本日五月晴れ。
風がとても強い一日だったけど、周辺の麦畑では刈り取りに忙しい一日でした。
裸麦の生産量では日本一を誇る愛媛県です。
裏作にほとんどの農家が麦を作り、この麦刈りが終わると畑を焼いて耕し田植えの支度をするのが5月の風物詩。
なので麦の刈り入れ前の5月は、山々の新緑と黄金色の麦畑の景色のコントラストがホントに美しいのです。
ただし麦にアレルギーがあると結構しんどくて、ワタクシは麦の穂が色づき始めると身体が重くなり鼻水で始めるのですがね。
かつてヨッシーが話してくれました。
「いろんな農作業の中で、麦を刈るのが一番辛かった!」
「どうして?」
「稲刈りは秋でそれほどでもなかったけど、麦刈りは暑くなる頃で、汗をかいたところへ刈った麦が引っ付いてチクチク痛いんよ、もう本当に好かんかった!麦刈りが一番嫌いじゃった!」
機械じゃなくてすべて手作業の時代だったので、どれもこれも大変だったに違いないでしょうが、なにしろ農業音痴のワタクシなので実際どれほどしんどかったかはわかりませんが、絶対に不足や文句を言わなかったあのヨッシーが「好かん」なんていうことがあるんかと、違う意味で感動したりした記憶が今でもはっきりと思い出されます。
皐月の終わる頃、麦刈りが始まると思い出すヨッシーのこと。
いろんなことに向き合うたびに、誰かの、何かの、記憶と出会えることは、誰かの、何かと、いつも一緒に過ごしているような気がして、嬉しくなるような気分になります。
「運命」というテーマで考えてみた書物からの一文紹介です。
・人間というのは、自分の運命は自分で作ってゆけるのだということをなかなか悟れない。ベルクソン(哲学者・心理学者)
言い換えると、「習い性となる」というニュアンスですが、もともと備えている生まれつきのものよりも、成長してゆく過程において作られる習慣の産物が人であるということ。
このことについて日野原重明氏は著書の中でこう言っています。
「人間というのは、歳を重ねる中で、どのような場に、あるいはどういう環境の中にいるかということが、その人に一番大きい影響を与えるものと思う。つまり自分が環境を作っている。1人ひとりが自分を作り上げるのです。」
運命は常に大きな流れとなって私たちに向かってくるかもしれないけれど、その流れの中でどう生きるかはまさに自分自身が決めるもので、決してどうにもならないものでも、どうしようもないものでもないはずだと、気づかされます。
どこでどう生きるか、誰と出会うか、何を選ぶか・・・日常の暮らしの中でさまざまな小さな事さえも、自分を作り上げるか、そうでないかは、結局のところ自分の心次第なのかもしれません。
(余談ですが、大学の卒論のテーマが「環境が人の性格に及ぼす影響に関しての考察」というしろものでした。恥ずかしながらその当時の心理学的関心と私の池さん生活の今は、完全につながっていたのだと最近気がついた次第です。)
記憶の中に生きるたくさんの人。
たくさんの人たちが語ってくれた言葉たちは、何かがあるたびに思い出す大切な言葉たち。
まさに私自身をつくり、糧となり、育ててくれているに違いないたくさんの言葉たち。
心が満たされ、自分自身が変わり、育ててもらっている私の選んだ環境は、紛れもなく私自身が生きる環境。
ヨッシーの言葉のように、季節が巡るたびに心によみがえる言葉の数々は、沢山のヨッシーの記憶と共に、今も私を形作ってくれているに違いありません。
すがすがしくいさぎよく、執着心のない、たおやかなヨッシーのように、今年もまた、皐月の残りの日々を大切に過ごしたいと思います。