秋です。
お彼岸過ぎました。
夏があれほど暑かったからとか関係なく、やっぱりお彼岸が近づけば彼岸花が咲きます。
お祭りがくる頃には金木犀が香ります。
柿が色づき、栗がはじけ、銀杏が落ち始めます。
サトイモやサツマイモが顔を見せ始めると、食欲の秋。
河原で芋炊き、秋の風物詩満載です。
いつの頃からかコロナの話題が影をひそめるようになり、ひっそりと小さな声で「今日の感染者数」と、どこからか聞こえたりすると、「あ~こうやって世の中移り変わってゆくのだろうか」と何だか寂しい気がしたり。テレビで流れる「世の中」は、あくまでもマスメディア主導の「一方的な世の中」でしかないのかもしれないと、改めて思ったりする今日この頃。
夏から秋へ。
自然の移り変わりが教えてくれるのは(食べ物や草花だけでなく)過ぎ去ってゆく「時間」
多方向にアンテナを巡らせていないといけないと思う。
早すぎる時間の流れの中で、確かなものを見つけられず安易に与えられる一方向の一面だけで判断してしまっているのではないかという不安にとりつかれる自分がいる。
半年余りの制約された生活は、いろんな意味で世の中を変えてしまった。
変化の中には望むべきものもあれば、涙をこらえつつ変化を受け入れるしかないものもあるだろう。
未来へ向けて希望の光となるものもあるし、長い歴史に終止符をうつものもある。
大きな見出しのニュースから消えたとしても、このウイルスが世の中を変えてしまったこの事実はなくなることは決してない。
人と人の距離を遠ざけ、交わりを拒んだ事実が、マスクをつけた表情のない社会が、消毒液にまみれた人々の姿が、これから先の時代にどんな影響や変化をもたらすのか、子や孫たちの時代がどんな時代になるのか。
「国家」のあり方や「社会」のあり方や「家族」のあり方はどうなってゆくのか。
完全な安心や安全は存在しない。
常に限界がある。
経済の発展や医療の進化にも、必ず限界点は存在する。
どこまでも追い求めすぎる人間の慢心を、どこかで振りかえってゆかないと取り返しがつかなくなる気がする。
地球や国家や社会、その先にある自分たち小さきものの命。
全てを含めて、ニュースから消えた物事にも心を向けてゆくことを忘れてはならないような気がするのだけれど。
秋の夜長に読む本は、禅の「空」(くう)について書かれた本。
「満たす」ことより「空にする」
「得る」ことと「手放す」こと
本当に必要なものが一体何なのか、大切なものは何なのか、心をどう保つのか、
暑い夏にはどうしても読む気がしなかった本だけど、
秋の夜にぴったりの気がして手に取ってみる。
暑さで毎日ヘロヘロになった夏を過ぎて、じっくり考える時間を持つことも必要かもしれません。
明日は、連休明け。
今週は水曜日スタートです。
池さんは、いつもと変わらず、
ここにあります。