全然平気でいられるわけだし。

誰かの評価を気にして生きるのは嫌だし、誰かの機嫌をとりながら生きるのはいやだし、裏表のある人間も嫌だし、すっきり自然に明るく元気な自分でいたいと思っている。

経営者としての駆け引きはもちろんあるにしても、人と人の出会いの中で大切なものを見失わないようにしたいと思う。

池さんの大ちゃんママと本当の私が重なり合った時、肩の力の抜けた柔らかい人間になれるのだとなぜだかずっと思っている。

柔らかく生きている人生の達人たちを目標に、しなやかな人間になりたいなあ~と今日も思う。

自分を想い、家族を想い、周囲を想い、社会を想い、世の中を想い、そして再び自らを省みる。

その繰り返しの中に、必ず生き方のヒントがある。

日々のでき事を自分にどう返していけるか、ということなのかもしれない。

考えすぎのところもあるにはありますが・・・いつもの事ということで、

やがて満ちてゆく月と共に、新しい月(10月)も満ちてゆけますように。

 

 

 

 

 

 

 

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秋の夜長に

2017-09-27 00:05:16 | デイサービス池さん

秋の夜長に連れづれと・・・あれやこれやと思いめぐらせ・・・

などと感傷に浸る間もないほど最近の季節の移り変わりは早すぎ。

暑い暑いと思っていたら、台風が過ぎたとたんにこの冷え込み。

そして冷えると思っていたら、日中の蒸し暑さにヘコへコなる。

布団がいるのか、半袖でいいのか、扇風機なのか、はたまたエアコンをつけたらいいのか・・・

温度差が大きすぎて、もう寒いのだか暑いのだかわからんようになって、頭が変になってくる。

 

今日もお泊り当番だということに全く気づかずに夕方大頭へ移動してしまい、???

ワタシ? 泊り? え”~~~~~!

急いで家に着替えを取りに帰る途中で、今日約束があったことを思い出す。

もう時すでに遅し!

いやはや、もうどうにもこうにもなりません。

 

食事中にふざけて「じゃがいも」を「がじゃいも」と言ったスタッフに、アルツハイマーの人が言った。

「普通に物が言えんのかね!」と。

学生の頃、施設実習で精神病院に行った時入院している人が言った。

「先生、変な人ばっかりで気が狂いそうです」と。

 

世の中いろんなことがある。

辛いことや悲しいこともあるし、面白いことも。

小さなことをケラケラと笑い飛ばして、生きてみるのもいいかも。

本当はケラケラと生きていたいけど、あまりにも忘れることが多すぎて、冷や汗たらたらで金縛り状態。

ばあちゃんたちのように、いくら忘れても平気で生きてゆけるまでには、まだまだ修業が足りないようで・・・

池さん始まって以来初めての新車で迎えに行った時、
「今日は新車でお迎えに来たよ~!うれしい?」と聞いたワタシに、
「ほにゃほにゃ、これは麦か?」と反対に聞かれたばあちゃんの視線が、ばあちゃんのズボンのあたりを漂っているのを見た時、
「あ~言うんじゃなかった」と自分の未熟さを反省して黙ったワタシに、ばあちゃんが
「どうりで、ガタガタ揺れんわね~」と言ってくれた時、
「わかっとる」と嬉しくなったりして、
「やっぱり新車で行ってよかった」と思っていたら、到着して車から降りた時、
「新車はやっぱりええね」と言うワタシに、
「・・・」と無言でお愛想笑いをしてくれたばあちゃんを見た時、
分かっているんだか、わかってないのだか、知っているのだか、知らんふりしているのか、聞こえているのか、聞こえないのか・・・ばあちゃん、強いな~と妙に感動してしまった。

確かに人生、分からんことのほうが多いのかも・・・

ただただ堂々と生きているばあちゃんたちを尊敬したい気分。

ワタシは、まだまだ若輩もの。

末永く鍛えて頂きたいと切に願いながら、今のばあちゃんたちの年まで生きていく自信など持ち合わせていない虚弱なワタシですから、どうぞお手柔らかに~。

 

 

 

 

 

 

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秋の食卓

2017-09-20 21:52:45 | デイサービス池さん

台風が去りました。

一時大頭周辺は避難を促す放送が流れたものの隣の川も危機一髪で雨が止み、何とか被害を免れた感じです。

皆様のところは大丈夫でしたか?

応援し隊員の皆様、被害に合われた皆様には心からお見舞いを申し上げます。

さて、台風一過急に秋めいてきました。

あれほどお世話になっていたエアコンも、やっと一休み。

秋の風が気持ちよいので、玄関も窓も開放しています。

食事のメニューも少し変わっています。

肌寒さを感じ始めたので、大なべ料理が登場し始めました。

今日の池さんは、鳥のつくね入り野菜たっぷりのにゅう麺と栗と山菜入りの炊き込みご飯とご飯のお供あれこれ。フルーツはブドウでした。

あったかいお鍋の汁をすすりながら、あ~秋やな~~~と感傷に浸りつつ、(・・・本当は浸る間もなくおかわりくれ~~とか、便所だ~~、眠る~~と、いつものようにドタバタと)秋の食事を楽しみました。

ドライブに行くたびに栗をどこからか手に入れてくる優秀なスタッフに感謝しつつ・・・イチジクの代わりに美味しい焼き芋やさんを見つけて嬉しそうに買いに出かけるばあさんたちに呆れながら、短い秋を楽しみたいと思っている今日この頃です。

大根を炊く秋の台所の匂いは、やっぱり食欲をそそります。

暑い夏が終わりを告げ、煮物の季節がやってきました。

季節の移り変わりを台所の匂いで感じることができることを、幸せに思う私です。

池さんの食卓は、もうすっかり秋模様です。

 

 

 

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ばあさんたちの秋

2017-09-15 23:09:09 | デイサービス池さん

少し涼しくなって過ごしやすくなったとたんばあさんやじいさんたち活動的になって、とんでもない毎日が続いております。

好き勝手でわがままで、人のことなどお構いなしで動き回るばあさんたちに、へとへとになりながら笑って対応しているスタッフたちを「倒れるなよ」と陰ながら励ましつつ、ワタクシ自身が倒れそうになっている今日この頃です。

新しくメンバーに加わった人たちも含め、もうどうにもならんがなと諦めて、スタッフはやっぱり今日も笑うしかない状況ですが、それでも「あ~今日もよう笑ったわ!」「楽しかった~!」と言って帰るばあさんたちを見て、心の中で「良かったんかいっ!」と思わず一人で突っ込んでしまうワタクシです。

 

元気なばあさんたちは、とにかくじっとしていません。(あっ、1人では歩けないくせにじっとしていません。)

毎日あちこち車で出かけています。

イチジクがおいしい季節なので、毎日毎日ばあさんたちはドライブがてらにイチジクを買いに出かけ、イチジク破産するのではないかと心配なくらいの毎日です。

直販所の人に「今日も来たんか?」と笑われて、とうとうイチジク農家のおじいさんと知り合いになってしまいました。

農家のおじいさんは優しい人でしたので「昨日のだけど持って帰るか?」とか言って、余った前日のイチジクを頂ける仲になってしまいました。

本当に恥ずかしい限りです。

全く恥ずかしいとは思っていないばあさんたちは、「今日も来ました!」と喜んで毎日出かけています。

そして何パックも買ってくるのです。

あんまり毎日皆がイチジクを買いに行くので経理担当のワタクシは、近所のヒマワリ畑で行われているヒマワリ写真のコンクールの賞金を密かに狙っているところです。

タイトルは「ひまわりとばあさん」

100歳近くのしわしわばあさんをいっぱい並べて写真に収め、賞金を狙おうと考えています。

賞金がもらえたらイチジク代が戻ってくるので、気合を入れてばあさんたちのしわを手入れし、アップで撮りたいと思っているところです。

 

近くの郷土館のカブトガニも見に行きました。

忙しくしていた学芸員の人が時間を割いていっぱい説明してくれて、カブトガニにも触らせてくれて、写真にもいっぱい映っているのに、帰って聞くと「そんなん知らん」とあっさり言えるばあさんが羨ましく思えたりするワタクシですが、「次から来られるときには事前にご連絡頂けたら嬉しいです。」と言われて、またまたお恥ずかしい限りです。

今度は連絡してから行こうと思いますが、何しろすぐに忘れてしまうばあさんたちですから、せっかく時間を割いてまでして頂いた説明が、役に立つのかどうか不明な点が気がかりです。

 

スーパーだの電気屋だのご近所の皆様にご迷惑をおかけしていないかとても気になりますが、この場をお借りして先にお断りしておきたいと思います。

昼間池さんの車を見かけられましたら、またどこかへ遊びに行きよると笑い飛ばしていただけたら嬉しゅうございます。

賑やかすぎて、うるさすぎて、勝手気ままな年寄りたちですが、気弱になったり泣き出したり、構ってもらえないと「息が苦しい」と演技ができたりしますので、騙されないよう気が抜けません。

足が痛いと言いながらドライブに行く時はさっさと歩いたり、人のことなど気にせずいきなり体操始めて周囲を危険に陥れたり、気分が悪いと言いながらイチジクだったらパクパク食べたり、おしっこは出てないと言いながらズボンが垂れ下がるほどパットがビショビショで送迎車に乗り込んだり、まぁ各々の個性は余すところなく存分に発揮できていると思っております。

 

賑やかな人ばかりでもなく、ひっそりと静かな人もいます。

発熱と共に急激にレベル低下したじいさんは、クロッケーの赤い球が見つからんとよろよろしながら部屋中探し回っています。

ずっと前、みよちゃんやじいちゃんが老いていったように、こうして少しづつ弱っていくのだろうと思うとなんだか胸が締め付けられる気がします。

 

いろんな人がいます。

いろんな老いがあると、つくづく感じます。

いろんな人の複雑な老いを今日も見つめていたいと心から思います。

 

さて、お待ちかねの池さんジブリコーナー・・・(えっ?待ってない?まあ聞いてください)「今日の池さんをジブリにしてみたら」です。あまりのうるささに玄関を入ろうかどうしようか迷っている人へ。

「竜の巣だぁ~~~!!!!!」

「引きずり込まれるよぉ~~~!」

「泣き言なんか聞きたかないね!」

「エンジンが燃えっちまうよ!」

「風に帆を立てな!」

「どんどん引き込まれるう~~~!」

「踏ん張りなっ!」

「池さんはこの中だっ!!!」

「ばかな!入った突端にばらばらにされっちまうよ!」

「行こうっ!ばあさんは帰ってきたよ!」

「よしっ!行こう!竜の巣へ!」

などと覚悟を決めて、このうるさい我が家へどうぞ皆さま、お越しくださいませね

たくさんの竜たちが、皆様を心からお持ちしております。

昨日はお世話になっているグレゴリーさん一家が竜の巣へお越しくださいましたが、あいにく送迎終わった後で静かな池さんだったことを申し訳なく思っています。

ご期待に沿えず、申し訳ございませんでした。

また来てね~~~

 

今夜のお泊り。

さっき外へ出たら、なんとまだホタルがいたんです。

車の周囲を飛んで前の川へと向かいましたので、追いかけてみると川の草の間でかすかに光っておりました。

この時期になってもホタルっているんですね。

なんだかちょっと得した気分です。

台風が近づく夜。

なぜか不思議と静かな夜です。

 

 

 

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秋風

2017-09-09 23:47:34 | デイサービス池さん

猛暑が過ぎ、秋風が吹き始めた。

池さんでも、玄関のドアが開け放たれて気持ちのいい風が家の中へ吹き込んでくる。

庭にあった葦簀も丸められて、日よけのブラインドやカーテンもちょっとだけ存在感が薄くなった。

季節の移り変わりを肌で感じる気がする今日この頃。

色づいた稲の穂が重たそうになり、夏の畑は後始末を待っている。

日暮れが早くなり、送迎も心なしか夕方のあわただしさが増してくる。

夏の暑さで壊れかけた我が家のエアコンも、出番が少なくなりほっと一安心。

冬の到来まで、もうしばらくこのままで大丈夫そう。

 

ずっと終わらないかと思われた酷暑の夏も、やはり次の季節を迎える時がやってくる。

永遠に続くように思う苦しい時期も、必ず終わりを迎える時が訪れる。

先が見えずに立ち止まったように見える時も、動き始める時がやって来る。

と信じて生きているのだけれど、どうにもこうにもならない時があまり長く続くと、だんだん心が弱くなってくる。

弱った心は、判断を見失い、自らをもっと暗闇の方へ導いてしまう。

迷路へ迷い込んでしまうと、迷路の出口を探そうとして慌てて壁にぶつかってしまう。

そんなこんな情景が頭をよぎる今日この頃。

 

いろんな悩み事を解決するための方法を、何でどう見つければよいのだろう。

心のどこかで分かっている気がするけれど、心の中の何かがストップをかけているような。

そんなあやふやな状態の初秋の夜。

悩める乙女(ばあさん)は、今日も目をショボショボとこすりながら頑張っております。

 

新しい体重計を買ったのでばあちゃんたちの体重を計ってみたら、自分より重いばあちゃんたちがいっぱいいて、そう言えば私よりいつもいっぱい食べてるもんな~とふと気づいた時、なんだか置いてきぼりにされたような、寂しいような複雑な気がしたり・・・。

食事量が少なくなって心配していたばあちゃんが、イチジクは平気な顔でいっぱい食べるのを見た時に、力が抜けるような気がしたり・・・。

見た目は若くて普通の人なのにブドウの食べ方を忘れてしまい、手の上に置いてあげたブドウの実をコロコロと手の平で転がすだけで口に入れてくれなかった時、「食べて」と言いながら自分の口に入れるのを見せてあげてて、ブドウを飲み込むときに涙が出そうになったり・・・。

コップに入れたお茶をお箸で挟もうと一生懸命になっているじいさんが、ふと顔を上げた時にバツの悪そうな顔でニコッと笑ってくれた時、なんか嬉しくなったり・・・。

日々の出来事の中で年寄りたちに癒されたり追い立てられたり。

小さな自分と闘いながら、今週もなんとか無事に終わったような。

より良い方向へ向かうための道は、今はまだ何本にも分かれて見えていて、これはきっと老眼のせいだけではないと思ったりするワタクシなわけで。

そんなこんな9月9日。

3月3日の桃の節句など5節句の一つに数えられる重陽の節句。

季節の節目となるこの日に五穀豊穣・無病息災・子孫繁栄を祈り、邪気を払ったかつての人々のように、私もまた大いなるエネルギーに向かってただただ祈りたい気分。

よりよき道へ進ませてほしいと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自立支援とは

2017-09-05 22:39:25 | デイサービス池さん

厚生労働省は8月、要介護高齢者の自立支援で成果を上げた介護サービス事業所への報酬を加算するよう方針を固めたらしい。

要介護度が軽くなるほど報酬が低いため、介護事業所が自立支援に後ろ向きになっているとの現実に対する見直しらしい。

見直しでは、心身機能の訓練によって要介護度が改善したり、日常生活動作ができるようになった場合、報酬が増えるそうだ。

これは費用のかかる介護度の重い人を減らすことで、介護保険の費用の抑制につなげる計画なんだとか。

更に、自立支援に消極的な通所介護の報酬は引き下げることで、支払いにメリハリをつけたい考えらしい。

 

らしい・・・らしい・・・と書いたけど、昨今の介護保険の行方など、結局のところ誰にもわかりはしないのだから・・・。

所管の担当者に何かを聞いても、「とりあえず今年はこうなっているので、来年のことは自分たちにもわからないので、とりあえずあ~やって、こ~やってください。」みたいな返事しか帰っては来ないのだから。

たびたびの報酬改定や法律の改正にしても、結局一体この介護保険制度がどこへいくのか、どこを目指しているのか、スタートして17年で、年を重ねるごとに不明になってゆく制度なのだから。

一つだけ確実にわかっているのは、高齢化の進行により介護の総費用は年10億円を超え、2000年にスタートしたこの制度自体が将来像の見えない制度になってしまい、政府はその費用をどうやって抑制していくかということしか机上にはないという現実。

団塊の世代の高齢化に伴い、更に増加するであろう介護費用について、どうやって抑えるかだけを考えている現実。

長期的な方針などなく、4年に一度の見直しが最近では毎年のようになんだかんだと改正になり、そのたび現場も所管も右往左往している現実。

またまた、どこへ行くのか介護保険。

最近では、予防・予防と言い続け、早いうちから機能維持のためのデイサービスなんかにお金を出し、年寄りたちは精を出し、でっかいバスで超元気な年寄りたちを迎えに行き、井戸端会議にお付き合い。

介護を予防するための介護予防デイは、元気な年寄りが行くわけだから、もちろんデイから帰ると普通の生活が待っていて、自分で車を運転して夕飯の買い物に行ってたりする。

「今日はデイサービスでおしゃべりしてきた」と嬉しそうに話しながら、刺身にしようか肉にしようかと迷っている年寄りを見て、介護保険とは何ぞやとでっかい声で叫びたくなる。

若年性アルツハイマーで要介護1でも、自分の家さえ分からず一人で暮らせない年寄りは、機能訓練したところで介護度が軽くなったりするわけもなく、報酬低くて経営的には事業所好みではないから、大きな施設から追い出され、結局のところ改善する見込みのある人しか事業所は預からなくなっていくってか!

個別の対応などと謳いながら、結局見やすい人しか預からなくなっている現実は、毎日ひしひしと感じている。

どこも対応してくれなくて、なんとかお願いできませんか・・・というケアマネの訴えをどれほど聞いていることか。

「自立」とは何か?

「自立支援」とは何か?

「自立支援成果」とはなんぞや?

自立とは他からの助力を受けずに存在することだそうだが、そもそも他からの助力を受けずに人は存在できるのだろうか。

まして年をとり身体機能が落ちてゆく中にあって、一人で誰の力も借りずに生きて行けることが「目標」にされるのだとしたら、そんなことは馬鹿げていると声を張り上げたい気分になる。

自立しなければ、人は人でないというのだろうか。

訓練によって排泄、着替えができるようになったら「自立」したというのか?

介護保険とは、状態を「改善するため」のものなのか?

17年前、介護が必要になった人が安心して老い生きてゆけるように介護保険ができたのではなかったのだろうか。

たとえ不自由になろうと、たとえボケようと、いろんな人に支えられながら、ヘルパーさんに助けられながら、適切なサービスを受けながら、最後まで地域で暮らせるように考えてゆくための制度ではなかったのか。

 

加齢と共に、人は一人で生きることが難しくなっていく。

誰かの助けや支援が必要になる。

機能低下は当たり前。

誰かの助けを借りて生きてゆかなければならなくなるのだ。

 

誰もが老いてゆく。

誰もが。

 

自立を目指す介護保険制度改正を前に、どうやら安心して老いてゆける世の中は遥か遠くになりつつあるらしい。

介護保険はどこへ向かうのか。

社会はどこへ向かうのか。

 

一体どこへ。

 

新学期が始まり、秋風も吹き始めた今日この頃。

明日からまた中学校の授業で子どもたちがやってきます。

夏休み明けの子どもたちと会うのは楽しみです。

多感な年ごろ、思春期を迎える中学生たち。

この子たちもまた日々、「自立」へ向かって歩んでいます。

人は一人では生きられないのだから、人生を生きる中で誰かの手を感謝して素直に借りながら、手にできる沢山の選択肢の中から必要なことを選び取り、たとえ失敗したとしてもその経験を次にきちんと活かし、自分自身の自分にしかない人生をちゃんと歩いて行けることこそが「自立する」ということだと誰かが言っていたことを思い出します。

子どもたちの将来と、わたくし自身の老後にも続いてゆく自立という言葉。

自立の意味をもう一度、社会に問うてみたいと思う気がする今宵です。

 

 

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