1月行って、2月は逃げて、3月去って、、、
とりあえず月日の経つのは早いのでという意味でしょうが、
確かに早い。
相変わらずのウイルスは、当たり前に近所にも存在してるし、いつまでたってもゼロにはならないはずの数字を、ゼロにしようと追いたてられているような、気が滅入る日常。
どこかで方向転換してほしいと心から願うばかり。
と言いつつ、明日は今月最終日。
1月。
まごのて支援で仙人から人間に戻ったおじいさんは、今では池さんの人気者。
足の悪いおばあさんが来ると、「どうぞ」と椅子を引いてあげて不愛想なおばあさんまでがニコニコ。
帰る時には、皆が「さよなら。またおいでよ。」と笑顔で手を振るまでになり、穏やかで柔らかい口調は、おばあさまたちの好感を呼び、乙女チックなばあさまたちのあこがれの人物に昇格を果たした。
腰が曲がった人たちの中で、すらっと背が高く、腰もピンと伸びたおじいさんは、ばあさまたちの注目を集める。
おじいさんが立ち上がると、目をキラキラさせて「あれ~背が高いねえ~♡」と毎回驚く。
残念なことに、自慢のほっそり体型も、毎日のお弁当とデイの利用で食生活が改善したおかげか、最近では少しお腹がだぶついてきた。
一足早く芽を出した「ふきのとう」を持ってきてくれたり、近所の人が杖にしてと届けてくれた竹を磨いてくれたり、活躍の場も増えてきた。
「天気がええけん、池さんに歩いて行こうかな。」と利用日でないのに言ってくれるのも、マイピーに乗って日曜日も遊びに来ていた河渕のじいちゃんを思い出し、なんだか嬉しくなってくる。
おじいさんは生活者に戻ったけれど、全部の行為が理解でき、一人で行えるわけでない。
生活のほぼすべてに、支援が必要な状態。
「今」必要な支援を見極めて、「今」の状態で独居生活がどうすれば続けられるか、考え実行することができれば、なんとか、もうしばらくの間、自分の家で暮らして行けるだろう。
そんなことを考えさせてくれるおじいさんの暮らし。
池さんに来るのが楽しみだと言ってくれる一人の優しいおばあさん。
頑張って畑をして、池さんにといつも野菜を持ってきてくれる。
今年のお節料理には、おばあさんの育てた黒豆を使った。
大ちゃんが空豆が好きだと言うと、秋にはいっぱい種をまいてくれたらしい。
「もうこのくらいになっとるよ。」と嬉しそうに教えてくれる。
おばあさんはとっても優しい。
目が不自由な人には、当たり前のように手を貸してあげる。
「お茶熱いけん、気をつけんかいよ。」とコップを持たせてあげる。
ちょっとこわい感じのおじいさんにも「こっちへおいでませ」と二人用のソファーに誘ってあげる。
何か用事をし始めると、必ず手伝おうかと言ってくれる。
気分の浮き沈みはあるけれど、「ここに来るといっつも笑えるから嬉しいよ。ご飯もようけ食べれるんよ。」と嬉しそうに話してくれる。
いつも笑ってるおばあさんを見ていると、いろんな辛さを抱えていることを忘れてしまいそうだけど、でもおばあさんの心の中を想う時、いろんな悲しさや苦しさを感じながら生きてきたのだろうなと切なくなる。
そんなことを考えさせてくれるおばあさんの笑い声。
どの人も、生きてきた歴史があって、生活していた過去があって、そして今という現実がある。
どうすればいいのだろうといつも考えながら、
よりベターな方向へと舵を切っていく。
一緒に悩みながら、時に喧嘩しながらも、
少しでも納得できる時間を生きることができるよう、
想いを尽くしていきたいと思う。
ふきのとうに菜の花。
柔らかい社会になるように。
暖かい日差しが待ち遠しい。